音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

侵入 (ジェネシス/1970年)

2010-08-19 | ロック (プログレッシヴ)


一説にはファーストアルバムが泣かず飛ばずだったこのバンドは、レコード会社も移籍し、このアルバムが「再出発」としている表記が多いが、ジェネシスが本当にバンドとして成立するのは、この次のアルバムからだと思っている。しかし、確かにファーストアルバムは、私もレビューでアルバム自体のことではなく、このバンドの総論を書いてしまったように、特筆すべきものは余り見当たらない。英国ファンタジーへの導入(それも本格的には次のアルバムから・・・)の兆候も見られるが、一方で、米国のフォークロックを可なり意識しているサウンドだと言ってしまえばそれまでの様な気もする。イギリスのピージーズだと後年言われた(ピージーズに例えられるのなら凄いじゃないか)のも、彼らにとってはまんざらでもなかったらしい。

音楽における英国気質というのは、時として良く分からないことがある。アメリカは60年代から既に商業音楽だった。最も代表的なのがモータウンであり、彼らは「黒人」を前面に出すことによって、商業の匂いを打ち消すことに成功したが、今考えればなんとも卑劣な商法だ。しかしこれが当たったから、音楽界はすべてこの路線を目指すようになる。そして60年代後半からアメリカの音楽は、ミュージシャンの個性とか、音楽という芸術性ではなく、ヒットチャートというただのファッションになり下がった。70年代に入り、そんなファッションの先頭にいたビートルズは、この愚かしい現実に耐え切れなくなって解散してしまう。もはや、彼らがより高い音楽を追求していくためには、彼らが4人で居る訳にはいかなくなったのである。そしてプログレという音楽は、このビートルズに代表される英国紳士の誇り高き芸術の追求に一番近い領域の音楽、そしてそれを奏でる紳士たちなのである。英国のプログレバンドは、少なくともそういう轍を踏んで来ている。その中で最も英国的なバンドが、ビートルズなきあとのジェネシスだった。冒頭の「再出発」の意味は分からないが、確かにこの作品から少なくとも1970年代までは、ジェネシスは紳士で居続けられたのである。だが、ご存知のように、フィル・コリンズが前面に出てしまって確実に俗世界に英国魂を売った、当時アメリカのウエスト・コーストの場末のライヴハウスに、一日1ステージは似たような演奏をしている、ポリシーも音楽性も、明日のビジョンもない低レベルな集まりになり下がった。そう、別に「ジェネシス」って名前でなくても売れるような、逆に売れないから過去の蓄積した遺産を食いつぶすためにジェネシスのノウハウを利用しているという、ここまで地に落ちたバンドを、私は他に知らない。と、また総論になってしまったが、確かにこの作品では、「ナイフ」で可なりいい音を出すようになって来た。ようするに、この時代にこのような曲を演奏できるバンドは当然アメリカにはなかったし、フロイドやクリムゾンとも違うコンセプトが出てきているのは面白い。イエスも、こういうストーリー性というのは、ジョンの世界観としてはあったかもしれないが、まだ作品にはなっていない。そういう意味でピーター・ガブリエルは先駆者であった。また、メロトロンサウンドを駆使している点はトニー・バンクスに拍手。この点でもクリムゾンやイエスよりも進歩的である。

このアルバムを最後に、アンソニー・フィリップスが脱退してしまうので、12弦ギターの響きはこの後、聴けなくなってしまう。この時代にこんな音を出していたのだから、彼も大変にプログレスだった。にも、かかわらず、脱退の理由がステージであがってしまうからだというが、いかにプログレバンドでもライヴはつきもの。そういう意味では、この後、如何にプログレバンドがライヴという難関に立ち向かっていくかというのが結構面白い時代に入っていくのである。


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