創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

米国先端情報も都心

2017-10-10 04:22:06 | Weblog

 おはようございます。

 出張を効率的に数か所周り、市場動向や技術動向、他社動向などを調査した話を昨日書き、どんどん記憶が蘇ってきました。特別お世話になった、社長の話を書きたくなりました。私は我がまま、他の人も書きたくなれば書きます。

 都内で一番アメリカの情報を集められたのはASR社。その岡田社長に大変お世話になりました。東京タワーと新橋の間にあり、帰りがけ、行きがけに立ち寄りました。岡田社長とは、富士通時代に情報関連機器輸入促進の展示会で、確かJETRO主催でしたが、意気投合。Forth言語も彼が教えてくれました。LSI11やVAXもPARQも。

 彼はDECミニコンの中古販売で成功。1ボードの組み込み用システムや先端技術のDCUS会員の多様な先端機器やソフトを輸入販売。一時UNIXや人工知能のシステム販売で有名人でした。彼はアメリカに毎月出張し、MITやスタンフォード大学に行っていたようです。アメリカ人の顧問が現地にいました。

 私は輸出組合や電子協などの会報や報告書に記事を書いていました。ペンネームでも。岡田社長からASRのために人工知能を書いてくれとお願いされました。そのためMITの研究者でもあった顧問が日本に来た時、面談できました。留学していた井上博允先生は帰国しても、またMITのAIラボに仲良しができました。

 岡田社長は事業に成功。成城学園前に一軒家を購入。私が独身時代に住んでいた家から歩いて20分程度の所。土地勘もあり、2度ほど夕食を奥様にご馳走になりました。彼は夜中も働きすぎでした。

 ある日、末期がん癌が見つかり、会社経営を後輩に任せ、リタイヤ。しばらくして帰らぬ人になりました。癌になった原因は部下に騙され、寝ずに仕事をしたからかも。パートになった奥さんが可哀想。かつての部下数人は有名なベンチャー企業の社長になり、大成功。私は腑に落ちません。南無大師金剛遍照。

 情報収集先には富士通時代の友人や先輩がいました。私と前後し、退社した人が複数。色々なアメリカベンチャーの日本支社に自由に遊びに行けました。私が企画していた商品も、後に研究開発したAIなども教えてもらいました。データベースから情報の傾向を掴むシステムは富士通に採用され、その後IBMに買収されました。

 未来工学研究所や大手コンピュータ商社やアメリカの調査会社の支社にも友人がいて、私が訪問したいと電話すると、オフィスにいれば皆さんとても喜んで会ってくれました。お茶をご馳走になり、情報交換になりました。

 このように私の一番の情報源は都心でした。ほとんど、東京タワーから歩いて行ける所。お酒を飲みつつ夕食も常。宿泊出張、朝帰りでした。宿泊手当分以上に先端情報をゲットできていたと思います。

 今日はここまでにします。

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