そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

5月12日(土)13日(日)

2018年05月13日 | 公開

  卒論指導を担当した教え子が結婚するというので、松江に弾丸往復した。水の都は、歌の通り雨が降っていた

  松江で独り暮らしをしていた老母を引き取って以来、松江城近くの実家は空家となっている。貸して欲しいとの引き合いもあり、土曜はまずその話をするため実家へ。近所の方にご挨拶し、家のコンデションを見ていただいた。

  貸して欲しいと言ってくださるのは、中学高校の同級生の妹さんである。その次兄が同級生で、長兄殿は京都の帝国大学教授であられるのだが、今夏、私はそこで集中講義を依頼されている。

  妹御と「やまいち」で食事をし、松江大橋北詰に最近開店した「PUENTE」というバーに連れて行っていただいた。マスターは高専を出た若い方だったが、酒のラインナップと音楽が、なかなかの水準のお店だった。

  日曜朝はホテルの食事で、蜆汁を10杯飲み、会場へ。新郎の大学院指導教授であった仙台の帝国大学准教授先生と、新婦の大学院指導教授であった東京帝国大学教授先生とタクシーで同道した。私は新婦の、学部卒論指導教授にして、私立バカ田大学文学部只野教授である。

  式は人前式とやら、披露宴は地元食材を駆使したコース料理だった。王禄をがばがば飲めたのが、仕合わせでしたわ。

  お開きの後、松江駅までタクシーで移動、着替えて亡父の実家へ挨拶に行った。そして、駅に戻って売店を物色していると、見覚えのある方が…。なんとなんと、もものくわいでお世話になっている筒井紘一先生がお土産を選んでいらっしゃった。ご挨拶し、新物のめのはと、岩海苔をお薦めしておいた。

  16:30に、出身高校の女子生徒さんとそのご母堂と待ち合わせ、1時間半ほど、大学進学についてのご相談に与る。勤務先入学センターの職員を通じて、ウチの傘下学部への進学を志望しているというので、応対した。まあ、なかなか複雑な事情があるのだが、ここでは伏せておく。

  米子鬼太郎空港行きの最終連絡バスに乗り、東京行き最終便に乗って、一反木綿のごとく帰京いたした。