東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

体罰とファシズム

2013年01月15日 | インポート

305148_408220875919022_231572944_n1
 「体罰」は、教師による「いじめ」である。にもかかわらず、体罰擁護論が出てくるのは腑に落ちない。虐待した親が異口同音に「しつけ」だと弁明するのと同じ構造を持っていて恐ろしい。

 田母神俊雄氏(元自衛隊幕僚長)が「大阪の学校における体罰についてとんでもないことのような報道がなされていました。先生が悪餓鬼を平手打ちするぐらいのことが出来なければ教育は出来ません。絶対に駄目だと言ったら悪餓鬼を増長させ、ほかの子供たちが迷惑するだけです。」とツイートしたのに対して、安富歩氏(東大教授)が「お前が迷惑だ。」とリツイートしたのは痛快だ。

 その安富氏の「原発危機と『東大話法』」(明石書店)も目から鱗の著作である。日本を覆う欺瞞のレトリックを「東大話法」という切り口で見事に暴いている。ウィトゲンシュタイン「言語の限界」(語り得ないことについて人は沈黙せねばならない)に言及し、魂そのものを記述することはできないが、人を型にはめるもの、命を破壊するものは記述できるとして、ファシズムについて言及している。

 ドイツででヒトラーとその追随者がなぜ生まれたか、それはヒトラー自身の肉体的・精神的虐待の体験が、その思想における盲点となり、タブーとなったからである。そして19~20世紀にドイツではやった厳しいしつけを受けた世代がその思想を共有した。「父は私を愛していたが故に暴力をふるった。母は、私を愛していたが故に傍観した」というストーリーがドイツで暗黙のうちに蔓延したのだ。マリス・ミュラーとアルノ・グリューンは、それを「他者への暴力=愛。『偽りの安心』『かりそめの絆』による共同体がファシズムである。」と分析している。

同様のことを、内藤朝雄氏(社会学者)も次のようにツイートしていた。

【教員による暴行(「体罰」)肯定論について】暴力によって言うことをきかされる生活習慣は、権威主義的パーソナリティを日本の国民性にする効果がある。権威主義的パーソナリティは、ヒトラーを選挙で勝たせてしまったドイツ大衆の背後にあるとされる。

日本の右翼の心性とドイツの権威主義パーソナリティはほぼ一致する。またヤンキー心性とも重なる部分が大きい。「体罰(と誤称される教員による暴行傷害)」を感謝するまで洗脳すれば、市民社会の自由と民主主義を破壊することができる。それを担うのが学校。

学校に働くものとして「体罰」に毅然たる態度で臨むことが求められている。

「体罰」をすることは勿論、見逃す、見過ごすことも許されない。

         (雪の重みに耐えて芽吹くモクレン