史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

香春

2016年06月11日 | 福岡県
(香春小学校)


旧香春藩庁

 幕府の小倉口総督小笠原長行の脱走を知った小倉藩では、小倉新田藩主小笠原貞正、安志藩主小笠原幸松丸(貞孚)、それに家老の小宮民部、原主殿、小笠原甲斐、島村志津摩、小笠原織衛らが城内に集まり、幕府目付の松平左金吾、平山謙次郎(敬忠)に対し、小倉城の受取を要請した。当惑した二人は小倉城を放棄し、藩が要害の地に撤退することを認める旨の書付を小倉藩に渡して、天領日田に去った。そこで小倉藩幹部は軍議を開き、軍を門司口、中津口、香春口に後退させ、そこで防戦することを決した。小倉藩では香春(かわら)御茶屋を仮藩庁とした。長州藩と停戦協定が結ばれた後も、小倉藩は香春を正式な藩庁として使用し、明治三年(1870)、仲津郡錦原(現・京都郡みやこ町)に藩庁を移し豊津藩と改称するまで続いた。現在、香春小学校に残る藩庁門は、領主や賓客のほかは開門することがなかったといわれる。明治後、御茶屋は、小倉県第二大区調所、田川郡役所、郡立鷹羽学館などに利用され、大正十五年(1926)解体された。

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