松山駅前 子規の句碑
春や昔 十五万石の城下かな
(坂の上の雲ミュージアム)
坂の上の雲ミュージアム
平成十九年(2007)四月、坂の上の雲ミュージアムがオープンした。作家の博物館は全国に多々あるが、一つの作品をテーマにしたものはあまり聞かない。小説「坂の上の雲」の人気の高さがうかがい知れる。ミュージアムの建物は司馬遼太郎記念館の設計も手がけた安藤忠雄氏。重量感のある立派な施設である。
小説「坂の上の雲」の愛読者には、時間が経つのも忘れる空間であろう。松山という土地柄しかたないかもしれないが、展示が松山出身の秋山兄弟と正岡子規に偏っているのは少々残念である。「坂の上の雲」には、実に多彩な人物が登場している。この人間群が小説の魅力であると私は思う。明治日本がロシアを破ったのは、言うまでも無く秋山兄弟の力だけではない。明治日本の総力を挙げて勝利をもぎ取ったのである。「坂の上の雲」ミュージアムと称するのであれば、もっと小説の登場人物を幅広く取り上げて欲しかったというのが率直な感想である。
萬翠荘
坂の上の雲ミュージアムからさらに道を登ると、ネオルネッサンス様式の洋風の建物に出会う。松山藩十五代藩主久松定謨(さだこと)の別邸萬翠荘である。久松定謨は、明治五年(1872)に家督を継ぎ、明治二十年(1888)には旧松山藩士の子である秋山好古らを伴ってフランス・サンシール陸軍士官学校に留学した。帰国後は軍人として経歴を積んだ。
萬翠荘踊り場のステンドグラス
ハワイから取り寄せたという大きなステンドグラスは、今でも美しさを失っていない。
愚陀佛庵
萬翠荘の裏の石段を登ると、正岡子規と夏目漱石が同居し、ときに句会を開いたという愚陀佛庵が再現されている。愚陀佛というのは漱石の俳号である。
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