東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

声が出なくても・・・

2015年05月11日 | 日記

 歌手のつんくが声帯をとったという。自分が卒業した大学の入学式のプロデュースを頼まれ、その入学式の中の自身の挨拶で、声帯をとって声が出なくなったことを文字画面を使って明かした。当人は、笑みを浮かべながら演台に立ち、「皆さんが新たな出発であるように、自分も声をなくしての新たな出発だ」と伝えていた。
 忌野清志郎は、同じのどの癌で、声を失いたくないと手術をこぱみ、亡<なった。つんくは、声より命をとった。どちらが良いとか悪いとかは言えないが、人生における壮絶な闘いをこの二人はしたのだろうと思う。
 命より大切なものがあっていい。誰もがやがては失う命。それが早いか遅いかは、誰もわからない。だとしたら、忌野のように命あるうちにやりたいことをやり続けたいという、それも一つの生き方であろうし、つんくのように、声を失っても新たな自分の生き方を選ぷのももう一つの生き方だと思う。
 自分の話で恐縮だが、1月に突然耳が聞こえなくなった。テレビの音がイヤホンで聴くように左耳のそぱで鳴っている。その左耳をおさえたら、何も音が聞こえない。びっくりした。このまま音が聞こえなくなったらどうしよう。好きな音楽も聴けなくなる、と目の前が真っ暗になった。翌日医者に行<と「突発性難聴」と言う。聴力テストの結果。グラフの線が「標準」をはるかに下回っていた。この頃から少し気持ちが落ち着いてきた。聞こえなければ聞こえない生き方があるではないかと、そう考えたら、それでもいいかなと思い始めた。
 3月になって、今度は声が突然出なくなった。これまでも喉を痛めてがらがら声になることはよくあったが、全く声が出ないというのは初めての経験だった。人から声をかけられても返事ができない。何かを伝えたくても伝えられない、というのは何ともつらい。そしてもう一生治らないのではという不安、好きな歌が歌えなくなると言う恐怖感が胸を襲う。しかし、これも、治らないならそれはそれで考えよう、と思い始めたら、不思議と焦りはなくなった。
 4月になって、結局、耳も声も完調とはいかないまでも、ある程度治ってきて、それはそれでよかったと今は思っている。ただ、年をとれぱそれなりにいろいろ出てくるだろう。また、年とは関係なくても、できることできないことが人にはそれぞれあるし、あっていいのだと思う。
 学力とか知恵とかも同じで、人それぞれでいいはず。あれができないからダメとかこれができないからこっちの学校へ行きなさいということではなく、人それぞれに何かできてもできなくても、いろいろな生き方ができるよということをお互いにもっと伝え合い、知り合う関係があったらいいのにと思う。
 その意味で、つんくの「新たな出発」という話は、歌い手が歌えないというある種の「絶望」の中で、一つの生き方を教えてくれているような気がして、共感できた。
(ジャスミン)