今日は、先だって亡くなった嫁さんの母親の納骨。
納骨の前に49日の法要を済ませて、納骨が終わるまで、たったの40分。
宗派によって、儀式が違うのだろうけれど、
何だか読経も簡単で、焼香もせずに読経が終わったり、
その後も、読経もせずに、いきなり墓の中に納骨してしまうのが
なんとも事務的に感じて、通夜の時に親を斎場に
置いて帰ってしまうあの事がダブって、なんともいえない気分。
まぁ、僕みたいにいつまでも未練たらしくしているより
スパッと切り替えが出来る、現代人なのかな?
そんな訳で、午前中に簡単に終わってしまった納骨でした。
僕の兄弟も、嫁さんの兄弟も両親が居なくなった。
今まではお袋の居た場所に、「お袋に会うため」に集まっていたのが
お袋の居なくなった実家は、兄弟の集まる拠点では無くなった。
嫁さんの実家も同じで、これから先は義兄の住む家になるわけで
子供同士の繋がりで、行き来はするのだろうけれど、
今後は僕らのレベルでの集まりは、法事などが中心になるので
集まる拠点は基本的に墓所や菩提寺、もしくは仏壇のある場所ってことになる。
したがって、兄弟の関係は親が亡くなった時点で新しい展開になる。
要は色々な意味で、今までどおりは行かなくなるってことなのでけれど、
実は、それがなかなか理解されていない事の方が多いね。
実家という共通のスペースだった場所が、誰かが引き継いだ時点で
「誰々さんの家」に替わるって言った方が解りやすいのかな?
だからこそ、兄弟や親戚の繋がりを保つのは難しいのだと思う。
兄弟の繋がりは、同じ親から生まれたと言う「同じ血が流れる関係」。
親にとっての子供、子供にとっての親は「分身」であり、
兄弟の関係とは全く別次元の関係っていう気もするね。
両親が亡くなって初めて、兄弟の繋がりは意識していないと、
簡単に途切れてしまうって思った。
逆に断ち切ろうと思ったら、集まらなければ良いわけで、
そういった意味では簡単に出来る。
本当の意味での「親から独立」って、言うことになった気がしたね。