そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月17日(木)卒論ゼミ打ち上げ

2015年12月17日 | 公開

  卒論は全員分提出されたので、本日の「卒論ゼミ」は打ち上げじゃ、喫茶店集合でケーキと飲み物を奢ると連絡したのだけれども、やって来たのは大学院進学予定者のみであった。この女子学生は、高校時代、俵万智の「カンチューハイの君」に習ったという。その「カンチューハイの君」の坊ちゃんが、大学院では貴女の1年先輩になるんだよ…と話すと、驚いていた。

  卒論と言えば、電車の中で池波正太郎のエッセイを読んでいて、ドキッとした。

  「・・・先ず、高島屋へ出かけ、たまっていた買い物をすませ、地下鉄で、はじめて高田馬場へ行く。その速さにおどりく。十五分ほど早稲田に着き、穴八幡のあたりから、ぶらぶら、フルヤ万年筆店まで歩く。手製の万年筆を二本買いもとめ、持参したオノトの軸を取り替えてもらう。この万年筆は私が直木賞を受けたとき、故玉川一郎氏が下すった記念の品だ。それなのに軸を割ってしまい、別の万年筆の軸をつけておいたのだが、フルヤにはオノトの軸があるとわかったので、替えてもらったのだ」。

  古屋万年筆店は、早稲田通りと明治通りの交差点、馬場口の、南西角にあった小さなお店だ。学生時代、バスに乗る金が無かったから、高田馬場から早稲田通りを歩いて通学していたので、よく知っていた。卒論を書く時期になって、当時は原稿用紙に万年筆で書くのが普通だったから、古屋万年筆店でペリカンを買った。ところが私は筆圧がものすごく高くて、300枚ほどの卒論を書き上げたら、ペン先が摩滅してしまった。それをお店に持って行くと、こんな減り方は初めて見たと言って、ご主人に取り替えてもらった思い出がある。池波の文章にもあるとおり、オリジナルの万年筆も作っていて、その中でも一番太いのを、たしか2万円だったと記憶するが、思い切って購入したのが今も手元にある。それを買う際にご主人から、これは誰にでもお薦めは出来ない品ですと、何度も何度も念を押されたのであった。

  卒論の思い出である。

 


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