史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

府中 Ⅴ

2013年01月03日 | 東京都
(多摩霊園 つづき)


小泉家之墓
(小泉信吉の墓)

 小泉信吉(のぶきち)は、和歌山藩士。慶應二年(1866)、藩の留学生として福沢諭吉の門をたたき入塾した。維新後は、官立開成学校教授となって、日本に初めて演説法を紹介した。旧藩主の援助によってイギリスに留学した。以後大蔵省や慶應義塾の塾長を務めるなど、要職を歴任した。明治二十七年(1894)四十五歳にて没。


安田家墓
(安田善次郎の墓)

 安田善次郎は、天保九年(1838)越中富山の生まれ。安政元年、江戸に出て両替商に奉公し、元治元年(1864)安田屋開いて、名を善次郎と改めた。維新後は川崎八郎右衛門とともに第三国立銀行を創立し、明治十三年(1880)には安田商店を安田銀行と改称。共済五百名社(のちの安田生命保険会社、現・明治安田生命保険相互会社)を設立した。大正十年(1921)大磯の別荘で朝日平吾に刺殺された。日比谷公会堂、東京大学安田講堂を始め、公共事業にも多くの寄付をした。JR鶴見線の安善駅は、安田善次郎の名に因んだものである。


狩野良知之墓

 狩野良知(りょうち)は、秋田藩士。江戸に出て佐藤一斎、昌平黌などで学んだ。尊王開国を唱え「三策」を著した。嘉永六年、北国旅行中に大館に立ち寄った吉田松陰がこれを持ち帰り、のちに松下村塾より出版された。戊辰戦争では藩校明徳館詰役支配に抜擢された。維新後、内務省権少書記官などを歴任した。明治三十九年(1906)、七十八歳で病没。

(善明寺)


善明寺


西園寺實満之墓

 府中本町駅そばの善明寺の境内には、墓地がない。一旦、寺を出て、裏手の駐車場の一角に小さい墓地があり、そこに西園寺実満の墓がある。
 西園寺実満は公家出身。天保十四年(1843)京都に生まれた。文久三年(1863)の生野の変や戊辰戦争にも参加した。明治後は、一時太政官に出仕したが、国学、漢学、詩歌に長じ、書にも長じていたため、神田一ツ橋に温和学堂を開き、門弟の教育にあたった。姪が善明寺住職の室となっていたことから、晩年を善明寺で過ごした。大正七年(1918)、七十六歳で没。

(大長寺)


大長寺


成合清の墓

 成合清は桑名藩士。鳥羽伏見戦争で新政府軍に敗れると、江戸に敗走。藩主定敬に従って越後柏崎に向かい、桑名軍の軍事方となった。仙台では藩主の蝦夷渡航に、同行を許された三名のうちの一人に選ばれた。箱館では新選組に入隊し、指図役下役となった。明治十年(1877)、三十歳で病没。

(関田家)


関田家

 若松町一丁目の関田家は、慶應四年(1868)三月、近藤勇率いる甲陽鎮撫隊が府中に進行した際、病状の悪化した沖田総司が隊を離れて療養した記録が残る。関田家は、甲陽鎮撫隊の後方野戦病院を引き受けたと言われるが、甲陽鎮撫隊が呆気なく敗走したため、野戦病院としての機能を発揮することなく終わってしまった。また、入口左手に現存する土蔵に、彰義隊士など旧幕兵を匿ったとも言われる。

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