昨日の野田村行きに参加したメンバーは混成グループで、抱民舎9名、岩木地区住民5名、中泊村2名、弘前市2名であった。
少し遅い時間に集合しているので、現地に9時40分頃の到着であった。この日の野田村一体は初めヤマセのような霧が山々や町にかかっていて、初めて見る光景だった。
10:00からの作業開始で、女性は物資の仕分け作業、男性は以前訪問したことのある久慈さんのお宅の裏の畑の掘り起こしとガレキ撤去だった。天候は快晴とまで行かないが、晴れたり曇ったりで、時々海から風が吹きすぎた。お昼近くには気温も上がってきて、何度か汗がメガネに溜まって見づらい。混成グループではあるが、徐々に気持ちも打ち解け始めて、笑い声が畑を反響し始めている。
お昼は車で初めて野田村道の駅に出かけた。結構なお客が道の駅に出入りしていて、レストランも満員だった。仕方なく道の駅の前に腰を下ろして昼食をとった。
午後1:00から約1時間30分作業をして、今回持参のりんごジュース(50リットル)と「ゆいまある」のパン・パウンドケーキ150個を被災者宅数件に配布し、残りはボランティアセンターに持ち込んで「社協職員やボランティアへ」処理を依頼した。
初めての参加者が今回多いので、十府ヶ浦海岸の見える国道45号線に出て、被災状況を見渡した。参加者はその被災状況のスケールの大きさに口数が少なくなった。それでも前に参加した方からは、瓦礫の撤去がかなり進んでいることを感じていたようだ。
一人暮らしの石井さん宅に差し入れをしにいくと、調子悪そうに出てこられた。私たちの差し入れを手にして、弘前のボランティアに前に障子を貼ってもらったことで、とても気持ちが良くなったと感謝の言葉が聞かれた。また、このところ体調が悪くて、外の仕事も満足にできないということだった。今朝も社協から何かすることがないかということだったが、自分がこういう状態だからとても起きて指図できないので、お断りしたと語っていた。
やってほしくないのではなく、頼めないという状態像もニーズとしてあることを感じた。毎週弘前からボランティアに来ていることと、次回はいつということもお伝えすると、嬉しそうに「弘前のボランティアなら頼んでもいい」と言われた。
こうしてこの日の私の12回目の野田村訪問と、「震災後の野田村4ヶ月目」の活動が終えた。参加者それぞれの適度の疲労や満足感が、帰路の車内を包んでいた。
少し遅い時間に集合しているので、現地に9時40分頃の到着であった。この日の野田村一体は初めヤマセのような霧が山々や町にかかっていて、初めて見る光景だった。
10:00からの作業開始で、女性は物資の仕分け作業、男性は以前訪問したことのある久慈さんのお宅の裏の畑の掘り起こしとガレキ撤去だった。天候は快晴とまで行かないが、晴れたり曇ったりで、時々海から風が吹きすぎた。お昼近くには気温も上がってきて、何度か汗がメガネに溜まって見づらい。混成グループではあるが、徐々に気持ちも打ち解け始めて、笑い声が畑を反響し始めている。
お昼は車で初めて野田村道の駅に出かけた。結構なお客が道の駅に出入りしていて、レストランも満員だった。仕方なく道の駅の前に腰を下ろして昼食をとった。
午後1:00から約1時間30分作業をして、今回持参のりんごジュース(50リットル)と「ゆいまある」のパン・パウンドケーキ150個を被災者宅数件に配布し、残りはボランティアセンターに持ち込んで「社協職員やボランティアへ」処理を依頼した。
初めての参加者が今回多いので、十府ヶ浦海岸の見える国道45号線に出て、被災状況を見渡した。参加者はその被災状況のスケールの大きさに口数が少なくなった。それでも前に参加した方からは、瓦礫の撤去がかなり進んでいることを感じていたようだ。
一人暮らしの石井さん宅に差し入れをしにいくと、調子悪そうに出てこられた。私たちの差し入れを手にして、弘前のボランティアに前に障子を貼ってもらったことで、とても気持ちが良くなったと感謝の言葉が聞かれた。また、このところ体調が悪くて、外の仕事も満足にできないということだった。今朝も社協から何かすることがないかということだったが、自分がこういう状態だからとても起きて指図できないので、お断りしたと語っていた。
やってほしくないのではなく、頼めないという状態像もニーズとしてあることを感じた。毎週弘前からボランティアに来ていることと、次回はいつということもお伝えすると、嬉しそうに「弘前のボランティアなら頼んでもいい」と言われた。
こうしてこの日の私の12回目の野田村訪問と、「震災後の野田村4ヶ月目」の活動が終えた。参加者それぞれの適度の疲労や満足感が、帰路の車内を包んでいた。