音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

追悼 ~ドナ・サマー~

2012-05-19 | ライヴ・イベント・ニュース


昨年のエイミー・ワインハウス、今年2月のホイットニーに続いて、またまた残念な歌姫の訃報である。

ドナ・サマー(本名同じ)、1948年12月31日、マサチューセッツ州ボストン近郊のドーチェスター出身。
しかし、こう言っては失礼であるが、ドナは「分類」の難しいミュージシャンだった。一般的に「ディスコ・クイーン」といえば、殆どの人が彼女も思い浮かべるという知名度の高さは申し分ないし、受賞歴も多数である。しかし、一体、彼女の音楽性ってなんだったのだろうというと、実は殆ど明確にはなにも回答できないし、実は、他の女性シンガーに比べて特徴がない。個性も薄い。勿論、歌だって上手いとは言えない。

私の中では、ドナは3曲。"Love To Love You Baby"、"I Feel Love"、そして"MacArthur Park"。アルバムに至っては、超ビッグヒットになって、多分猫も杓子も持っている"On The Radio"は別として、たったの5枚。無論、このビッグヒットの次の"The Wanderer"以外は全部1970年代の作品である。だから昨日は哀悼の意を込めて、この全ての作品を聴きたかったが、当然のことながら全部アルバム!! 実家に行かなくては聴けないから、仕方なく訳の分からない企画物のベストCDを買って帰った。で、私なりにドナの本質がなんとなく分かった。

彼女は「ソウル」のアーティストではない。黒人だから、そこに括ると、彼女の音楽の本質を見誤る。勿論、ディスコ・クイーンなんかでもない。彼女はユーロ・ビートの先駆者だった。そして誰よりも早くこのビートを全米においてメジャーにさせた。ドナを見出したのはジョルジオ・モロダーということは有名だが、彼はイタリアの音楽プロデューサーで、サイザー奏者、のちのちに「ディスコ音楽の父」とも言われるが、それも、ドナのドイツ・バンド時代に彼女と出会ったことが大きい。ドナもそもそもは教会の聖歌隊であったが、そんなに歌が上手い方ではなかったであろう(そのあたりは彼女の自叙伝にも逸話が乗っている)。しかし、アップテンポで、エレガントなユーロビートとの相性は可也良かった筈だ。それと、表現力。これが前述の"Love To Love You Baby"の全米大ヒットに繋がったし、私の彼女との出会いはここだった。そして"I Feel Love"はユーロ・ビートが全快の曲。この曲が大ヒットしたことで、ヨーロッパのアーティストがアメリカのヒットチャートで活躍できるきっかけを作った。つまりは、そういう意味では、その後、全世界のディスコを席巻することになるユーロ・ビートの、まさに第一人者なのであった。しかし、ここで終わらなかったのが彼女を世界の歌姫にした。それが"MacArthur Park"である。この曲は全米No.1になったが、この成功は彼女自身が一番嬉しかったと勝手に思う。なぜなら、この曲はユーロ・ビートを内に取り込んだ、ドナ自身の音楽、オリジナルなドナがここに誕生したからである。でも、そういう意味ではやはり「ディスコ・クイーン」なのかも知れない。

晩年、スローナンバーやバラッドを果敢に挑戦していたが、私には興味がなかった。なぜなら、そういう曲はアギレラやビヨンセというもっと若いアーティストが、もっともっと上手に歌えるのだから。だが、一方で、マドンナやレディー・ガガに与えた影響は大きく、彼女の功績、特に新しいことを創出した意欲は、女性シンガーに脈々と引き継がれていく筈だ。

慎んでご冥福をお祈りする。


私の好きなドナの曲を幾つか・・・
Love To Love You Baby
I Feel Love
Mac Arthur Park




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。