(2025年3月31日)ヘーゲル精神現象学GooBlog再開にあたり;これまでIntroduction導入章、第一章Certitude蓋然を投稿紹介してきた(2024年8月12日からこれまで39回のブログ、またYoutubeにも投稿)。部族民が力説したのはヘーゲル二段ロケット、しかし第二章 Perception知覚を読み進むにつれ、二段ではない三段なのだ!と感を改めるに至った。下図はそのロケットの概念図です。知覚の章で数回投稿を予定するが、三段目を意識した内容となります。

ヘーゲルが活躍した19世紀前半はもとより、Hyppoliteが本書を翻訳した1936年にも三段ロケットなど存在しなかった。しかしかくなる両者の似通いに、部族民蕃神は畏れの戦慄に震えるのである。(比較はJaxxa最新鋭のH-3ロケット)

II. - LA PERCEPTIONOU LA CHOSE ET L'ILLUSION 1
第二章 知覚、そしてモノと幻影 I部
章題「知覚、モノと幻影」知覚するとは幻想を垣間見るヘーゲル先生はのたまう。なぜ幻想かをこの章が教える。
章は前文、I、II、III部に分かれる。IIIは今回の連続投稿から外す(長い、IとIIの繰り返し)
前文は知覚 Perception とモノの様態と動作の説明に行を費やす。I、II部がそれを受けて、モノの「普遍Universel」性が(ヘーゲル流の修辞で)述べられる。この文章巡りを理解するにI部からある一節を引用し、この伝えかけを本章の基点としたい。ヘーゲルは「塩」を語る: « Ce sel est un ici simple et, en même temps, est multiple ; il est blanc, il est aussi sapide, aussi de forme cubique, aussi d’un poids déterminé, etc. Toutes ces multiples propriétés sont dans un ici simple, dans lequel donc elles se compénètrent ; aucune n'a un ici différent des autres, mais chacune est partout dans le même ici où les autres sont » (95頁)
塩がここに置かれる、単純ながら複層する特性を持つ。白い、辛い、立方体でかつ重さが決められている。それらが「単純なココ」に存在し互いが同居する。そのいずれもが他者に関心は抱かない。しかし一つ一つはココ至る所に落ち着いており、他者にしてもそこに存在している。
(続く一文、引用は省く)白さは立方体に替わらないし、立方は辛さにならない。それぞれの特性は塩そのモノと関連するだけで、他の特性には「それも同じl’Aussi =大文字で始まる=無関心indifférent」の姿勢で臨むーとしている。(特性は互いに無関心)
塩の白さ、辛さなどの性質を特性 propriété とする。これら特性は塩の実質essence と関わるだけで、特性同士の相互作用はない。
前回投稿(導入章及びI章Certitude)ではモノの変遷が時系列として語られた。夜が朝になる、木が(眼を巡らせ)家になる。これらはモノにとりつく介在médiationの作用で、先の介在が後の介在に乗り越えられる。弁証法の経時性を説明している。本章ではモノには同時的に多くの特性が備わる。さらには一の特性にはそれを否定する反特性が隠れる(反特性については後述)。モノは単独で、同時的に複数特性との絡まりをもつ「ココ」を基盤とする。悟世が知覚Perceptionを保持し、初めてこの同時多様性を感じられる。モノに取り付く同時性の変遷運動、新たな弁証法の提言である。
本章を解釈する予備知識 ;
1 Perception知覚、能動性、モノを同時性で知覚し(percevoir)、規定する(indiquer)。前章のCertitude sensible感じる蓋然は受け身、経時変化を見る。これと対比される。
2大文字で始まるAussi「同じに」とは:モノの特性の性状を表す。一のモノには様々な特性が含有されるが、それぞれは他の特性に無関心。この性格はいずれの特性にも同じ立ち位置(無関心)Aussi(also)を与えている。一方、他を否定する特性 « Un » も用意される(後述)。
3 Choséité(choseモノの派生語、辞書にはないので「モノであること」と訳す)はAussiと絡み合い、多元特性、特性それぞれの孤立、変遷の同時運動。モノ世界を表す。
ここから本章の本文に入ります。前文から : « La certitude immédiate ne prend pas possession du vrai, car sa vérité est l’universel ; mais elle veut prendre le ceci. Au contraire, tout ce qui pour la perception est l'étant est pris par elle comme Universel » (93頁)
即座の蓋然に真理は宿らない、なぜならその真実は普遍であるから。しかし蓋然は「そのモノ」を取り込むと欲す。これが真逆なのだ。知覚に対する全てとは存在である、存在は知覚に普遍として受け止められる。
部族民(蕃神):Certitudeは蓋然、前章でsensibleをつけていたが、この章ではimmédiate即座と言い換える。両の意味合いを同じとする。蓋然がモノを見る、そこに普遍を感じ取る。蓋然は普遍を取り込もうとするが( elle veut prendre le ceciそのモノを取り込むと欲す)これは真逆である。「真逆」の意味をさぐると、蓋然で始まった文の主体が知覚に替わる。蓋然にはお引き取り願って、知覚にお出ましを乞う。知覚は存在を普遍として理解する。
Hegel La Phénoménologie de l’Esprit ヘーゲル精神現象学 II. - LA PERCEPTIONOU LA CHOSE ET L'ILLUSION 1 了 (2025年3月31日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます