(廣現寺)
薩軍が宿営地とした廣現寺と音光寺を訪ねる。二つの寺は隣り合っている。
廣現寺
(音光寺)
音光寺
(妙蓮寺)
妙蓮寺
妙蓮寺境内には推定樹齢六百年という大楠がそびえたっている。その根もとに古い墓石が置かれているが、その中の一つが神風連の乱に参加した吉村義節(のりとき)のものである。
吉村義節は、神風連の部隊長を務め、県令安岡良亮邸に斬り込んだ中心人物である。小さな墓の横に大きな記念碑が建てられている。
吉村義節之墓
志士吉村義節之碑
(蘆花夫人生誕地)
蘆花夫人徳富愛子生誕之地碑
徳富蘆花夫人愛子は、明治七年(1874)七月、この地で酒造業原田家の一番末の一人娘として生まれ、十一歳のとき一家は熊本市へ転住した。十七歳のとき御茶ノ水の東京女子高等師範学校へ入学した。卒業後、一年間小学校に勤務したが、縁あって二十一歳で蘆花(当時、二十七歳)と結婚し、その創作活動を助けた。蘆花の死後は、蘆花全集の出版や遺品展、記念講演会などを催し、東京には蘆花恒春園をつくるなど蘆花の顕彰に努めた。昭和二十二年(1947)没。
薩軍が宿営地とした廣現寺と音光寺を訪ねる。二つの寺は隣り合っている。
廣現寺
(音光寺)
音光寺
(妙蓮寺)
妙蓮寺
妙蓮寺境内には推定樹齢六百年という大楠がそびえたっている。その根もとに古い墓石が置かれているが、その中の一つが神風連の乱に参加した吉村義節(のりとき)のものである。
吉村義節は、神風連の部隊長を務め、県令安岡良亮邸に斬り込んだ中心人物である。小さな墓の横に大きな記念碑が建てられている。
吉村義節之墓
志士吉村義節之碑
(蘆花夫人生誕地)
蘆花夫人徳富愛子生誕之地碑
徳富蘆花夫人愛子は、明治七年(1874)七月、この地で酒造業原田家の一番末の一人娘として生まれ、十一歳のとき一家は熊本市へ転住した。十七歳のとき御茶ノ水の東京女子高等師範学校へ入学した。卒業後、一年間小学校に勤務したが、縁あって二十一歳で蘆花(当時、二十七歳)と結婚し、その創作活動を助けた。蘆花の死後は、蘆花全集の出版や遺品展、記念講演会などを催し、東京には蘆花恒春園をつくるなど蘆花の顕彰に努めた。昭和二十二年(1947)没。
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