冬が来た。
今年の冬は寒くなりそうだ。
いつもなら大嫌いな季節なので憂鬱な気分に襲われるのだけれど、なんかもうそういう事にもそれほど煩わしさを感じなくなってきた。
だからといって、どうでもいいというような、そんな投げ遣りな感じでもないんだなあ、それが。
でも、ウキウキ・ワクワクしているわけでもないし、前向きに物事を捉えているわけでもない。
冬は冬として受け入れよう。そんな居直りと達観があるだけだ。
あるがままに。なすがままに。
ただ、一介の「冬が」今ここにある。そんな感じだろうか。
あと一年。あと一年で、あらゆる「しがらみ」から解放される。
そのことが余りに嬉しくて、その踊り出したくなるような素晴らしさの前に、色んな苦しさとか切なさとか息苦しさとかが、雲間からゆっくりと太陽が輝き出すみたいに逃げ出してゆく・・・。
人間のこころは複雑だ。
肯定的な気分に浸っているからといって、それほど明るく楽しい自分がずーっと居すわっているわけじゃない。
日々の生活は結構辛いし、足を引っ張ろうとしている輩は其処かしこに潜んでいて、こっちが転ぶのを今か今かと待ち構えている。
色んな重い荷物は毎日毎日肩にどっかり圧し掛かるし、生きることに嫌になって自暴自棄になることだってある。
ところが、こんな事も考えてみたりする。
組織とは、非情で無慈悲で思いやりの欠片もない不思議な生き物でしかないけれど、でもそこに生息し、そこから「食い扶持」を貰う事でしか生きていけなかった自分がやっぱり一番悪いわけで、そんな組織の中でぬくぬくと育ち、日々の「食い扶持」を貰い、何かと守られてきた自分もまた存在しているのだと。
考えてみたら、それなりに自由な職場だった気もする。
割と自由にさせて貰ったし、十分好き勝手にやらして貰った。こういう風通しのいい環境も、この街じゃ稀有な存在だとも思ったりする。
そうかあ。
俺は、本当は幸せだったのかもしれない。
無いものねだりの我がままな餓鬼だったんだ。
隣の芝生が奇麗に見えただけで、「青い鳥」は結局自分の家の中にいただけだったんだ・・・。
そうだよ、俺って幸せだったんだよ。
何故、今頃になってからそんな単純な事に気づくんだろ・・・。
そして今年もこうして暮れてゆく。
もうすぐ、新しい年になって、また一つだけ歳を取る。
人生が一つだけ進んで、またゆっくりと死に向かって歩んでゆく。
何かを捨て去り、何かと別れを告げ、何かを投げ捨て、何かに依存し、何かを奪い、何かに怯え、何かを掴み、何かに裏切られる。
定まり、固定した確かなものなど、何も無い。
幸せだと感じる自分がいて、不幸だと悔やむ自分がいて、生きたいと思う自分がいて、もう十分だろうと思う自分がいる。
それらの色んな感情が何重にも重なって、複雑でどうしようもない自分を造っている。だから人間は皆、不幸なんだろう。幸せになり切れないんだろう。
でも、あと一年、あと一年。
そこで俺は解放される。自由になれる。
そのことだけが、俺を幸せにしてくれる。そのことだけが、今の自分を辛うじて支えている。
あと一年経ったら、これまでとは全く違った自分になれる。それだけが支えなのだ。
このいっときの幸福感は何なんだろう?
こんな感情も、そのうちすぐに消え去るのは、馬鹿じゃないから俺だって知っている。そんな感情だけで満たされるほど、人生なんて甘くない。
まあ、いっか。
どうせ、ひと世の馬鹿騒ぎだ。
思いだけが、その思いだけが、人を幸福にする唯一の手段なんだ。
今年の冬は寒くなりそうだ。
いつもなら大嫌いな季節なので憂鬱な気分に襲われるのだけれど、なんかもうそういう事にもそれほど煩わしさを感じなくなってきた。
だからといって、どうでもいいというような、そんな投げ遣りな感じでもないんだなあ、それが。
でも、ウキウキ・ワクワクしているわけでもないし、前向きに物事を捉えているわけでもない。
冬は冬として受け入れよう。そんな居直りと達観があるだけだ。
あるがままに。なすがままに。
ただ、一介の「冬が」今ここにある。そんな感じだろうか。
あと一年。あと一年で、あらゆる「しがらみ」から解放される。
そのことが余りに嬉しくて、その踊り出したくなるような素晴らしさの前に、色んな苦しさとか切なさとか息苦しさとかが、雲間からゆっくりと太陽が輝き出すみたいに逃げ出してゆく・・・。
人間のこころは複雑だ。
肯定的な気分に浸っているからといって、それほど明るく楽しい自分がずーっと居すわっているわけじゃない。
日々の生活は結構辛いし、足を引っ張ろうとしている輩は其処かしこに潜んでいて、こっちが転ぶのを今か今かと待ち構えている。
色んな重い荷物は毎日毎日肩にどっかり圧し掛かるし、生きることに嫌になって自暴自棄になることだってある。
ところが、こんな事も考えてみたりする。
組織とは、非情で無慈悲で思いやりの欠片もない不思議な生き物でしかないけれど、でもそこに生息し、そこから「食い扶持」を貰う事でしか生きていけなかった自分がやっぱり一番悪いわけで、そんな組織の中でぬくぬくと育ち、日々の「食い扶持」を貰い、何かと守られてきた自分もまた存在しているのだと。
考えてみたら、それなりに自由な職場だった気もする。
割と自由にさせて貰ったし、十分好き勝手にやらして貰った。こういう風通しのいい環境も、この街じゃ稀有な存在だとも思ったりする。
そうかあ。
俺は、本当は幸せだったのかもしれない。
無いものねだりの我がままな餓鬼だったんだ。
隣の芝生が奇麗に見えただけで、「青い鳥」は結局自分の家の中にいただけだったんだ・・・。
そうだよ、俺って幸せだったんだよ。
何故、今頃になってからそんな単純な事に気づくんだろ・・・。
そして今年もこうして暮れてゆく。
もうすぐ、新しい年になって、また一つだけ歳を取る。
人生が一つだけ進んで、またゆっくりと死に向かって歩んでゆく。
何かを捨て去り、何かと別れを告げ、何かを投げ捨て、何かに依存し、何かを奪い、何かに怯え、何かを掴み、何かに裏切られる。
定まり、固定した確かなものなど、何も無い。
幸せだと感じる自分がいて、不幸だと悔やむ自分がいて、生きたいと思う自分がいて、もう十分だろうと思う自分がいる。
それらの色んな感情が何重にも重なって、複雑でどうしようもない自分を造っている。だから人間は皆、不幸なんだろう。幸せになり切れないんだろう。
でも、あと一年、あと一年。
そこで俺は解放される。自由になれる。
そのことだけが、俺を幸せにしてくれる。そのことだけが、今の自分を辛うじて支えている。
あと一年経ったら、これまでとは全く違った自分になれる。それだけが支えなのだ。
このいっときの幸福感は何なんだろう?
こんな感情も、そのうちすぐに消え去るのは、馬鹿じゃないから俺だって知っている。そんな感情だけで満たされるほど、人生なんて甘くない。
まあ、いっか。
どうせ、ひと世の馬鹿騒ぎだ。
思いだけが、その思いだけが、人を幸福にする唯一の手段なんだ。