ボランティアスクールがいよいよ前日となり、打ち合わせと称しての飲み会があった。自閉症支援研究会のメンバーも加わり、楽しいひとときとなった。
自閉症の息子さんを持つKさんが、子どもの生い立ちについていろいろ参考になる話をしてくれた。障害を持つ親や家族の苦労は、その子どもと社会との間にある無理解と無関心だろう。社会的な風潮としては、当たらず触らずではないのだろうか。つまりは木枯紋次郎のごとく「あっしには関わりのないことでござんす」ということだ。
Kさんの話からは、「せめて息子がどこにいたのかという痕跡でもいいから知らせて欲しい」という願いを聞いた。そして幾度も社会的な批判にさらされながら、親も強くなって来たということだろう。「障害があるからといっても、いいことか悪いことかくらいしつけろ」というお叱りを何度も受けたらしい。「いいことか悪いことか教えてわかるくらいなら、障害者を何年もやっていない」と。「叱られても涙は出ないが、親切にされると号泣したくなる」そうKさんは語っていた。
われわれは今回のボランティアスクールで、こういう親や本人たちの「みんなちがってみんないい」という金子みすずの詩のような願いを市民に伝えたいと思っている。継続は力である。楽しみながら市民を巻き込んでいきたいと思う。
自閉症の息子さんを持つKさんが、子どもの生い立ちについていろいろ参考になる話をしてくれた。障害を持つ親や家族の苦労は、その子どもと社会との間にある無理解と無関心だろう。社会的な風潮としては、当たらず触らずではないのだろうか。つまりは木枯紋次郎のごとく「あっしには関わりのないことでござんす」ということだ。
Kさんの話からは、「せめて息子がどこにいたのかという痕跡でもいいから知らせて欲しい」という願いを聞いた。そして幾度も社会的な批判にさらされながら、親も強くなって来たということだろう。「障害があるからといっても、いいことか悪いことかくらいしつけろ」というお叱りを何度も受けたらしい。「いいことか悪いことか教えてわかるくらいなら、障害者を何年もやっていない」と。「叱られても涙は出ないが、親切にされると号泣したくなる」そうKさんは語っていた。
われわれは今回のボランティアスクールで、こういう親や本人たちの「みんなちがってみんないい」という金子みすずの詩のような願いを市民に伝えたいと思っている。継続は力である。楽しみながら市民を巻き込んでいきたいと思う。
子供さんが入園しておりみんなに
敬遠されておりました。
私はなんと言うことなく日常の
付き合いを普通にしておりましたが
ある時お母さんがしみじみと私に
涙ぐみながら「こういう風にしてくれるの
貴女だけです」と言いました。
私は驚いてしまいました。
特に良いことをしてるという意識が
私にはなかったのです。
世間というものを考えてしまいましたが
その数年後私が似たような思いをする
ことになるとは夢にも思いませんでした。
繰り返しメッセージを出し続けることが大切なのだと、今更に思います。そして今回の寸劇がわかりやすいことだと思いました。
りんごさんの親としての同等の立場が、その方の感謝に繋がっていたのでしょうね。わかります。
こんな時はこう対処するとよい…という内容を一つでも多く知ってもらうのが一番良いことですね。どうか大変な事かも知れませんが、ボランティアスクールを継続していってください。心ながら応援しています。
いかったです。やって・・・。
僕たちの心が観客に伝わったと、実感できた一日でした。つぎ込んだ時間が、きょう花咲いた瞬間でした。少しその余韻を楽しみます。