蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

小さい友 5

2012年09月26日 | 小説
ブログにアクセスする世代は20歳から30歳代が多い。本ブログ「部族民通信」にアクセスするかたは、入る時間帯などから類推すると、10代の方も含めさらに若い傾向かとうかがえます。
初回(小さい友1 8月23日投稿)で伝えたが、小さい友の舞台は43年前。多くの読者が生まれる以前の世となる。、舞台設定、言い回しなどには投稿子の思い出す限り、当時を再現している。たとえば当時隆盛だった甘味処でのデート、これなどもはやデートスポットでは無いだろう。

とっさにルミ子は「妾」と叫んだ。一体この語はなんだとのお叱り、ごもっとも。今は使いません。決して「メカケ」と呼んでくださるな。これはワラワです。広辞苑では武家の女性がへりくだって自身を指すとある。武家は明治維新で消えた、すでに150年の前、いくら43年前とはいえ、女性が「ワラワ」を使う道理がないと疑るお方は、歴史を知るが風俗を顧みない。おおかたの悲しい歴史家が陥る過ちでもある。

以下に説明しよう。

43年前とは1969年、ルミ子嬢はその時20歳。聞いた住所(ナンペー台)から山の手のお嬢さんと思われる。旧家ならばお祖母さんなどと同居して、その世代の風習、慣行、言葉遣いで影響を受けている。お祖母さんがその時に80歳とすれば明治22年1889年生まれ。それ以前かもしれない。「妾」を使った物書きには樋口一葉が上げられるが、彼女はその半世代前になりますが、その間、慣行などは変化していない。習俗言葉などが変化するのは大正期です。

ルミ子嬢の生活環境で、妾ワラワなる古語がある拍子でてくる、その言い回しに影響を受けたと考えられる。ちなみに武士は自分をなんと卑下したか「それがし、あるいは拙者」です。渡来部は立石生まれの錦糸町育ちなので、昔も今も「おいら」。お里が知れるとはこの事です。

「お客さん、鉢、引き下げますか」
鉢とは切り子ガラスのアンミツ鉢で、その縁に手をかけたのは甘み処の給仕係、がっしりした中年の女性だ。鉢にはアンミツが半分ほどが残っていた。平らげようか残そうか、ルミ子嬢に結論が見えないままに放置された貴重な残りアンミツである。渡来部は未練がましい顔のルミ子嬢をしっかり見たので、食べ尽くすと思っていた。
「まだ置いておいてくれ」と下げる女の手を止めた。

「お兄さん、こんな風に伏せってるのは危険な兆候ですよ。必ずその後取り乱す。すると男が逃げだし女が追いかける、薄情だよ男は。その上アンミツを鉢ごとぶちまけられたら大変だ。
あとの始末は私に回ってくる、この切り子ガラスだって高いんだ」
「ルミ子さんがそんな見境ない行動をとるものか。さっきまでおいしそうに頬ばっていたから、残りだって平らげるさ、それにおい…」
おっといつもの癖だ、「おいら」は良くない。少し気取らないと。しかしまさか「拙者」はない。

「それがし、逃げ出すものか」

男は薄情払い逃げと信じ込む女店員と渡来部との間に険悪な雰囲気が流れた。

「須万男様」
ルミ子嬢が一旦、顔を上げ「いいのよ。アンミツ引き下げて、もう食べない。それに妾きっと手を振り回し泣きわめいたりする」また伏せた。
「それだけは止めてくれ、私まで悲しくなる」
逃げ出したくなるとは口が裂けても言えない。女店員はまだ横に立ち、無愛想に進展を聞き探っていたのだ。

男と女が陰気な顔つきで話し込む。女が泣きわめいたら別れ話に決まっている。
「まだくっついてもいないのに取り乱し様まで見せつけられるのか」
渡来部の不満はやるかたないけれど、それ以上に不安がもたげた。
「こんな場所、痴話で乱れて大騒ぎ、人に見られたらなお格好悪い。まずはアンミツぶちまけを防がねば。おっとアンミツは引き下げてくれた。これで安心だが、次はルミ子嬢の取り乱しを防がなければ」

思い悩むうちに妙案が浮かんだ。「これで全て解決、バンザイだ」
咳をゴホンと一回払って、卓に伏せるルミ子嬢に

「ルミ子様、こんなに悩んでいるのはそれがしの苦しみでもあります。しかしご安心ください、完璧な解決策を考えました。あなた様もきっと賛成してくれる」
渡来部がルミ子の耳元に囁いたのが、窮余のとっておき策。しかしこれも「カジマン」と同レベル、その場しのぎの思いつきに変わりない。うつ伏しながらもフムフムと頷くルミ子、聞き終わると顔を上げた。

「アンミツ持っていかれたわ、アイスクリーム、頼んでくださらない。妾、喉が苦ししゅうて」

渡来部は一体なにを囁いたのたのか、
「カジマンは卑しい言葉だ。それはフェイク、プスード、フォールスだ。だからルミ子さんをもうカジマンフィアンセとは言わない。その代わり」
「その代わり何というの、まさかフェークフィアンセではないでしょうね」
凝り固まった不誠実な男との疑いを解かすには、いっぱし覚悟はそれなりに必要だ。
「ヴレマンフィアンセという、ヴァッシュマンフィアンセでもいい」

ヴレマンとは本当にの意味、ヴァッシュマンはヴァッシュ(=雌牛)で尊敬語ではないが、形容詞的に使うと「スッゲー」となる。俗語です。

ここでルミ子嬢、目を輝かせてアイスクリームを頬張った。
「それってただのフィアンセのことでしょう」
「ただのフィアンとも言うのだ」

彼女をフィアンセとして渡来部の友人達に紹介する約束をとられた。

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小さい友 4

2012年09月21日 | 小説
席に着くとアンミツ大盛りがすぐ運ばれた。ルミ子嬢は「甘みは控えているざます」と山の手言葉で遠慮するが、その割にはしっかり食べていた。巨大なアンコ塊を天頂からスプーンで崩し、半分をペロリと平らげた。ふーと一息ついて

「須万男様、私、たいへんに打ちひしがれているざます」
「ルミ子さん、若くて美しい貴女が一体何にお悩みですか。渡来部、微力ながらもお悩み解消の手伝いができればと心から祈念いたします」
「そうおっしゃっていただければ心強いざます」

その後の言葉がでない。半分になったアンコ塊をさらに崩して下層の蜜液との融合を試みている。
ルミ子嬢の場慣れた仕草を目の当たりにして、渡来部は思わずうなった。「アンコ崩しの潔さ、蜜混ぜのスプーン回しが手練れ。ルミ子嬢や、ただ者ではない。崩しアンコでアンミツ喰らいが玄人はだし」

「私の悩み、須万男様にその原因があるのですわ」
「おーっとっと」
渡来部、ここで再度うなった。「パトリックから逃げたら今度はルミ子嬢。一難去ってまた一難とはまさに俺の半生。格好良いからし方ない、これほどいい男に生んだ両親を恨むじゃないが、もうちょっと平凡だったら…」

若さは判断力の無さにつながる。ルミ子嬢が私に首っ丈だとすっかり誤解した。渡来部、その時若かったから「ショッテ」いたんだ。最近「ショッテル」は聞かない。「自己分析能力の完全欠落」と理解してください。

「パトリック様に私をいかに紹介なさいましたの」

ルミ子嬢のその語り口は、洞窟の奥を見るかの如く暗く、視線は虚ろに目下のテーブルに落とすだけだ。虚ろな視線の先に減ってしまったアンミツ大盛りが虚しく残る。悔しげな口元はルミ子嬢の食べきれない苦しみを語る。悔しさが空虚に滲み放心したかのルミ子嬢の目つき表情、渡来部は見逃さなかった。そして放心に元凶に思い当たった。

ルミ子嬢の視線の果てが全てを明示する。

「アンミツは久しぶりかの大盛りで、全部食べたら食べ過ぎなのよ、残るは半分、なお食べたいわ」の葛藤に陥り、さらに、甘味控えのルミ子の前に大盛りを頼んだ渡来部はなお悪い。憎む気持ちに慕う心、こちらも葛藤。アンミツ挟んで重なる葛藤。彼女を精神奈落の暗黒におとしめた元凶がアンミツ2重構造、そしてその陰でせせら笑う渡来部だ。

話を進めよう。

「パトリックにルミ子さんを私の親しい友人と紹介いたしました。かの国の言葉では小さいの意を持つ形容語を名詞の前につけると、親しいとの含蓄を残し…」
小さい友との紹介の顛末を初めから語った。ルミ子嬢は一言二言を聞き留めては、その義を確かめるかに頷き、続く言葉にはより注意を傾けて、またも頷いた。聞き終わってすぐに反応を露わにした、
「あら、それだけざますの」それはとがめの強い調子、同意しないと聞こえた。
「と言うと、話し足りない部分があるかと」
「最後の最後におっしゃいませんでしたかしら。須万男様が空疎な言葉をいくつ重ねても、意味合いの虚しさに首を縦には決して振らないパトリック様。その彼にこれでもかって浴びせた、それは最後のとどめ、決して聞き逃しできない一言を」

渡来部は焦った。ルミ子嬢は全てを聞いていたのだ。聞いただけではない、理解していたのだ。パトリックとの会話、それはフランス語、カルチエラタンと呼ばれるパリの下町の訛り、学生が使うスラング混じりのくだけた会話。ルミ子嬢はそのフランス語を理解していたのだ。
焦って絶句した渡来部をルミ子嬢は討ってでた。

「最後の一言でパトリック様が納得したざますわ、それは何ざましたか」
「ご免ご免、忘れていた。あれはフィアン…」
「違います、それはカジマン・フィアンセざますわ」

カジマンは対象を揶揄する語感が気になる形容詞だ。それ故パトリックの耳にその語をまず置いたから、フィアンセの一言が効いた。とっさに上塗りした破れかぶれの組み合わせながら、意味の微妙が錦の織りなし、その危うさがあの時の雰囲気に融合したのだ。
意味合いに隠れたもともとのいかがわしさをルミ子嬢が追求している。

「ルミ子嬢はフランス語をとことん知ってる」
この展開は渡来部、予想してなかった。それが「アンミツ2重構造」なぞ楽天的誤解だと悟った瞬間だった。

渡来部の頭からは血流がすーっと落ちた。残るは混濁の脳髄、空疎な脳幹。なるままに、呆然と口を全開して、額の汗水までいらつきに乾いてしまった。
カジマンは「ような物」「似てるが違う」「もどき」を表すのだ。となるとルミ子は「婚約者もどき」なのだ。改めて己の言い回しのいい加減さに気づいたのだが、すでに遅い。
かな切る悲鳴、甘み処の店内奥深く、甲高く響き渡った。

「ヒエー、カジマンに傷ついた。それは渡来部様の戯れ一言、冷たいあの場に虚ろな反応。私には、そして邪(ヨコシマ)嫌がらせ。邪に苦しみ嫌がらせの責め受ける妾(ワラワ)、悲しい、ヒエー!」

ルミ子嬢はテーブルに伏せてしまった。(続く)
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小さい友 3

2012年09月17日 | 小説
前回は43年前の写真とはいえ、不細工な顔をさらしてしまった。マヌケ顔を見て気分を害したブログ愛好の方には、我慢してくれとしか慰められない。

男同士の「濃密な友情」願望をフランス人は持つようだ。ビゼーのオペラ「真珠採り」の有名な男声デュエット「神殿の奥深く」を聞くとこの感を深める。同じ作曲家の「カルメン」に知名度は落ちるが、ほれぼれするメロディーがふんだんに盛り込まれるこの傑作オペラを聞き逃しはできない。

昔ある女性を巡る三角関係に悩んだ二人(セイロンの真珠採りの設定)、再会して、やり直そうと仲直りする。その心情を歌い上げる2重唱です。数あるオペラの中でも男声デュエットはこの「神殿…」が最高と評価は高いし、やはりビゼーですね、メロディーと盛り上がりに引き込まれるが、歌詞を付属の解説で読むと驚くほど濃厚である。

「かつていろいろあったけど=前段レシタティーボの訳ははしょっている=、神殿に女神(=ベールかぶった巫女、実は昔競いあった女性本人)も赴任したから、ズーット友達でいよう。死ぬまで結ばれていよう」と絶唱する。結ばれるはunisで死ぬまではjusquelamortを直訳したが、これは男同士です、私には恥ずかしくも衝撃的でした。対訳の英文では「同じ道を進もう、死ぬまで」と意訳されている。ちなみにこのデュエットは1幕で歌われ、3幕の最終で「死ぬまで…」と来て大団円で幕が下りる。カルメンは男と女の愛憎とすれば、こちらは男同士の友情がテーマなのです。

指揮者プラソンはフランスオペラの解釈では当代一、ここぞとばかりデュエットをねっちり濃厚に盛り上げる。ソリストもこれに応えて、ねっとりとした歌いっぷりを朗々と(恥ずかしくもなく)響かせる。その節回しは混声デュエット(恋人同士)よりも熱情を感じる。英語の意訳ではなく(死ぬまで結ばれ…)の直訳が正しいと確信できる。訳者は(BeTieduntillDeath)が恥ずかしかったのだろうと邪推した。(以上はCD、EMI、1989録音ツールーズキャピトル管弦楽団、歌手はテノールにアラー、バリトンがキリコ)

男同士、濃厚としても性的なつながりを目指すのではない。男だけの持つ感情のあり方、それが互いに交差して、同じ精神構造を発見して共感する、その喜びが濃厚な友情に発展するのかも知れない。ビゼー真珠採りはブラッサンスのMonvieuxLeonにつながり(7月15日投稿の古き友1を参照)例には挙げなかったが「AdieuAmi日本名=さらば友」(=1968年、映画、出演はドロンとブロンソン)にも片鱗がうかがえる。電話を掛けてきたパトリックは、純粋に男の友情を探し求める優しきフランス人だったのだ。43年が経過した今、「真珠採り」をしみじみ聞いてやっとパトリックの心が分かった。
高校の漢文で「君子の交わり淡きこと水のごとし」と習う日本人に、特に(人付き合い不器用な)私には難しかった。

1年ぶりの再会にとっさの機転で引導を渡して、私はパトリックから逃げた。小さい友の名演技、ルミ子嬢には大感謝なので、甘味処でアンミツ大盛りを奢らなくてはと気を揉んでいた。翌日の朝、電話を取るとルミ子嬢からだった。
しかし、昨日に聞き親しんだ快活な声の響きは一秒にもなく、思い詰めているのか暗さに深い溜息が混じった。
「きっと何かの悩みに病んでいるのだ、励ましてやらねば」と勝手に解釈した。これが早とちりだったが、電話では気づかない。夕方に会うことになった。。

私の機転が原因、それも必殺だったQuasiment(=ほとんど)の一言で傷つき、恨みをかってしまったとは。(続く)
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小さい友 2

2012年09月06日 | 小説


(写真は43年前の夏は8月末、明治神宮で。渡来部とルミ子嬢。渡来部22歳)

すっかり忘れていたパトリック、彼が来日して渡来部にあわせろと大騒ぎしていると。聞いて気が重くなった、しかし友人にこれ以上迷惑をかけられないので、会うことにした。同時に名案を思いついた。
二人で会うのだ。二人とはもう一人の誰かを連れて、彼と会わせて三人。それなら何とか場が持てるし、それ以上の作戦が打てる。
写真に写る女性はルミ子さん(=仮名)です。その夏の旅行先で知り合いました。電話番号をもらっていたので早速連絡、彼女も学生、暇だったので電話口でオーケーを頂きました。
新宿駅で待ち合わせしました。久しぶりmon vieux=古い友に会う、パリで二年をともに過ごして、楽しい思い出もある。若い年代で出会った人には何年たっても心が許せますね。懐かしい気持ちで、一旦は心和みました。

ルミ子嬢を紹介したときに、私が使った言葉がマプティトアミ(=ma petite amie=私の小さい友)でした。しかも最後の音節のミを思いっきり嫌らしくミーーと伸ばした。
会話学校で教えるか知らないが、話し言葉では私の友=モナミは男性形も女性形も同じ、しかしミーと伸ばすと女性形の-eを意識しているので、これは女友達、こうパリの誰かから教わったので、この時ちゃんと応用したのだ。
アミー効果はてきめんだった。パトリックはルミ子さんを、品定めするかの疑いの目で、上から下までじっくりと見回しました。
そして一息ついて、ma petite amieは彼には信じられない、いや信じたくないの風情があからさまに見えた。

なぜパトリックが信じなかったかは、頭を回せばすぐに分かる。

欧米の人は、旅行などで一人旅するとき、家族や親しい友人の写真を持ち歩く。旅先で知り合うと、これが私の家族と自慢をこめて家族写真を見せてくれる。その時「ふーん良かったね」では会話が続かないから、名前は、趣味は、学校何年生とかいろいろ聞くのがコツで、そこで話しがより進む。じゃあ私の家族を見てと日本人は切り出せませんね。奥さんや恋人の写真もって旅行する方少ないから。

アメリカ人はほぼ全員がその慣習をもつし、フランス人も同様です。聞いた話ではジンバブエ、ウガンダの御仁も同じ慣習だそうです。
ルミ子嬢は先週知り合ったばかり、パリでの二年間に写真を持っていった筈がないし、もちろんパトリックにはそういう(petite amie)友がいるなどとは一言も話していない。それどころか仲間内で小粋なパリジェンヌ(パリに住む女性)を見つけては、こまめに声を掛けていたのはバレてもいる。一人も成果があがらなかったけれど。

だから突然湧いて出た「小さい友」を疑ったのだ。パトリックは私に向き直って「小さい」とはどんな意味だと質問してきた。

ここが出任せの勝負、ルミ子嬢が私の小さい友であると証明しなければ、またまたつきまとわれる。額の汗を拭きながら、
「ルミ子とは気心知れているし(onsecomprendbien)、会うと心が落ち着く好い友(onsemetenaise)、幾年か前からのつきあいで(onseconnaitdepuisdesannes)…」しかし怪訝なパトリックの顔つきが一向にゆるまない。そこで私は最後のとって置きを出した。
「彼女はほとんど婚約者だ(elleestquasimentfiancee!)」この語でやっと納得してくれた。
パトリックは私とルミ子嬢の距離を見ていたのだ。友達になったばかり、恋人でもまして婚約者でもない、私とルミ子嬢はやはりそれなりに遠い距離でよそよそしく話をしている。フランスではそんな距離の男女は小さい友では絶対にない。そこを見て取って、正しく疑ったのだ。

しかしquasimentfianceeとまできたら、その疑いを消去せざるを得ない。
「日本人の独特の表現の仕方、たとえ婚約者でも、小さい友の関係でも外で手を取り合うとかの表現をとらないかもしれぬ。日本人って奥ゆかしい(reserve)と聞いた。渡来部も日本人だったのだ」
パトリックの顔が寂しくなったのを今でも思い出す。

しかし思わぬ方向に話がこじれた。(続く)
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オバマ大統領からのメール

2012年09月02日 | 小説
今年の4月から発信者「TheWhiteHouse」からメールが入ってきた。心当たりないのでスパムメールでは困ると、開封せずに廃棄していた。その後も定期的(大体週に一回くらい)来るので、スパムではなさそう、でもTheがつくWhiteHouseには米国大統領の公館しか思い当たらない。まさかと疑りながら、おそるおそる開けたら、なんとまさにそのもの、オバマ大統領からのメッセージだった。


(大統領からのメール、パソコン画面をデジカメ、クリックすれば拡大)


レターヘッドには白亜館の正面が厳かに描かれ「TheWhiteHouse Washington」と日付、最新メールは9月1日付け、大統領がテキサス・ブリス基地を訪れイラクアフガニスタン戦闘に参列し帰国した兵士を前にしたスピーチ。動画と要約の文章がある。動画をクリックすると彼の演説(ServingThoeseWhoServedUs)がまるまる聴ける。感動したと言いたいが、ちんぷんかんぷんなのでコメントできない。
米国民に幅広く送信されていると推察するが、素朴な疑問は「なぜ投稿子(渡来部)に送信されるの?」だ。投稿子は、両親の出身から探れば100代位さかのぼっても日本に住む縄文人蝦夷東夷(アズマエビス)日本人なので、アメリカには縁も親戚もゆかりもない。思いつくのは3に集約される;
 
1 部族民のブログをオバマ大統領が注目している。次代の日本オピニオンの巨人はこの犬面男!渡来部だ!と気づいて、奴にメールを送れとなった。日本人には気づかれていないのがこの推測の欠点。可能性は低いがあり得る。

2 最近Wikipediaに寄付した。その時のメールアドレスに入ってきた。Wikipedia寄付者は(かなりの確率で)米国籍なので送付リストに入れた?可能性の一つ。

3 私のメールアドレスの特異のためか?

本名の渡来部須万男をトライブスマンと読んでください。=>Tribesman=>これは部族民の意味です。私は人民大衆なんかではなく、部族民と思っているから、名前と信念が合致している。メールアドレスまで;tribesman(@)tribesman.asia となっている。このアドレスを「エシュロン」で見つけたWHが「アフガニスタン部族民地域の酋長」だと誤解して、広報活動に引き入れたのかも知れない。

しばらくは大統領を送信なるままに許そう、もしWHから政策アドバイザーになってくれなどの提案(それとファーストクラス旅行券)が届いたら、受けるか迷うな。よっちゃん(南平駅)で焼き鳥喰えなくなる。
ブログ愛好士には顛末を知らせる。突如ブログ閉鎖にはならん、安心してくれ。
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熱烈感謝、イモリがランク

2012年09月01日 | 小説
昨日(12年8月31日)の投稿(イモリノーベル賞外譚)のアクセスは70IP、閲覧数で112。平素より多かった。その成果は歴然、やっとブログランクがついた。順位は28484位、総ブログ数は175万を越すので、上位1.6%に何とかもぐり込めた。渡来部ブログにアクセス頂いた方に平身低頭、叩頭拝仰、アッラー向けの腰曲げお祈りまで送ります。

ブログの開始が2008年9月30日、何回投稿したかは数えていないが、ジャンルはいつも「小説、私が作家」に入れてます。今時、小説を読む暇人は粛正され絶滅したから、アクセス数は気にしていなかったのだが、春先になって何の拍子か、ブログ更新入れなくても40-50のIPが入ってきた。ブログが繁栄する前兆かもしれない。テレビがつまらないのに気づいた暇人が増えた意味かな。
ブログ画面を通して読んでもらってるなと感触を掴んだ。そこで若干文体をひねって、そこそこの頻度で投稿した。結果が上記内容。
ちなみにアクセスIPは4年で累計は26278、多いか少ないか、少ないんだろうきっと。

投稿に立ち向かう渡来部は、そのたびに心の揺らぎ抑えるを得ず、指先震えの草稿に推敲、そして潔くクリック一発でサイバー空間に放り投げます。密かにねらう部族民的ブログ地平をいざ開陳すると;

1 文章で勝負。
グラフィック(デジカメでパチリして、オイッシーカッワィーッ)的な安易を排除しています。獣のマヌケ面と食えない食い物写真は嫌ですね。
2 身の丈にあった内容。
身の丈とは世代(65歳、団塊の魁)に漂う感興と悲哀。先行き短さが寂寥。
身の丈は悔悟で塗りこめた追憶、喪失感でもあります。戦い終わって夜が忍び込む諦めの気分です。主張を包む色調は夕焼け「お呼びが来る」の断崖模様です。
しかし私小説のスタイルを絶対にとりません。私は私小説は全く評価しない。不要ゴミの戯れ言集荷としか評価しないので(直哉、藤村は別、文学になってる)

ブログと並行してHP(部族民通信)を編集している。現時点で工事中ですが、秋の彼岸に新作を発表します(島田アキコの週末=仮題)
次回のブログ投稿は小さい友の続き、投稿子の写真を載せます。

糊をナメ煮干をかじる赤貧をあえいで4年、収入ゼロ円、飢えの記録は日夜で更新、だからこそチョジュツカツドーに邁進するぞ。
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