『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

大晦日

2010年12月31日 | Weblog
今年も終りかぁ・・・
今年は、サッカーは自分のチームを作って思う存分楽しんだし、
芝居も、相手役に苦労しながらも頑張って、そこそこいい芝居が出来た。
心残りは、9月からお袋の容態を相方が気遣ってくれて
ライブを思うように出来なかった事かな?
今思えば、出来たのかも知れないけれどね・・・・・

仕事は、全然思うように行かなかった。
まぁ、それでも皆、頑張ってくれたからよしとしよう。

大晦日は、毎年慌しい。
お袋が正月を迎えられるか、微妙だったので年賀状は作らずに居た。
それで、今日は例年通り除夜の鐘と共に年賀状を書き始められるように、
一気に100枚、プリンターで印刷。
流石に大晦日は家族と過ごしたいので今日は実家へ行っても
姉貴の代わりに買い物だけして帰る事にした。

年越しそばを頼もうとしていた老舗は27日で受付を終えていて
仕方がなく自宅で茹でる乾麺を買いに行った。
その他は、雑煮用の小松菜と生姜。
大晦日のスーパーマーケットのレジは長蛇の列。
たった3品買うだけなのに、20分以上並んじゃった・・・・

そしてお袋が食べたいと言い出したケーキを探しにルミネへ。
ルミネには物凄く沢山、ケーキ屋さんがあって
『毎日、ケーキがこんなに売れるのか?』って思っちゃった。
で結局僕は、子供の頃からお袋と好んで食べた『不二家』で
イチゴショートとチョコレートケーキを3個購入。
ついでに自宅でも食べるように、同じものを4つ別の箱に入れてもらった。

お腹が空いたので、以前紹介した「コーミヤ」の鯛焼きを買い食い。
いやぁ、やっぱり鯛焼きは美味しい・・・・
正月に兄弟が集まるので、皆の好きなおせんべい等を購入。
最近、毎日のようにお菓子屋さんの「成田屋」へ行くので
顔見知りになっちゃって、何だか恥ずかしい感じ・・・・

実家へ戻って、正月2日に集まるから近所の寿司屋へ20人前予約。

お袋はテレビの前で「紅白歌合戦」が始まるのを待っている。
僕は自宅へ帰って、年越し蕎麦を家族と食べるので
お袋に「正月にまた来るよ」って言って帰って来た。

帰宅するなり、年越し蕎麦を食べて、お土産のケーキを食べて。
嫁さんたちは「紅白」を観る為に、さっさとお風呂に入っちゃった。

僕は、「紅白」には興味ないので、その間にゆっくり風呂へ入って
ビールを飲んだり缶チューハイやカクテルを飲みながら年賀状を書き始める。

紅白歌合戦は、最後の方だけ観た。
赤組は「ドリームカムトゥルー」、白組は「SMAP」
ドリカムは唄こそ上手いけれど、紅白のトリをとるにはちょっとね。
SMAPは、唄は下手だけれど存在感があってよかった。
結局、白組が勝ったらしい。

その後、夜中まで子供たちはそれぞれ起きていて、ワイワイ騒いで居る。

お袋が頑張ってくれたので、普通に正月が迎えられた。
普通に過ごせるって、凄く幸せなのかもね?
そう感じた年の瀬だった。
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大晦日前日

2010年12月30日 | Weblog
今日は嫁さんが仕事、次女は冬期講習。
長女は部活が終わって、放って置くと何時までも寝ているので、
叩き起こして、昨日に続いて長女と2人で荻窪の実家へ出かけた。
長女は、嫌な顔一つしないので、こういう時は僕も嬉しい。

お袋は、本当に痩せ細って腕なんか骨と皮だけ。
薬の加減で、最近は耳が遠くなってしまい、
大声で喋らないと聞こえないみたい。
それでも、長女が訪ねて行くと本当に嬉しそうな顔をするし
僕がいつもどおりに冗談言って、お袋が笑うのがまた嬉しい。


昨日買った、正月用の松飾りと門松を取り付けて、長女はその間に
神棚に取り付けるしめ縄に白い飾りを付けてもらって神棚にセット。
長女が神棚を不思議そうに見ていて、小さな神社だよって説明してやったら
妙に嬉しそうにして、しげしげと眺めていた。
こういう会話って、マンション住まいでは出来ないことなんだろうなぁ・・・・。

暗くなる前に長女と歩いて荻窪駅まで、姉貴に頼まれた買い物に出た。
まずは、毎日着てくれている看護婦さんが、明日が誕生日だと言うので
プレゼント用のお菓子を買って、ついでに自分達の分も買っちゃった。

次は、長女の食べたい唐辛子のせんべいとを買って、
ちょっと休憩で、ソフトクリームを食べながら僕の部屋のテレビの話。
『パパのテレビ、無くなったら困るんじゃないの?』
って言われて、、長女と家電コーナーに行ったら、
そこで2万円の22インチのテレビを見つけて
『おばあちゃんが欲しがっていたし、なんならこのテレビを買っちゃおうか?』
なんて相談しながら、色々考えたけれど、結局止めた。
確かに言われてみれば、大晦日の格闘技や元旦のサッカーは、
家族の観たい番組とかち合うので、毎年自分の部屋で見ていたっけ・・・・
まぁ、いいや・・・
でも、2万円で売っていた22インチのテレビは安いかも?
BSが見られないのが難点で止めたんだけど、ちょっと考えちゃった。

今日は夕方で帰るので、姉貴には何か美味しそうなものをと
長女と相談して、「五目おこわ」と「海老と焼きジャガのサラダ」を買って
帰りはバスに乗って実家へ戻った。
お袋は寝ている様子で、長女と姉貴と3人でお茶を飲みながら雑談。
7時になったので、急いで帰る事にして、長女がお婆ちゃんに声をかける。

お袋はまた嬉しそうにして
『また来てね』って、手を振っていた。
帰りの車の中で長女に
『お婆ちゃんに顔を見せてくれて、ありがとう』
って言ったら、長女は照れ臭そうに
『今日は暇だったし、家に居たらずっと寝てたから、お婆ちゃんが喜んでくれて良かった』
って、何だかちょっと照れ臭い会話になっちゃった。
でも、どんな理由でも嬉しい事には変わりない。
ありがとう。
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休暇突入

2010年12月29日 | Weblog
今日から、正月4日まで7連休。
初日は、いつもどおり荻窪の実家へ。
今日は、嫁さんは仕事が休みだけれど次女は冬期講習、
長女も最後の部活で、帰ってきたら居ないと可哀想なので
僕一人で、姉貴の居る実家まで昼過ぎに出かけて行った。

姉貴がお袋の面倒をずっと一人で見て居るから、
せめて休日は一緒に居て、晩飯くらい付き合ってあげないと
一人だと、どうしても簡単なものしか食べないからね。

お袋が、大晦日に紅白歌合戦を見たいと言っていたので、
僕の部屋で使っているテレビを持って行ってやった。
せめて大好きな紅白歌合戦をベッドで見られるようにしてあげたいからね。
新しいものを買うのも、何だか勿体無い気もするし、
僕は部屋でサッカーを見るくらいしか使わないし、必要なら
その時に買えばいいのだからとりあえずこれでよし。

急いでテレビをセッテイングするためのケーブルを買いに駅まで出かけた。
その他、姉貴の欲しいものを代わりに買い物に行って
ついでに晩飯の食材や、正月の飾りを買いに行ったりやる事が沢山。

お袋が食べたがっていた、白子おろしの白子と漬物を買って
伊達巻や田作り、栗きんとんの御節を見繕って、
夕食用に大根と玉子を仕入れて、そのほかは姉貴がくつろぐ時に食べる
おせんべいや、お袋の好きな芋せんべいを購入して、両手が一杯になった。

帰りがけに、花屋さんへ寄って正月の松飾りと門松を購入。
翌日に仏壇の花と、玄関に飾る正月用の生け花を頼んで急いで帰宅。
テレビのケーブルをお袋の部屋まで這わせて、テレビが映ると
『紅白が見られるね』って、お袋は本当に嬉しそうな笑顔を見せる。
大きな音でないと聞こえないけれど、一軒家だから近所には聞こえない。
とにかく、ベッドでテレビが見られると、気分転換にもなるから良かった。

その後、松飾りは翌日に飾る事にしては、急いで夕飯の支度。
今日の晩飯はワラサの味噌漬けと、大根と油揚げの味噌汁に
小松菜のおひたしに、出し巻玉子、それに白子おろし。
簡単な和食だけれど、姉貴にとっては久しぶりの和食。

僕は適当に味付けしてるんだけど、意外に美味い。
まさに手前味噌の料理なんだけれど、
『美味しい』と姉貴が喜んで食べてくれるので作り甲斐がある。

今後の事を色々相談したり、テレビのニュースを見て二人で
色々と議論したり・・・・・
他愛ない時間だけれど、姉貴の気分転換になってくれれば、それでよし。
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仕事納め

2010年12月28日 | Weblog
昨日の問題は一応、解決の目処が立って朝一番で社長に報告。
肩からカバンぶら下げて、社長室に入って行っちゃう僕も大胆だったけど
社長は、今後のために仕事のやり方をいちいち僕に言ってくる。
『社長の考えは解ってますから、もう任せてください』って言って
何とか治まったんだけど・・・・・疲れる・・・・・。
それでも、今日は無事に終了。年内の仕事はこれで終り。

今の会社は、年末の最終日とか節目では全社的に打ち上げをやる。
とりあえず会費制って事になってはいるんだけれど、あくまで建前。
乾杯して酒を飲みながら、一年の労を労う。
こういうのって、大事だなって思う。
前の部署では、あまり大事にされてなかったからなぁ・・・・

異動になる日まで、部署の人間には正式な発表をしていなかったり、
異動の辞令が降りたのが、午後三時過ぎだったり、
挙句の果てには、僕に関わった人間は出張で誰一人居ない最終日。
極めつけは、社報に載るはずの異動の事が僕だけ載っていない。
この件を、この間たまたま遭遇した元人事担当取締役に聞いたら
前の部署がキチンと異動の連絡をしていないのが原因だとか・・・・

その張本人が今の社長。まぁ、許してやるけどね・・・・・
人の関わりって、きちんとしておかないと何時再び
同じ人と関わるか解らないという典型的な例で、良い勉強にもなったかな?

一時間の打ち上げの後は、仲間と2次会。
そこでちょっと控えめに飲んで、その後に他のグループと合流するために
駅の反対側まで移動。
駅では人身事故の影響で、電車が止まって居る。
復旧するまでは、ゆっくり飲めるって言われて歩いていると
前から声をかけてきた人が居た。
おぉ、僕を追い出した懐かしの『生き字引様』じゃないの・・・・・・

挨拶して、ちょっと話をしたら電車が止まってるので何処かで時間を潰すみたい。
一人きりだったので、僕を誘おうとしてるような雰囲気なので
『若い連中と、呑みにゆくんです』と言って、さっさと別れちゃった。
何だか、ちょっと可哀想だったかな?

で、カラオケに連れて行かれたけど、流石にこれは着いて行けなかった。
音楽を楽しむ事はいいんだけど、何だかカラオケの騒ぎは苦手な僕。
12時近くになったので、一人お先に失礼した。
幸い、終電を乗り継いで1時半に帰宅。
寒くて、途中でラーメンを食べたけど、一人で食べるラーメンは美味くないね。

今年は色々な事が有ったけれど、楽しかったかな?
仕事もそれなりに運営できた気がする。
何よりも、最後に笑って一年を終われたことが、一番良かった。
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『ウルせぇ』って、言っちゃいそうな自分が怖い・・・・・

2010年12月27日 | Weblog
今日はどう怒りを抑えたら良いのか?
そんな状況に陥って、夜10時半まで仕事。
本当は隣に座っている女の子が、組合で活動している関係で
組合の仕事納め(旗閉い)に呼ばれて、時間を空けておいたのに・・・・・

事の起こりは機械系の部品の不具合。
電子顕微鏡で使う磁場コイルを作り直したら抵抗値が変っちゃった。
それも長い時間の間にいつの間にか・・・・
使ってみたら、思うように画面が操作できないので設計に問い合わせが来た。
で、調べてみたら抵抗値が変っていたというわけ。
抵抗値が変った事をとやかく言うつもりは無い。
問題は、いつの間にか抵抗値が変わっていた事に無関心だったこと。

僕らが物を設計したら、必ずそれを実現するための部品製作会社がある。
そこへ物作りさせる時には、要求事項を書いた「仕様書」と言うものを作る。
要は、どんなものを作るのか?具体的に記載したもの。
料理で言えば、材料の指定から調理方法を細かく指定したもの。
こうすれば良し悪しは別として、同じものが何個でも作れるからね。

で、問題のものはこれを知らずに設計者が物を作らせていたという事。
設計じゃなく「コピー&ペースト」で物を作ってきた人間には
「仕様書」なるものが、どんな内容で書いてあるものなのかも解っていない。
それでも、これまで上手くやってきたのは少しずつ狂ったものを
製造現場で少しずつ調整して、誤差範囲に入るようにして来たから。
理論的にきちんとした物を作っておけば、こんなことは起きないのに。

これだけなら、まだ許せる。
今日は3時から次期装置の外部デザイナーによるレビューがあって
出席していたのだけれど、会議中に突然社長から別の会議室へ呼び出された。
で、今の話の「トラブルはどうなった?」って訊かれて、
後で調べますって言ったら、
「あと二日しかないので対応を今日中に決めろ」
って言われて、
「社長、これ・・・機械系の問題で電気じゃないんですが・・・・」
と言っても、聞く耳持たず。
仕方が無く、何故か僕が機械系と物理屋さんや部品手配部署を呼んで
問題の起きた経緯などを聞いて、今後の対策を検討する。
でもね、これ・・・・俺じゃないのよ。
機械系の仕事のやり方が悪いからなのに、なんで俺が・・・・・

そうは言っても実際に「仕様書」をキチンと作ってこなかった仕事のやり方が
余りにもお粗末で、そういう事を当たり前にやってきた僕に
仕事のやり方を教えろっていう事なんだけれど・・・・・

何だかさ、他人のミスで怒られるのって不愉快だよな。
自分の部下のミスなら、納得できるけれど他部署、
それも他部門の事で怒られて、対応策に僕が奔走して居る間に
当事者はさっさと帰ってしまうなんて、怒りが治まらないよ。
それで仕事が終わった後に組合の事務所にとりあえず顔を出して
時は既に11時。ちょっと一杯やって、急いで帰ったよ。

今年は使えない奴らに振り回されたって18日の日記に書いた通り
明日の最終日まで、社長が気にしてグチャグチャ言って来そうだなぁ・・・・
『ウルせぇ』って、言っちゃいそうな自分が怖い。
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蹴り納め

2010年12月26日 | Weblog
今日は今年最後のサッカー。
練習試合だから勝敗に関係ない。
公式戦でGKが居ない時は、いつも僕がGKをやっているので
仲間もそれを知っていて『今日はFWやりなよ』って気を遣ってくれる。

昔なじみの相手チームと、お互いに都リーグに参加している若手チームと
40歳以上を中心にしたシニアチームがそれぞれ試合を行う。
最初の予定では若手チームもシニアチームも人数不足なので
混成チームによる親善試合のつもりだった。
ところが、両チーム共に若手、シニア共に人数が揃う想定外。
ユニフォームを20枚揃えれば十分と思っていたので、
シニアチームのユニフォームだけで、持ってこなくて良いと
若手チームに連絡してあったから、ユニフォームが全然足りなくなっちゃった。

それで、2チームで着回してやる事になった。
他人が着て、汗だくになったユニフォームを着るのは嫌だろうけれど
チームのみんなは仕方がないと、文句ひとつ言わず試合が始まった。

若手チームは、いつもの感じが無く一方的に攻められてしまったが
試合そのものは楽しんでやっているように見えた。
一方のシニアチームは、案の定GKが居ない。
ところが今日は若手がGKを買って出てくれて、僕は久しぶりに
フィールドプレーヤーとして『背番号10』を着けた。

最初はディフェンスの中央でやっていたのだけれど、途中で交代。
僕は念願のフォワードの位置で、久しぶりに思い切りプレイした。
前半の半ばに、かつて3トップで一緒にやっていた元九州選抜のKから
その当時と同じ形で、センタリングが上がった。
いつもどおり外から、Kのセンタリングが来る位置に走りこむ。
ドンピシャ・・・・と思われたが、Kの蹴るボールが
他のメンバーの蹴るセンタリングよりボールが伸びる特徴を忘れていて
ほんの少し中に入りすぎた。
結果、ボレーシュートのつもりが、膝の辺りにあたってしまい
枠に飛んで行ったものの、勢いが今ひとつでGKに弾かれちゃった。

でも、周りの『あァ・・・』という空気の他に、『あぁ、良かった』
と言う空気がどこかにあったような・・・・・
ここで一点入れたら、また五月蠅いだろうなぁ・・・・なんて思ったんだろうな。
まぁ、これは冗談だけれどね。

今年は自分の我侭を通して、かつて居たチームを脱退して
20人分のユニフォームを2式買い込んで、自分のチームを作った。
2月のこけら落としから、リーグ戦を9試合、市民大会を1試合。
練習試合を3試合出来て、今日の蹴り納め。
大きな怪我もなく、一番の成果は、自分の我侭に付き合って
多くの仲間が集まってくれて、その仲間にサッカーをする場所を提供できた事。
試合の後は、皆笑顔で解散できたから、目標は達成した感じ。

これが自分として一番嬉しかったことかな?
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お袋の思い

2010年12月25日 | Weblog
もうすぐ2010年も終わる。
お袋が退院した時は、もう余命一ヶ月と宣告されて
兄弟が皆、覚悟していたのだけれど、献身的な姉貴の介護が有って
お袋は気持ちの上で元気を取り戻して、病気の進行も
少し遅くなったような気がする。

それでも最近は耳が遠くなってしまい、大声で話してやらないと
こちらの言っていることが聞き取れない様子。
話をするたびに大声で、逆に何だか微笑ましい感じ。

今日は昼過ぎに出かけて行ったのだけれど、兄貴と弟夫婦が
先に来ていて、このところ毎週末に誰かしら来てくれる。
7年前にやっぱり余命3ヶ月と言われた時の入院時は、
姉貴は豪州に居て、兄貴夫婦もアメリカから帰国したばかりで、
弟夫婦も子供や親の問題があって、今のように時間的な余裕が無かった。
僕一人が奮闘していた気がしたけれど、考えてみればあの時は
僕が突っ張っていて、兄弟に頼ろうなんて気持ちが無くて、
兄弟の仲も何処かギスギスしていた気がする。

今は自然に皆が集まって、姉貴に頼らざるを得ない部分は割り切って、
それ以外に出来る事をしてあげると云うスタイルになって、
皆が思い思いにお袋にしてやれる事をやってあげている。
まぁ、それだけ歳をとったという事なのか?
姉貴が居る事で、僕の気持ちもサポートに回ることで楽になったのか?
良く判らないのだけれど、お袋の容態が悪くなって行く以外は
兄弟の関係は凄く良くなったように感じる。

以前、お袋がまだ元気だった時に兄弟の事をお袋と2人で話したことがある。
『皆、同じように育ててきたつもりなんだけどね・・・
兄弟が仲良くしてくれるのが一番の望みだよ』
と、お袋がしみじみ話した事が有った。
今、皆が集まって和気藹々の雰囲気になっているけれど
それも、お袋の思いが伝わってそうさせてくれているんだろうな・・・・
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『クリスマスの約束』

2010年12月24日 | Weblog
僕はクリスチャンじゃないから、クリスマスには興味が無い。
それでもケーキが食べられるから、拒否はしないけれど・・・

毎年楽しみにしている番組がある。
TBSで放送された『クリスマスの約束』。

元オフコースの小田和正氏のコンサート番組である。
軟派とか言われそうだけれど、僕はまだ売れない頃のオフコースから
知っていて、今では普通になった大学祭のコンサートで
5人組になったばかりのオフコースの仕事をしたことがあって
それ以来、ずっとオフコースと小田和正のファンで居る。

この番組も今年で10年目になるそうだ。
見始めてもうそんなになるのかと、自分の年齢を考えちゃったり
画面に映る小田さんの顔も、30年前に比べると随分爺さんになったなぁとか・・・・
でも、相変わらず澄んだ歌声は聞いていて心が揺さぶられる。

ゲストはこれまた好きなバンド「スターダストレビュー」の根本要や
元『赤い鳥』の山本潤子、『スキマスイッチ』の大橋卓弥・常田真太郎
キヨサク(MONGOL800)、清水翔太、JUJU、玉城千春(Kiroro)、松たか子
など、早々たるメンバー。
唄の上手いゲストが集まっただけに、コーラスもピッタリ。
聞いていて、鳥肌が立つような感じ。
やっぱり唄はコーラスがしっかり決まると、
楽器の演奏とは違った意味で心が揺さぶられる。

ラスト前に唄った曲名は忘れちゃったけど、その英語の唄の内容に
昨日までの栄光を捨てて、今を一生懸命生きる事は
未来を今、作っている事なんだ・・・・云々・・・・だったかな?
何だか、心の中に入り込んでくる歌詞だった。

クリスマスで浮かれて居るより、こういった番組でゆったりと
音楽に耳を傾けるって言うのもいいね。
人の心を揺さぶる音楽を、いつか僕もやってみたいと思って居る。
死ぬまでの目標、いや夢かな?
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右脳と左脳・・・『もしかして天才?』

2010年12月23日 | Weblog
我家の長女は、ちょっと変わっている。
小学校4年生くらいまで背が小さくて、好き嫌いが多いとか、
色々他の子供と、ちょっと違う面があると今の子は容赦なく
仲間はずれにするから、友達がうまく作れなくて
いわゆる虐めまで行かないまでも卒業するまで、
一人ぽっちの学校生活を過ごしていた。
それでもカウンセラーの先生に励まされて、学校は無欠席。
長女の凄いところは、虐めに遭っても喧嘩が出来たこと。
それと、仲間外れになって精神的にタフだったことかな?

ところが最近、我家では長女を『変人』と思い始めた。
夜中までずっとゲームをやっていて、着替えもせずに床に寝て
朝になって、シャワーではなく『朝風呂』に入ってから学校へ行く。
成績こそ悪いが、テレビのクイズ番組での答えを簡単に答えたり。
嫁さんと二人で『なんで、こんなことが判るんだろう?』
と不思議に思うほど、脳みその構造が違うとしか思えない

こんな話を姉貴にしたら、『もしかして天才かも?』と言って
姉貴が研究している事のプレゼンテーション用の資料を見せてくれた。
左脳型人間と右脳型人間の研究らしい。
人間が生まれてから8歳ぐらいまでは右脳で行動するらしい。
「本能」「直感」で行動するから、「規則」や「秩序」と言う概念がない。
年齢が進むにつれ、右脳の働きが急激に衰えて、人間は左脳で
物事を捉え、判断して行動するようになり、9歳ごろには殆ど右脳は使わなくなる。
これがいわゆる大人になって行くことらしいが、
俗に言う『天才』はこの右脳の衰えが少なく、大人になっても
子供の頃の右脳の水準を維持したまま、左脳と使い分けて行くらしい。

『天才』と言われたアインシュタインやエジソンなどは典型的な右脳型。
右脳型の特徴は、世間で言う「普通」の生活に対して、全く無関心で
独自の基準と判断によって行動するらしい。
要は『常識』という枠で物事を思考しないことが出来るらしい。
長女の生活を見ていて、姉貴はこの『天才』型だと言っている。

言われてみれば、勘というものが凄く良い。
音楽は一回で殆ど暗譜してしまうし、クイズ番組の答えも恐ろしいほど勘が働く。
僕らに見えない形が見えたり、脳みそがどうなっているのか?
本当に普通の脳みその作りじゃない気がして居る。

かと言って、勉強というかテストなどは全く勉強しないから点数が悪い。
その割に、興味を持ったものは物凄い集中力を見せる。
ゲームなどは、取扱説明書をじっくり読んでまずは使い方を覚えるから
攻略が恐ろしく早いし、格闘ゲームも男の子が勝てないほど強いのだ。

学校から帰ると、御飯を食べてゲームをするか、
毛布をかぶって寝るか?の毎日。
朝まで床で寝ていて、おもむろに起きて来て風呂に入る。
普通の子なら学校へ行く前のシャワー程度なんだろうけれど
長女の場合は、しっかり30分以上かけて『朝風呂』に入ってから
学校の支度をして出て行く。

この子には「常識」とか「普通は・・・」なんて言葉は通用しない。
あくまで自分が思うように行動する。
他人に迷惑をかけると言う基準が違うから家族には迷惑をかけていないと言う。
確かに、皆と時間が合わないだけで迷惑・・・と言うのは不適切な気もして来た。

姉貴が「普通の枠に入れないで居た方が大物になりそう」と言う。
うーん、確かに普通じゃないからそういう可能性も有るのかな?
昔から『馬鹿』と『天才』は紙一重って言うしなぁ・・・・

姉貴はいまだにこんな研究をしてるんだなぁ・・・・
かつて体育学部に居て、卒業論文のテーマが
『美しいフォームから素晴らしい記録が生まれる』という名の
『スポーツ美学』を唱えたんだけれど、40年前の大学では
一笑にふされたそうだが、その後そういうジャンルが出てきたり
その当時の教授に先を見る目がなかったんだって思ったり・・・・
相変わらず、姉貴は『秀才』ぶりを見せてくれている。
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『ハゲを増す会』

2010年12月22日 | Weblog
今日は『ハゲを増す会』の忘年会。
9名の正規メンバーのうち、7名が参加。
会場は立川にあるアイリッシュパブ『クレア』。
7時を過ぎると、店の中は外人で一杯。
カウンターの向こうは完全に外国で、向こうから見るとこちら側も外国状態。
ビールの種類が豊富で、中でもベルギービールは口当たりが軽く飲み過ぎそう。

僕と同僚のT田が6時に到着して一番乗り。
今夜は6時半から飲み放題コースなので、お約束どおり別料金で先に飲み始める。
お店の人には別料金だけど、別会計じゃないからと念を押す。
これも暗黙のルールで、誰も文句を言わない。
文句を言うなら早く来れば良いのだ。

参加最近は会員をコードネームで呼ぶようになって、
まるで子供の集団のようになり、組織の怪しさが増してきた。
『ら・フランス』こと僕が会長で、以下
『ハゲ』『ターンテーブル』『小僧』『御用聞き』と『すぱい1号』『スパイ2号』
が参加。
食いしん坊の『デラックス』は喰いすぎが原因か?体調不良で欠席。
最近正規メンバーに承認された『スパイ1号の手下』は都合が合わず
手下という「見習い」の状態から脱して、『すぱい3号』と拝命するまでには
まだまだ、一層の努力と精進が必要だな。

今日の『議題』はコードネーム『ハゲ』はまずいだろう・・・・という事から。
理由は、
本人が『ハゲ』を真剣に気にしている事。
そしてこのコードネームは個人の特定が容易であること等など・・・・。
一番の理由は、会員ではないがかなり近いところにもう一人『ハゲ』が居る事。

僕が勝手に作ったコードネームを変更する案が幾つか出た。
「アデランス」は、ちょっとリアルで『ハゲ』と大して変らないという意見。
「アートネーチャー」も同様で、更に語呂が悪い。
それで本人の努力というか、自力で髪の毛を増やす
『りーぶ21』か『りあっぷ』にしようと言ったら、本人の申告により
最近使い始めたと言う『すかるぷデー』が浮上。
それじゃぁ『スカルプ』にしようと言ったら『デー』まで付けてくれと嘆願。
どうやらこの方向で決まりそうです。

前回、頭のてっぺんに砲台グリーンがあると言われたのを気にしていたんだ・・・・
これを使うようになって枕が汚れなくなったとか。
今後は砲台グリーンが草原に変るのか?
それとも努力空しく、真ん中が綺麗なフェアウェイになり、
両サイドにラフのある見事なコースになるのか?
今後の進展が楽しみです。

何でも『すかるぷデー』はシャンプーで、指先で優しく泡立てるのがコツらしく
口の悪い僕は「そんなに泡が立つ場所が無いんじゃないか?」と茶化す。
皮肉な事に、メンバーは僕を筆頭に髪の毛の悩みが無い人間ばかり。
海外経験の多いメンバーから
「チェコでは、髪の毛が薄い方が男性ホルモンが多いと言う意味でモテるんだ」とか・・・・・
それならコードネームは『チェコ』にしようとか・・・・、
う~ん、『チェコ』は奥が深くて、好きだなぁ・・・・・とか
とにかく、この手の話題はネタが尽きない上に盛り上がるから面白い。

途中、役員時代にあった僕の伝説「イカの塩辛定食」を『御用聞き』が持ち出して
その話題で一同大笑い。すぱい1号、2号は腹を抱えて苦しそう。
この話題は、次回にでもお話しましょう。

そして話題は会社の人事制度や賃金制度、処遇等の話題に切り替わる。
将来の会社はこうあるべき・・・みたいな話題で盛り上がったり
「やっぱり、社長を一回呼ぶ必要があるな」とか
メンバーの社内で地位を考えると、まんざら酒の席の話題だけじゃないから
こういった話題にもに身が入る。

そうそう、コードネーム『小僧』とのやりとり
小僧:「僕はいつになったら小僧じゃなくなるんでしょう?」って訊くから
僕:「馬鹿だなぁ、お前は何年経っても俺の年齢を超えられないだろう」
小僧:「僕の下に、新会員になれるようなメンバーを探すしかないかな?」
僕:「あぁ、それじゃお前が主催した団体を作ったら下部組織にしてやる」と僕。
小僧:「結局、小僧から脱する事は無いのですね?」
僕:「あぁ、そうだよ」
確かに、ずっとは可哀想だけど仕方が無いよなぁ・・・・

しかし、この会も発足して10年。
上は僕の54歳を筆頭に一番下は小僧がまだギリギリ30代。
組合のOB会なんだけれど、このメンバーは組合時代から議論が好きだったし
色んな改革も実際にやってきたと言う実績と自負がある。
それだけに、不思議な仲間意識で繋がっている。
この会の集まりは年2~3回の集まりなんだけれど、今年は4回集まった。
とにかく、傍から見たら堅い会社の話でも楽しく議論しちゃう連中。
会社の上層部に、こういった真面目で砕けた雰囲気があれば良いのに。
それだけに、この会の集まりは楽しいのであります。

次回幹事は、僕が指名されました。
またコードネーム『小僧』が活躍してくれるでしょう。
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プロフェッショナル

2010年12月21日 | Weblog
今日は帰宅が遅くなった。
帰宅して、急いで夕食を摂って風呂に入ってテレビを点けたら
ボクシングの長谷川選手のドキュメントをやっていた。

「負けるかも知れないという不安があるからこそ、練習に集中できるし、必死に努力できる」
長谷川選手は
リングに上がった時、不安を払拭できる根拠はただ一つしかないと言う。
それは、「自分が納得しきるまで練習した」という自信だ。
そう、これは僕のような技術者の世界でも同じだと思う。
この言葉に共感し感動した。

自分は何処までやってきたのか?
仕事では自分なりにこだわりを持って納得するまで色々とやってきた。
時には結果が伴わない時もあったけど、決して諦めなかった。
諦めざるを得ない時もあったし、妥協せざるを得ない事も有った。
そういう時の挫折感や敗北感が、
「畜生、絶対モノにしてやる」という気持ちに繋がった。

新しい事や、誰もやらなかった事、ずっと手をつけずに来た事に
自分がチャレンジする時は、結構不安に駆られたものだ。
それで、危ない橋を渡らないで迂回する策もある。
それは一つの選択肢として否定はしない。
でも、僕は自分なりのこだわりは大事にして来た。

今、次期装置の開発スタートが大幅に遅れて居るにもかかわらず
要素実験はやったと言う報告も、僕の目から見ればいい加減。
素人が、自分のやった事を肯定するような実験しかやって居ない。
これでは、何が本質なのか?ちっとも判らない。
何をやるにも『チャレンジする』と言う精神が欠けているから、
やっていて楽しいのかな?って、哀れな姿に写る。

若い人が、失敗しないように安全策ばかりに目が行くのが嫌。
設計と言う仕事を、コピー&ペーストで無難に済ませるのは
設計(デザイン)では無く、トレースなんだよね。
自分の考えに、こだわりを持たない設計者なんて要らないと思う。

一生懸命、若い人が『やっていて楽しい』と思えるような仕事を
させてやりたいと思っているのに、当の若者が前を向かないんだな。
何だか、一人気張っているようで馬鹿馬鹿しくなっちゃった。
今まで通りのものを作れば、無難だからそうすればいいのかもね。
僕は、もう面倒臭くなってきた。
無難に出来ても、チャレンジは出来ない。
何処が面白くて、設計と言う仕事をやってるんだろう?
今の仕事、だんだん面白くなくなってきている。
もう、後継者作りとか若手の育成なんて止めにしようと思う。
自分でやって楽しんだ方が良さそうだ・・・・・

長谷川選手が最後に言った言葉
『好きなことを極める人、好きなことを追い求め
自分が納得するまで追い求める人の事を
プロフェッショナルと言うんじゃないかと思います。』

少なくとも、僕はプロの端くれって思って良さそうだ。
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「お袋のホットケーキ」

2010年12月20日 | Weblog
お袋が退院して、自宅で看護を受けるようになって早くも1ヶ月。
この分なら年末は乗り切れるかな?
って、少しでも長く生きてもらいたいと言う気持ちだけれど
本人はどう思ってるのかな?
毎日、嘔吐を繰り返して苦しそうにしているのを見ると、
楽にしてあげたいと言う気持ちが何処か、浮かんできたり・・・・
直接、面倒を見て居る姉貴は、本当は辛いんじゃないかな?

最近はお袋に育てられた時の事を良く思い出す。
僕が生まれた仙台の社員寮では、共同のお風呂とトイレ。
僕は、弟が生まれてから同じ寮に住む人の家で過ごす時間が長くて
特に子供が居なかった人の家では、まるでその家の子供のように
昼寝をしたり、おやつを食べたり・・・・・
昔は、そういう人の繋がりがあって、凄く良い時代だった気がする。

僕がお袋の事を思い出すのは、ホットケーキを焼いてもらった時の事。
その当時は、炊事場も共同だったから部屋の中にあるのは
練炭火鉢くらいのもの。
その火鉢の上にフライパンを置いて、お袋がホットケーキを焼いてくれた。
昔の事だから、今のように綺麗に焼けたものじゃなかったけれど
フライパンの上で、生地からプツプツと気泡が出てきて、
それをフライ返しで裏返して、暫くすると焼きあがるのを横に座って
じっと覗き込みながら、出来上がりを待っていたのを覚えている。

バターを乗せて、昔はメープルシロップではなく蜂蜜を乗せて・・・・
お袋のホットケーキは、今の「ホットケーキミックス」のようなものではなく
ふるいで細かくした小麦粉にベーキングパウダー(膨らし粉って呼んでいた)を混ぜ、
砂糖、タマゴと牛乳を混ぜた生地だったせいか、
ちょっとゴロゴロした感じがあったけれど、僕にとってはお袋の作った物が
一番美味しく感じたし、蜂蜜をたっぷりかけたその甘さが、
子供の僕にとっては凄いご馳走だった。

決して裕福じゃなかったと思うけれど、今その光景を思い出すと
昭和30年代前半は凄く心のゆったりした、幸せな時間だったように思う。
ホットケーキの他に、お袋の作ったココアもまるでチョコレートみたいに甘くて、
たまらなく美味しかった。
そのせいか、ココアとホットケーキは大人になった今でも大好物。

最近はホットケーキの食べ方もお洒落になって、ウィンナを一緒に食べたり
バナナやイチゴを乗せ、生クリームを添えて食べたりと贅沢になった。
だけど僕が本当に好きなのは、バターをたっぷり乗せて
蜂蜜をかけた、「お袋のホットケーキ」。
決して高級じゃないけれど、シンプルで思い出のあるこの味が、
僕の口には、一番合っている。
久しぶりに食べたくなったなぁ・・・・・「お袋のホットケーキ」
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そんなに頑張らなくても、いいんだよ・・・・

2010年12月19日 | Weblog
今日は、長女を吹奏楽の合同練習があるというので
朝9時半に家を出て都立武蔵丘高校まで送り届けた後に、
朝食を摂っていなかったので、途中にあるDeneysで
モーニングセットを食べてから、実家まで足を運んだ。

実家に着くと、お袋が昨日と同じように意外と元気な様子。
昨日買って来てやった『越路吹雪』のアルバムを聞きながら寝ている。
『おーい、元気そうだなぁ』って、痩せ細った腕を擦ってやる。
子供の頃、お袋のこの腕に抱かれている写真が沢山あった。
こんなに細くなっちゃって、何だか切なくなっちゃった。

昨日もそうだったけれど、午前中は比較的元気な姿を見せる。
病気が進行して、昔患っていたメニエル病(めまいが起きる)が出てきたようで
枕から頭を離すと目が回って、ずっと寝ている様子。
それでも気分が少し良いと鼻歌を歌って、元気な振りをする。
そんなに頑張らなくても、いいんだよ。
いままでずっと頑張ってきたんだから、思い切り迷惑かけていいんだよ。

今月になってから、少し耳が遠くなったみたいで話かけてやるときも
いつもより大きな声で話をしてやらないと聞こえないみたい。
音楽も少しボリュームを上げてやって、聞かせて居る。

昨日と同じで昼過ぎになると、また調子が悪くなる。
今日は熱が出て、少し苦しそう。姉貴が献身的に看護している。
看護婦さんがやってきて、姉貴と一緒に世話をしてくれる。
お袋は『お風呂に入りたい』って言っている。
元気な時は、冬は寒いのでお風呂に入るのを億劫がって居たのに・・・・

正月飾りや、クリスマスプレゼントが気になって仕方が無いみたいなので
鏡餅や、いつも作る正月用の料理の材料を買って来て安心させる。
病気になっても、年賀状の心配してるし・・・・・

昼過ぎに兄貴が来て、その後に姪もひょっこり顔を見せる。
3時間ほど居て、また帰って行く。兄貴も年明けにブラジルへ行くので
暇があると実家へ来て、お袋の顔を見て帰って行く。

夕方、長女の練習が終わるのを見計らって迎えに行き、お袋に顔を見せる。
お袋は長女の事が大好きで、いつも気にかけている。
長女の顔を見て、嬉しそうにしてくれるので長女も嬉しそう。

昨日は姉貴と一緒に夕食を摂ったのだけれど、今日は帰宅して
家族と一緒に夕食を食べる事にした。
本当は姉貴が一人で食べるのが、可哀想なので一緒に食べたいのだけれど
次女が塾通いで、いつもバラバラなので週末くらいはね・・・・・

でも、お袋が病気してから兄弟が良く集まるようになった。
元気な時は、忙しいと言って集まらなかったんだけれど、
最近は集まって、色々なことを話すようになった。
心配していたけれど、今の感じなら何とか正月は迎えられそう。
大晦日に紅白歌合戦を見せてやりたいなぁ・・・・
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便利なようで不便になったなぁ・・

2010年12月18日 | Weblog
やっと来た週末。朝はゆっくり眠って・・・
と思ったのだけれど、昨日の帰りに携帯電話を会社に忘れてしまい
緊急時に連絡が取れないと困るので、朝一番に会社へ向かった。
今日は若手3人が休日出勤しているので、監視するみたいで
余り行きたくは無かったんだけど、仕方が無い。

で、着いてみたら会社に入れない。
セキュリティシステムは、社員番号と指紋の照合でドアが開くのだけれど
考えてみたら、僕は指紋登録をしていなかった。
会社に電話して中から開けてもらおうにも、公衆電話すらない。
携帯電話が普及したのは良いけれど、こんな時には連絡を取れなくて
便利なようで不便になったなぁ・・・・って感じた。

暫くすると、製造部の社員が出社してきたので一緒に入れてもらったけど
週明けには指紋登録してもらわないと駄目だな・・・・
職場に行くと3人が仕事をして居る。
僕の顔を見るなり3人とも『ギョッ』とした顔。やっぱりなぁ・・・・
てな訳で、長居をせずにさっさと携帯電話を取って退散。

その足で、お袋の居る実家へ向かう。
お袋の所へ着いたのが11時過ぎ。今日は元気そうで目をクリクリさせて
僕が来たのを嬉しそうに迎えてくれる。
姉貴が子供に絵本を見せるように、お袋の好きな『皇族アルバム』を開いて、
読んでやっている。
僕は姉貴に頼まれて、郵便局で当面の生活費を下ろしてくる。

夕方まで、お袋が眠っている間に姉貴と話をしながら時間を過ごす。
お袋の好きな『越路吹雪』のアルバムを聞かせてやりたいと言うので
駅にあるCDショップまで行って、見てきてやる事にした。
ついでに、お袋が24日に往診に来る先生と訪問看護をしてくれて居る
看護婦さん2人にクリスマスプレゼントを渡したいというので
先生にはお酒の入ったチョコレートと、看護婦さんには趣味や服装に
一番左右されないハンカチを贈る事にした。

荻窪駅まで出かけて、『LUMINE』でハンカチを探す。
ところがどのショップにもそういったものが置かれていない。
色んな種類のハンカチを置いてあると言ったら、やっぱりデパート。
最近はお洒落な小売店が増えたので、ファッション小物は意外と
デパートでしか買えなかったりする。これも不便になったって言う感じ。
結局、ハンカチは23日にデパートで見繕う事にした。

デパートって、今はスーパーにテナントで小売店を入れているから
苦戦しているみたいだけれど、やっぱりスーパーの小売店とデパートは違うんだよね。
若い頃に伊勢丹で贈答品を買ったらお袋や婆ちゃんに怒られたことがあった。
東京の人間にとって、贈り物と言ったら白地に赤い模様の『三越』が定番。
それで無ければ『せめて、松屋か高島屋にしなさい』と言われた。

三越は婆ちゃんを連れて良く出かけた。それで、欲しいものがあると
『これ、いいなぁ・・・』って、婆ちゃんに聞こえるように言う。
決まって、連れて行ったお駄賃として高級品を買って貰っていた僕。
今でもジバンシーのネクタイや、ベネトンのシャツ、上着など
デパートで買った物は、20年経っても使えるものが殆ど。
値段が高くても、相応の良いものを売るのが百貨店というのは本当だった。

ユニクロなどに見られる低価格の品物は、やっぱり安物。
今着ている革ジャンだって、もう25年着ているけれどしっかりしている。
帰りに一緒になった若手が『見るからに高そうな革ジャンですね』って
ちょっと嬉しい事を言ってくれたりしたが、実際にその当時の値段で、
ユニクロのフリースジャケットが100枚近く買える値段。
そういうものもデパートで買ったものなんだよね・・・・

僕はデパートでウィンドウショッピングするのが好きだったんだけど
今はそういった楽しみが、どんどん無くなって来た感じがする。
そういう面でも便利なようで不便になったなぁ・・・・
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頑張って行きまっしょい!

2010年12月17日 | Weblog
12月も、もう残すところ12日。
今年はいろんなことがあって、一年が早かった。
特に9月以降は、お袋の容態が激変したので時間が過ぎるのが早く感じた。
今週は意外なほど、会議が少なかったのでいつもに比べると技術者として
仕事らしいことをやった気がする。

今週感じたことは僕の周りに『使えない人間』が沢山居た事。
そのお陰で、イライラすることが多かった。
使えない部下は、使わないようにすれば良いので、まぁ我慢するにしても
使えない上司は、手に負えない。
自分の保身としか思えない対応を取る上司、現役のつもりで自ら図面を描くのは良いけど、
ひと昔前の設計を押し付けて困らせる取締役とか、要らないんだよねぇ。

僕は今、仕方がなくて図面を描き始めたものがあるんだけど、
これだってやりたくない。
設計図の検証をして、最終的に出て行くものを、僕が承認するんだから、
僕が図面を描いたら、誰も文句を言わなくなって、おかしな事になるからね。

とにかく、今年は使えない人間の対応に追われた感じがするね。
僕は自分が使える人間だとは思っていないから、
『使えない』って思ったら、前の部署みたいに追い出してくれたらいいのですよ。

さて、残り10日弱。頑張って行きまっしょい!
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