「一人の子どもの涙は、人類全ての悲しみよりも重い」
(ドストエフスキー)
柳田 邦男「雪のパイナップル」より
★「チェルノブイリのアンドレイ」
1986年4月、ウクライナ北部にあるチェルノブイリ原子力発電所で大規模な事故が起きたとき、大気中に噴出したヒロシマ原爆の500倍といわれる大量の放射性物質が南風に乗って、北隣のベラルーシに広範囲にわたってまき散らされた。人口の5分の1にあたる約200万人が被爆し、全国土の22%が人体に有害な影響を与える危険性のある放射能汚染地域に指定された。子ども達の白血病と甲状腺がんが急増した。
日本の医師・鎌田實さんを初めとする医療専門家グループが、ベラルーシの癌になった子ども達を救う活動をはじめたのは、1991年からであった。
再三の救援要請にモスクワのソ連科学アカデミーを訪ねると、応対に出たクズネソフ教授がドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中にある言葉を引いて、こう言ったという。
「一人の子どもの涙は、人類全ての悲しみより重いと、ドストエフスキーが言っているが、チェルノブイリの子ども達は今、泣いています。しかし悲しいことに、私たちロシアの大人たちは、この子たちを救えません。日本の人に期待しています。助けてください」
それから長野県に本部を置く日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)という国際ボランティア団体が立ち上げられた。
医療スタッフの水準は高いのに財政難で、白血病のための治療設備も薬もなく、日本でなら救える子も救うことができないという悲しい現実がそこにあった。
それから「雪とパイナップル」が書かれるまでの14年間に、JCFは、会員を募っての会費や一般からの寄付を資金にして、白血病に必要な抗がん剤や各種の薬、輸血バッグ、無菌装置など約6億円分を、ゴメリ州立病院などに送り続けるとともに、医療チームを70回以上も派遣して来たという。これによって、白血病の子ども達の生存率は、飛躍的に向上したのだった。
しかし悲劇の主人公アンドレイは、病状はいったん良くなったのだが、やがて悪化し抵抗力がなくなって2000年7月になくなった。
彼の死後に明らかになったのは、母親のエレーナからの感動的なアンドレイの最期のお話である。
骨髄移植をアンドレイは受けた後、熱と口内炎のために、まったく食事がとれなくなった。日本から移植療法の看護を指導するために来ていた若い看護師ヤヨイさんが、少しでも食べさせようと食事に工夫したが、それでもアンドレイは食べられなかった。
「何なら食べられる?」
ヤヨイさんが何度も聞くと、アンドレイは小さい声で答えた。
「パイナップル」
寒い雪の国で一度だけ家族で楽しくパイナップルを食べたのが忘れられない記憶になっていたのだろうか。ヤヨイさんはなんとかアンドレイにパイナップルを食べさせてあげたいと思い、オーバーコートを着て、氷点下二十度の雪と氷の町へ出かけた。極寒の二月だった。しかし見つけることができなかったが、その話を聞いた市民の中で缶詰を持っている人がいて、三日目の朝病院に届けられた。
アンドレイはパイナップルを食べられたことがきっかけとなって、食事を取れるようになり、日増しに元気を取り戻していった。一時的なこととはいえ不思議なことだった。
鎌田さんと再会したエレーナさんは、その時のことを回想して次のように語った。
あるはずのない、パイナップルを探して雪の町を歩き回ってくれた彼女のことを考えると、私は人間てあったかいなあと思いました」「私はアンドレイが病気になってから、なぜ、私たちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。生きている意味が見えなくなりました。でも、ヤヨイさんのおかげで、わたしの中に、忘れていたものがよみがえってきました。それは感謝する心でした。私たち家族の中に、新しい希望がよみがえってきました」
このお母さんの言葉を聞いた鎌田さんは、この叙事詩に美しい言葉を添えた。
(人間の命を支えているものが何か、少し見えた。
少なくとも、最先端の技術だけで人間の命は支えられていないのだと思った。
人間ってすごい。
あふれる悲しみのなかで、人間は感謝することができる。
人間は国境を越えて、民族が違っていても、宗教が違っていても、文化が違っていても、歴史が違っていても、、理解しあえる。)
(「雪の国のパイナップル」鎌田 實)
国家が国家に対しての支援するのと違って、こうした意識あるボランティア団体が自由に動いて、国家を超えていのちを救うという行為を組織することのできることは素晴らしいことである。とかく我々は自分の子どものことだけの幸せや自分が暮らしている地域については懸命になるが、こうした温かな国境を越えた支援は、決して目立たなくても多くの信頼と感謝、そして伝説となって長い間語り継がれていくことだろう。
(ドストエフスキー)
柳田 邦男「雪のパイナップル」より
★「チェルノブイリのアンドレイ」
1986年4月、ウクライナ北部にあるチェルノブイリ原子力発電所で大規模な事故が起きたとき、大気中に噴出したヒロシマ原爆の500倍といわれる大量の放射性物質が南風に乗って、北隣のベラルーシに広範囲にわたってまき散らされた。人口の5分の1にあたる約200万人が被爆し、全国土の22%が人体に有害な影響を与える危険性のある放射能汚染地域に指定された。子ども達の白血病と甲状腺がんが急増した。
日本の医師・鎌田實さんを初めとする医療専門家グループが、ベラルーシの癌になった子ども達を救う活動をはじめたのは、1991年からであった。
再三の救援要請にモスクワのソ連科学アカデミーを訪ねると、応対に出たクズネソフ教授がドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中にある言葉を引いて、こう言ったという。
「一人の子どもの涙は、人類全ての悲しみより重いと、ドストエフスキーが言っているが、チェルノブイリの子ども達は今、泣いています。しかし悲しいことに、私たちロシアの大人たちは、この子たちを救えません。日本の人に期待しています。助けてください」
それから長野県に本部を置く日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)という国際ボランティア団体が立ち上げられた。
医療スタッフの水準は高いのに財政難で、白血病のための治療設備も薬もなく、日本でなら救える子も救うことができないという悲しい現実がそこにあった。
それから「雪とパイナップル」が書かれるまでの14年間に、JCFは、会員を募っての会費や一般からの寄付を資金にして、白血病に必要な抗がん剤や各種の薬、輸血バッグ、無菌装置など約6億円分を、ゴメリ州立病院などに送り続けるとともに、医療チームを70回以上も派遣して来たという。これによって、白血病の子ども達の生存率は、飛躍的に向上したのだった。
しかし悲劇の主人公アンドレイは、病状はいったん良くなったのだが、やがて悪化し抵抗力がなくなって2000年7月になくなった。
彼の死後に明らかになったのは、母親のエレーナからの感動的なアンドレイの最期のお話である。
骨髄移植をアンドレイは受けた後、熱と口内炎のために、まったく食事がとれなくなった。日本から移植療法の看護を指導するために来ていた若い看護師ヤヨイさんが、少しでも食べさせようと食事に工夫したが、それでもアンドレイは食べられなかった。
「何なら食べられる?」
ヤヨイさんが何度も聞くと、アンドレイは小さい声で答えた。
「パイナップル」
寒い雪の国で一度だけ家族で楽しくパイナップルを食べたのが忘れられない記憶になっていたのだろうか。ヤヨイさんはなんとかアンドレイにパイナップルを食べさせてあげたいと思い、オーバーコートを着て、氷点下二十度の雪と氷の町へ出かけた。極寒の二月だった。しかし見つけることができなかったが、その話を聞いた市民の中で缶詰を持っている人がいて、三日目の朝病院に届けられた。
アンドレイはパイナップルを食べられたことがきっかけとなって、食事を取れるようになり、日増しに元気を取り戻していった。一時的なこととはいえ不思議なことだった。
鎌田さんと再会したエレーナさんは、その時のことを回想して次のように語った。
あるはずのない、パイナップルを探して雪の町を歩き回ってくれた彼女のことを考えると、私は人間てあったかいなあと思いました」「私はアンドレイが病気になってから、なぜ、私たちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。生きている意味が見えなくなりました。でも、ヤヨイさんのおかげで、わたしの中に、忘れていたものがよみがえってきました。それは感謝する心でした。私たち家族の中に、新しい希望がよみがえってきました」
このお母さんの言葉を聞いた鎌田さんは、この叙事詩に美しい言葉を添えた。
(人間の命を支えているものが何か、少し見えた。
少なくとも、最先端の技術だけで人間の命は支えられていないのだと思った。
人間ってすごい。
あふれる悲しみのなかで、人間は感謝することができる。
人間は国境を越えて、民族が違っていても、宗教が違っていても、文化が違っていても、歴史が違っていても、、理解しあえる。)
(「雪の国のパイナップル」鎌田 實)
国家が国家に対しての支援するのと違って、こうした意識あるボランティア団体が自由に動いて、国家を超えていのちを救うという行為を組織することのできることは素晴らしいことである。とかく我々は自分の子どものことだけの幸せや自分が暮らしている地域については懸命になるが、こうした温かな国境を越えた支援は、決して目立たなくても多くの信頼と感謝、そして伝説となって長い間語り継がれていくことだろう。
地球は一つですね。
今朝も快晴なのか、結構冷えています。
本当にそうですね!人が何によって生きようとするのかという命題を、目には見えない「心のあり方」の中にあるということをまさに示しているような気がしています。
「隣人を愛せよ」まさしく、永遠の課題ですね!でも、心の片隅にいつも持ち続けたい言葉です。
いつも温かい言葉や話を読ませてもらっている私たちは幸せです。ありがとうございます。成田さんによって、目覚めさせてもらっています。感謝です。
すべての人間がことに対処する時に
このような真心があれば身も心も
救われる人は沢山いる筈です。