『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

本当の意味での、「親から独立」

2011年08月06日 | Weblog

今日は、先だって亡くなった嫁さんの母親の納骨。

納骨の前に49日の法要を済ませて、納骨が終わるまで、たったの40分。

宗派によって、儀式が違うのだろうけれど、
何だか読経も簡単で、焼香もせずに読経が終わったり、
その後も、読経もせずに、いきなり墓の中に納骨してしまうのが
なんとも事務的に感じて、通夜の時に親を斎場に
置いて帰ってしまうあの事がダブって、なんともいえない気分。

まぁ、僕みたいにいつまでも未練たらしくしているより
スパッと切り替えが出来る、現代人なのかな?
そんな訳で、午前中に簡単に終わってしまった納骨でした。

僕の兄弟も、嫁さんの兄弟も両親が居なくなった。
今まではお袋の居た場所に、「お袋に会うため」に集まっていたのが
お袋の居なくなった実家は、兄弟の集まる拠点では無くなった。

嫁さんの実家も同じで、これから先は義兄の住む家になるわけで
子供同士の繋がりで、行き来はするのだろうけれど、
今後は僕らのレベルでの集まりは、法事などが中心になるので
集まる拠点は基本的に墓所や菩提寺、もしくは仏壇のある場所ってことになる。

したがって、兄弟の関係は親が亡くなった時点で新しい展開になる。
要は色々な意味で、今までどおりは行かなくなるってことなのでけれど、
実は、それがなかなか理解されていない事の方が多いね。

実家という共通のスペースだった場所が、誰かが引き継いだ時点で
「誰々さんの家」に替わるって言った方が解りやすいのかな?
だからこそ、兄弟や親戚の繋がりを保つのは難しいのだと思う。

兄弟の繋がりは、同じ親から生まれたと言う「同じ血が流れる関係」。
親にとっての子供、子供にとっての親は「分身」であり、
兄弟の関係とは全く別次元の関係っていう気もするね。

両親が亡くなって初めて、兄弟の繋がりは意識していないと、
簡単に途切れてしまうって思った。
逆に断ち切ろうと思ったら、集まらなければ良いわけで、
そういった意味では簡単に出来る。
本当の意味での「親から独立」って、言うことになった気がしたね。

コメント
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