先週水曜日午前9時にパスポートの再発給を受け、その足で上海に舞い戻ってきた。一件落着であるが失くしたパスポートはいまごろどこでどうしているのか? 悪用されなければいいが・・・・ 上海では5月から世界博覧会が開催されるので、それに合わせて新しい地下鉄の路線が矢継ぎ早に開通している。東京を追い抜いて世界一の路線網が整備されることになりどこへ行くのも便利だ。タクシーも初乗りが12元(160円)と安いのでこれまた有効な移動手段である。ただし通勤ラッシュ時に雨が降ったりするとタクシーの奪い合いになる。中国人と競争して所詮勝てるわけがない。それ以前に空車がやってこない。そんなとき頼りになるのが路線バスだ。上海の街には縦横無尽にバスの路線が走っていて、料金はたったの2元(27円)。これを利用しない手はないと考え、昨日路線バスに乗車してみた。バス停間の距離は日本より長く、運転は荒っぽい。逆にいえば目的地に着くのは早い。上海の道は一方通行が多くて上りと下りの路線が違う道を走るので、終点まで行って逆ルートで戻ってこれるかどうかわからないがそんな時はタクシーで戻ってくればいいのた。街のキオスクでバス路線図をゲット。うれしいことにプラスチックのシート状の虫眼鏡ついている。これを使えば細かい字も読める。 しばらくの間バス路線を覚えることで暇な時間を過ごせそうである。
好事魔多し。物事がうまく進んでいるときには、とかく邪魔がはいるもの。 中国でも好事多魔 (hao shi duo mo) と言って全くおなじ意味です。もともと中国から来た言い方なのでしょうね。
用意周到に計画を練り上げ、会社での根回しも済まして、来月始めにマウイにウィンドサーフィン旅行に行く予定だったのに、自らの不注意によりマウイは遠くへ去ってしまった。 マウイツアーが近づくにつれ高揚していた精神状態が、今は失意の淵に沈み最悪の状態にある。鏡をみるとそこには情けない顔をした中年おやじがいる。ああ事もあろうに一時帰国した日本でうっかりパスポートを紛失してしまったのである。おそらくマイ一生の不覚ワースト10にランク入りすることだろう。 どのようにして紛失したのか、明確ではないがとにかく気がつけばなかった。ジャンパーのポケットから滑り落ちたのだろうと思う。 あらゆる方法で探し回ったが出てこない。やむを得ないので昨日現行パスポートの失効と新パスポートの再発行の手続きを済ませた。再発行までの間は日本に滞在しなければならないし、その後の中国のビザ取得の日数とか考えると、マウイに行く時間的余裕がない。パスポートを紛失したことで会社での信用も落としているし、経済的な損失はかなりの額にのぼる。 悔やんでも悔やみきれない己の不注意。こんなときは海に行って気分を切り替えるとしよう。
今日はカミさんと3D映画「アバター」をみてきた。 劇場の入り口で受け取った3D用のメガネを通して見る映像はウワサどおりの臨場感がありました。 映画の内容もおもしろく十分満足できました。 読売ジャイアンツのリリーフエースでやたら速い球を投げる外人投手によく似た人物が出演していて、そいつが出てくるたびにその外人投手の名前を思い出そうとするのだが・・・・ 思い出せない・・・・・ 少しもやもやした気分を引きずり家に帰ってからその名を思い出した。そうだクルーンだった。
人間の感覚機能は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感と言われるが、実際にはそれ以上の感覚があるそうです。 仮に人の感覚が20感あるとして、その20感覚すべてを完璧にカバーする装置があったとしたら、そしてその装置が機能しているとしたら・・・・・ そのときあなたはリアルの世界にいるかそれともバーチャルの世界にいるのか認識できますか? リアルの世界に生きていると認識しているあなたはバーチャルの世界でそう思い込んでいるだけかもしれませんよ。 大掛かりなバーチャルのシステムを構築できるのは高度な文明をもった宇宙人か全能の神かそこらへんのやつらだと思いますがね。
明日果たしてリアルの世界で風は吹くだろうか? もし私がバーチャルの世界の人間であったとしたならば、風を感じさせる電気信号で結構ですが。。
血も凍るようなという表現があるが、今日は体が凍るような体験をしました。
上海から日本に戻ってきたのはもちろんウィンドサーフィンをするためだ。 たとえ横殴りの冷たい雨が降っていようと、風さえ吹いていればハッピー ハッピーと喜び勇んで海に出た。 北から吹いてくるブローをとらえて久しぶりにプレーニングができました。 風は一定の強さで吹いているわけではなく、よく気をつけていると強弱強弱と息をしていることがわかります。 時折風の塊がやってきますがこれをブローといいます。 海の上ではブローが吹いてる海面は少し海面がちじれたように見えるので風がやってくるのがわかります。 そんなブローを掴まえるのに夢中になっているといつの間にか寒さのため手足が固まりウェットスーツで保護されているボディーすら冷たくなってしまった。 気がつけば頭が痛い。 もはやこれ以上セーリングを続けるのは危険と判断し浜に戻ろうとしたが向かい風のため簡単には陸に着かない。次第に意識がモーローとなってくる。冬山で遭難するのはこんな感じだろうか。 (少し大げさでした) それでもなんとか浜に生還したが、凍えた手足が死ぬほど痛い、頭痛がする。 急いでショップに戻り、無意識に熱めのシャワーのお湯をセミドライスーツの中に流し込んだら、これが気持ちいいこといいこと。 お湯でタップンタップンになった状態はまるでお風呂に入っている感じ。 これは偶然に大発見をしたもんだ。 ウェットスーツがお風呂に早変わり。 人類がウェットスーツ風呂を実践すれば使用するお湯の量が格段に少なくて済むので水資源の節約、省エネになる。 原発数基分の省エネ間違いなし。 ああ今日はとんでもない発見をしましたぞ。
上海から追い風にのって関西空港までたったの90分。 今年84歳になった母に私が上海に駐在していることを言うべきかどうか思案していたが、年寄りにとってショックを受けるかもしれないことは言うべきではないと考えまだ話していない。母は2年前に慣れない横浜でうつ病になったが今は田舎に戻ってすっかり良くなっている。 今日は姉夫婦と母と4人で和歌の浦に遊びにいってきた。 万葉の歌人が歌に詠んだ景勝の地である。 若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺を指して 鶴(たづ)鳴き渡る。(山部赤人) 今日の和歌浦は波もなく穏やかな海だった。 いつの日かこの和歌浦湾をウィンドでかっとばしたいなと思う。
ウィキペディアによれば (わかやまラーメン)は、主に和歌山県北部で、専門店や大衆食堂で出されるご当地ラーメンである。味は一般に豚骨醤油味と呼ばれるが、大きく分けて2つの系統がある(①醤油ベースの豚骨醤油味と ②豚骨ベースの豚骨醤油味これがどう違うかはウィキペディアを見てください) また、他にも食べ方、店での応対など他の地方には見られない風習が多く、一つの地域文化を形成している。 「和歌山ラーメン」という呼び方が使われるようになったのは、1990年代後半からで、東京に出店した「まっち棒」が初めて和歌山ラーメンという名称を用いたのが始まりである。とです。。
今朝姉の車に乗って和歌の浦に行く途中、96歳の親戚の叔父さんを訪ねた。道すがら、ラーメンで有名になった井出商店の前を通りかかったので思わず写真を撮った。開店前からすでに何人か並んでいた。 和歌山生まれの小生が”和歌山ラーメン”なるものを初めて食べたのは90年代後半になってからである。子供のころ豚骨醤油味のラーメンを食べた記憶はないが、”他の地方には見られない風習”とウィキペディアが記述するところのなれずしとゆで卵は、横丁の大衆食堂には必ず置いてあった。こってり味のラーメンは特に好きではないが、話の種に今回の帰郷で食べてみようと思っている。 独りで暮らしている96歳の叔父は少し耳が遠いもののどこといって悪いところもなく元気にしていた。そして私たちの訪問を大変喜んでくれた。こんどいつ会えるだろうか・・