東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

「母性保護論争」と「保育園落ちた日本死ね!!!」

2016年04月11日 | 日記

保育園の申し込みではねられた母親がネットに投じた怒りの書き込みが話題となっています。「保育園落ちた日本死ね!!!」というタイトルで、こう書かれています。「なんなんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」「子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ? 何が少子化だよクソ。子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからって言ってて子供産むやつなんかいねーよ」


「理不尽さを感じて、独り言のつもりで投稿した」このブログが、大きなうねりを生み出しました。このブログに書かれていることが、多くの方たちの代弁であり、共感を呼んだからです。 厚生労働省によると、全国の待機児童は2万3000人(15年4月1日現在)。東京が一番多くて7800人以上です。 

与謝野晶子が1918年3月号の『婦人公論』に寄せた「女性は徹底して独立すべし」とのエッセイに始まる「母性保護論争」をご存じでしょうか。与謝野晶子は、「欧米の婦人運動に由(よ)って唱えられる、妊娠分娩(ぶんべん)などの時期にある婦人が、国家に向かって経済上の特殊な保護を要求しようという主張に賛成しかねる。男も女も自分たちの生活とわが子の保育もできる経済力をもって、はじめて結婚すべきであり、男子の財力をあてにして結婚し分娩する女子は奴隷である」と主張し、依頼主義は女性自ら差別を招くものとして反対しました。これに対して、平塚らいてうは、「母性保護の主張は依頼主義か」と『婦人公論』1918年5月号に寄稿し、「母は生命の源泉であって、婦人が母たることによって個人的存在の域を脱して社会的な、国家的な存在者となるのであるから、母を保護することは婦人一個の幸福のために必要なばかりでなく、その子供を通じて、全社会、全人類の将来のために必要」であると反論しました。母性の保護は差別ではなく、むしろ差別からの解放であり、女性が人間として受けるべき当然の権利という視点です。 

日本という国は、残念ながら大正時代からそれほど成長していないと言うことでしょうか。「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログは、国会でも取り上げられ、民主党山尾志桜里議員の質問に、安倍晋三首相は「匿名である以上、実際に本当であるかどうかを、私は確かめようがない」と素っ気ない答弁。議員席からは「誰が(ブログを)書いたんだよ」「(質問者は)ちゃんと(書いた)本人を出せ」とやじが飛びました。安倍首相の答弁や自民党議員のヤジには呆れるばかりですが、「プライムニュース」でのこの方たちの主張には、もはやことばもありません。 

渡部昇一さん

「日本は末端まで社会主義が浸透しているんだな。赤ちゃん産んだのはその人が育てるつもりで産んだんでしょう。そして保育園入れようとしたら入れなかった。それが国家が悪いという風に結びつくというのがねえ、これは社会主義の発想の極限という気がする。…安倍死ねならまだわかるけど、日本死ねはね、これはよくない。…気持ちはわかるけどね、国を死ねというのはおかしい」

 石原慎太郎さん

「そういうこと言うんだったら、韓国でも中国でも行けばいい」 

堺屋太一さん

「そう。イスラム国に行ったらいいと思いますよ」