蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

サブちゃん焼き鳥は何故うまいか(2007年の第4部)

2009年10月29日 | 小説
2007年冷たい宇宙の第四部をHPに掲載しました、左の部族民通信HP版から入ってください。後半の一回目です。林太郎が死んで二十年後、北山台駅前の焼き鳥店サブちゃんは連夜大にぎわい。味の旨さは帝都一番との声が上がる。その旨さの秘訣に迫る焼き鳥技術論かメインです。以下抜粋、
拐かした獲物は白裸、つややかな肌脂ののった艶めかしい丸みをサブロの前に晒している。その肌をねっとりとした眼でサブロはなで回す。=中略=
サブロが出刃を取り出した。刃先の鋭さを青い眼光で確かめ、捌きの一刃をその白肌にブスリと入れた。包丁の刃先が冷たく肌を断つ。出刃先で腹を割り腕骨を断つ。その時獲物が泣き出した。「痛い堪忍して、たすけてー」と訴えたのだ。此処が肝心な瞬間だ、彼女をあやしなだめなければ、裸身のねっとり味を串にまで保てないのだ。
「姫よ、痛さに泣くな、腹を抉られる恐怖を耐えろ」と励ます。さらに優しく語りかける「痛いのは今だけ、斬り刻んだら終わり。それ以上の悪さはしないから耐えろ」泣きじゃくる獲物をあやし騙す。=中略=
「さあお子様姫達はおねむの時間だ、静かにおやすみ」それが最後の眠りだなんて彼女達は知らなかった。「明日はデビュー、ハレの舞台だよ」と騙しを信じてしまったのだ。
夕の四時になった。火床を前にサブロは冷酷に焼き鳥に励む。どのように、それは毎夕毎晩サブちゃんが火床の前で独白している科白を聞けばわかる。
「炭は熾きているか、赤いか、真っ赤な怒りの色が唸りあげているか。怒った炭を積み上げろ。団扇で叩け、団扇の風で炭を叩け、もっと風をたてろ。風は鞭だ。炭は怒る、塊になって炭が怒る、その赤い怒りの炭ツラを覚えておけ。めらめらと燃えた炎は怒りの眼だ。団扇がおこす鞭に憤怒の抗議をしている。炎が踊る。宝物の姫達を焼き焦がす熱だ。
=中略=これからデビューに出演すると騙されている、実際デビューかもしれない。そこが舞台なのだから。
怒り狂った炭の塊、真っ赤な炎、灼熱地獄の舞台、その上で彼女達を炙るのだ。静かに寝ているその寝息を乱すのが真っ赤な炎、その上にかざし炙るのだ。泣き喚こうが、のたうち叫ぼうがもう遅い。拐かされてむしられて切り刻まれて串さされ、挙げ句の果てが騙しの火あぶり。もう遅いのだ。泣きわめいても戻れない、お前らはこんがり焼き鳥に粛正されるのだ」
酔っぱらいよ、サブちゃん焼き鳥食っている酔っぱらいよ、天国を目指すのならば姫達の断末魔の叫び、地獄火に焼かれる今際の美女の悲鳴を耳にしろ。
街灯除霊師の北白川安休斉がサブちゃんで裸女の火焙りラインダンスを目撃してしまう。安休斉はサブロにスカウトされ林太郎の転生で重要な役を果たすことになる。

他に私の持論、時間とは積み重なるのだ!の一節もあります。芭蕉の光陰矢のごとしに反論するのだ。

時が流れるとするのは誤りである。時は蓄積する、幾重にも幾重にも積みかさなり、心の底に沈み込む。重みとして心に残る記憶が忘れられるなどあり得ない。過ぎ去った時が思い出とともに時間の沼に沈殿していく。過去がその過去に覆い被さり、一層二層と積みかさなり、ひたすら心の奥底に沈み込む。記憶の重さが思い出を封印しているのだ。追憶とは苦しむだけ、心の底を抉り、沈み隠れた過去を引き出す痛みとは、忘れたはずの思い出を、今に晒す苦さ虚しさだと思え。

なおサブちゃん焼き鳥はフィクションです。同名の焼鳥屋(がたとえ在っても)とは一切関係がありません。
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2007年冷たい宇宙の第3部をHP に掲載

2009年10月25日 | 小説
 第三部は火砕流の吹き下ろしがお迎え(三)とエンマ政庁がお裁き白州(四)を含みます。あらすじとしては林太郎がお迎えに「巻きこまれて」冥土に落ち込み、三途の川を渡り、エンマ裁き場にたどり着きます。エンマと天国地獄、祈りと呪いの関連などの議論を経て、最期に「見えない鬼灯」を見せられ、その答えで地獄墜ちの裁きを受けてしまった。 二のシーンを引用します。まずは祈りと呪い。祈りと呪いは伴侶である。
「はじめは呪いだった。人が生態の中に割り当てられた地は、雨の降らない不毛の乾燥地だった。凍りつく極相だった。渇き飢え、灼熱と氷に苛なまれた人は宇宙を呪った。彼は草原にたち周囲を見渡した。地を轟かすマンモスを見つめ、野を跳ね回るオーロックスを眺め、彼らの美しさと自信に満ちた行進ぶりを羨んだ。=中略=自己を客観して観察する知恵を捕らえてしまったのだ。知恵を通したらいかに自身が悲惨であることを知った。森の奥野の隅にしか生きられない境遇を呪い続けていた。その呪いを祈りに換えたのが信仰と称すまやかしだ。
なぜ人は狩り尽くし食い尽くしたのか、彼が呪いから出発したからだ。呪いほど強いパトスはない。呪いで石を格闘の具とした、鉄を打ち武器に変えた。呪いから創造された岩の道具が、鉄の武器が世界を熱く変えた。呪いの伴侶が祈りだ。
日照りに渇き、飢饉に飢えた。その時に人を励ましたのは呪いだ。意匠返しの祈りだ。石の握斧が人の飢えに食を与えたのでない、鉄の鏃が人の孤立を救ったのでもない。祈りが人を救ったのだ。その祈りの成分は全てが呪いだ、それが熱い祈りの起源なのだ。
 林太郎はエンマに許されて天国を覗く。天国とはオールトの海にある絶対零度空間だった。
「しかと天国の情景を目にするのだ。暗闇なので浪騒ぐ水面も見えない、真空なので風音も聞こえない。しかし実際は涯のない海だ。白浪が立ちつむじ風が吹きすさぶ不毛の海だ。この下、一足戸外に踏み外せばそこは冷暗が牙を剥く、亡者を暖める一差しの日の屑もない凍結空間だぞ」
 林太郎は腰一つ引いて、首を伸ばして恐ろしげに外を見た。暗闇が横たわっていた。上も下も、右も左も何もない。光も風もない、黒く凍りついた無の漂いだけがあった。一夜の目覚めも刹那の思索も、うめきの声、救い呼ぶ手の振りもない、何も見えない暗黒がどこまでも続く拒絶の真空、絶望の海だった。
「これが天国なのか。ああ、天国とは無が結晶し、あらゆる夢も希望も絶対真空に、絶対零度に固結されてしまった拒絶の空間だったのだ」林太郎は天国を見下ろしながら、吹き上がるソックと冷たい風を確かめ、大きく吸い込みながら呟いた。
エンマが林太郎の独白を引き継ぎ、「天国は海だ、何もない海だ。放なたれる悪霊こそ幸いあれ、お前らは夢をみることができる。その夢を凍結してつかの間を虚無に安住し、身動き一つ寝息一息もたてずに凍りついた二百億年の不毛に果てる」
全体二八頁、原稿用紙換算で百十頁です。左のHP版部族民通信をクリックして立ち読み気分で読んでください。

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捕虜収容所は食い逃げするしか

2009年10月23日 | 小説
肩の凝らない話です。
先日案内に誘われて以前勤務していた会社のOB会に参加しました。年1回秋口の気候良い頃なので出席を希望していましたが、時間が取れなかったり予定が入っていたりで約X年経過、今回は満を持しての出席となりました。会はまずOB会長の挨拶、会員の動向、現経営陣の祝賀、乾杯など「祝賀会」一般の進行とおり。乾杯の後にようやくテーブル上の美味しい食事にありつけました。回りは皆さん旧知の先輩、同僚そしてたまに後輩もいてうち解けた雰囲気でした。
しかしどことなく違う、普通の祝賀会とは何か違う、それはなんだろう?と疑念の目付きで周囲を見渡すと、やはり疑惑とおりにここは特殊な会合場所であり、その悲しい背景が分かりました。参加者が2組に色分けされているのです。その色分けとは、
1が私を含め喰って飲んで退職後の諸々の経験、経緯を普段の言葉で話す庶民
2は高所ででんと構え周囲を見渡して、何かがあれば「おいちょっとこっちで話してくれ」的にとり仕切っている集団。
お分かりの通り1が一般職せいぜい課長(部長も入りそう)で終わったペイペイ人種。兵隊でいえば軍曹までの兵卒クラスです。
2は数少ない分お偉い方達で、取締役以上、社長会長顧問などを歴任した方々。この座る場所での高低差(正面屏風席)、態度の「高慢・卑屈」差は何年もX10年も前の職場の地位の差を引きずり反映されていたのだった!
ここに参加している方々は前線(仕事現場)をとっくに引退したベテランのはず。それにもかかわらず、かつての仕事階級で行動パターンを律するとはーと複雑な気分になって、ともかく料理を思いっきり喰いだした、ヤケ食いモードだ。
在郷軍人会あるいは捕虜収容所で同じ管理構造が見られるそうです。戦い終わっているのですが、現職での階級をそのまま移植させています。戦いに敗れた(退職した馘首されたなど)諸々が参加している背景から、捕虜収容所の支配構造(=所内での待遇は兵卒VS佐官将官とに峻別していたし、佐官が兵卒を支配していた)に酷似しているはずだ。
しかしあっちはモノクロニック、すなわち一代限り、これはまあ楽だ。会社のOB会がよりひどいのはアナクロニック、すなわち過去から面々とお偉いさんが累層してお偉く座っている。こちら兵卒にとっては自分の時の役員社長が何代もそろって雁首揃えている上に、その前さらにその前…まるで歴代役員社長の品評会見たくなっています。
現役時代では組織にはまり、上役にヘイコラしていた2等兵の私として、OB会では気晴らしができると思っての参加、しかしなんと捕虜収容所、それも歴代面々が支配する地獄の収容所に紛れ込んだのだのとびっくり、あわてて食い逃げしてきました。
(HP版部族民通信=左のHP版をクリック=も冷たい宇宙がいよいよ佳境に入ってます、よろしく)
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2007年冷たい宇宙の第2部をHPに掲載

2009年10月21日 | 小説

2007年冷たい宇宙、いよいよ霊と肉の相克が始まります。
第二部では六助が人類の救世主となる運命の林太郎を発見する経緯、そして林太郎の殺害、子の死を嘆く母明子の悲しみ。悲しみのあまり乳房をさらけ出した明子が、死骸を胸に抱いて追随する人々を巡礼にひきつれます。サブロから借りた「霊メガネ」で明子林太郎の母子を透視する六助、
=幼児のはずの林太郎がすっかり青年になって、母を優しく守る僕のように、半歩の下がりでかしずく。母の肩に手をそっと当てていた。母の井田明子は霊として輝かしい女性姿を生女房の妖艶な姿に映し、柔らかい肩と背で表現していた。親子と言うより、姉弟、いや夫婦、魅力的年上の妻と若く落ち着いた夫、あるいは愛情溢れるミストレスと彼女に恋い焦がれるアマン=

林太郎は赤犬の襲撃で殺されてしまう。死骸を胸に懐く母明子。その時異変が起きた。明子は、=胸元がどうにもきついブラウスの前ボタンをはずした。引き破るようにしてブラウスを肩から脱いだ。深い胸の谷間と柔らかい乳房をささえる黒レースのブラジャーが露出した。そのブラジャーもちぎる様にしてはずし捨てた。
上半身が裸になった。それは白い肌の白い胸であった。冷たく光るマイセン肌の乳房であった。山小菜(ほたるふくろ)のような形よい紡錘形の両の膨らみがブルルンと震えた。膨らみの先の丸く赤い乳首を林太郎の口先に当て
「林太郎、母の乳を含め、お前はこれから先に食するものもない飢餓の奈落に落ち込む。旅たちの前、最後の乳を口にふくみ、餓鬼地獄の奈落の底で、宇宙の終わりまで果てしなく続く飢渇の前に、今ここで渇きを癒すのだ」
 乳首は林太郎の唇を分け通った。明子は林太郎があたかも乳を吸っているかのようにあやし、さらに乳首を押しつけた。うずくまりから立ち上がった時に、かしずく従者どもがオオーッツというどよめきを立てて明子の乳房を見つめた。そのまま井田家までの行進が始まった=
 
 イシス巡礼団が手賀沼に出現したのだ。
=これは巡礼だ、乳房の女神イシスと、女神の豊穣さにかしずくコプトの民の巡礼だ。
それまでは俘囚の足取りだった。子の死を悲しむ無辜の民の重い足取りだった。しかし明子の乳房が白日にさらけだされた事変をきっかけに、巡礼に変わったのだ。
沼の民よ、土手に忽然と現れた女神に誇りをもて、敬え、そして従え。白い胸、高く張りふくらんだ乳房、赤く丸い乳首。=中略=女神の胸の生肌のその白さに心を奪われる者、鬼灯の熟れ弾ける真っ赤な両の乳首を信じる者。巡礼者となって黄泉に向かうぞ、巡礼の流れに従え、今冥界に向かうぞ。
母イシスがホルスの屍にささやた、
「お前の前にあるのは手賀沼なんかじゃない、ここはカシワ葉町なんかじゃない。舞い輝く水面を見なさい、細波立つ瀬のたおやかな流れに目を移しなさい。ここがナイル、豊かなナイル、街はルクソール、豊穣の洛都ルクソール。神殿はお前の生まれた褥、そしてお前の旅立ちを祝うゆりかごになるのだ」

無料無制限の立ち読みのつもりでHP部族民通信に入ってください。
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2007年冷たい宇宙をHPに掲載開始

2009年10月19日 | 小説
10月15日のブログにあるとおり本年(2009年)の3月にHPを一時停止いたしました。HPに連載しつつ作品を仕上げていく、言ってみれば新聞連載の形式をインターネットで試みたいとスタートしました。しかし読み返すうちに文章のアラが見えるし筋道を変えたくなるなどで断念しました。いったん中断したからには、かなり作品を追い込んでからHPに掲載するとして半年間は必死に筋と文章と格闘してきました。
完成したのが3物語、霊魂3部作などと勝手に申していますが、いずれも霊と肉、死と愛の物語です。

第一部「2007年冷たい宇宙、天国と地獄」では幼子の死、母の嘆き、姉の祈り。転生のカラクリ、天国地獄が輪廻に果たす役割を折り込み、あらすじは;
手賀沼の畔、幼くして事故死した井田林太郎。引導渡され地獄の入り口でエンマから「お前の転生は決まってる。新しい信仰、冷たい祈りの宗教を迷える民に伝える預言者となるのだ」と宣告される。さらにエンマから「今は悪人が天国、善人が地獄だ」と聞かされ驚く。地元の古老六助からエンマの企みの全てを聞いた姉ミドリは「冷たい祈りなぞ受け入れられない」として林太郎の預言者転生の阻止を企てる。20年の経過、転生の夜、除霊師安休斉の道場で良子への除霊秘儀に乗り込んだミドリ、武器は肉付き焼き串の3本。果たして女25歳の身体張った作戦でエンマとジゾウの悪巧みを阻止できるか…     
連続してご拝読お願いします。 HP部族民通信に移るには左の枠からHP版をクリックしてください。
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デカルトは間違ってたノダ(進クン) 1

2009年10月16日 | 小説
利根川進博士といえば文化勲章、ノーベル医学賞(87年)受賞者。MIT教授であり理化研センター長を兼務するなど日本人最高の英知の一人とも言える大先生です。しかし本日の基調講演記事(ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム21世紀の創造、読売新聞10月16日(09年)朝刊から)を読んで全く驚いた。
何を驚いたかと言うと「「デカルトは間違っている」のだそうだ。こんな大先生が断定するのだから、私も「デカルトは間違っているかもしれない」と訳分からずに同意してしまうけど、どこが間違っているかと読むと「身体と心は別で心はどんな自然科学者が研究してもわからない」とデカルトが言った(そうだ)。しかし最近ではクリック博士(この方もDNA2重螺旋の解析でノーベル賞)の研究成果は「喜び悲しみは脳細胞の働きを表している」に過ぎないと。
だから脳細胞の構造を研究すれば(自然科学者でも)心の働きを解明できるノダ!と先生がのたまったのです。
利根川博士が免疫学から脳構造の解析に移ったのは知らなかったし、どのような論文・成果を上げているのも知らない。ましてクリック先生のDNA以後の業績に全く無頓着なので知らない。だから両博士の成果をどうのと言える立場ではないが、利根川大先生のこの断定には困ってしまった。
なぜなら今HPに上梓している作品が「心と肉体」の2元世界を描いている、心の奥底=霊であり、霊の実体は不可知、しかし人の心の奥に潜む宇宙精神なのだーとまあ宗教みたいな信念で書いているのです。それも3部作1500枚がほぼ校了。
しかし大先生から「そんなありもしない話を書くな、悲しみとは(たとえば海馬あたりの)脳細胞が引きつけると起こるので、そういう描写に変えろ」と一喝されそうだ。
でも今さら方針変更できないしで、初心に戻り霊と肉の2元に至った(私の)経路と心を科学者がいじくり回す危険を次回に。
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HP の再開と霊魂3部作のサイバー上梓

2009年10月15日 | 小説
ホームページ部族民通信(Tribesman.Asia)は2008年10月に開設されました。作品一部をUpLoad いたしましたが、筆耕不足(才能欠如との指摘もママあり)のなか、作品内容が満足する水準ではないことを実感、本年3月に仮閉鎖いたしました。4月より9月まで、ある意味で一心不乱、別の言い方では飽きもせずキーボードを叩き続け、年来暖めてきたテーマの物語化に挑戦いたしておりました。またこの間は本ブログを投稿することもなく、古い日付を巻頭に晒すという屈辱にもひたすら忍んでいました。ようやくHP再開のメドがたち10月第3週からの打ち上げを予定しています。
 私の掲げるテーマとは「精霊信仰、異界交流、霊との共棲」であります。このテーマのもと物語化したのが計3部、いずれも霊と肉の相克、反発、そして協和融合のストリーを校了いたしました。合計1500枚を越す物語です。順次HP上梓いたします。以下が霊魂3部作の題名です。

1 2007年冷たい宇宙、天国と地獄
2 100億年の巡礼
3 たはけの果て黄泉戻り、イザナギ

1作の「2007年…」を10月(09年)から、2、3作についても年内の上梓を心がけます。
今やこれだけのインターネット世界です、長編作品のサイバー発行の例、多々あるかと思いますが、心配ははたして「読み手」がつくものか。アクセスカウンターを気にせずに、一桁二桁の数字で一喜一憂することなく、日々HPとブログで研鑽していきたい、半年前の心情に戻りたくとりあえず皆様にはご報告だけ。
HPには現在(09年10月15日)ベータ版が載っています。完成版と作品の掲載第一弾は18日夜半の予定です。

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