史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

武雄 Ⅱ

2016年07月09日 | 佐賀県
(平山醇左衛門の墓)


體道玄用居士(平山醇左衛門の墓)

 一年前の佐賀旅行で見付けられなかった平山醇左衛門の墓である。
 武雄淳氏よりブログ上でコメントをいただき、平山醇左衛門の墓の正確な位置を教えてもらったので、福岡旅行の四日目、日の昇る前に福岡を出発して武雄まで直行した。約一時間のドライブで、朝六時前に無事醇左衛門の墓に行き着くことができた。
 平山醇左衛門は、武雄領主二十八代鍋島茂義に見いだされて、我が国における西洋砲術の元祖高島流砲術(のち威遠流と改める)を武雄領に導入して、洋式砲の鋳造を行った。しかし、師高島秋帆が謀叛の疑いで幕府に捕えられるに及び、武雄領にて洋式砲を鋳造したことが本藩佐賀藩に迷惑をかけることを恐れ、醇左衛門を犠牲にして天保十四年(1843)十一月、白木寨(しらきのさい)にて処刑した。享年三十四。法名は「體道玄用居士」

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