笑顔の伝道師 ゆうちゃんのイカす『やんちゃジジイ』

音楽、サッカー、演劇・・・・
還暦を過ぎた『やんちゃ』な爺さんの目標は、
笑顔を振りまいて、毎日を楽しく生きる事。

僕は、幸せな世代なのかな?

2011年10月31日 | Weblog

今日、若い奴らと話して、そう思った。
会社で若い世代と一緒に仕事をしていて思うこと。
自己主張がないと言うか、何一つ取っても『俺はこう思う』と言うような
自分の考えや、こだわりが全く感じられないって言うか・・・・

これは戦後教育で、共産党や旧社会党といった左寄りの教員組合の連中が
いわゆる『平等』を謳い文句に、飛び出た個性を作らせない教育を
野放しにして、許していた影響が有るような気がする。

今の子は、『皆と同じ』が好きと言うのを通り越して、頭が飛び出ないように、
喧嘩もしない、口論もしない、といったように争わない方が気が楽で何の疑問も無く、
そういった人間関係が、当たり前に身に付いてしまっている気がする。
よく耳にする『日本と言う国家は、理想的な社会主義国家』
という言葉が、何だか冗談なんかじゃないと思えてきて仕方が無い。

今日は開発の仕事をしていて、設計が上手く行かないことに対して悩む若手に
色々と僕なりのアイデアを伝えたりしたんだけど、若手が言うには
僕は普通の人と発想が違うって言う。
仕事をしていると馬鹿みたいなことも含めて、色んなアイデアがどんどん湧いてきて
その中から特許出願したりするのだけれど、若手にはそういう発想が無い。
僕が普通の人で、若い連中の発想がプアな気がするんだけどね。

それで、色々な経験を話しているうちに僕の経歴に話が及んだ。
僕は20代まで、好き勝手なことをやって、転職を繰り返していたことや
ライブハウスや舞台照明と、今の仕事とは全く無縁なことをやっていたこと。
大学や大学院を出て就職試験を受けて入ってきた若手にすれば、
僕みたいなプー太郎が、曲りなりにも一部上場企業に正社員でいることが
何だか不思議な感じがするみたい。

僕の若い頃の話を聞いて、『好きなことをやってきたのが羨ましい』って言う。
僕は笑って、口には出さなかったけど思ったね。
好きな事をやればいいって・・・その代わり、必死にやらないと駄目だって・・・

明日のことを考えて躊躇するようなら、最初からそんな道を目指さないこと。
若手に言ったのは『俺は他人と同じ事をするのが嫌だっただけ』
今の会社に入っても、結局はそういう部分で変わっていなかった。
他人と違うと言うんじゃなく、誰もやりたがらない事を選んできたって言う感じかな?

その分、敵も多いんだよ。物凄く多かった。
でも、その中で仲間になった人間との関わりは強かったかな?

若い人が、冒険をしないのは教育の影響が大きいとは思うけど
せめて僕の周りの若い人たちには、冒険をして欲しいと思う。
そのために、僕が上から怒られる役目を授かってるんだからね。
じゃじゃ馬みたいな奴が出てこないかな?って、期待してるんだけど・・・・
そのうち、大化けしてくれるかも知れないって・・・・・

そういう意味では僕の若い頃は、周りにいる皆が野心を持っていたから
僕みたいな人間なんて、そこらにゴロゴロいたのですよ。
そういう意味で、僕はいい時代に育った、幸せな世代なのかな?

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今更のように気がついたこと

2011年10月30日 | Weblog

一昔前、10年前なら休日と言うと家族で出かけるのが当たり前だった。
その頃はまだTDL(東京ディズニーランド)の年間パスポートを
家族全員で持っていて、昼過ぎに出かけて夜のパレードの頃に
帰宅するといったような、贅沢なことをやっていた。

そのほかの日は、実家の母の顔を見に行ったり、
近くのスーパーやマクドナルドに出かけて、何となく過ごす日が多かった。
土曜日は長女と次女がスイミングスクールに通っていたので、
それを送り迎えしながら、ずっと見学して居たことも多かった。
その頃から、僕はずっと続けていたサッカーの他に、長年何となくやっていた
バンド活動を真面目に取り組むようになって来たのかな?
とにかく、そういった事で、子供の用事を済ませた後に出かけることが増えた。

7年前から、僕が芝居を始めてから、劇団の稽古で正月から半年以上
土日の殆どの時間を稽古に取られ、長女が中学生になって、
吹奏楽部の練習で土日を使うようになってから
次第にそういった家族で過ごす時間が少なくなって行った。
さらに長女が高校、次女が中学に進学して共に吹奏楽部の部活に
時間を費やすようになってから、そういった家族で過ごす時間が全く無くなった。

まぁ、何処の家でもそうなのかも知れないけれど、なんか寂しいね。
でも、その原因は僕が作ってしまったのかも知れないけれど・・・・

お袋の居る実家にも、いつの間にか僕一人で行くのが当たり前になった。
正月から、芝居の公演が終わる5月、長い時は8月まで家族とは別行動。
母親の様子を見る時間も、その間は殆ど出来なかった様な気がする。

今日は朝からずっと家に居て、何となく過ごす。
ギターを弾いたり、テレビの録画を見たり・・・・
嫁さんを、買い物に誘っても『一人で行く方がいい』って言うし・・・

考えてみれば、そういう時にお袋の居る実家へ逃げていた気がするな・・・
お袋の好きな食べ物を作ってやって、二人で世間話をしながら食べる。
そんな時間が、結構僕には貴重な時間だった気もする。

本来、そういうことは夫婦で過ごす時間のはずなのにね・・・・
何だか、お袋が居なくなってから、自分が家族と関わっていないことに
今更のように気がついた。
最近は、嫁さんも僕と関わるのが煩わしいみたいで、買い物も一人の方がいいって言う。

まぁ、こんなものなのかね・・・・世間の家って言うのは・・・

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変わる、代わる、替わる

2011年10月29日 | Weblog

荻窪にあった実家の解体が始まって、あっという間に二週間。
何も無くなった土地が整地されて、更地になっていた。
隣の家も更地になっていて、今は100坪以上ある更地。
その奥には、空き家になっている家が一軒。
この一年で、実家の周りは大きく変わってしまった。
まぁ、変えてしまったのは自分の気もするけれど・・・・

考えてみれば、祖父の時代から住む人間の世代が代わり
近所付き合いも、昔とは随分変わった。
それでも、思ったのは近所の人たちに挨拶に出向いた時に
皆さん、僕のことを知っていて、『荻窪に帰ってくるのか?』って
口を揃えて話すこと。有りがたいなぁ・・・って思ったね。
代替わりしても、顔が繋がっていれば全然知らない土地へ行くのとは
訳が違うなって、逆に近所付き合いをしてきたことが
無駄じゃ無かったって思う。

ただ、実家の周りは古い土地なので、新しい住民に対して
ある種の拒否反応があることも否めない。
今まで通り・・・・と言うわけには、簡単に行かないと言うことかな?

土地の持ち主が替わり、ライフスタイルも違うから仕方が無いこと
だけれども、だからと言って『個人の自由』が横行すると
それまでの秩序が狂って、地域の繋がりが崩れたりする。
これって、日本だけのことじゃないと思うんだけれどね。

マンションは『管理組合』みたいなもので、マンション内のルールを
守るようにして、秩序を保っているんだけれど、それでも中には
勝手なことをする人が必ずいる。
僕のマンションで言えば、子供の自転車の放置。
子供に買い与えた自転車が、小さくなって使わなくなっても
放置して知らん顔している親がいる。
名指しで文句を言わないのは、住民間のトラブルを避けるため。
それで、マンションの管理費の中から自転車の廃棄費用を出す。

ゴミの出し方も同じで、粗大ゴミなどを勝手に出すようなルール違反があっても、
結局誰が出したのか解らず、いつかは自転車と同じように、マンションが処分する。

住む人が替わり、世代が変わり、住環境そのものも変わる。
住みにくくなる方向になって行くのが、一番心配。
そういう意味で、僕はやっぱり集合住宅は苦手だな・・・・・。

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去年の日記帳

2011年10月28日 | Weblog

今月は前半に実家の解体がらみの休暇を取ったり、
今週は不覚にも風邪を貰ってしまったりで、
会社に行くのはいいけれど、鼻水が出て頭がボーッとしている。
しかし、10月もあっという間に終わり。
一年残すところ2ヵ月となってしまった。

去年の日記帳を開いてみると、去年の今頃はお袋が最後の入院をして
その手続きなどで毎日のように病院へ通っていた。
色んな意味で緊張していた毎日だったような気がする。
良い意味で捉えれば、毎日が充実していたのかな?
やることが沢山あったから、一つずつこなして行くって言うか・・・

今年の1月にお袋が亡くなって、3月に納骨を終えてから
今度は遺産整理に時間を取られて、毎日が忙しかった。
僕の場合、4人兄弟の3番目、次男坊なので本来ならば
能天気に構えていて良い立場のはずなのだけれど、
長男は海外勤務が長くて、今も定年延長でブラジルに赴任。
向こう4年は帰ってこないらしく、来春には兄嫁も渡航する。

姉貴は国際結婚で豪州に在住。もう、向こうに行って27年。
いまや、完全な豪州人になってしまった。

そんな訳で、僕は弟夫婦の多大な手助けを借りてお袋と
祖母の面倒を看ながら今までやってきた。

ここへ来て、やっと実家の件も一区切り付いて気が緩んだのか?
風邪をひいて、仕事を休んだりしてしまったのだけれど
気が付いてみればもう10月も終わり・・・・と言うことです。

今年の日記帳を開いてみると、酷いものです。
お袋が亡くなってから、途切れ途切れで、何かがあるたびに
空白のページが続いている。
それで10月に入ってから、気持ちを入れ替えて・・・
と思ったんだけれど、実家の解体があったりで安定しない。

考えてみれば、諸悪の根源はインターネット。
お袋の遺産整理で、兄弟や信託銀行とのやり取りが頻繁になり
そのほかに、土地の測量会社やら銀行やら、
とにかくメールのやり取りや返信を書くので時間を取られ
その上、個人的な付き合いでメッセンジャーやスカイプで
いわゆる「チャット」と呼ばれる会話に時間を使ったり・・・

便利で、いろんなことが短時間で出来るような時代になったけど
自分にとってそれが、本当にプラスだったのか?・・・なんて、
真面目に考えると、少なくとも僕にとってはマイナス面のほうが
多い気がする。
少し、生活を『昔の不便な時代』に戻す必要がありそうだな・・・

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『駄目人間』

2011年10月27日 | Weblog

月曜日に熱が出て、空白の1日があったりで、
結局会社に出るのが木曜日じゃ、1週間休んでも、おなしじゃないか?
なんて、考えるのは、僕のような『駄目人間』。
世間一般の方は、風邪を押してでも仕事に行くのでしょう。

僕の場合、子供の頃から病気をしたら、しっかり治して、
1日体調を整える日を作って学校に行くように育てられたから、
体調が悪いのに、会社に行くのはちょっと気が引けるんです。

ましてや風邪をひいた時は、咳が出て周りに不快な思いをさせてまで、
仕事をする必要性を感じない『駄目人間』ですから、困ったものです。
病気をしたら、ゆっくり休んでも、罰が当たらないと思うんだけど、
世の中は「病気を押して頑張っている」って、評価しちゃうのね?

さすがに、今日はタバコを吸う気力も湧かない。
月曜日から4日間、禁煙状態が続いてます。
が、辞める気は更々無い。
早く、体調を戻して気持ちよく一服がしたいと思ってます。

今日は空白の一日に全く気が付かず、日付印は26日にセット。
休暇届も、2日なのに1日しか休んだつもりが無く日付もおかしい。
昨日書いた『空白の一日』が、会社に行っても続いていて
今日が木曜日だなんて全然思わなかった・・・・
一昨日の一日、返してくれぇ・・・・って感じ。

しかし、会社に行って何が嫌かと言うと咳が出る事。
自分よりも周りの人間の方が、不快な気分になるんじゃないかって
咳が出るたびにマスクを抑えるんだけど、余計に咳が出る。
治りかけの時って、咳が凄く出るんですよ。
だから、本当は咳が止まるまで会社は休みたい。これが本音。

普段、病気をしないから病気慣れしていないって言うのかな?
普通の人以上に、頑張りが利かない・・・
って言うか、そういう時に『頑張ろう』なんていう思考が働かない。
病気の時ぐらい、ゆっくり休みたい・・・・・
やっぱり、僕は典型的な『駄目人間』ですね。

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空白の一日

2011年10月26日 | Weblog

江川卓じゃないけれど、昨日一日。
自分の中では、記憶も意識の中にも無かったのです。

月曜日に会社に行って、朝から咳が出始めて8時半から10時までの
開発会議は、何とか乗り切った。
もしも風邪だったら、周りの人間に伝染してしまうので
総務部へ行ってマスクを貰ってきた。
机の中に入れてあった、薬を飲んで暫くすると、急に背中に悪寒が走り出して、
頭が痛くなってめまいがする。めまいというより目が回るって言うのかな?
それで目を開けていると気持ち悪くなって、目を閉じるといつの間にか
気を失ったように眠っちゃってる。
昼休みが終わって3時までこの繰り返しで、隣に居た女の子が呆れている。

流石に3時の休憩時間は立ち上がれなくてずっと席に居た。
サッカー仲間が「どうしちゃったの?」って言う声に気が付いて
無理しないで、帰宅することにした。
帰宅するまでのことも覚えていなくて、帰宅してすぐに向かいの医者に行って
薬を貰って帰ったら、嫁さんも帰宅。
薬を飲んだ後は、朦朧として時計を見ていたのを覚えているけれど
記憶ではいつも12時と3時と6時。
僕の部屋のデジタル時計は、午前も午後も同じ表示なので
ずっと気が付かずにいたみたい。

明日から仕事へ行けるか?を試すために、午後から平日しか出来ない
銀行の振込みの依頼をしてきたんだけれど、書いた5枚の帳票の
日付欄が全部10月25日で記入してしまった。
係りの人に日付が違うといわれるまで、全く気が付かなかった。

てぇ事は、昨日は丸一日寝ていたんだぁ・・・
昨日の朝、会社に連絡したのも思えてないんだよね。
今朝、電話連絡したのが昨日のつもりだった・・・・

空白の一日。
覚えているのは、目が冷めた時の時計の時間表示だけ・・・

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風邪ひいちゃいました

2011年10月24日 | Weblog
久しぶりに熱を伴う風邪。
馬鹿は風邪をひかないって言われて、油断しました。
めまいと頭痛で、会社どころではありません。
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ハードスケジュール

2011年10月23日 | Weblog
今日は大変だった
最初の予定は
試合⇒弟の家でピックアップ⇒従姉妹の家で法事⇒叔父の家⇒弟の家⇒帰宅

試合
朝、7時半集合をかけていた。メンバーは11人丁度。
助っ人が来るかも知れないのと、GKのユニフォームが無いので
法事に出かける前に、メンバーに届けることにした。
まぁ、これもオーナーの役割。
でも、僕が試合に混じっても、結局GKだったんだろうな・・・
前日の雨でグラウンドはぬかるんで、やりにくそう・・・・・
オーナーは着替えることなく、試合開始を見届けて弟の家へ。

弟の家でピックアップ
今日の法事は叔母の一周忌。
身内の少ない人数で行うため、親戚は僕と弟の二人だけ。
その他は、叔母の娘と叔母の姉と兄の叔父、叔母と従兄弟の6人だけ。

従姉妹の家で法事
叔父が法要のお経を唱えて、簡単な会食をして昼過ぎに解散。
何だか素っ気無い法事だったけれど、娘がそれで良いと言うのだから
我々がとやかく言う必要は無い。

叔父の家
叔父の奥さん(伯母)が寝たきりになって数年が立つので、帰りに見舞いに。
僕が見舞いに行くと、必ずって言っていいほど
『昨日までは一言も喋らなかった』とか、『今日は特別』って言われるって
法事の時に皆の前で、話をしたんだけど『僕は何かを持ってる』って、
伯母に会ったら、また元気が出るんじゃないかって思って、立ち寄ったんだけど・・・

やっぱり僕は『何か』を持ってた。
伯母が僕の声に反応する上に、ちゃんと会話も成り立っていた。
一緒に居た叔父も、従兄弟も驚いていたけど、一番驚いたのは
『僕は何かを持ってる』って、冗談半分に言っていた僕。

弟の家
叔父の家から30分足らずで到着。弟とは、車の中で色々話せた。
子供の頃から、喧嘩しながらも一番大事な存在だった弟。
どんな時も、冷静で頼りになる奴。

帰宅
で終わりのはずだったのに・・・・・・

思いの外早く帰宅して、疲れたので横になっていたら、建設会社から
実家の跡地に新築予定の建物の件で、急遽呼び出され出かけた。
建設の内容の重要事項説明と、契約書のサイン。
終わったのが8時頃。

何だか、朝から晩まで休み無く動き回った一日。
目に見えない疲れが、どっと出た感じ・・・・・
で、11時に気を失いそうになって就寝。
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幹部合宿2日目

2011年10月22日 | Weblog
昨日の晩、飲みすぎじゃないかって思っていたT・・・・
案の定、飲みすぎのようです。
朝飯こそ何とか食べたけど、昼ごはんはパス。

でも、こういう合宿の大事なところは会議よりも
その後の飲み会でのフリートークの方が重要なんですよ。
これに気が付いたのが『賃金討論集会』なる、組合の合宿。
かつてアンチ組合だった僕は、役員になった時の合宿すら
ボイコットしようと思っていた。

ところが敵(当時の組合幹部)は、僕を分析していたのかな?
合宿にケツを捲くるっていうことは、戦わずして逃げる・・・・
そう考える僕の動向を予測していたのかも知れない。
とにかく、出かけたら言いたい事を言える場所で、何だか様子が違う。
というより、今までの会議や合宿はなんだったのか?って思うほど
組合合宿での議論は、個人の考えを出せて気持ちが良かった。
『議論なき会議は無意味』とまで言っていた、当時の書記長は
いまや、僕のよき理解者であり、一番信用できる仲間の集まり
『ハゲを増す会』の一員なのです。

で、話を戻すと幹部合宿の飲み会も同じで、社長も含めて
言いたい事をどんどん言う。所長が居なくなると、俄然話が盛り上がって
むしろその部分を社長に聞かせたいくらいの内容になる。
だから、総務も良く知っていて、初日のプレゼンで開発などに関わる
案件を終わらせて、翌日は少し軽い総務部とかのプレゼンになっている。

暗黙のうちに飲みすぎて、二日酔いに人間が出る事を認知している。
100人強の、少人数の子会社だからできる事。
そういう部分も良い『企業風土』だなぁって思う。

組織なんて、上から下までいかに一つの方向に向かうかなんだよね。
中には「八甲田山」みたいな例もあるけど、集団で物を考える時に
意見を出し合える環境さえあれば、決して間違った方向ばかりに
進むものではない。
逆に意見が出せない、出しても上に伝わらない会社は危ないね・・・・。

幹部合宿に参加して、組合時代に勉強したことが役立つんだから、何だか面白い。
世間では組合と経営って、誤解されてるかも知れないな・・・
あぁ・・・、この話は間違っても、共産党の組合じゃないです・・・・(笑)
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幹部合宿

2011年10月21日 | Weblog

昨日書いた通り、今日は午後から来年度の計画を決めるための幹部合宿。
去年と同じ、奥多摩にある『多摩路』という元簡保の保養施設で一泊。

午後から夜まで、来年度の計画や目標、方針をそれぞれ説明する。
子会社で幹部と言われる人間は24人。
会議ではもちろんの事、その後の夕食を兼ねた宴会や、部屋に戻ってからも
くだらない話も含めて、社長・会長と一緒になって話をする。
一箇所に集まって、社長を交えて議論できる環境は、大所帯の本社では、まず不可能。
そういう意味では、いい企業風土の会社だなぁって思う。

しかし、会社とは全く関係の無い『ハゲを増す会』の会員<テーブル男Tが
どう見ても、飲みすぎ・・・・
いつもの怪しい笑い方をしているし、明らかに目が坐っている。
こりゃ、間違いなく飲みすぎ・・・
明日はまた、隣に坐って息が荒くなりそうだなぁ・・・

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何だか、面倒臭い・・・

2011年10月20日 | Weblog

明日から、来年度の計画を決めるための幹部合宿。
その準備は終わって、今日はさっさと帰る予定だったんだけど
残業の管理やら、年間協定時間延長の申請書類作成やら
とかく管理業務って言うのは面倒臭くて、僕には向いていない。

お袋の遺産整理業務を委託した中央三井信託銀行から
遺産整理が終わり、その内容の最終説明をしたいので
銀行に出向いて欲しいと言う連絡が来たのだけれど
会社が休みの日の、土日にしてくれないかと聞いたら
『土日は、銀行業務もおやすみです』だって言って
平日に時間を作ってくれと言って来る。

それで今日は午後に行く予定だったんだけど、
仕事が残っていたのでキャンセルした。
平日の夕方なら行けるんだけれど・・・・・って言えば
『銀行業務は三時までです』だとさ・・・・
信託銀行って、遺産整理の面倒な仕事を請け負う代わりに
100万円もブン取るのに、なんと横柄な・・・

銀行なんて、他人の金預かってそれを運用して儲けているのに
こと信託銀行の遺産整理業務に関しては『代行してやってる』
なんて感じで、とても『お客様』なんて事を思っているとは思えないね・・・

何だか、面倒臭い・・・
遺産なんてどうでもいいから、さっさと終わらせちまいたいねぇ・・・

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若手に、若手・・・・

2011年10月19日 | Weblog

つい先月、一ヶ月前は何日か夏日が続いていたのに
先週くらいから、急に肌寒くなって、もう半袖じゃ寒い。
このまま、寒くなっちゃうのかなぁ?

サッカーなどのスポーツをするには、暑くも無く寒くもない
今頃が、まさに『スポーツの秋』で気持ちがいい季節になった。

でも、仕事をするには上着が要るかな?
半袖の作業服だと、寒くて風邪をひきそうな感じ。

今日は午後からCEマーキングという欧州の電波規制の試験で
本社に行くので、昼休みのサッカーが終わっても
慌てて帰って来る必要が無くて、久しぶりに食堂でゆっくり食事。

試験が行われる『電波暗室』は外部から一切電波が入ってこない大きな部屋。
ここで、電波が規定値以上に出ていないかをチェックするのです。

この電波暗室は、僕が本社に居た時の『秘密基地』の隣にあるせいもあって
今日はかつての弟子などの若手に偶然、遭遇した。
それで、僕の部下が作った小型顕微鏡を『見に来い』といって連れてきた。

具体的なことは、発表前なので言えないけれど、本社の若手に
ちょっとインパクトを与えられたようだ・・・しめしめ・・・
今年に入って設計を開始したうえに、全部若手がやった仕事だって
ちょっと自慢げに話しちゃった。
それを横で聞いていた僕の部下たちが、ちょっと照れくさそうにして・・・

かつての部下は、僕がやろうとしていた仕事を手がけているみたい。
久しぶりに、お互いの仕事の話をしたんだけれど、
あれほど拘っていた本社の仕事も、今となっては自分の育てた若者が
頑張っているし、仕事だって自分にとっては、すでに過去の物になって、
正直なところ、どうでも良くなってる。

むしろ、そういう風に考え方が変化した自分に気が付いて、ちょっと驚いたかな?
本社の駄目な奴は、相変わらず駄目みたいだし、今日会った連中みたいに
頑張っている人間は、それなりに成果を出してきている。
そういう姿を見れたのも嬉しかった。
ついでに、今の部下の頑張りもアピールしたしね・・・

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使えねぇ・・・・・・・

2011年10月18日 | Weblog
久しぶりに今日は、会社に行った気がした。
実家の解体が始まったので、もう一区切り。
それでももう少し取っておきたいものがあったんだけど
それこそ、割り切らないとね・・・・

会社に行くと待っているのはメールの山。
でも、最近は自宅でメールチェックできるツールを
持って帰って、メールや回覧を処理しているので、そうでもないかな?

今週末にある、幹部合宿のプレゼンテーションの資料も
同じように自宅で作ったから概ね終わっている。
そして、今日は担当常務にその内容を披露して
チェックしてもらう会議が、夕方からあったんだけど
僕らの部長のプレゼンテーション資料が全く駄目。

そもそも、会社なんてトップダウンの組織なのに
僕を含めた設計のグループ長が書いたものをパクって
作っているから、ボトムアップになっちゃってる。
それを担当常務に指摘されても、何が悪いのか?
全くわかっていない様子。

勘弁して欲しいなぁ・・・・使えねぇ・・・・いらねぇな・・・・
そんなわけで、2時間で終わるはずの会議が延々と続き
終わったのが9時過ぎ。
僕なんか、そのうちの10分だけ。

会社って、どういう基準で役職を決めてるんだろう?
疲れた一日でした・・・
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いよいよ、実家の解体

2011年10月17日 | Weblog
実家の解体が今日から始まった。
昭和42年に建てた実家は、築45年。
中学校の時から住むようになって色んな思い出が沢山詰まっていた。
最初は、引越しと同じだから割り切って捨てるものは
捨てようと思っていたのだけれども、いざとなると
一つ一つのものに、全て思い出があるって気が付いた。

お袋の寝てた、最後を看取ってあげた玄関脇の部屋。
箪笥に残っていた衣類は、茶箱に入れてトランクルームへ移動した。
皆が集まっていた茶の間のテーブルは会社の人に譲った。
二階に有った長いコタツは諦めた。
仏壇はいずれ処分するとしても、仏具を箱に詰めて蓋を閉め
トランクルームに一旦保管することにした。
二階のものは祖父母のものが多かったが、蓄音機と足踏みミシンは
トランクルームに移動した。

僕の使っていた部屋はいまや納戸になっていたが、ここには
家族の写真が沢山あって、それも全部保管した。
創刊号から、廃刊になった最終号まで取ってあった『暮らしの手帳』は
お袋が大事にしていてのだけれど、最初の20冊が見つからず
結局捨てることになった。
僕の山の写真集や、仏像の写真はレコード盤と一緒に保管。
二つ有ったターンテーブルも保管したし、買いこんであった
レコード針の新品も3個出てきた。

風呂場は何だかお袋の気配がする。
そして台所。刺身包丁と、出刃包丁、パン切りナイフだけ持ち出して
鍋やフライパンなどは捨てることにした。
本当はここが一番、お袋の思い出がある場所なんだけどね・・・・

今日は入り口の植木を伐採した程度で、まだ家屋の中にある
『ゴミ』となるものが、運び出される準備をしていた。
僕のサーフボードも、『ゴミ』になってしまうんだなぁ・・・

お袋の日記が大量に出てきた。少し間が抜けているけれど
これからゆっくり中を見て、長かったお袋の一人暮らしが
どんな気持ちで暮らしていたのか、探ってみようと思う。

そんな必要なんか無いのかな?
いつまでもお袋の思い出から離れられないのは、ドン臭いのかな?
とにかく、この3日間でクタクタ・・・・
疲れた・・・・
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やるべき事はやったかな?

2011年10月16日 | Weblog

いよいよ解体前日。
今日は朝にサッカーの試合がある予定だったんだけど
試合会場の所沢まで行ったところで中止の連絡。
残念だったけど、逆にありがたかったかな?

最初に従兄弟夫婦が手伝いに来てくれた。
従兄弟の嫁さんが、お袋が結婚して初めてオヤジに買ってもらった
水屋(茶箪笥)が欲しいと言うので、渡してやることになっていた。
僕が取っておきたかったんだけど、嫁さんは古いものが好きじゃない。
ましてや、60年前の家具なんて好きじゃないみたい。

逆に従兄弟の嫁さんは、『素敵』だと言ってくれる。
そういう人に引き取ってもらった方が、お袋の気持ちも
生かしてもらえる気がしたからね。
従兄弟は居間の障子も全部欲しいと言って取って置いた。
自宅を改築して、その障子や水屋を使うんだと言う。
身一つで会社を起こして、苦労して裕福になったから
出来ることなんだろうけど、物を大事にするところは
何処か、僕と共通しているところ・・・

午後になって、昨日話していた古物商がやってきた。
家中にある不用品を引き取ってもらうので、ありがたいと思ったけど
お袋が大事にしていた『帯止め』が大量に出てきた時の反応が
『儲けもの』って感じで、ちょっと嫌な感じがした。
僕が『着物関係は全て取っておく』と言ったときの反応も嫌だった。
言い方が悪いけど、まるでハイエナみたいに感じたのかな?
従兄弟もまったく同じ表現をしていたね。

従兄弟が足踏みミシンを従兄弟の母親、叔母が欲しがっていたと言うので
処分しないことにしたり、もう一つあった大き目の食器棚も
引き取ってくれると言うので、捨てるものが少なくなった。

弟夫婦もやってきて、すぐ後に嫁さんと次女も合流。
長女も学校から直接やってきて、夕方に合流。
捨てるのを躊躇っていた食器を、とにかく箱に入れて
トランクルームに入るだけ詰め込むことにして、分かれて作業。
嫁さんは僕の使っていた部屋の写真や、キーホルダーやマッチなどの
僕のお宝を箱詰めして、持って帰れそうなものは袋に入れてくれた。

従兄弟と大きいものを一旦、借りてきたレンタカーに積んで
トランクルームに運んだけど、思った以上にトランクルームが広くて、
捨てようか迷っているものを、無理して捨てることは無いと
とにかく迷ったら、後で考えることにして箱に詰めることにした。
3回往復して、11時。
子供たちは先に帰して、従兄弟と弟の両夫婦も帰った貰った。
後は一人で切りのいいところまでやる事にした。

誤算だったのは、捨てるつもりだった仏壇をとっておくことにして
車に積むのを後回しにしたこと。
これを2個、一人で車に積み込むのが大変な作業だった。
大きなものをレンタカーに積み込み終わったのが夜中の2時。

全部が思い通りには行かなかったけど、やるべき事はやったかな?
いよいよ、明日解体業者が来て、実家の解体に取り掛かる。
実際に壊すのは水曜日くらいからかな?

家族の歴史が、また一つ消える。
でも、同時に新しい歴史が始まる。
良いんだか、悪いんだか・・・・?
とにかく、大変だったけど楽しい一日だった。

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