史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

植木 向坂 Ⅱ

2017年04月22日 | 熊本県
(明徳官軍墓地)
植木の緒戦では、官薩両軍とも大きな損害は出ていない。ほんの数人という戦死者の中に連隊旗手河原林雄太少尉がいた。


明徳官軍墓地

 明徳官軍墓地には、百二十二基の墓石がある。政府軍の陸軍士官・二、下士・十七、兵卒・九十八と軍夫・五という内訳である。所属別では近衛歩兵第二連隊が最も多くて七十一基、次いで東京鎮台、熊本鎮台、大阪鎮台、広島鎮台と続く。兵士の出身地では北は山形から南は熊本まで広範にわたっている。戦死した日でいうと、明治十年(1877)三月二十日が最多の九十二名となっている。この日は、田原坂が陥落した日であり、勢いに乗った政府軍は一気に熊本城まで攻め込もうとし、向坂で薩軍の猛反撃にあって多くの死傷者を出した。それから四月十五日までの間、植木の町を南北に分断して両軍は対峙することになった。


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