史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

さくら Ⅱ

2021年07月24日 | 栃木県

(さくらミュージアム荒井寛方記念館)

 平成十七年(2005)三月、氏家町と喜連川町が合併し、さくら市が誕生した。それまで「ミュージアム氏家」という名前で運営されていた博物館も、「さくらミュージアム荒井寛方」と改名された。荒井寛方は、さくら市出身の画家である。その後も増築、リニューアルを繰り返し、現在に続いているが、地方には珍しいほど立派な施設である。

 

さくらミュージアム荒井寛方記念館

 

日露戦役紀念碑

 

 記念館の近くには慰霊塔があり、その傍らに日露戦役紀念碑、忠魂碑が置かれている。いずれも乃木希典の書。

 

 ミュージアムの西側に勝山城跡がある。

 

勝山城跡

 

鬼怒川

 

勝山城本丸跡

 

 勝山城は、鬼怒川の段丘に面して建てられた崖端城(がいたんじょう)である。氏家氏により鎌倉末期に築城され、その後芳賀氏によって防備が強化された。中世下野における宇都宮氏一族の北方防衛拠点であり、戦国時代には那須氏と激戦地となったが、一度も落城することはなかった。慶長二年(1597)、宇都宮氏が豊臣秀吉の命により改易したのに伴い廃城となった。

 城跡は維新後までよく保存されていたが、戦後の開発の波が押し寄せ、本丸跡も破壊された。現在、本丸跡は公有地となり、町指定史跡となっている。

 

明治天皇駐蹕之蹟

 

 勝山城跡の鬼怒川の見える場所に明治天皇の駐輦之碑が建てられている。

 

(瀧澤家)

 

瀧澤家長屋門

 

瀧澤家住宅(鐵竹堂)

 

 瀧澤家住宅は、旧奥州街道に面して、伝統的な板塀を巡らし、堂々たる長屋門を備え、今なお旧家の面影を留めている。明治になって紡績等の事業で財を成し、当主瀧澤喜平次は、貴族院議員などを歴任し、第四十一銀行の設立や那須野が原の開拓に尽力した人物である。鐵竹堂(てっちくどう)は、明治天皇の休息所として使用された建物で、喜平次の雅号鐵竹に因んで名づけられた。長屋門は、建設年代を特定する史料が残されていないが、鐵竹堂と同時期の建築と推定されている。

 

蔵座敷

 

 洋風望楼を備えた蔵座敷は、伝統的な土蔵造りの建物の屋根に、明治天皇行幸の際に望楼を増築したと考えられている。このような望楼は、明治初期から中期にかけて文明開化のシンボルとして流行し、旧奥州街道沿いにも洋風望楼を置いた建物が作られた。しかし、県内で現存しているのはこの建物のみとなっている。

 

天皇駐蹕之所

 

 明治天皇が当地を訪れたのは、明治二十五年(1892)に氏家で陸軍大演習が行われた際のことで、瀧澤家住宅は休息所として使われた。

 

(引田原)

 住所でいうとさくら市下河戸に二基の明治天皇聖蹟碑がある。いずれも明治九年(1876)の明治天皇巡幸の際、休憩所となったことを記念したものである。

 

明治天皇御休輦之處

 

天皇御小休之際御膳水

 

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