史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

福岡 早良

2016年06月18日 | 福岡県
(修猷館高校)


修猷館高校

 県立修猷館高校は、言うまでもなく藩校修猷館(東学問所)の流れを汲む名門高校である。藩校修猷館が廃校となったのは、明治四年(1871)のことであるが、明治十八年(1885)、金子堅太郎の建言を容れて県立学校として修猷館が再興された。以来、政財界や官界・法曹界等、多分野に多くの人材を供給している。

(紅葉八幡宮)


紅葉八幡宮

 明治十年(1877)薩摩の西郷隆盛が起ったとの知らせに九州諸藩は色めき立った。福岡でも当初薩軍蹶起と同時に立ちあがる予定であったが、征討総督有栖川宮熾仁親王が福岡入りし、征討本営を置いたことや、旧藩主黒田長知の説得工作などによって延期されていた。結局、福岡の武部小四郎や越智彦四郎らが立ちあがったのは、三月二十八日。午前一時、越智隊が早良郡宮の森に集結し、同時刻に武部隊が住吉神社の境内に集合した。また越智隊別動隊の村上彦十の小隊は、紅葉八幡に集合した。越智隊、武部隊合わせて四百人の予定であったが、実際には越智隊は百余人、武部隊に至っては十五六人しか集まらなかった。それでも越智隊は二方向から福岡城を攻撃したが、鎮台兵の防御は固く、多数の犠牲者を出して潰走した。結局、福岡から薩軍に合流できたのは、平岡浩太郎(のちに玄洋社初代社長)一人だけであった。福岡の変という。


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