FMアップルウエーブ「暮らしのゼミナール」の生放送を終えて、次は約束の場所に急いだ。前回に書いた「青森県看護協会創立60周年記念事業・DVD」のナレーションを入れる作業が待っていた。
日頃お世話になっているT病院総看護師長のSさんが監修するこのDVDの作成は、私の住むお隣の旧相馬村に録音スタジオがあった。「スタジオT]という看板に灯りがついていてここだとわかった。スタジオに初めて足を踏み入れたら、室内には既にSさんと録音編集のNさんが「待っていてくれた。
むろんこういうナレーターの体験など私にはなくて、「何でこの私なんだろう?」という感じであったが、ともかく私にできることならば日頃のご恩に報いることができるのではないかとお受けしたのだ。
実は私は中学校の頃から、声優になりたいという夢のようなものはあったが、それは夢だった。納谷梧郎・城達也・野沢那智など当時はラジオ番組・深夜放送華やかなりし頃で、顔はどうでも?声だけでもハンサムなら世界は広がっているんだという思いがあったのだ。
当時そういう思いにさせてくれたのは、「逃亡者」というテレビ番組で夢中になっていた時期でもある。主役のデビッドジャンセンとその主役に鬼気として迫るジェラード警部(バリーモース)の好演があった。中でもリチャードキンブル役のデビッドジャンセンの吹替役の声優は、役者の睦(むつみ)五朗だった。彼は決して色男ではなく、渋い役者さんだ。むしろ時代劇などでは悪人の役なども多い。黒人の主人公にはまさにはまり役という感じの声優だった。「捜査官オハラ」などの声でも有名だが、とても落ち着いてリベラルな雰囲気の声優だった。私はたちまちとりこになって、「リチャードキンブル職業医師。彼は身に覚えのない妻殺しの罪で、死刑を宣告され、護送の途中、列車事故に逢って辛くも脱走した。孤独と絶望の逃亡生活が始まる。髪の色を変え重労働に耐えながらも、犯行現場から走り去った片腕の男を捜し求める。彼は逃げる。執拗なジェラード警部の追跡をかわしながら、現在を今夜をそして明日を生きるために・・・。主演デビッドジャンセン、バリーモース」というナレーションも未だに忘れないものとなっている。
ま、とにかくそんなアホなことを真剣に考えた青春時代のことを、どこか頭の隅に思い起こしながら、スタジオ入りして、早速打ち合わせ。台本の手直し分を受け取り、マイクの前に立った。収録のNさんはパソコンの前で、スタンバイしていてくれる。全部で7枚の原稿を13分を目安に読むのだが、1ページずつ切りながら修正を加え、OKをもらっていく。
ナレーションで難しいと感じたのは、このDVDがどのような内容の場所で使われるのかということである。それにより声の抑揚や気持ちの入れ方も違う気がした。そして、読み込むうちに、「何でこんな単語が言えない?」と思うような場面が度々訪れるのであった。いわゆる「噛んでしまう」というやつである。せっかくあと少しのところで終えそうでも、気持ちがそれで萎えるのである。しかし現代は機械の進歩があり、それをコラージュのように編みこんでいくことで、何とか一つのナレーションとなって行くのである。こうして約1時間をかけて、青森県看護協会の60年間が14分のナレーションとなって完成し、OKをいただいた。それにしても当時の看護婦さんたちの労働環境の苛酷さを思えば現代の状況は嘘のようでもある。1週間を一人の夜勤者で済ませたり、そのために看護婦さんたちは自身の家庭や人生を犠牲にしなければならなかったのである。それは結婚を諦めたり、離婚であったり、育児の手抜きでもあったろう。乳児死亡率全国一位という汚名を彼女達は、この看護協会設立後に見事に晴らすのである。「もったら殺すな」は津軽でも南部で通用する言葉で、「子どもをもうけたら殺さない」という意味である。この言葉が看護協会の合言葉になったのである。そして、進駐軍の指導のもとに、青森県看護協議会が設立された。その下敷きになった意識は、白衣の天使とも呼ばれたナイチンゲールだったことも印象的であった。
「丸太二本があれば、看護婦は養成できる。あのナイチンゲールでさえ、たった6名の生徒を前に教育を始めたのだ。1本の丸太は教師のために、もう1本は生徒のために・・・」この言葉は創設期からその基礎作りに奔走した看護婦故花田ミキさんの思い出として残っているのだった。
12月に青森ホテルで開催される創立60周年記念事業の中で、記念講演の後にこのDVDが流されるということである。冷や汗ものの録音が、こうしてようやく終了したのである。みなさんには、このナレーションがどのように聞こえることであろうか・・・。
日頃お世話になっているT病院総看護師長のSさんが監修するこのDVDの作成は、私の住むお隣の旧相馬村に録音スタジオがあった。「スタジオT]という看板に灯りがついていてここだとわかった。スタジオに初めて足を踏み入れたら、室内には既にSさんと録音編集のNさんが「待っていてくれた。
むろんこういうナレーターの体験など私にはなくて、「何でこの私なんだろう?」という感じであったが、ともかく私にできることならば日頃のご恩に報いることができるのではないかとお受けしたのだ。
実は私は中学校の頃から、声優になりたいという夢のようなものはあったが、それは夢だった。納谷梧郎・城達也・野沢那智など当時はラジオ番組・深夜放送華やかなりし頃で、顔はどうでも?声だけでもハンサムなら世界は広がっているんだという思いがあったのだ。
当時そういう思いにさせてくれたのは、「逃亡者」というテレビ番組で夢中になっていた時期でもある。主役のデビッドジャンセンとその主役に鬼気として迫るジェラード警部(バリーモース)の好演があった。中でもリチャードキンブル役のデビッドジャンセンの吹替役の声優は、役者の睦(むつみ)五朗だった。彼は決して色男ではなく、渋い役者さんだ。むしろ時代劇などでは悪人の役なども多い。黒人の主人公にはまさにはまり役という感じの声優だった。「捜査官オハラ」などの声でも有名だが、とても落ち着いてリベラルな雰囲気の声優だった。私はたちまちとりこになって、「リチャードキンブル職業医師。彼は身に覚えのない妻殺しの罪で、死刑を宣告され、護送の途中、列車事故に逢って辛くも脱走した。孤独と絶望の逃亡生活が始まる。髪の色を変え重労働に耐えながらも、犯行現場から走り去った片腕の男を捜し求める。彼は逃げる。執拗なジェラード警部の追跡をかわしながら、現在を今夜をそして明日を生きるために・・・。主演デビッドジャンセン、バリーモース」というナレーションも未だに忘れないものとなっている。
ま、とにかくそんなアホなことを真剣に考えた青春時代のことを、どこか頭の隅に思い起こしながら、スタジオ入りして、早速打ち合わせ。台本の手直し分を受け取り、マイクの前に立った。収録のNさんはパソコンの前で、スタンバイしていてくれる。全部で7枚の原稿を13分を目安に読むのだが、1ページずつ切りながら修正を加え、OKをもらっていく。
ナレーションで難しいと感じたのは、このDVDがどのような内容の場所で使われるのかということである。それにより声の抑揚や気持ちの入れ方も違う気がした。そして、読み込むうちに、「何でこんな単語が言えない?」と思うような場面が度々訪れるのであった。いわゆる「噛んでしまう」というやつである。せっかくあと少しのところで終えそうでも、気持ちがそれで萎えるのである。しかし現代は機械の進歩があり、それをコラージュのように編みこんでいくことで、何とか一つのナレーションとなって行くのである。こうして約1時間をかけて、青森県看護協会の60年間が14分のナレーションとなって完成し、OKをいただいた。それにしても当時の看護婦さんたちの労働環境の苛酷さを思えば現代の状況は嘘のようでもある。1週間を一人の夜勤者で済ませたり、そのために看護婦さんたちは自身の家庭や人生を犠牲にしなければならなかったのである。それは結婚を諦めたり、離婚であったり、育児の手抜きでもあったろう。乳児死亡率全国一位という汚名を彼女達は、この看護協会設立後に見事に晴らすのである。「もったら殺すな」は津軽でも南部で通用する言葉で、「子どもをもうけたら殺さない」という意味である。この言葉が看護協会の合言葉になったのである。そして、進駐軍の指導のもとに、青森県看護協議会が設立された。その下敷きになった意識は、白衣の天使とも呼ばれたナイチンゲールだったことも印象的であった。
「丸太二本があれば、看護婦は養成できる。あのナイチンゲールでさえ、たった6名の生徒を前に教育を始めたのだ。1本の丸太は教師のために、もう1本は生徒のために・・・」この言葉は創設期からその基礎作りに奔走した看護婦故花田ミキさんの思い出として残っているのだった。
12月に青森ホテルで開催される創立60周年記念事業の中で、記念講演の後にこのDVDが流されるということである。冷や汗ものの録音が、こうしてようやく終了したのである。みなさんには、このナレーションがどのように聞こえることであろうか・・・。
語り手の声がその番組の看板
になることもあります。
アニメは声優さんとキャラクターが、一致した感覚なので、ドラえもんやサザエさんの声が変わったときは、ショックでした。
なりたさんの仕事は、それはそれは大変な仕事だったと思います。お疲れ様でした。
よい作品になるでしょうね!
声優、わたしも真剣に目指してました。
行く専門学校も決めて説明会に行ったものの、
その学費の高さにビックリし、
新聞奨学生を薦められたものの、
朝が苦手な自分に出来るとは到底考えられず、
それでもやっぱり必要な実費で、
さっぱり諦めました。
富山 敬さん が、とにもかくにも大好きなのです。
納谷悟朗さんも、長いですねぇ。
声だけの表現力の難しさは、
朗読やアナウンスをする度に感じています。
ぼくもサザエさんとドラエモン、刑事コロンボの声が変わったときには、がっかりしました。
ぼくの今の夢は「宮沢賢治の童話と詩」をいつか全作品の朗読録音したいということです。いつか二人で朗読会でもやりましょうか!
妻に『成田さんは声がすごく良くて、
西郷隆盛さんのような人格の大きい人』
勿論、西郷さんは会ったことが無いですが。(笑)
私の中学時代はドモリでしたから、声優に憧れることは一度も無かったです。
声が良いとか歌が上手い人は羨ましいです。
成田さんは歌も抜群なのでしょうね!
私はすずきさんのような絵の世界に憧れます。でもそれはまた憧れという名の、自分の不得意分野でもあります。だからこそ楽しめることもあるのかもしれませんね。
攻めて西田敏行に似たという感じでしょうか・・・。