そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

2月28日(金)風呂の工事

2014年02月28日 | 公開

  風呂場と洗面所の工事が始まって、昨日1日でぶっ壊す作業は終わってしまった。なにしろ小さな風呂場だからな。剥がされたタイルは庭に積み上げてあるし、車庫の脇に外した湯船がどかんと置かれている。今日は水道工事だとか。

  我が家はパネル工法による建造物なので、柱がない。タイルや床や天井を外すと、ふ~む、こんなふうになっていたのかと改めて驚いた。

  前は白タイルに目地は黒にしてもらっていた。それが当たり前っぽくていいと思っていたが、黒は存外汚れが目立つものなのだった。今度の風呂もごくごく単純、ふつ~にしてもらうことにしている。鏡も要りませんと言ったら、業者さんは目を丸くしていた。今までの風呂場にも鏡は無かった。自分の顔を見ながら洗うのは気持ち悪い。頭でも顔でも、髭剃りだって鏡無しでできなくはない。そもそも、南方戦地ではドラム缶で風呂に入っていたのである。罰が当たる。普段の生活に余計なものは何も要らない。すてきなお風呂は、温泉にでも行って入ればよいのである。

  中国の大学で集中講義をしたことがあるけれど、宿舎には湯船なんか無かった。排水のやたら悪いシャワー施設が、トイレと一緒の場所に申し訳程度に付いているだけで、これは体を洗ってはいかんのではないか?と思ったことである。まあ、そう考えれば、これから死ぬまで10年ほど入れたらよろしいわけで、設備に凝る必要はさらさらあるまい。

  ごてごてしたものはもう沢山という気がする。世の中から、だんだん置いて行かれるなあという感覚が強くなっていく今日このごろ。亡父は私の年齢には退職、引退していた。それには相応の必然性というものがあったはずだ。 「世に従へば身苦し」とは、既に800年前に書かれておる。毎朝自服にておいしい薄茶を喫して、突然ぽっくり死んでいけたら素敵である。


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