団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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凧揚げについて考える

2010-01-06 13:30:10 | 日記・エッセイ・コラム

凧を「タコ」と呼ぶのは関東の方言で、関西の方言では「イカ」、「いかのぼり」(紙鳶ともPhoto 書く)と呼ばれていた。凧が、「タコ」や「イカ」と呼ばれる由来は、凧が紙の尾を垂らし、空に揚がる姿が、「蛸」や「烏賊」に似ているから、という説がある。長崎では凧のことをハタといい、ハタ揚げ大会が開かれる。

かつては、正月を含む冬休みには、子供たちが凧揚げをする光景が良く見られ、玩具店のみならず、子供たちが買い物をする頻度の高い、身近にある駄菓子店や文房具店などで凧も販売されていた。

特に凧揚げが盛んに行われていた時代(1970年代)、冬休みの時期には、電力会社がスポンサーの夕方のニュース番組で、「凧揚げは電線のない広い場所で」「電線に引っかかったら電力会社にご連絡ください」という内容のコマーシャルがよく流されていたほどで、当時のトラブルの多さを窺(うかが)わせる。

凧揚げが安全にできる広い空間が少なくなったことに加え、少子化や、ゲーム機の普及などもあり、正月の凧揚げの光景も少なくなった。

Photo_2

私の住んでいる北海道(帯広市)では、お正月に凧揚げをした記憶がない。子供の頃の冬は寒かった。じっと凧揚げをしていると鼻水がこるくらいだ。風も強く冷たい。冬はとにかく、走り回っていた。凧揚げをしたのは春だろうか。南風で北に向かってあげていたので冬ではない。はっきり覚えていない。

しかし、あちこちの電線に凧がぶら下がっている光景はよく見られた。凧は奴凧という、奴さんの絵が描いてあるものだった。これに、新聞紙で足をつける。一本足、二本足と個々が工夫を凝らして長さを調節する。

私の家の隣が洋服屋だったため、糸はいくらでもある。ある時どれくらい飛ばせるかということになり、洋服屋のお兄ちゃんが、糸をどんどん継ぎ足して、凧が見えないくらい遠くまで飛ばしたことがあった。

大人の男性が自転車でやってきて、「ここで揚げてたのか、駅の向こうまでいってるぞ。」と、わざわざ見に来たのを覚えている。私の当事の住所が17丁目、駅が12丁目であった。今考えると500m以上であろうか。

17丁目から12丁目ということは南風であるから、やっぱり冬ではない。私が5,6歳の頃であるから、もう半世紀以上も前のことだ。昨日のことも忘れる昨今、記憶は定かではない。ただ、凧を無事回収して、みんなで喜んだのは憶えている。

私は大人になってから、凧揚げをしている子供を見たことがない。

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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