(温泉寺)
弘化三年(1846)、佐久間象山は、藩から帰国の上、郡中横目役を命じられた。このとき、鞜野、佐野、湯田中の三ヶ村利用掛にも任命され、前後四度当地を視察している。
温泉寺
象山の『鞜野日記』によれば、嘉永元年(1848)六月十二日、象山一行は宿泊先の温泉寺を出て上州草津に向かった。その途中、硯川湯沢という場所で温泉源を発見したことが記録されている。
温泉寺の前の道路は、地獄谷野猿公苑に通じている。温泉に入るサルを観察することができることで有名となった。おかげでこの細い道はいつも渋滞している。もちろん、温泉にもサルにも興味のない私は、ここで折り返した。
(天川神社)
天川神社
「祭鞜野山文」と題された石碑が、湯田中温泉の天川神社と沓打名水公園の二ヶ所に建立されている。いずれも、佐久間象山が書いた祭文が石碑に刻まれているようであるが、ぎっしり文字が書かれている以外、何が書かれているか不明である。
恐らく象山が、三ヵ村の利用掛を務めていた頃、天川神社等で祭事を行った際の祈願文と推測する。詳細は分からないながら、象山とこの地域との繋がりの深さを示すものであろう。
祭沓野山文碑
弘化三年(1846)、佐久間象山は、藩から帰国の上、郡中横目役を命じられた。このとき、鞜野、佐野、湯田中の三ヶ村利用掛にも任命され、前後四度当地を視察している。
温泉寺
象山の『鞜野日記』によれば、嘉永元年(1848)六月十二日、象山一行は宿泊先の温泉寺を出て上州草津に向かった。その途中、硯川湯沢という場所で温泉源を発見したことが記録されている。
温泉寺の前の道路は、地獄谷野猿公苑に通じている。温泉に入るサルを観察することができることで有名となった。おかげでこの細い道はいつも渋滞している。もちろん、温泉にもサルにも興味のない私は、ここで折り返した。
(天川神社)
天川神社
「祭鞜野山文」と題された石碑が、湯田中温泉の天川神社と沓打名水公園の二ヶ所に建立されている。いずれも、佐久間象山が書いた祭文が石碑に刻まれているようであるが、ぎっしり文字が書かれている以外、何が書かれているか不明である。
恐らく象山が、三ヵ村の利用掛を務めていた頃、天川神社等で祭事を行った際の祈願文と推測する。詳細は分からないながら、象山とこの地域との繋がりの深さを示すものであろう。
祭沓野山文碑
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