史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「小笠原クロニクル 国境の揺れた島」 山口遼子著 中公クラレ新書

2018年04月28日 | 書評
最近、小笠原諸島のユニークな歴史にはまっていて、何冊か関連書籍を読むことになった。本書は十年以上も前に刊行されたものであるが、今も書店で比較的容易に入手可能な一冊である。
タイトルにある「クロニクル」という聞きなれない言葉は、日本語にすると「編年史」である。では、本書は「幕末の小笠原」とか「小笠原島ゆかりの人々」のように、小笠原の歴史を、時代を追って記述したものかというと、そうではない。
本書のメインテーマは後半の筆者による聞き書きで、いわゆる小笠原諸島の「欧米系住民」の体験談を集めることで、彼らが国家間の波にもまれて翻弄される姿を描き出している。
小笠原の父島、母島における最初に人が住み着いたのは、十九世紀の前半のこと。いわゆる欧米系の人達であった。その後、明治政府が我が国の領土としたが、内地から遠く離れた小笠原で、彼らは自分たちの文化とか生活スタイルを維持してきた。
第二次大戦では硫黄島や父島、母島が激戦地となったため、島民は内地に疎開させられたが、終戦とともに米国の占領下に置かれ、その時島に帰ることが認められたのは「欧米系住民」のみであった。そこから小笠原諸島出身者による、苦難に満ちた郷土の返還運動が始まるわけであるが、本書の主題はそちらではなく、そのまま小笠原島で生活を続けた欧米系住民である。この中には最初に小笠原諸島に住みついたナサニエル・セーボレーの子孫も含まれている。彼らは自分たちの生活スタイルを維持し、当然ながら英語で日常生活を送っていた。ところが昭和四十三年(1968)、小笠原諸島が日本に返還されると、彼らの生活も一変する。これまで校庭に掲げられていた星条旗が下され、日の丸が掲揚される。学校の授業も英語から日本語に切り替えられた。この頃の教育を受けていた人たちは、英語も日本語も中途半端になったと嘆くが無理からぬ話だろう。それまで校庭で先生を囲んで話しを聞いていたのが、その日を境に軍隊式に「前へならえ」の号令をかけられると水平に腕を伸ばし緊張して立つ。少しでも腕が曲がっていると叩かれる。列を乱すと叱られる。「どうしてこんなことをしないと話もできないのか?」という疑問は、欧米的合理主義からすれば理解不能であろう。
彼らにはアメリカに戻ってアメリカ人になるという選択肢も与えられ、実際そのようにした人もいたようであるが、多くの欧米系住民は日本人として生まれ育った土地で生活を続けることを選んだ。歴史的には「小笠原諸島返還」のひと言で済んでしまう出来事であるが、その裏でさまざまな人たちの人生に変化と混乱をもたらしたという事実をこの本は語りかけている。

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