(6月28日)
南米先住民が自然をどう捉えているか。
動物界(自然)との接触において、矢を宙に放ち「偶然aleatoireを装う」狩の技法を前回に紹介した。これこそ、自然を崇拝しその秩序体系を乱さないとの思想を前回は紹介したである。崇拝、畏怖、この感情を掘り下げるため、神話「人殺し鳥」(l’oiseau meurtrier M226、Kraho族)を取りあげます。Kraho族はジェ語族に属しアマゾンの東、パルナイバ川の流域に住む(住んでいた) 。
あらすじ;人殺し鳥から逃れるため人々は空に戻った。しかし兄弟のKengunan、Akrey少年は地に残った。二人は鳥征伐を決め、修行に励んだ。Kengunanはあらゆる動物に化ける魔術を修得するまでに至った。二人のため、祖父は川面に退避小屋を作るなど応援した。
Apres un isolement prolonge, ils reapparaissent grands et forts, tandis que leur grand-pere celebre les rites marquant la fin de la reclusion des jeunes gens.>> (103頁)
訳;しばらくの孤立を経て二人は大きく、強くなって現れた。二人の孤立生活の終わりを祝福する儀式を祖父があげた。
(成人initiation儀礼を通過した事を意味しています。Initiationは数ヶ月続きます)
協力して2羽の人殺し鳥を征伐に至るのですが、犠牲も出た。兄弟の一人Akreyは疲れか、襲われたら避けるとの動作に遅れ、2羽目の鳥に殺されてしまう。さらに;
Les grands-parents restes seuls erraient sans but dans la savane.Arretes par une montagne ils decident de la contourner, l’homme par la droite, sa femme par sa gauche, et de se joindre de l’autre cote. Apeine se sont-ils separes, qu’ils se changent en fourmiliers. Des chasseurs tuent le veillard. Sa femme l’attend vainement, tout en pleurs. Finalement elle poursuit sa route et disparait>>(106頁)
訳;残された祖父母、孤立したままあてどなくサバンナをさ迷う。行く手を山に阻まれ、迂回しようと祖父は右回り、祖母は左回りをとり、頂の反対側で再会すると別れた。すぐに二人はアリクイに変身し、祖父は猟師に狩られ、祖母は連れ合いを待つも虚しく、道を引き返して行方知らずとなった。
解説:この前段に征伐の立役者Kengunanは逃避した同胞を捜しに旅に出る。村人と再会し、無事旧居に戻り、とある娘と結婚し平和に暮らすとあります。
兄弟間の明暗とも重なり、祖父母の零落ぶりが強調されている。自然に干渉した罰と受け止められる。
前回紹介した神話折れた矢で、主人公は動物の夜の行進を見せつけられる。個体差、種別に沿って小から大へと整然と列を組む自然界を、人(文化)が手を加えるのは罪である。人食い鳥は大きさ、種別からして自然、動物界の頂点である。それが跋扈するなら、その地から逃げれば、干渉は起こらない。自然に介入して成功したところで罰が控える。村人は空に戻った、正しい選択である。しかしそれでは人は地上に住めない。老人は通過儀礼initiationの進め方で、孫を鍛えあげ征伐を企画し、成功まで持ち込んで、当然に罰をうけた。
もう一席。
狂った猟師(M240 Tukuna族 le chasseur fou)
Tukunaはアマゾン支流のプトマヨとジャプラ川に挟まれた奥地に住む(住んでいた)。所属する言語は不明。
紐縄猟をもっぱらとする男。腕が悪いか運に尽きたか、他の猟師が大猟の日でも鳥の一羽もモノに出来ない。その日の獲物は一匹のツグミ(une grive)、男は怒って力ずくでウズラの嘴をあけて<<Il ouvrit de force le bec d’un oiseau , peta dedans et relacha la bestiole>>屁を放ってから鳥を逃がした。その夜から男は気が狂った。
Il parlait sans arret de serpents , de pluie, du cou du fourmiler , etc. Il disait a sa mere qu’il avit faim,et quand elle lui apportait de la nourriture il la refusait en affirmant qu’il avait a peine fini de manger>>
幾日も獲物なし、掛かったのがツグミ1羽。しかし怒ってはならぬ、静かにツグミを放し、己の腕にコケが生していないか確かめるのだった。写真はラルース辞典から、コオロギgrillonはオマケです。。
とどまりも無く喋りつづけた。蛇、雨、仕舞いにはアリクイの頸まで喋った。母親に腹が減ったと嘆き、母がなにがしかの食料を運んだら、たった今食べ終わったところだと皿を押し返した。
(脚注にアリクイには頸がない、胴体に頭が直接ついていると信じられているから、無い事を話題にした。狂った徴)
5日後に死んだ。カビが死体を覆い茸が生えてきてもしゃべりは止まらず、
Quand on vint pour le mettre en terre , il dit : si vous m’enterrez, les fourmis venimeuses vous attaqueront. Mais on en avait assez d’attendre.
埋葬の時にも、俺を埋める気だな、そうなったら毒蟻を差し向けるぞ、お前等を噛みつくぞと脅す。人々はもう十分に長く(埋葬)を待っていたのだからと埋めた。
身体にカビが生えても喋っているのだから男はまだ生きている。しかし一丁前の男として、猟師として役はもう果たせない。それが先住民には「死ぬ」と判定される。日本語では「彼はもう死んだ(=も同然)」比喩で生き死を語る。この死生観は西洋医学のそれとは異なります。この神話は自然を侮辱した男の死に様とはこんなモノだと知らしめる点にあります。ウズラ一羽では狩にならないのなら、屁を放たず自然に帰せばよいので、屁の一発が冒涜です。
レヴィストロースは男の死体(cadavre)を覆うカビは、折れた矢の神話にも取りあげられ、それが狩を失敗させる人のintrinseque(内包する)真実だと気付かせて、男に拭わせた。しかしこちらの神話ではカビの覆うに任せ、喋る死体を埋葬した。
自然との付き合い方の差です。
神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する 8 の了
南米先住民が自然をどう捉えているか。
動物界(自然)との接触において、矢を宙に放ち「偶然aleatoireを装う」狩の技法を前回に紹介した。これこそ、自然を崇拝しその秩序体系を乱さないとの思想を前回は紹介したである。崇拝、畏怖、この感情を掘り下げるため、神話「人殺し鳥」(l’oiseau meurtrier M226、Kraho族)を取りあげます。Kraho族はジェ語族に属しアマゾンの東、パルナイバ川の流域に住む(住んでいた) 。
あらすじ;人殺し鳥から逃れるため人々は空に戻った。しかし兄弟のKengunan、Akrey少年は地に残った。二人は鳥征伐を決め、修行に励んだ。Kengunanはあらゆる動物に化ける魔術を修得するまでに至った。二人のため、祖父は川面に退避小屋を作るなど応援した。
Apres un isolement prolonge, ils reapparaissent grands et forts, tandis que leur grand-pere celebre les rites marquant la fin de la reclusion des jeunes gens.>> (103頁)
訳;しばらくの孤立を経て二人は大きく、強くなって現れた。二人の孤立生活の終わりを祝福する儀式を祖父があげた。
(成人initiation儀礼を通過した事を意味しています。Initiationは数ヶ月続きます)
協力して2羽の人殺し鳥を征伐に至るのですが、犠牲も出た。兄弟の一人Akreyは疲れか、襲われたら避けるとの動作に遅れ、2羽目の鳥に殺されてしまう。さらに;
Les grands-parents restes seuls erraient sans but dans la savane.Arretes par une montagne ils decident de la contourner, l’homme par la droite, sa femme par sa gauche, et de se joindre de l’autre cote. Apeine se sont-ils separes, qu’ils se changent en fourmiliers. Des chasseurs tuent le veillard. Sa femme l’attend vainement, tout en pleurs. Finalement elle poursuit sa route et disparait>>(106頁)
訳;残された祖父母、孤立したままあてどなくサバンナをさ迷う。行く手を山に阻まれ、迂回しようと祖父は右回り、祖母は左回りをとり、頂の反対側で再会すると別れた。すぐに二人はアリクイに変身し、祖父は猟師に狩られ、祖母は連れ合いを待つも虚しく、道を引き返して行方知らずとなった。
解説:この前段に征伐の立役者Kengunanは逃避した同胞を捜しに旅に出る。村人と再会し、無事旧居に戻り、とある娘と結婚し平和に暮らすとあります。
兄弟間の明暗とも重なり、祖父母の零落ぶりが強調されている。自然に干渉した罰と受け止められる。
前回紹介した神話折れた矢で、主人公は動物の夜の行進を見せつけられる。個体差、種別に沿って小から大へと整然と列を組む自然界を、人(文化)が手を加えるのは罪である。人食い鳥は大きさ、種別からして自然、動物界の頂点である。それが跋扈するなら、その地から逃げれば、干渉は起こらない。自然に介入して成功したところで罰が控える。村人は空に戻った、正しい選択である。しかしそれでは人は地上に住めない。老人は通過儀礼initiationの進め方で、孫を鍛えあげ征伐を企画し、成功まで持ち込んで、当然に罰をうけた。
もう一席。
狂った猟師(M240 Tukuna族 le chasseur fou)
Tukunaはアマゾン支流のプトマヨとジャプラ川に挟まれた奥地に住む(住んでいた)。所属する言語は不明。
紐縄猟をもっぱらとする男。腕が悪いか運に尽きたか、他の猟師が大猟の日でも鳥の一羽もモノに出来ない。その日の獲物は一匹のツグミ(une grive)、男は怒って力ずくでウズラの嘴をあけて<<Il ouvrit de force le bec d’un oiseau , peta dedans et relacha la bestiole>>屁を放ってから鳥を逃がした。その夜から男は気が狂った。
Il parlait sans arret de serpents , de pluie, du cou du fourmiler , etc. Il disait a sa mere qu’il avit faim,et quand elle lui apportait de la nourriture il la refusait en affirmant qu’il avait a peine fini de manger>>
幾日も獲物なし、掛かったのがツグミ1羽。しかし怒ってはならぬ、静かにツグミを放し、己の腕にコケが生していないか確かめるのだった。写真はラルース辞典から、コオロギgrillonはオマケです。。
とどまりも無く喋りつづけた。蛇、雨、仕舞いにはアリクイの頸まで喋った。母親に腹が減ったと嘆き、母がなにがしかの食料を運んだら、たった今食べ終わったところだと皿を押し返した。
(脚注にアリクイには頸がない、胴体に頭が直接ついていると信じられているから、無い事を話題にした。狂った徴)
5日後に死んだ。カビが死体を覆い茸が生えてきてもしゃべりは止まらず、
Quand on vint pour le mettre en terre , il dit : si vous m’enterrez, les fourmis venimeuses vous attaqueront. Mais on en avait assez d’attendre.
埋葬の時にも、俺を埋める気だな、そうなったら毒蟻を差し向けるぞ、お前等を噛みつくぞと脅す。人々はもう十分に長く(埋葬)を待っていたのだからと埋めた。
身体にカビが生えても喋っているのだから男はまだ生きている。しかし一丁前の男として、猟師として役はもう果たせない。それが先住民には「死ぬ」と判定される。日本語では「彼はもう死んだ(=も同然)」比喩で生き死を語る。この死生観は西洋医学のそれとは異なります。この神話は自然を侮辱した男の死に様とはこんなモノだと知らしめる点にあります。ウズラ一羽では狩にならないのなら、屁を放たず自然に帰せばよいので、屁の一発が冒涜です。
レヴィストロースは男の死体(cadavre)を覆うカビは、折れた矢の神話にも取りあげられ、それが狩を失敗させる人のintrinseque(内包する)真実だと気付かせて、男に拭わせた。しかしこちらの神話ではカビの覆うに任せ、喋る死体を埋葬した。
自然との付き合い方の差です。
神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する 8 の了