蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

南米神話が北米に 上

2024年04月30日 | 小説

(2024年4月30日)表記をYoutube ni投稿した。その前文 :

レヴィストロース神話学食事作法の起源6回目 。彼は「似通い」を調べているのではない「異なり」を調べているのだと神話北上説を批判する論者に反論する。彼のこの言い分を解釈すると「両大陸神話を比較すると「類似」と「相違」に対称性が認められる。この対称性は2の典型に整理される。1は神話そのものは同一、意味合い(伝えかけ)が逆転 2には神話は逆転、伝えかけは同一。この規則性の意味するところは、神話伝播が発生したことに他ならない。そして構成の複雑、単純を加味すれば南米神話が北米に伝播したことの証となる。彼の形而上的神話分析、その哲学をお楽しみください。 動画の紹介資料(パワーポイントのPDF化)は部族民通信ホームサイト WWW.tribesman.netで検索できます。



動画リンク
https://youtu.be/i8Rwa2kd_SY
ファイル名

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日野市七生丘陵の春ツツジ、ウグイス、トマト、ハルゼミ 番外読み切り

2024年04月28日 | 小説
(部族民通信へのK氏の投稿を元に作成。Youtubeに投稿した。その案内。構造主義、レヴィストロースはありません)
(2024年4月28日)ひのトマトフェス(21日開催、主催は日野市農民)にトマト買いに行くぞと意気込んで乗り込んだが、結局買えなかった。丘陵に戻ったら夜となった。ハルゼミ(クビキリギス)が啼いていた。闇にまみれて聞いていたら明子を思い出した。いや、明子がそこ、草葉の陰でハルゼミに託して、こっちに来て、約束を果たしてと誘っていた。



動画リンク
https://youtu.be/sQ-DoTubQR4
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神話学食事作法の起源5回目数合わせと周期律Youtube投稿

2024年04月23日 | 小説
(2024年4月23日)数合わせと周期律Youtube投稿の案内
以下はYoutube の動画案内

先住民の数え方は序列数詞を基本として、数量の概念を持つ基本数詞と特異点で融合する。10進法であれば10が特異点(Plénitude)となり、そこから折り返し再び1から始める。基本数詞が概念(数量)、序列数詞(意味)、各数字の序列位置(表象)を受け持つ。この組み合わせで宇宙新羅における数、位置、周期を説明する。説明は親族構成を社会変革の動機に持ち込むが、その基本は特異点に達した時点での行動となる。

PDFの表紙


動画リンク
https://youtu.be/lY98L82_KEM
ファイル名
数合わせと周期律.mp4

動画の紹介資料(パワーポイントのPDF化)は部族民通信ホームサイト
WWW.tribesman.netで検索できます。
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新大陸神話の北上説 続の下

2024年04月18日 | 小説
(2024年4月18日)前回4月15日投稿のレヴィストロースの述懐の続き :  « Au contraire, le corpus nord-américains apparaît si copieux, complexe, fouillé qu’il eût pu, si j'avais commencé par-là, égaré l'analyse d'un des chemins de traverse. Plus ingrate peut-être, l'enquête sud-américaine a permis de gagner du temps. Mais il m'est souvent arrivé de me demander si, commençant par l'autre côté, le résultat, eût été pareil. Il est probable que Je n'aurais pas choisi le même mythe de référence : les matériaux mis en œuvre par les versions nord-américaines sont si riches si divers que le mythe le ne sort pas du corpus de façon aussi nette. » 北アメリカの神話大系は、反対に、盛りだくさん複雑でありえる限り練り上げている。もし北米から進めていたとしたら、私は南北かけ渡る道に迷っていたことだろう。おそらくより不確かな視界の中、南アメリカの分析には時間を稼げたのだ。いつも思うことなのだが、もし北から始めたとしても結果は同じだろう。基準神話(M1ボロロ族伝承)とは別の神話になっていただろう。一つ言えることは北米神話の素材、仕組みは豊かで多岐にわたる。それ故、神話大系を引き出すに、南米神話で実践したほどには行かなかったろう。

« En revanche, est-il certain que l'Amérique du Sud ayant été peuplée depuis l'Amérique du Nord, les versions du mythe de référence y représentent des formes plus récentes et dégradées. Ce pourrait être le contraire si le même mythe, longuement élaboré et transformé en Amérique du Nord, avait, en Amérique du Sud, mieux préservé sa fraîcheur et sa simplicité première. Dans ce cas, l’ordre choisi correspondrait à l'ordre réel » 一方で南アメリカの民族は北大陸から移住してきたから、そこの神話は最新で原型が崩れているものとなりうるか。実際は反対で、北アメリカ側では永くの伝播から、練られ変形し、南アメリカでは原初の新鮮さ単純さが保たれている。この順列とは実体に向かうということです(裸の男564頁)。


レヴィストロースの南北新大陸伝播への力点を要約する;

1 (距離的に)長く伝播するとは、配役や筋立ての自由選択により内容が換骨奪胎され、笑劇も入り込むなど別物に変わる。似通い事例の繰り返し(feuilleton連載小説)化になりはてる。
2 (距離的に)離れていてもsyntagme/paradigme(=言語学の用語)。そこに位置を置く複数の神話が認められれば、それは群となる。
共時因果・経時因果なる思考が分析、弁証法へと繋がりカントの教える先験となるから人類共通の習いである。南北の部族民が共時因果・経時因果において共通の思考形態を見せることは事実であり、同じ人類なのだから不思議はない。

最後に、南北の伝播を証明するに2の神話を紹介している。
M660 Klikitat族(北米太平洋岸、今のワシントン州に居住);隠された妻
鷲とスカンクは兄弟。鷲が狩りに出ているあいだスカンクは妻を娶った。鷲が戻り獲物を床において寝入った。スカンクは(小屋の)暗がりのなかで妻と喋り込んだ。翌朝、鷲はスカンクに、夜中に誰と喋り、笑っていたのかと問うと « Je ris parce qu’une souris vient me voir, me court sur le visage » ネズミがやってきて顔の上を走ったから笑ったのさ>(裸の男37頁)


スカンク

M95 Tukuna族(南米アマゾニア):Umari木の娘
兄弟Epi(穂)に知らせずにDyaiがびっくりするほど美しい娘を嫁にとった。彼は娘を手に挟んで転がし、小さくして横笛(umari木で出来ている)の中に隠した。4日目の夜、Dyaiは嫁を笛から引き出し己のハンモックに導き、声も立てずに嫁を楽しんだ。5日目の夜、小さな貝を重ねた腕飾りが揺れ音を立てた。クッスと嫁が笑ってしまった。翌朝、誰かが笑ったな、誰と一緒だったのかとEpiが尋ねると « c’est le balai qui rit parce que je l’ai chatouillé » 箒さ、くすぐったら笑ったと答えた。(同)

DyaiはSarigueフクロネズミの擬人化。スカンク(上)と合わせて同氏の著作(生と調理)の挿絵デジカメを貼っておきます。


新大陸神話の北上説 続 了 (4月X日)
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親1親2は個性剥奪ナチスの数列化、再興は絶対にダメ

2024年04月17日 | 小説
(2024年4月17日)立憲民主党の政策で「同性婚の法制化」があると知る。そして同性婚が「養子」を貰ったとして、親をどう呼ぶのかの同党の回答に「親1、親2」とするんだと最近、(SNSで)知って呆れ果てた。
親1、2を制定すると、親3,4が想定される。5,6も控える、更には7,8…と続く。どんな話かと云うと同性婚の養子が結婚したとして、配偶先の両親を義父義母とは呼ばないだろう。なぜって両親から父母を消しているのだから。あるいは養子が別の家族の養子になって、そこはヘテロカップル(男と女)であったとしても、父母とは呼ばない。親1,2はすでに使っているから、そっちを親3,4とするだろうよ。数字なので無限に続くから幾度も養子、結婚、再婚を重ねてもタネは尽きない。
そういう子供は、親をなんと語るのか「親1はひどかったな、親3になってやっと安心できた」「私には親1,2だけど君には5,6。こっちだってひどいぜ」これを日本語訳すると「最初の養子先の男親、といっても両方男だけど、女の服を着ていない男の方。ひどかった。養子先を替えたら…」となる。
人にはそれぞれ地位、見識、態度など個別化する識標が備わる。個人を呼ぶときには名前を用いず、その識標で呼ぶことが(日本では)多い。山田さんと呼ばず社長とか先生という。家の中で親を呼ぶときはお父さんお母さん(英語化しているが)が普通である。この語には家族内での地位を表すと同時に、子はその呼称に複雑な意識を込める。寛容、厳格、小うるさいなどかもしれないし、その個人の社会立場も加味し、会社ではうだつが上がらないけど家では良い家族~などを想定しているかもしれない。
立憲民主の幹部がトチ狂ったのだろう「父母、そんな言葉は昭和期までの悪しき慣習、同性婚の今は親1、親2が正解」だ、数字で呼ぼうとなった。今のところ提案だけ、でもLGBT立法では国民感情の逆撫でという悪辣手段があったわけだから、法制化されてしまうかもしれない。


写真は親の数列化を企む政党の幹部、写真はSNSのスクリーンショット、文字記号は部族民の追加


では、
ナチス強制収容所では人を数列の中に位置させた。名前、性別、拘束前の社会的立場、思想傾向を一切排除して123XXXと配列に投げ込み、その者を数字で呼び、呼ばれる側も自身が(収容所では)唯一の個性が数字でしか無いと観念し、それを記憶した。数字支配の環境で人は自身の個性、思考、経歴から疎外された。忘れていったのである。それがナチスの狙いであった。
人間の数列化を « Sérialisation» と規定したのはボーボワールと聞いた。強制収容所の非人間性を告発する著作の中でこの語を「人間性の破壊の道具として用いた」と激しく攻撃した。かつては会社経営で立派な居宅を構えていた中年が「おい、123XXXよ、ここに穴を掘れ」こう呼ばれ続けては、個性が剥ぎ取られていく。サルトルは « Sérialité » なる語を派生させた。こちらは人の系列化現象。いずれも造語なので少々古い辞書には掲載されない(スタンダードの78年版に見られない)
(かつて父親と呼ばれていた)男が、1とか2とかで呼び捨てられたら、「お父さん」に含意されていた個別性はすっかり無視される。彼(彼女)はそんな事態に何を感じ入るのだろうか。親子の無情、家庭絆の破断かもしれない。
親1,2…の人格破壊感、それ以上に危険なのは、こうした呼称と人の個別性のつながりに無頓着な政治姿勢を標榜する勢力の不気味さである。こう思うのは私(部族民蕃神ハカミ)だけだろうか。了 (4月17日)

後記:私は同性婚など認める立場に身を置かない。しかし実際は同性者の同棲はありうる(個人的にはそうしたカップルを知らない)。彼ら、彼女らは子を持ちたい願望があるともきく。養子に己等をなんと呼ばせるかに腐心するだろう。私の解決策は「養子を貰うな」。
そもそもホモカップルは宇宙森羅に居場所のない破綻生活を送っているわけだから、子を貰ってもその子を不幸にするだけ。ちなみにヨーロッパではゲイカップルの養子狂いが養子マーケットの価格を釣り上げている(特に白人風貌の子)。本来、養子を求めているヘテロカップル(日夜努力しても子が授からない)には手が出せないまでに吊り上がっていると聞いた。
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新大陸神話の北上説 続の中 長距離伝播の実例

2024年04月15日 | 小説
(2024年4月15日)前回(12日)に紹介した神話の伝播とは「実体を描く初限神話、実体が象徴(symbolique)、さらには空想(imaginaire)に変身する成熟の過程」であり、例として3の神話を紹介した。ヒト対悪霊(動物)の対立にて人が勝利を得るーこの実体をコロロマンナ(猿の腹を叩いて悪霊を退治、Warrau族)、男が不手際から白蟻塚に閉じ込められ、機転を利かして逃げる(Tembe族伝承)。空想神話として物語性たっぷりのシミディユの冒険(猿王に食われる寸前に見張りをしこたま叩いて逃げる(Tukuna族)。これら3部族の地理位置を下図に記した。(本図は著作生と調理の挿絵から)

Warrau族はオリノコ川三角州に居住する(していた)、オリノコとアマゾンには近道(ショートカット)はないから、一旦海に出ての経路を想定した。アマゾン河口のTembe族とは交流が密であった(かもしれない)。Tembe族民が(財の交流などで)アマゾンを遡ればTukuna族に向かう。彼らはアマゾンの中流(支流のSolimoesとPuturnayoに挟まれた地域)に居住。3族の位置と神話伝播の経路を(勝手に)探った。


北上(北アメリカへ)ではないものの、伝播の長短で象徴、空想にたどり着く筋立てに納得がいく。


北上説、レヴィストロース文中での説明は ;
« On est allé dans le troisième volume de l’Amérique du sud à l’Amérique du nord, dans le troisième volume, grâce à des mythes inversés dont la signification était identique. Dans le quatrième volume, grâce à des mythes identique dont la signification était inversée » 第3巻(Origine des manières de table)を比較に採ると(構成)は逆転しているが意味(schème) は同一神話、第4巻では(構成は)同一ながら意味が逆転する神話が拾える。このおかげで北上説を確認できた (第4巻L’Homme nu裸の男564頁、前出の一部) 。

しかし北上説には批判が多く投げかけられた。
「そもそも南北大陸先住民はベーリング海峡を渡って南下し分散した歴史事実があるのだから、似通いは当然。民族の流れ(北から南)に沿って神話も(北から南に)伝播したとする考え方が無理はない」(アメリカ人類学会おおかたの意見)。
« Nous ne cherchons pas le pourquoi de ces ressemblances, mais le comment » (南北神話の相似について) なぜ(Pourquoi) 似通うのか、その理由を探しているのではなく、どのように(Comment)相似があるのかを求めている(裸の男32頁)と一蹴する。

別頁では「似通いよりも差違が重要」とも語る。何故かと言えば(尊師の言はむ処を忖度する)、もし民族移動と神話の流れが平行するなら、語り手も聞き手も並列して移動する、差違は当然に少ない。しかし移動と伝播が別の時間空間軸で起こったとしたら、原初神話と伝播とで異は大きい。更に解析すると似通いは内容(propriétés)にあって、差異は筋立て(codage)に見られる。材料は借りる、しかし伝えかけ(メッセージ)は俺等が作る。民族移動と神話伝播の方向が逆である証左である。

« En posant ainsi le problème, on méconnaîtrait complètement le sens de notre entreprise. Nous ne cherchons pas le pourquoi de ces ressemblances, mais le comment. En effet, le propre des mythes que nous rapprochons ne tient pas à ce qu'ils se ressemblent ; et souvent même il ne se ressemblent pas. Notre analyse tend plutôt à dégager les des propriétés communes, en dépit de différences parfois si grandes qu'on considérait des mythes que nous rangeons dans le même groupe comme des êtres totalement distincts » (同564頁)
(南北神話の似通いは以前から指摘されている。新たな一例を追加してなんの意義があるのか)と問題を切り捨てるとは、我々の方法を理解していない。なぜ似通いが起こるかなど探っていない。どのように似通い(違いが)でるのかーを追求する。実際のところ、我々が採り上げる神話は、本来の形体(propre)では似通うとは限らないし、全く似通ってもいない神話もある。(形体の比較で)異なりが大きく同じ集団に組み入れられない神話に、性状 « propriétés » (登場する要素の意義)を分離して後に、同じ集団かどうかを判断する。

以下にレヴィストロースの理論ではなく述懐を引用する(同書564頁)

« En commençant l'enquête par des mythes de l'hémisphère sud et en la déplaçant progressivement vers des régions septentrionales et occidentales de l'hémisphère nord, j’ai pris, en quelque sorte, l'Amérique à contre-poil, son peuplement s'étant, de toute évidence, fait en majeure partie dans le sens inverse. 神話採取を南半球から始め、徐々に北半球の北西に移っていった。私は何故か、民族が北から南に広がった、あらゆる証拠が証明している、そのアメリカ成り行き様とは逆向きに考え始めた。
« Est-ce était-ce utile ou nécessaire, indépendamment des raisons personnelles qui me mettaient plus à l'aise avec les mythes de populations que j'ai moi-même observés ? Oui sans doute, et dans une large mesure pour une raison différente, qui tient à la nature propre de la connaissance ethnographique : beaucoup plus pauvre que celui dont on dispose pour l'Amérique du Nord, le corpus sud-américain se prête davantage à une étude préliminaire parce que l’on aperçoit comme de loin, simplifié, réduit par sa pauvreté même à ces contours essentiels. 私自身が調査に携わった民族(南米マトグロッソ)から始めることは私にとり好ましいのだが、それを差し置いて(北上説)を採り上げるのは必要だろうか。答えはそのとおり。ある一つの論点が、大局的にして民族誌学の常道に外れずに説明している。北アメリカの神話大系と比べると南アメリカのそれは貧弱でかつ始めに取り掛かるに向くとも言える。なぜなら遠く、単純化していて、大系としての貌様ですら貧しいから(同、続く)。

新大陸神話の北上説 続の中 了 (4月15日)
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新大陸神話の北上説  続の上

2024年04月12日 | 小説
(2024年4月12日)神話とは原初の実体内容(宇宙森羅との関わり、天地創造など)から主題とシンボル化する過程を経て、空想の神話に移る。空想とはそもそもの主題に様々な変奏を加え、面白おかしく物語風に整形されている神話と(部族民は)理解する。M317コロロマンナの冒険の主題は「人と悪霊」との対立。その挿話は一幕のみながら簡潔、劇的に表現されている。この仕組みをして「実体Réel」とするレヴィストロースの論調は理解できる。実体神話の伝播のつまりが空想神話。M60、Tukuna族伝承、シミディユの冒険(食事作法の起源92頁)がそれに当たる。
空想とも成れば物語性が全面に出るから面白い。南米先住民の連載小説、その雰囲気を味わってくだされ。

夫に捨てられたCimidyuëシミディユは猿に拾われる。
 « Elle resta longtemps au pied de l'arbre, et comme elle ignorait le chemin du retour, elle décida de suivre les singes et de se nourrir des fruits qui lui jetaient. La nuit, les singes devenaient humains et conviaient leur protégée à dormir dans un des hamacs qui garnissaient leurs hutte. Au petit jour, la hutte et hamacs disparaissaient, les singes reprenaient leur aspect animal » 彼女は長いこと木の根本に座ってた。樹上の猿の群れが植物を投げてくれた。猿達の後を追い、彼らの小屋に入った。夜になって猿は人間の姿に変わった。小屋に吊るし渡してあるハンモックに休みなさいと安心させた。よく朝、小屋もハンモックも消えていた、猿たちは元の姿に戻って森に走った。
猿ながら夜には人、狩りに向かうときにはジャガーに変身。その夕、猿は狩りから戻った。

« Le maître des singes s'endormit et annonça en ronflant qu'il allait manger l'héroïne. Inquiète, celle-ci le réveilla, ce qui le rendit furieux. Il se fit apporter un gros noyau de fruit dont il frappa son nez jusqu'à ce qu'il saignât. Là-dessus, il se rendormit et recommença à proférer des menaces en ronflant. Plusieurs fois de suite, Cimidyuë le réveilla et l'homme-singe continua à meurtrir son nez, dont il recueillit le sang dans une coupe pour le boire » (シミディユの作った椰子酒にすっかり酔った猿王) 眠りこけいびきを立てながら「そのうちあの女を食うぞ」と寝言。シミデイユは恐ろしくなって、なんてコト云うの起きてよ~猿王を揺り起こした。眠りを邪魔されてすっかり怒った猿王、硬い果実でシミディユの鼻をしこたま打った。鼻血をコップに受けて飲んだ。寝たら寝言、そのたびに起こされ、女の鼻を叩く、こんなことが幾度か繰り返され夜が開ける。
 
猿王は弟Vankikaを見張りに残し、その晩にこそ彼女を食べるつもりで狩りに出る。シミディユの脚には糸が結ばれ、王は時折ひっぱり所在を確かめる。
« Vankika, frère du maître de singe, se tenait justement assis jambes croisées devant sa porte. Conseillé par la tortue, Cimidyuë prit un gourdin et frappa d'un coup de sec le genou de l'homme, juste au-dessus de la rotule. Le cou lui fit si mal qu'il rétracta brusquement sa jambe. « Ne nous trahit pas ! » cria à la femme en passant. Vankika est visible dans la constellation d’Orion » 猿王の弟は彼女を閉じ込めた塀地の戸の前にあぐらをかいていた。シミディユは(亀にそそのかされ)棍棒を持って彼の膝をしこたま叩いてやった。その打ちぶりはあまりに痛く、彼の膝が縮まってしまった。逃げながらもシミディユは「どっちに逃げたかを教えるんじゃないよ」と脅した。

« Il demanda à son frère s'il avait vu passer « une grosse fille ». Toujours fou de douleurs. L'autre pria qu'on le laissât tranquille avec la « grosse fille » : il avait trop mal aux genou pour répondre »
猿王が帰り弟にあのでかい女はどこだ、逃げたのかと詰問する。弟は「オレ、足が痛いんだ。でかい女のことで気を乱さずに静かにさせてくれ」と噛み合わない(逃げる際のシミディユの脅しが効いている)。弟は足を失い、星座オリオン(足のない男)になったとさ。

この後、シミディユは村に戻り、枯れ茎の仮面で変装した夫を焼き殺すなど物語性の濃い筋道が続く。

星座の誕生、人と悪霊との関わりの骨子はM317コロロマンナと同様であるが、女主人公の置かれる具合や猿に付加される性状には空想が働いている。

« Dès lors, on comprend pourquoi ces récits exotiques rappellent avec tant d'insistance un genre, non moins populaire que le leur, mais lié aux puissants moyens techniques aux besoins vulgaires de la société industrielle, nous voulons dire le roman feuilleton. » (page105) かくして他国の(南米先住民の)これら神話はともかく、ある一つの類形を思い起こさせる。それは先進工業国の卑俗な願望に繋がり、大衆性の濃いもので、連載小説と呼ばれている。

もう一つの傍証例として英雄誕生の経緯を挙げる。
北米神話の英雄イシスはいわく因縁(近親姦)数次の重なりの果に生まれるが、原型と目されるM1神話では一回の上下婚(ハハコタワケ)が英雄誕生につながる。(繰り返しは多層、複雑化。下図=内容の似通いで前出=を参照)。


M1の伝播にして空想(物語性)を高めたM538イシスの冒険(北米クラマツ族伝承)ではイシス生誕、天地創造にまで4次の近親姦が実行される。


Klamath族が伝えるM530を基準とする神話群は、南米マトグロッソBororo族の「火と水の起源」神話M1の伝播とレヴィストロースは教える。新大陸神話の北上説 続の上 了 (4月12日)
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川勝知事に部族民大賞 (続)

2024年04月11日 | 小説
(2024年4月11日)先に(4月8日)に投稿した部族民大賞の意味について。

モノは常に対象であってそれが主体となることはない。モノは考えず、判断せず、ひたすらそこに居る、あるいは重力の法則に沿って動いている。しかしこれは近代人の思考でしか無い。先住民とされる人々はモノについて「彼らは思考し判断し、相互に作用し、動き回る」と決めつける。モノを主体としている。これがレヴィストロースの著作「野生の思考Pensée Sauvage」の主題で、その思考は科学(分類法)、哲学(魔術)、技術(Bricolage やっつけ仕事)に展開する。

川勝知事は「大井川の水は命の水」と言った。大井川は静岡県民に水を供給しているのではない、命を育んでいるのだ。故に不可触なんだーとの意味だと部族民蕃神は解釈する。上流にトンネルを通すはもってのほか、水が一滴でも山梨ナンカに流れたら、静岡県民の一滴の命が消える。こんなふうに命の水を発展させてくと「大井川」主体説となって、まさに南米マトグロッソ居住のボロロ族と同列になってしまう。同族は30年をサイクルに居住地を移動するが、新邑落を必ず川(Rio Vermalho)の左岸に構える。彼らの信心では川は命をもたらし、命を運ぶ(人の生命のサイクル中央に川が位置し、死者を仮埋葬の後、骨を川に流す)。ボロロ族のRio Vermalhoは静岡県民の大井川に当たるのだ


Rio Vemalhoと船泊。意味は赤い河、マトグロッソの鉄礬土(てつばんど)が流れに交じるから。

写真はネット、マトグロッソ観光協会から拝借

8日の投稿ではYoutube「大井川の水とリニアの本当の話、24年1月9日投稿」杉山大志キヤノングローバル研究所と小林一哉氏の対談を紹介した。両氏は利水の対象としての大井川をとつとつと論じていた。発電、農業、生活水などのためにダム建設、導水管の敷設の様を紹介した。こちらは大井川を対象、モノとして見ている。科学的です。
モノを客体とする思考が「近代思考」で、主体と見るのは「具体思考」。川勝はまさに具体思考=先住民思考の静岡県代表であった訳です。
本日(11日)川勝辞表提出のニュースに投稿子はおののいた。大賞授与の決定、これまでの努力が無駄になってしまった。 川勝知事に部族民大賞 (続)了
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新大陸神話の北上説 下 新聞連載小説と同じ 

2024年04月10日 | 小説
(2024年4月10日)北上説の論拠の第2点、新聞連載小説。
南北新大陸の神話は似通うーこの一点のみでは北上説の証明には足りない。そもそも同じ民族が南下した訳だから、民族も神話も同じルーツと反論される。レヴィストロースはこの類似性を必要条件として、十分条件に「連載小説」を持ち出した。南米神話の内容は簡素、短い。北米神話は同じ構成ながら筋立てが重層する。この差異を説明するには神話が北上したからとしか考えられないとした。
神話を受け取った側は、そのままの反復を避ける。元の神話になにか要素を必ず継ぎ足す。これが幾度か繰り返されると筋道がより複雑に陥る。これをして « roman- feuilleton » 現象(105頁)と規定する(直訳すると連載小説、同じ中身が「手を変え品を変え」繰り返される。原稿料と尺稼ぎの大衆小説)。

北上、複雑化を説明する一節は第3巻「食事作法の起源 « Origine des manières de Table » 第二部 « Du mythe au roman » 「神話から物語に」章 ;
« Des mythes paraissaient hétérogènes par le contenu et par des origines géographiques distinctes se montrent tous réductibles à un message unique qu’ils se bornent à transformer sur deux axes, l’un stylistique et l’autre lexicologique » (68頁) 神話は様々に内容、伝承される地域などで分かれ、それぞれが異型に受け止められる。しかしその伝えかけ(message)はある一点に統合される。形体が分化するは2の軸で変遷する仕組みがあって、過程を経るにつれ原初の神話からは別の流れに向かう。その2軸とは形体stylistiqueと言葉遣いlexicologiqueとなる。
レヴィストロースが第一巻で主張したCode(符丁)を形体として、Codage (符丁の進行)を言葉遣いと言い換えれば理解しやすい。


散歩カメラ、日野市平山から見る夕の富士山(24年2月)

上文は、頁が飛ぶものの、次の文につながる ;
« Comme le linge tordu et retordu par lavandière pour exprimer l'eau qu'il contient, la matière mythique laisse progressivement fuir ses principes internes d'organisation. Son contenu structural se dissipe. Au lieu des transformations vigoureuses du début, on n’observe, plus à la fin que des transformations exténuées. Ce phénomène nous était déjà paru dans le passage du réel au symbolique puis à l'imaginaire. La structure se dégrade en sérialité » (同書page105)
(神話の伝播過程とは)洗濯女がリネンをひねってねじって、内に残る水分を絞り出すかの如く、神話の素材は(伝播のたびに)内の組織体が抱える理念が消えていく。構造体としてのまとまりも弱くなる。そもそもの発端神話には幾時かの伝播を経ても力強さは認められるものの、終点ともなると陳腐化した中身を晒すのみとなる。実体から象徴化、そして空想の変遷が神話伝播にまとわり付く。(本来の)神話構造が(挿話)の単純繰り返し(sérialité)に埋もれる。
« Cette dégradation commence quand des structures d’opposition font place à des structures de réduplication » (同) 神話劣化は対立が繰り返しに替わる時点で明瞭になる。

神話伝播の過程とはを以下にまとめた ;
1 筋道の複雑化(付け加え)
2 対立は消え、同じ内容の繰り返しに嵌まる
3 陳腐化する(原初は力強い実体réel神話、次に原初の対立が象徴symboliqueに替わる、最後に(何でも追加するから)空想imaginaireと伝播の様を指摘する。
その分、物語化していくから聞いて楽しいとも言える。例は ;  « Nous sommes parvenus à isoler l’ensemble (M60.M317,M402) au terme d’une long série de» (104頁) 
これら3の神話が実体、象徴、空想の発展を示しているとレヴィストロースが曰う。早速当たってみると。(レヴィストロースは上記神話のいずれが初限にあたり、他のいずれが象徴などかを語らないから、部族民が勝手に解釈する)

伝播の起点はM317コロロマンナの冒険、Warrau族伝承(第2巻蜜から灰へ、332頁)

コロロマンナは狩りに出て吠え猿(guariba)を仕留めた。すでに夕刻、村落には戻れないから樹上で夜を明かす。悪霊共が猿を盗むと忍び込んできた。

コロロマンナが仕留めたホエザル(レヴィストロース著作挿絵から)

« Il était bien ennuyé, d'autant que le cadavre du singe commençait à gonfler sur l'effet des gaz qui s'accumulaient à l'intérieur. De peur que les démons ne le volent son gibier. Kororomannna arme d'un bâton, devait le garder près de lui malgré l'odeur. Il s'endormit enfin, mais fut réveillé par le bruit des démons cognant contre les arbres. Il eut envie de se moquer d'eux et répondit à chaque coup en frappant le ventre du singe avec son bâton » 彼は焦った、獲物の猿は腸内のガスが腐敗し始め、腹が膨れてきた。さらには悪霊が猿を盗もうと忍び寄る。手持ちの棒を振るって追い返すが、敵も諦めず立ち戻る、臭うけど猿を手元に寄せた。うっかり寝てしまったが、悪霊らの忍び寄り音を耳にして目覚めた。悪霊らは彼を叩き始めた。よし、逆に彼奴等を馬鹿にしてやろう。猿の腹を棍棒で叩いて大きな音を立てた上にプープー臭いおならを出させ、そのたびに大きく笑う。こんな計略のはてに悪霊の隙をついて串刺しにして退治したとさ。

この神話が実体réelである理由は 1悪霊と人の対立 2知恵比べで人が悪霊を退ける。以上は明確でそれのみを採り上げている。

伝播の第二段階、対立を「象徴」する神話は : M402Tembe族伝承、とある男の冒険。男が悪霊に捕まり、殺されて白蟻塚に封じ込められた。なんとか逃げたが、またも悪霊に捕まり木の洞に押し込められた。逃避行では鰐に川を渡るを許された。つかの間の寝場所をめぐりウズラと諍い、その後も鹿、獏、猿、鼻熊に出会いそれぞれが「お前に射られた」と恨みを垂れる。いくつか冒険譚が広げられる。最終的に弟に見つけられ「正しい道のり」に足を踏み入れるに至った(99頁)。

自然との対立を象徴化し、対立している悪霊、白蟻、渉禽類(小鳥)、動物などから侵襲を指弾される。この男の生き様は自然から掣肘される不届き狩人(夜の狩りに専念する、狩りすぎてもなお狩りを続ける狩人。いずれも第一巻生と調理収録の神話)と対比すると「象徴化」の意味が理解できる。弟が指南する正しい道とは「象徴化した対立」から外れる調和の生き様かと理解する(神話そのものは紹介されていない。推察が交じる) 

新大陸神話の北上説 下 了 (4月10日)北上説の追記として継続する
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ヤッタゼ~!川勝静岡県知事に24年部族民大賞、決定~!

2024年04月08日 | 小説

(2024年4月8日)部族民通信社は川勝静岡県知事に24年部族民大賞を授与すると決定した。授賞理由は「部族民思考を21世紀日本に蘇らせた功績」。以下川勝の部族言動を振り返る。
川勝は突然辞任を表明した(4月2日)。直接の理由は県の新職員の入職式(1日)での発言「野菜を売ったり…している者たちとは違い公務員は頭が良い」に世上多くから批判が浴びせられたことによる。一方、腹部受打(ボディブロー)ごときゆっくり効く間接理由は、リニア新幹線の県内工事を認めない「売国姿勢」(中国を利する中国に先を越される。SNS影響諸氏の投稿)への批判に耐えられなくなったからであろう。そして中国鉄道の現状(前代未聞の大赤字)からしてリニア着工は計画できず、日本リニアを(己一身を賭して)妨害する意味がなくなった(部族民蕃神ハカミの推察)。更に妄想たくましく、中国には超伝導リニアの技術がない。その証拠は中華空母のトンキン(この名は間違いだろう、正式名を忘れた)が航空機を射出したとの話は進水後、2年を経過しているも耳にしていない。トンキンに装備するとしている中華電磁カタパルトは超伝導リニアの応用です。
(中国が空港連絡に建設している中華リニア技術はドイツ由来。常伝導、東京地下鉄大江戸線と同じ。導入した経緯は将来の空母への応用。歴史上一隻の空母も建造していないドイツの技術大臣は「可能」と請け負ったが、導入して検証する中で不可能と判明した。江沢民が地団駄を踏んだと伝えられた)
川勝のリニア妨害の歴史を辿る(SNSからの情報、特にYoutube「大井川の水とリニアの本当の話、24年1月9日投稿」杉山大志キヤノングローバル研究所と小林一哉氏の対談、多くの貴重情報を得た)

大井川の水とリニアの本当の話のスクリーン、流域地図、川の相貌(中流は細い)右は小林(上)杉山両氏。
投稿は24年1月、川勝が辞職を表明する3ヶ月前です。

本Blogはこの動画に刺激され、川勝部族民節を展開したものです。

1 JR東海の工事概要説明(南アルプスの山腹、静岡県の最北部の8キロメートルを地下で貫通する)。川勝「大井川に流入するはずの水が他県に流れる」JR「毎秒2トン程度」川勝「ダメだ許可しない」
2 日を変えてJR「着工後には全量が大井川に流れるよう工事を変更した」川勝「工事中の流出があるだろう。認めない」
3 再々度の説明JR「工事中の流出分は東電ダムの取水を減らすことで補填する」川勝「東電はOKしたのか」JR「東電の了解を得ている」川勝「当てにならない、許可しない」
4 東電「工事期間にだけ取水制限する」川勝「そもそも東電ダムが大井川で取水し山梨県に導水し発電している。これは許せない」
5 川勝「東電ダムの取水を永久に止めたら考え直す」東電「ヤダヨ」国交省「東電ダムが山梨県で発電するのは河川法違反ではない」
6 理詰めで完敗したこのあたり(2022年半ば)から川勝は「命の水」をこねくり回した。大井川の水に静岡県民の命がかかっているのだ。大井川とその水源域は「不可触」なのだーとでも言ってた印象を与えた。中流域のか細い川幅を一部メディアが「渇水しまくり大井川」と煽った。
杉山小林両氏は「中流の川幅が狭いのは、上流で取水した発電用水を下流に(でっかい)導水管を通して運んでいるから。大井川の水量が減っている事実はない」「大井川流域では過去35年間、夏場節水の呼びかけはなかった」「流域多くの支川に潤され、流域の地下水源は豊富。最上流のトンネル工事で水量が減ることはない」などの資料が説明された。
結語 : 川勝の言動は「命の水」大井川「不可触」に集約される。これが先住民の思考と重なる。例「オーストラリアのエアーズロック、正式名はウルル。先住民の信仰対象で、信心も由縁も持たない物見遊山登山客に踏み荒らされるを嫌ったアボリジニに配慮して、2019年11月から登山禁止。触ったらダメ~見るだけよ~に規制された」
「望遠鏡スバルが位置するハワイ・マウナケア山は先住民にとり聖なる山。スバルの建設中に先住民の反対で中断した。救ったのが清子内親王(当時)。米国訪問(1990年)の際に立ち寄り先住民と話し合いを持たれた。話し合いの後に先住民長老達は工事再開を認めた。清子様のオーラに射たれたのだろう」。
スバルの第一受光が1999年なので、90年に先住民長老たちを清子様が説得したとの推測は時系列に合う(ネット、メディアでの報道は一切なし)。
さて平和な日本、2022年のある晴れた朝、川勝は「突然ひらめいた」大井川こそ静岡の聖域だ、命の水だ。(ヨソ者の)利用も飲用もまかりならない。触ってはならない、新幹線から見るだけよ~!大井川の主体化です。この瞬間、オーストラリアハワイの先住民と県知事は思考を共有した。


川勝とボロロ族壮丁(著作から)を並べた、副賞のペニスケースは彼が着用するケースに類似したものを(これから)発注する。なお壮丁の写真には下半身も写されるが、カットした。

投稿子は川勝の部族民化を非難していない。こうした「物体の主体化」は近代人にも頻繁に起こる。「刀の身には刀匠の精神が宿る」こんな説明はよく聞くとして、この思考は刀身を主体に格上げし、そこに精神と思考が存在しするとしている。合理は「軟鉄と鋼を叩き合わせ」と属性分解する。ウルル、マウナケアを「岩とドロの集体、地殻変動で盛り上がった」と属性から説明しても先住民は納得しない。彼らは「そこに見えているそのモノが主体」と思考するのだ。レヴィストロースはこれを著作、野生の思考 « Pensée Sauvage » で具体科学 « Science du concret » と命名した。
後記 ; 部族民通信は川勝に「部族民大賞を授与する、上京の折に本事務局(日野市)に立ち寄りを願う。賞状と副賞に「ペニスケース」を与えるつもりーなるメールを早速、送る予定です。 
了(4月8日)
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