先週の土曜日のサイクリングは、益田川を、ひたすら南下しました。
飛騨金山駅を通過して、しばらく行った益田川沿いには国境論争地の石碑があります。
この碑より、北が天領直轄の天領で南側が苗木藩となり、美濃國となります。
この地点で益田川は終わりで南側へ行くと飛騨川となります。
以前にも徒然写真帳で書きましたが、斐太後風土記では「彼國にては飛彈川と唱。」と益田川のところに書かれています。
美濃國の人に言わせれば飛騨から流れてくる川だから飛騨川なのです。
飛騨の人に言わせれば飛彈国益田郡を流れる川だから益田川なのです。
歴史的に川の名前を検証すると、旧飛彈国を流れているところが益田川なのです。
そういったわけで、私は、こだわりをもって国土地理院で飛騨川と書かれているにも関わらず、徒然写真帳では益田川と書いているのです。
歴史的な背景を無視した地図標記に私は、疑問を感じているのです。
こう書いていますので明日のサイクリングについて書くのは旧の美濃國にエリアになりますので、飛騨川と書きます。
どうでも、いいじゃないか!と思われるかもしれませんが、私はこだわりをもっていきたいと考えています。(管理人)
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美濃國の人に言わせれば飛騨から流れてくる川だから飛騨川なのです。
飛騨の人に言わせれば飛彈国益田郡を流れる川だから益田川なのです。
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そういったわけで、私は、こだわりをもって国土地理院で飛騨川と書かれているにも関わらず、徒然写真帳では益田川と書いているのです。
歴史的な背景を無視した地図標記に私は、疑問を感じているのです。
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