史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

秋田 北部 Ⅱ

2019年01月05日 | 秋田県
(正洞院跡)

前回訪問時に平田篤胤の墓は訪問済みであったが、今回改めて周辺の戊辰戦争殉難者の墓の掃苔に足を運んだ。かつてここには正洞院というお寺があった。正洞院は、若くして自害した、初代久保田藩主佐竹義宣の正室(下野那須城主烏山家の娘)を弔うために建立された寺である。維新後廃寺となったため、現在は古い墓石が点在しているのみであるが、その大半は無縁化しているようで場所によっては腰ほども伸びた雑草を乗り越えなければならない。隣接する秋田大学鉱業博物館からも道が通じている。


官軍 秋藩 大和久治之墓

 大和(やまと)久治は斥候。慶応四年(1868)八月八日(十八日とも)、羽後植田村にて戦死。四十六歳。

 長井文之助は銃士。明治元年(1868)九月十一日(八日とも)、羽後糠塚森にて戦死。十七歳。


官軍 秋藩 長井文之助之墓


天神林正之丞之墓

 天神林正之丞は銃士。慶応四年(1868)八月二十四日、羽後中小種村にて負傷。二十六日、死亡。三十七歳。


官軍 秋藩 福原藤四郎之墓

 福原藤四郎は銃士。明治元年(1868)九月八日、羽後福部羅にて戦死。二十六歳。


官軍 秋藩 古内冨之助之墓

 古内冨之助は斥候。明治元年(1868)九月十五日、羽後境村にて戦死。二十九歳。


野崎大内蔵徳壽之墓

 野崎大内蔵は三島郡寺泊聖徳寺の住職。俗名は窪沢大内蔵。慶応四年(1868)三月、京都で澤為量の征東軍に加わり、長州桂太郎隊に属した。同年八月十四日、羽後角間川にて戦死。二十一歳。「幕末維新全殉難者名鑑」では越後人、円一と紹介されている。

(白馬寺)


白馬寺


関清治政久之墓

 関清治は銃士。慶応四年(1868)八月二十四日、羽後中小種村にて戦死。二十九歳。


小野崎俊吉通張之墓

 小野崎俊吉は旗奉行。明治元年(1868)九月八日(四日とも)、羽後新田村にて戦死。四十九歳。

 菊地山三郎は銃士。明治元年(1868)九月八日、羽後新田村にて戦死。十七歳。

 八代忠治は銃士。明治元年(1868)九月八日、羽後新田村にて戦死。四十五歳。


官軍 秋田藩菊地山三郎墓


松岳忠高居士(八代忠治の墓)

 田口傳八は槍隊。明治元年(1868)九月十二日、羽後長浜にて戦死。三十一歳。


官軍 秋藩 田口傳八之墓

(闐信寺)


闐信寺(てんしんじ)


官軍 秋藩 渋川謙之進之墓

 渋川謙之進は介川敬之進隊。慶応四年(1868)、羽後角間川村にて戦死。二十六歳。

(本念寺)
 本念寺には、北川治三郎と桜田運太郎という二人の秋田藩士の墓がある。


本念寺


官軍 秋藩 北川治三郎之墓

 北川治三郎は銃士。明治元年(1868)九月八日、羽後福部羅にて戦死。三十二歳。


官軍 秋藩 桜田運太郎之墓

 桜田運太郎は槍隊。明治元年(1868)九月十二日、羽後長浜にて戦死。三十七歳。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋田 土崎 | トップ | 秋田 楢山 »

コメントを投稿

秋田県」カテゴリの最新記事