史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

有田

2015年08月16日 | 佐賀県
(正司考祺生家)
 有田町岩谷川内の山の中、有田中学校の西側に正司考祺の旧宅がある。正司考祺(碩渓)は、寛政五年(1793)、この地に生まれた町人学者である。父は正司正三郎。出雲の尼子氏の家系と伝えられ、肥後を経て有田西山村に移り、その後、有田皿山に移り住んだといわれる。曽祖父の源七郎のときに絵筆の販売を業とするようになり、兄儀六郎は窯焼きとなって、考祺が家業を継ぐことになった。考祺は家業の傍ら、読書を好み、勉学に励んだ。儒学を基にした経世論などを残している。天保三年(1832)、「倹法富強録」を著し、佐賀藩主側近の古賀穀堂に提出した。ほかに「経済問答秘録」「家職要道」などを著した。文政十一年(1828)、皿山(内山)の大半を焼失し、死者数十人を出した大火の際、私財をなげうって救済したという。


正司考祺生家

 ここで写真を撮っていると、正司家から住人が出てきて、言葉を交わした。
「随分、早いですね。」
と言われたが、確かに私がここを訪れたのは、午前六時にもなっていない早朝で、この時間にここを訪問しようという人は稀有といえるだろう。


正司考祺旧宅

(正司家墓地)
 旧宅から徒歩数分の場所に正司家の墓地がある。その中に正司考祺の墓もある。


碩渓先生之墓(正司考祺の墓)

 正司考祺は安政四年(1857)十二月、六十四歳にて死去。

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