東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

かくばかり みにくき国になりたれば

2013年01月10日 | インポート

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 みにくき国になりたれば
 捧(ささ)げし人の
 ただに惜しまる

 「この度の戦争を契機として、今後平和を愛好し,戦争は絶対せぬといふ事にもならば、或は平和の人柱となりしと思へば、以て瞑す可きか。希わくば世の人平和を愛好し,再びいとしの我が父、我が兄、我が弟,我がいとし子を、みづくかばね草むすかばねと失なひて、涙の渕に浮ませ給ふな。神にも佛にも希ひたてまつる。」

 戦死した夫を詠った和歌と、戦死した息子についての手記(4月30日ブログ)。

 両方に共通するのは、最愛の夫や子どもを戦争で亡くした母の悲しみと、その死を無駄にせず平和で幸せな日本を築いてほしいという希いだろう。

「戦争が生んだ真珠」憲法第9条は、その思いの結晶ともいえる。

 ところが、日本国憲法そのものを認めない石原慎太郎氏が、冒頭の和歌を今はなき「太陽の党」結党会見、新宿西口の街頭演説などで披瀝したという。曰く、

最近、ある戦争未亡人のつくった歌に胸を打たれた。92歳のおばあさん。20歳で結婚して、お子さんがおなかにいたとき、ご主人は出征して、戦死した。その人が90歳を越えて、いまの日本の社会を見回したとき、しみじみ慨嘆してつくった歌なんですよ。この国、なんでこんなになったんだろう。実は私の家内も戦争未亡人の子供です。お母さんのおなかにいるときにお父さんが戦死した。40代で亡くなりましたけども、もしもいままで生きていたら、この未亡人と同じ歌をつくったと私は思います。これね、わが身につまされて……

 本当に、わが身につまされているならば、核武装論や領土問題を利用して外交危機を招くようなことは「捧げし人」「平和の人柱」に唾することにならないか。

 「みにくき国」をどう解釈するかは、それぞれだ。また、そう感じる雰囲気がこの国に蔓延していることも事実だろう。しかし、「大日本帝国」の復活と崩壊を、再度見たいと思う人は誰もいない。

                 (ユリ