『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

どこか、違和感がある甲子園

2011年08月20日 | Weblog

夏の高校野球:日大三10年ぶりV 強打で光星学院に大勝

http://mainichi.jp/select/today/news/20110820k0000e050036000c.html

元々、小学校から中学校まで甲子園を夢見ていた野球少年だった僕は
今でも野球は好きだし、春夏の甲子園大会を楽しみにしている。

今回の決勝戦は、地元西東京代表の日大三校と、
被災地東北の代表青森光星学院の対戦。
被災地復興という意味で、
『今回は東北勢が悲願の優勝をして、東北の人たちに希望を・・・』
なんて、第三者の勝手な同情と、浪花節的な発想で居た。
そんな事を、思った人は多かれ少なかれ居たんじゃないかって思う。

結果は日大三校の圧勝。
前日の選手たちの決意は『監督に恩返ししたい』という言葉を聞いて、
この子達にも同じような強い思いがあるんだなって思った。
そういう意味では、テレビなどの公共のメディアでは『公平さ』という点で
いちいち『被災地・・・』という冠を付けて、宮城や岩手、福島などのチームを
メディアで紹介する必要は無かったんじゃないかって思ったね。
その『公平さ』という点で、今日のタイトルに書いた『違和感』を、
何年も前から感じていて、今回はそれを特に強く感じたのです。

僕はサッカーをやっているせいか、甲子園大会における『公平さ』という点で
試合前、試合後の選手同士、チーム同士の礼儀に違和感を感じるのです。
甲子園大会で違和感を感じることは2つあるかな?

ひとつは試合後の校旗掲揚
これは、敗者には何もくれてやるな・・・・という感じがしてならない。
敗れたチームが、勝者の校旗掲揚と校歌斉唱をグラウンドで聞かされる。
サッカーの国際試合で、両国の国家を斉唱するように、
試合前に、両校の校歌を歌わせるわけには行かないのだろうか?

もうひとつは試合後に相手チームの応援団にも敬意を表せないのか?という点。
相手の応援団も好プレーには拍手を送ってくれているシーンをよく目にする。
それくらい観客の目は、勝ち負けのほかに『好プレー』に期待している。
敵味方関係なく、野球というスポーツの好プレーに拍手を送る、
送られた方もそういう拍手をした観客に、拍手を送る・・・・
これこそ、教育の一環と言っている甲子園大会に必要なことではないのか?

僕らの市民サッカーのレベルでも、試合前に整列してピッチに入る前に
相手チーム全員と握手してからセンターラインに集合して挨拶する。
ワールドカップや国際試合でも、試合前に選手と審判が挨拶するのを
見かけた人が多いと思う。

アマチュアの試合では、試合後に相手のベンチ前で挨拶するのが礼儀。
試合が荒れてしまうこともあるし、時には怪我人や退場者も出る。
でも試合後に、わだかまりの無いように、挨拶して区切りをつける。
ラグビーで言う『ノーサイド』になる瞬間です。

ラグビーの『ノーサイド精神』はプロ化の進んだ今日でも影響を与えている。
例として、最近までラグビー場はシャワー室が一つだけで
敵味方が譲り合って使用していたこと、観客席を区別しないことや
さらに試合後にアフターマッチ・ファンクションと呼ばれる
親睦会を行う習慣は19世紀から今日まで続いている。
試合が終わって相手と親睦を深めるまでがラグビーという考え方である。

これは騎士道から来ると聞いたことがあり、第一次大戦のころは
戦争で空中戦をした場合、相手を撃墜するのが目的ではなかったこと、
空中戦の後に、まさにアフターマッチ・ファンクションをしていた時代が
あって、それがそんなに昔のことではなかったことに驚かされる。
戦争なのに、空中戦は唯一『殺し合い』では無かった・・・
そういう時代があったということですな。

残念ながら、サッカーはそこまで観る側に『ノーサイド精神』が浸透していない。
試合の前後に観客が暴れたりするのは、外国の猿真似で凄く残念に思う。
まぁ、ラグビーが紳士のスポーツ、サッカーは労働者階級のものと
言われるのも、そういう点で仕方がないなって思うのです。

しかし、最近の子は、試合後もさわやかで見ていて気持ちがいい。
力を出し切ったと、思えたなら素晴らしいことです。
そうじゃなければ悔しさを次に繋げればいい。
一番思うのは『甲子園は楽しかった』と思って、帰って行くことだと
負けた青森の光星学院の選手に、拍手を送りたい。

コメント (3)
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