団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

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「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

一年の計は元旦にあり。今年の目標や計画を立てましたか?

2010-01-08 14:05:36 | トラ場(ブログ人投票箱)

「一年の計は元旦にあり」とは又古きよき時代の言葉じゃねえか。

今の時代に、軽々に元旦に計画を立てたって、年末まで持ちやすねえ。世の中の時計が、昔とは違い、猛スピードでまわっていやがる。

政治家だって、昨日言った言葉が翌朝には変わっちまう世の中だ。ニコニコ笑って大臣になった人間が数ヶ月で体長が悪いと辞任する。そんなこと前からわかっていただろうに・・・。一度大臣の椅子に座ってみたかったのか、と思えるほど、無責任だ。おいら達は彼らに翻弄され、どっちを向いて生きていきゃあいいのかさえ分かんねえ。

昔のアニメで「明日はどっちだ!」てえ名台詞があったが、今まさにそいつを叫びてえ心境だ。

明日の仕事さえなくて、放浪している人間が多数いる世の中だ。彼らは、明日の計さえ立ちゃあしねえ。

オレは人間の手の中で震えている小鳥だよ。大空に放たれたって餌にありつけねえ。鳥かごに入れられたって、いつ飼育放棄されるかわからねえ。

ないないづくしの世の中で、「一年の計」など立ちゃあしねえ

したっけ。

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百人一首について考える

2010-01-08 11:05:22 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

百人一首(ひゃくにんいっしゅ、故実読みはひゃくにんしゅ)とは、古来の代表的な歌人百人について、一人一首を選んでつくった秀歌集のことです。

百人一首は、鎌倉時代京都の小倉山に住んでいた歌人の藤原定家が、百人の人の最Photo_3 も代表的な和歌を一首ずつ選んだものです。

天智天皇から順徳院までの、約600 年間の代表的な歌人の秀歌が、年代順に配列されています。それらの百首は、すべて「古今集」 ・「新古今集」など十の勅撰和歌集から選ばれたものです。(2番の持統天皇と4番の山部赤人の歌は、藤原定家が「新古今集」から選びましたが、その原歌は「万葉集」です。 )

百首のうち、恋の歌が四十三首もあり、季節では秋の歌が十六首で一番多く選ばれています。なお、百人のうち女性歌人は二十一人僧侶は十五人です。

1 平安時代の「貝合わせ」が、かるたのルーツといえます。二枚貝をふたつに分けて片方をさがすゲームです。やがて、貝に歌や絵を書いて遊ぶようになりました。

また、百人一首が、「かるた」として遊び始められたのは、戦国時代からでした。はじめは、宮中とか諸大名の大奥等(奥さんたちの集まる所)で行われ、それが年間行事となりました。

なかなか庶民の触れられないものでしたが、江戸時代に入り、木版画の技術に伴って「国民必須の学問の教本!」といわれるようになりました。そして、「民用小倉百人一首」等々が出版され元禄時代から一般庶民の間にも広がりました。お正月の良き団欒として各家庭でも行われるようになったのは、ずっと後の安政のころからだといわれています。

『百人一首』は現在では歌集としてよりも「かるた」としての知名度が高く、特に正月の風物詩としてなじみが深い。『百人一首』のかるたは「歌がるた」とも呼ばれるもので、現在では一般に以下のような形態を持つ。

Photo_4 百人一首かるたは、百枚の読み札と同数の取り札の計二百枚から成る。読み札と取り札はともに花札のように紙を張り重ねてつくられており、大きさは74×53mm程度であることが一般的である。札の構造、材質、裏面などは読み札と取り札では区別がない。読み札の表面には大和絵ふうの歌人の肖像(これは歌仙絵巻などの意匠によるもの)と作者の名、和歌が記されており、取り札にはすべて仮名書きで下の句だけが書かれている。読み札には彩色があるが、取り札には活字が印されているだけである点が大きく異なる。

かるたを製造している会社として有名なのは、京都の企業である任天堂、大石天狗堂、田村将軍堂で、現在ではこの3社がほぼ市場を寡占している。

江戸期までの百人一首は、読み札には作者名と上の句のみが、取り札には下の句が、崩し字で書かれており、現在のように読み札に一首すべてが記されていることはなかった。これは元来歌がるたが百人一首を覚えることを目的とした遊びであったためであり、江戸中期ごろまでは歌人の絵が付されていない読み札もまま見られる。

D64deaf6899c347c Photo また、現在でも北海道地方では、「下の句かるた」というやや特殊な百人一首が行われており、読み札に歌人の絵がなく、上の句は読まれず下の句だけが読まれ取り札は厚みのある木でできており、表面に古風な崩し字で下の句が書いてあるという、江戸期の面影を残したかるたが用いられている。

私は、「板がるた」といわれる「下の句かるた」しか知りません。子供の頃は、お正月に各家庭に盛んに行われました。「板がるた」は、書かれている書体が微妙に違うので、よその家に行ってやったものです。子供会で「かるた大会」があり、どのかるたが使用されるか分からないので、自分の家庭のかるただけで覚えると不利なのです。Photo_2

でも、私が成人したころから、行われなくなりました。家にはかるたがありますが、押入れの中で埃をかぶっています。

この百人一首ですが、正月の風物となったこれという理由はないのだそうです。多分、暇つぶしだったのではないかと思います。

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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