音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

24の前奏曲 (フレデリック・フランソワ・ショパン)

2010-03-29 | クラシック (ピアノ曲)


ショパン生誕200年のメモリアルイヤーが少しずつ盛り上がって来たようだ。特に黄金週間の「熱狂の日」が上半期のメインになりそうだが、やはり、モーツァルトの生誕と没後のメモリアルと比べると知名度はあっても、ショパンの楽曲はポピュラーではないようだ。私個人がショパンの好きな曲を上げろといわれたら、間違いなくこの「24の前奏曲」、「ピアノ協奏曲ホ短調」、「ピアノソナタ変ロ短調」の3曲をあげる。そして、この表題の楽曲に関しては自身のショパンへの色々な思いがすべて詰まっている作品でもある。

ショパンに関しては特別な存在であることは以前にこのブログでも何度か書いた。音楽というものに出会ってから、ショパンは最初は憧れであり、そして練習材料であり、また輝かしい自身の「過去の栄光」でもある。そして、クラシック音楽を奏でることを止めた現在では、一鑑賞アーティストとしてその他の人々と同列に扱っているものの、でもやはり特別なのは自らの経験則が高いからなのだと思う。特にこの「24の前奏曲」は、一時期、略、毎日これらの曲の真摯に向き合っていた時間がとても長かった。この中で半分以上は練習曲として弾いていた。そして、例えば旋律が有名な第7番イ長調(以前にも書いたがイ長調の曲は譜読は簡単だが鍵盤演奏が難しい。この曲も輝かしい調なので簡単そうに聴こえる。ヴァイオリン演奏は嬰へ音が入るので然程難しくはないのだが)、第15番変ニ長調(通称「雨だれ」で24曲中一番長く、演奏は簡単なのだが、情感をこめられないとなんともつまらない曲になってしまう。それを学んだ曲)、第20番ハ短調(葬送曲なのだが、半音階的和声の進行が実にショパンを象徴していて私も好きな曲。のちにラフマニノフの変奏で有名になった)は、当然ピアノ教室の小発表会などで課題曲として人前でも弾いている。そして、多分、とぱしながらもあったが、略、第1番から順番に練習課題とされていたが、「雨だれ」の後、第16番だけは超難曲で、1曲完成せずに次に進んだのはピアノを習っていた際に後にも先にもこの曲だけであった。

そんな自身の課題であったこの名曲を、後年、マルタ・アルゲリッチの演奏で全てを聴き直した際には、涙が止まらなかったのを覚えている。それは自分の過去の努力への感動(すみま゛せん、ナルシストなもので・・・)と、アルゲリッチの情感を表現できる天才的演奏であった。同じ人間なのに、同じ曲を弾いているのに、どうしてこんなにも違うのだろうか、どうしてこんなに人を感動させられるのだろうかという感激であり、その時初めて、クラシックの演奏家が、人間の作り出した最高レベルの音楽を後世に見事に継承していることの素晴らしさに関して改めて見直しができたのであった。クラシックという芸術が人類の至上のひとつであるのはそういう理由なのであり、それは生半可なポピュラー音楽とは訳が違う。それを再確認できた楽曲なのでもある。この名曲を高度な音質でポータブルでも手軽に聴ける文明の進化も同時に素晴らしく、ショパン・イヤーに最低この曲だけは聴いて欲しいのである。


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