淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「花に嵐のたとえもあるさ、サヨナラだけが人生だ。まあ、こんなもんでしょ、人生なんて」。【43日後の春へ】

2023年01月18日 | Weblog

 いよいよ「大寒」だ。それに標準を合わせるようにして最強大寒波が襲うらしい。それも何度も続けざまに。
 確かに気象庁が発表している「2週間天気予報」を見ると、この街、来週から連続して「真冬日」が続いている。それも1週間以上、ずっとだ。
 たぶん、ここが今冬の寒さの底になるのだろう。つまり最後の難関だ。ここを耐えたら「立春」である。まだまだ先は長いけど・・・。



 最近、自分の残り少なくなった人生についてよく考える。あと、何年生きられるのだろうかと。あと何年、健康体を維持できるんだろうかと。
 世にいう「人生100年時代」なんて、まやかしだ。踊らされているに過ぎない。
 だいたい、仮に100歳まで生きたとしても、それまでの間ずっと健康体のまま何の支障もなく毎日の生活を送られるなんて、んなもんあるはずない。
 少しずつ身体が利かなくなり、行動範囲は狭まり、大きな病気や怪我にだって見舞われる。100歳になった途端、ポックリと死ぬわけじゃない。少しずつ見えない形で体も心も死んでゆくのだ。



 だとしたら、せいぜいあと10年ぐらいだろうと思う。ほかに何らかのアクシデントがあったり病気になったりしないと仮定して、自由自在に行動できる時間というのは。
 つまり、もう限られた時間しか残されてなんかいないのだ。そうなると一日一日がとても貴重に思えてくる。

 先日、自分なりに「死ぬまでにしたい100のこと」を思いつくままにメモしていったら、40ぐらいまで書いてあとは何にも思い浮かばなかった。
 それでもその40ぐらいのやりたいことをやったら、あとはこの世界からおさらばするしかないのだろう。そう思う。



 近頃、ちょっと居直っている自分がいる。
 多少の煩わしいことは脇に追いやって、あとは勝手気まま、自由に最後の10年間ってやつを優雅に泳いてゆくだけなんだ、心底そう考える。

 でも悔いもある。遣り残したこともある。あの時ああしておけばこうはならなかったのにとか、あの時のあの判断は間違っていたとか、悔しい事や思い出すだけでも腸が煮え滾ることがいっぱいある。もちろん、楽しかった事や嬉しかった事だってあるけれど・・・。

 まあ、こんなもんでしょ。
 人生なんて。
 花に嵐のたとえもあるさ。サヨナラだけが人生だ。
 




 
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