蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

カエル伝授の弓術と無回転シュートの共通 3

2022年02月28日 | 小説
(2022年2月28日)レヴィストロース著の「蜜から灰へ、Du miel aux cendres」(神話学4部作第2巻、1967年刊)収録の(M237カエルAdabaの話、Arawak族伝承)紹介を続ける。
矢を中空に放つ技術がカエルから伝授され、これを持って狩猟にあたれば大猟は間違いない。そのうえ獣らからの恨みを買うも避けられる。カエル神話が南米に広まっている(た)事実には人と自然の共存、人(狩人)の自然(獣)への崇敬が根底にあったからであろう。
別の観点、技術面から放物落下の有効性を探る;
気づかれずに狩人が獲物に近づける距離はどれほどか。そこから半歩でも距離を縮めたら人の気配が獲物に気づかれ、逃げられてしまう。これを限界距離とする。日頃の成功、失敗の繰り返しで身につける技術です、これを体得して腕の良い狩人に成長する。
限界と見極めたらそこが矢を射る絶好の地点。藪から立ってすかさず矢を放つ。狩人の極意は限界を知ると見つけた。
獲物にして警戒怠らないから、狩人が構える姿を認め、矢がこちらに向かってきたらとっさに回避する。機敏反応が獣の防衛の技、蹴爪で蹴って一の跳躍が矢をかわしたら逃げおおせる。矢の速度が獣の一歩を凌げば、矢を食らう。

ボロロ族若者。獲物はオオハシ4羽、見せつけられた相手は「俺だってそれくらい」と言いたげ。若者同士は友人でありライバルでもある(写真はレヴィストロース著作からデジカメ)。


距離、逃げの瞬発、射掛ける矢の速さ。3要素の絡まりで仕留められるか逃げおおせるか、命の境目がここにせめぐ。しかしカエル伝授の矢の中空放ち技法が、狩り舞台の三つ巴をすっかり変えてしまった。獣の視点でカエル技法の矢の軌跡を再現すると;
野ブタ「人が立つ気配を感じた。30メートルほどだな、危ない距離だ。奴め矢を放ったぞ、ヒューイの風切り音まで聞こえる、逃げようか。でも矢はこっちに向かってこない。なんて下手な狩人なのだ、空の上に矢が飛んで、すっかり消えたじゃないか。俺は芋食みを継続する」
それもつかの間、とんでもない方向、空の上から矢が落ちてきた。背骨がバッシと砕かれたら「キュー」で「バッタン」野ブタの末期の情景は判断狂い油断の様でした。矢の飛び方が目眩まし。とんでも方向が油断を誘い、気づいたときには手遅れ、カエル伝授の中空狙いが獣錯乱の最期を招いた。
サッカー無回転シュートでこの目眩ましが威力を発揮している。
サッカースタジアムに移動する。
普通のボールの蹴り方、これは足先に捻りを入れて、球の中心を指一本外して蹴る。ボールに回転を与えるためだ。狙う先はゴールの枠内。
ボールが飛翔するにつれ前面にこびりつく空気はボール表層の回転に合わせ、表層沿いに移動する。これで前方空気が後方に誘導される。ボール後ろに空気が潤沢に供給されるからキャビティ(減圧空隙)が形成されない。引き戻し抵抗がそれだけ軽減される、ボールは勢いを保ち直線の軌道を取り続け、ゴールにまっしぐら。
キーパーが見たこの球筋は;
「キックした、ゴール枠を捉えている、速い。でも到達するのはこの辺り」予測できるから身を動かす。ボールスピードとキーパーの移動時間の見比べで、ボールは弾かれるのかネットを揺らか。速度の勝負である。
無回転シュートとは、
ボール中心を素直に捻り付けずまっすぐ、強く蹴る。狙いはゴールではない、はるか上空。ボールはねじりを与えられてないから、跳ね上がり、勢いよくひたすら中空に向かう。中心を蹴飛ばされたからボールは回転しない。表面も回転しない、前にはだかる空気を後側に移動させる仕組みがない。ボール後ろにキャビティが発生する。前方に空気壁、後ろには減圧。前と後の気圧差は、距離が伸びるにつれいや増しに増大する。蹴られた直後は高速で飛翔するのだが、抑えられ引っ張りられての二重苦にボールの速度はすっとん、低下する。
ゴール枠の上方を飛び越える軌道だったのが、突然、落下に軌道が修正される。キーパーが気づいた時点でボールはゴール枠の直前、遅かった、ネットが揺れた。3 の了(2022年2月28日)

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カエル伝授の弓術と無回転シュートの共通 2

2022年02月25日 | 小説
(2022年2月25日)序、序の補遺、第一回の 3回投稿で獲物への直接照準を避ける狩りの技法を紹介した。その説明には自然との直接(対極polaire)対決を避ける人の、文化側からの倫理が認められるとした。南米先住民の多くは狩猟と採取で生活する(していた)。それだけに獣を育てる自然への崇敬、畏怖を有している。そうした感情から獣を狩る技法にも、自然への気配りを絶やさないのかと思う。
これを踏み外した狩人には懲罰が控える。幾つかの例をレヴィストロース著作から拾い上げると;
1 夜の狩り
夜の狩りを専らとする狩人に木の精霊が怒り、留守宅に押し入るとした。居合わせた妻を殺害し四肢バラバラにした « Un indien, qui aimait chasser de nuit, excita la colère des esprits des bois. Ils décidèrent de profiter des absences du chasseur pour envahir chaque nuit. Là, ils dépeçaient le corps de sa femme »
狩人の戻る太鼓(大猟の報せ)が聞こえた。精霊は四肢、腹、頭などを個々に捨て散らかして逃げ去る。追いかける狩人に妻の頭が跳びついて狩人を肩からかじりついた(M364転がる首神話、Uitoto族伝承、食事作法の起源42頁)。
2 狩りすぎ
その狩り行はまさに虐殺であった。仕留められた獣の脚、頭、毛皮、内臓が露営地に乱れ転がっていた。少年は男たちが狩りに出ている間、獣肉の燻製にたずさわっていた。突然、男が湧き上がるかに出現し仕留められた獣を検分し始めた。不機嫌そのものの表情であった。ハンモックを数えて消えた« Soudain , il vit surgir un inconnu qui inspecta le gibier d’un air mécontent, compta les hamacs et s’en fu »。少年はこの目撃の仔細を男たちに告げた、誰も「寝ぼけていたのだ」と聞く耳を待たなかった。父親だけは理解して、二人だけ「ハンモックを外した上で」露営地外で一晩を過ごすと決めた。寝付くまもなく露営小屋からは男たちの悲鳴が聞こえた。 « C’était le Curupira et sa bande, esprits protecteurs de gibier, qui massacraient les chasseurs irrévérencieux » Crupiraとその手下、獣たちの護り霊、彼らが不遜な狩人を虐殺したのだ(M391転がる首神話 Tembe族伝承 食事作法の起源73頁)。


Curupiaは獣たちの守護神

(図はWilipedia からCurupira watching a girl sleep, O Curupira - Lenda Amazônica - Brasil, by Manoel Santiago, 1926)


3 不遜
紐縄猟に携わる男、ここしばらく運から突き放されて大物が獲れない。他の狩人はそこそこの猟を挙げているにもかかわらず、彼だけがSiaba一羽(griveツグミ)の貧果に終わった。男はそのツグミに怒りをあてつけた。くちばしを無理やり開け、屁を放ってから開放した 。« Il ouvrit de force le bec de l’oiseau, péta dedans et relâcha le bestiole » その晩から男が狂った、休みなく口を開いては蛇、雨、終いにはアリクイの首まで喋った(アリクイには首がない、無いことを話すとは「死んだも同然」とみなされ、村人は総出で喋り続け抵抗する男を埋葬した(M240キチガイ狩人、Tukunaザク伝承、蜜から灰へ151頁)。


小動物も自然の恵み、崇敬を欠いてはならぬ。うずらの類(生と調理の挿絵から)

4 大型獣への配慮
ジャガーをむやみに狩猟してはならない。死者が出たときにのみに許される、これはボロロ族しきたりです(悲しき熱帯から)。大型獣としてバク、オオアリクイなどにも狩りを戒める部族規制が設けられているようだ。南米先住民の民族誌資料に接する術を部族民蕃神は持たないから、このあたりは悲しき熱帯の記述を通しての拡大解釈です。
カエル伝授の弓術と無回転シュートの共通 2 了(2022年2月25日)



追:南米先住民の自然崇敬は日本人にも一脈通じるところがあるかと思います。マタギの習俗に入山する前に穢れを祓う、入山する手順を守る。仕留めた獣には成仏を願い手を合わせる。山の神への感謝を忘れないなどが、距離を隔てても奇妙に似通います。
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カエル伝授の弓術と無回転シュートの共通 1

2022年02月23日 | 小説
(2022年2月23日)レヴィストロース著の「蜜から灰へ、Du miel aux cendres」(神話学4部作第2巻、1967年刊)収録の(M237カエルAdabaの話、Arawak族伝承)を紹介する。
3人兄弟と妹が一人。森の奥に露営小屋を建てて狩りに日がな一日を送っていた。しかし猟果は捗々しくない。一匹の小物すら持ち帰れない日が続いた。その日、娘は月の障り。小屋に籠もっていた。近くのいずれかの木の空洞から「Wang ! Wang ! 」カエルが啼いた。
「何のために啼いているの、啼くのはやめてお肉でも持ってきてくれたら良いことがあるのに」娘は愚痴混じりの呟きを返した。カエルの啼きははたと止み娘は午睡にまどろんだ。
物音にふと覚めると枕元に見知らぬ若者。手には狩り獲ったばかりの野ブタ、床に優しくそれを置くと若者は添い寝を願った。娘の返答は「いいわ」。若者の冷たい胸肌が二の腕に触れ、何故か心地よかった。
夕暮れ、兄弟はこの日も猟果はなし。
手ぶらで帰る足取りは重い。露営地に近づくと肉を焼く匂いが鼻をくすぐった。しかし奇妙だ。保管していた肉まで食べ尽くし、小屋には何も残っていない。一体何を焼いているのか、疑うより先に足が進んで小屋にたどり着くと、妹が大きな肉塊をこんがり焼いていたところだった。
その脇には見知らぬ若者。
己をAdabaと紹介した(一般名詞arabaは樹棲のカエル)。
Après un échange de saluts, Adaba s’infirma du résultat de la chasse des trois frères et voulut inspecter leurs flèches. En riant, il nettoya la moisissure dont elles étaient couvertes, et il expliqua que c’était cela qui altérait leur course. Il pria alors la jeune fille de filer trois lignes de pêche et de les tendre entre deux arbres. Sur son ordre, les frères visèrent tour à tour et leurs flèches se piquèrent en plein milieu. Adaba chassait lui-même d’une curieuse façon ; au lieu de viser l’animal, il tirait sa flèche vers le ciel et c’est en tombant qu’elle se plantait dans le dos du gibier.
挨拶を交わしてのち、Adabaは3兄弟に狩りの首尾を尋ねた。(手ぶらbredouilleで戻ったのだから答えは)一匹も。Adabaは兄弟が使う矢を検分した。矢軸はびっしりと黴に覆われていた。Adabaは「この黴が矢の飛び跡をふらつかせていたのさ」と笑いながら諭した(別の言い伝えではピカピカの矢をAdabaが手に取ると、見る間に矢軸に黴が浮かび上がる)。
黴を拭い払って返した。Adabaは娘に釣り糸を木と木の間に3本掛けてくれと頼む。兄弟たちに糸を的にして射つようにと。3兄弟が順に矢を射る、皆が細糸の張りの真ん中に矢を当てた。
(矢の飛び方は正しく修正された、しかし的に矢を向ける狙い方が駄目なのだとAdabaは指摘する。正しい射かたの講釈を聞いても兄弟は信じられない。実際を見せるために3兄弟を連れてAdabaは森に入る)。
Adabaの射かたは奇妙だった、獲物に矢を向けるを無視して空に向ける。矢は一旦上昇するが、すぐに放物線を描いて地に向かい狙った獲物の背を抜いた。
「これからはこの射かたで大猟は間違いなしだ」と兄弟を励ました。(引用終わり)


南米先住民の狩人(本書挿絵、Le chasseur d'aras, J.Crevaux,部分)


Adaba(樹生のカエル)に学んだ兄弟はArawak族(アマゾニア下流域)、しかし空を射る技法は多くの南米先住民に受け継がれている。レヴィストロースにして他著作でマトグロッソ先住民がこの技の卓越事例を報告している。Bororo族の若者が彼が立つ前に小皿ほどの小円を描き、その場から動かぬようと言う。若者は弓を絞り矢を空に向け放った。ヒューィ、甲高い音が上空に響いてまもなく、向きを下に換えた矢が地をめがけ落下した。小円の中心を射た。ウイリアム・テルにも劣らない技法ながら、半歩でも動いたら鏃がレヴィストロースの頭頂を射ぬいた。レヴィストロースも肝をつぶした。了(2022年2月23日)

本日(2月23日)は今上陛下ご誕生日。ご健康と弥栄を祈ります。


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カエル伝授の弓術と無回転シュートの共通 番外 序の補遺

2022年02月22日 | 小説
(2022年2月22日)「蜜から灰へ」の紹介は2019年7月にホームサイトに掲載し、放物弧を描く弓軌跡も紹介している(http://tribesman.net/dumiel2.html)。前回(2月21日)にて引用した下り<Jusqu’ici, la relation négative…この文節が最重要点だとは、その時も分かっていたのですが、最終の行<mais non sur l’espèce, et les conditions requises par l’hypothèse ne seront plus réunies.に理解が至らず、19年のホームサイト投稿で省いた。ここが気になったので、本年初頭から着手した草稿の(www.tribesman.net)見直しで読み直した。
今回、2日間は朝と昼、夜まで考え続けて「狙われた個体には(矢に射られる瞬間に)戸惑いが発生する、しかしその種(全固体)にそれ(戸惑い)が及ぶものではない」と解釈した。

論点を整合すると弓で獣を狩る、
1 獲物を的にして直接狙う。これは自然へ、その種への冒涜。
2 中空に矢を放ち、矢を落下に任せる。的(獲物)に当たればそれは自然の采配
に分離でき。1を専らににすると、獣の反撃を受けるとした。1の手法を獣側から観察すると狙われた獣に湧き上がる感情は「戸惑い、躊躇、不安incertitude」である。しかしその不安は「種のほか個体」に及ばない-までしか記述されない。
では種には何が及ぶのか。Incertitudeの正逆のcertitude決断、これが文意となります。そして<et les conditions requises par l’hypothèse仮説によって裏付けされていた全条件は再合意されなくなるはずだ(仮定法なのでそれは実現していない)…>
この仮説は「中空に矢を放つ場合にはその個体を狙うものではない、よって種が狩人を(殺人鳥の神話の如く)殺さない」を指します。これからは「直接狙いは止めよ、カエルAdabaの忠告」に繋がります。寅さんの日本語らしくいえば「それをやったらおシメエェよ」。
丁寧に記述する作家であればmais non sur l’espèceの後に par contre c’est la certitude qui portera sur l’espèce> (逆に種全体に対して決断を促す)を続けるが、ここを省いた。この句の省略から「仮説」につながる文体には、簡潔を旨とするレヴィストロースの修辞法が凝縮されています。修辞の一つ省略法、言わずもがな。政治演説でたまさか耳にする「国民の栄光を回復するに何が必要か」で止め聴衆に「団結だ」と言わしめる修辞法、これかと部族民は、やっと考えつきました。


蜜から灰へ148頁のデジカメ写真、横線に今回主題の修辞法文節が見える


解釈はこの程度なのですが、至る時間の長さ、アタマに繰り回る選択肢の出入りの無駄さ加減には本人も呆れ果てます。
哲学書(特にフランス語)を読むとはこの手順の連続です。アテネフランセ(東京御茶ノ水、仏語学院)でかつて習った先生(Godo教授)から一句を解読するに3日かけることもあると聞きました。こんなことでも皆様のご参考になればと、番外投稿に至りました。了(2022年2月22日)
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カエル伝授の弓術と無回転シュートの共通 序

2022年02月21日 | 小説
(2022年2月21日)レヴィストロース著の「蜜から灰へ、Du miel aux cendres」(神話学4部作第2巻、1967年刊)収録の(M237カエルAdabaの話、Arawak族伝承)を紹介する。本日投稿は序文、神話の紹介の前に背景の説明を。

蜜から灰へ第二部、カエルの饗宴Le festin de grenouilleは人とカエルの交流の様を描いている。ここでのカエルは「樹棲カエル」、南米先住民は「自然界の王」と崇めている。本書にも追ってくるジャガーを策略を弄して木の空洞に閉じ込める逸話が語られ知恵者振りが強調される。
M237は狩りの下手な3兄弟に必殺技を伝授するカエル話となるが、本投稿はその序として人(狩人)と自然界(獣、獲物)の緊張関係を紹介する。

放物落下の弓技(カエル伝授)を文化倫理の観点からレヴィストロースが説明を試みる。

Jusqu’ici, la relation négative est donc polaire, comme est polaire (et subjectivement aléatoire) la relation positive qui s’instaure depuis M236 entre un chasseur et son gibier à la condition qu’il tire en l’air, c’est-à-dire sans qu’apparaisse une connexion prévisible ente cette conduite et son résultat : un animal sera sans doute tué, mais l’espèce à laquelle il appartiendra restera inconnaissable jusqu’ace que le résultat soit acquis. Nous avons déjà appelé l’attention sur le caractère semi-aléatoire de la conduite limite que M236 prend soin d’intermédiaire : si on tire en direction d’une volée, l’incertitude portera sur l’identité de l’individu qui sera tué, mais non sur l’espèce, et les conditions requises par l’hypothèse ne seront plus réunies. Aussi les autres oiseaux foncent sur le coupable et le dépècent. (Du miel aux cendres 146 page)

訳の前の補足説明:引用文の前に2の類型神話が載る。L’oiseau meurtrier(殺人鳥)。見境なしに鳥を狩る狩人らに復讐を下す巨鳥を主人公にしている。人はかつてこうした自然敵対「見境なし」の狩猟を実行していた。自然側からの反撃は頻繁、人食い鳥神話 ( M226など)がその対立を語る。カエルAdabaが教える技法は、矢を上空に向ける。放つ時点で獲物を仕留めるか否かの結末は分からない。矢の軌跡をaléatoire偶然(賭け)に委ねている。さらには手負いになっても獲物は狩人に狩られたと気づかない、報復を受けない。これは文化側の「言い訳」ではなく、「狙われた仕留められた」の憎しみを(まだ生きている、しかし次に狙われる同種の獣に)植え付けない。自然と文化の交流で「positive前向き」技法となる。引用文の訳を試みる。

訳:これまでの神話で(狩人と獲物の関係は)対極的(polaire)であり敵対的(négative)であった。M236(Adaba神話の一つ前、本文の引用は原典にない)が採り上げる中空に矢を放つ技法は、両者の対極関係を保ちつつ融和的(positive)関係に様変わりする効能を発揮する 。狩人が矢を放つ行為と、その結末の関連は中空を介すること断ち切れる。ある1の獣は仕留められるが、その種に属する他の個体は狩人の射掛け行為と同僚の仕留められ結末を結び付けない。M236神話は敵対の対極関係と融和の対極関係の中間に位置し、まさに後者(M237Adaba 神話)を予告する文筋である。
もし個体に向けて矢を射る技法を取ると、標的になった獲物には戸惑い(incertitude)が一瞬、生じる。彼が属する種のほか個体は(このやり方には対処しなければ)と(戸惑いではない)決断を下す。対極しながらも融和を保つ仮説は、直接照準で崩れてしまう。


中空射出の技を教えたカエルは樹上棲息。ツノガエルと見られる。写真はネットから。


狩人は獲物に向けて矢を放たない。狙うのは空、それが落ちて獲物の背に当たったら、それは自然側の選択である。文化側(人間)が自然を侵蝕していることには繋がらない。この技こそ空気抵抗と地球重力に軌跡を委ねる無回転シュートの嚆矢なのだ!委細は次回本文で。 序の了 次回は2月23日。
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フランス語はやっぱりアクサン 読み切り

2022年02月16日 | 小説
(2022年2月16日)親族の基本構造、アンドレ・ヴェイユの解析の投稿を終えたのが昨年12月。以来、GooBlogには出稿していませんでした。理由は過去作成文章のフランス語引用文節にアクサンを振る作業に取り掛かっていたためです。
部族民蕃神はフランス語原文を引用して、その直訳と意訳を試みるなど、皆様のご批判を仰いでいるのですが、仏文に肝心のアクサンが落ちていた。理由はそれを振る仕掛けを知らなかったからです。昨年(2021年)9月14日に「フランス語キーボードに挑戦」を投稿してなんとかモノにして、以来、過去に作成した文章にアクサンを振り始めました。
そのやり方を;
そもそものフランス語パソコン導入から始めると、Win窓(左下)を右クリック。設定を選び時刻と言語を選び、言語を選び、言語追加をルックダウンしてフランス語(本国)を選んで導入する。元の原稿(ワード)を開いて使用言語をウィンキー+スペースキーでFrançais clavier(フランス語キーボード)を選択する。元原稿は言語を英語にして打ち込んでいるので、アクサン無しの似非フランス語。画面上のリボンからRévision、Rédactionを選択する。誤りが50も100も出てくる。スペルチャックが始めると赤の下線の誤り語を出しては止まって、正解をルックダウンで幾つか提示して選ぶ。これを繰り返す。この時、そもそも打ち込みが英語だったのでAnglais(英語)でチェックが開始する。Anglais にカーソルを当て左クリックして言語メニューをだしFrançaisを選ぶ。Définir par défautの窓を選び、Office を再起動すればフランス語スペルチェックが第一選択になる。
チェックは二通りあって1がスペルの校正(Orthographe)2に文法上のミス(Grammaire)。A(a)には動詞avoirの3人称と場所の前置詞àの可能性があり、チェック側が前置詞であるはずの構文でaを見つけても、スペルチェックでは見落としとなるが、文法で引っかかる。正しいフランス語にした後ホームサイト(www.tribesman.net)の然るべく頁に貼り付け直す。
ホームサイトを開設したのが2019年5月、初稿は悲しき熱帯の紹介。2021年12月まで61の原稿を校正し、貼り付け直した。
またBlogは出稿原稿がBlogサイトに残っているので2019年12月から1原稿づつ開けて手作業で直した(ワードで効くスペルチェックはGooサイトでは無効)。
これで、
例えば;l’idealisme absolu comme a la lois de la pensee et du reel, qui, progressant par negations successives (affirmation ou these, negation ou antithese) resout les contradictions en accedant a des unifications (ou, selon un vocabulaire desuet et peu precis, Synthees)似非フランス語が
l’idéalisme absolu comme à la lois de la pensée et du réel, qui, progressant par négations successives (affirmation ou thèse, négation ou antithèse) résout les contradictions en accédant à des unifications (ou, selon un vocabulaire désuet et peu précis, Synthèses)正しいフランス語に変身します。(引用文はNathan哲学辞典から)
訳;実態を思索するに絶対思弁を用いるとしたら、提題、反提題の否定過程の連続で、統合に昇華する。かつてはそれを止揚なる曖昧な語で表されていた。

このおおよその作業が昨日2月15日に終わりました。

追記:2022年の視点で2019年に書き込んだ原稿を読むとヌケ、見落としが散見される。例えばBororo族(南米マトグロッソ)神話とArapaho 族(北米プレーリー)神話を読み比べると、罪と罰に共通性が見られる。罪とは行為でなく状態、罰とはそれを犯した個人にではなく集合体への災苦として。現代法では罪は個が責を負う、罰は個に覚知させて個に下す。新大陸先住民を南北とも一括にして、彼らの罪と罰の意識は、近代人と比べて大きく異なるようだ、ここに気づいた。
もう一点、


Arapahoのオキャンが月の神に誘拐されて、お煎餅を食わされた。娘いわく「噛み付くわよ~」前歯を丸出し見せつけて「ポロリポロポロ」と齧って、月の神の嫁に貰われた。太陽神が推薦したカエルはお煎餅を「グチャグッチャ」と舐めるだけ、参列の皆から野蛮な食べ方とバカにされた。天上食べ方コンクールで娘が勝利したから、人とカエルの宇宙序列が固定した。
現代のパリで人がカエルを食らう主従関係はArapahoのオキャンが決めてくれた。逆になっていたら(西洋式食事では煎餅沢庵をコリコリ噛み音、ソバでもすすり音を出したら礼儀違反)娘が追い出され、カエルが太陽嫁になっていた。今頃のパリでカエルが人を食らう、こんなおふざけが大手を振ってまかり通るはずだった。


パリでは人がカエル(cuisses de grenouille) を食らう。天上の食事作法はポリポリ音をたてるが上品だったから。


こんな処をぼちぼち出稿します。了

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