蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

土俗医師、痛恨の失敗 1

2019年04月29日 | 小説
(平成31年4月29日昭和の日)
悲しく熱帯(Trietes Tropiques、レヴィストロース著1956年出版)に興味深い逸話が紛れ込んでいた。
ブラジルマトグロッソ地の先住民Nambikuwara族の現地調査に向かう旅、Barra dos Bugresなる小村(bourgade) ☆に立ち寄った。現地人から聞いた話として;
毒蛇に咬まれた者への治療と予防をもっぱらとする土俗医師がいた。患者がでると呼び出され村に向かう。ポルトガル語ではcurandeiroとしている、仏語curer治療の類推でその仕事が治療師と見当はつく。この訳にrebouteux☆☆をレヴィストロースは用いた。
彼の治療とは
<il commencait par piquer l’avant bras du malade avec des dents de boa. Ensuite il tracait sur le sol une croix avec de la poudrea fusil, qu’il emflammait pour que le malade etendit le bra dans la fumee.....(ポケット版312頁)
訳;ボア(大蛇)の牙で患者の咬まれた前腕を突く、地に火薬で十の字を描いて火をつけ、前腕を煙に曝す….
最後にcachacaなる飲料を患者に呑ませて終了(地場蒸留のラム酒=ネット検索)。

☆ネット検索すると現在の人口3万1千人、7200平方メートル。ちょっとした市に成長している。
☆☆土俗医師、俗医師と訳したが、スタンダード辞書に骨折医とある。robertでは経験的手法を用いる治療師とある。

写真:ブラジルでは今も土俗医師が健在である、ネットから採取。

ある日、村にturma de poiero(薬草)採りの一団を率いる男が滞在した。治療の手際を見て俗医師に「日曜まで滞在しないか、薬草採りの手下が到着する。奴らに予防術(vacciner免疫)を施してもらいたい」と依頼した。報酬は一人あたり5フラン、人数は書かれてないが10人とすると50フラン。俗医師はすぐさま引き受けた。
この価値を推量する。フランスは1960年に100分の1のデノミネーションを実施した。すると対応する価額は500フランとなる(現在フランは廃止された)。固定相場制時期(戦後から1973年まで)の円フラン相場は71円、これを機械的に適用すると5x100x71で一人あたり\35,500.-の計算となる。デノミネーションで旧来の価値が復活したかには疑問が残るが、一の指標として参考に)

日曜を翌日に待つ土曜の朝、集団住居の入り口の辺り、けたたましい犬の吠えが続く。cascavel、毒蛇がとぐろを巻いていた。立てた尻尾を振り鳴らすガラガラのかすれ音から怒り狂っていると分かる。薬草採り団長は俗医師に蛇退治を命じた。医師は拒否する。団長は「お前は免疫を受けているだろうに、蛇を捕まえられないなら、怪しい術だ。手下への免疫は取りやめだ」けしかけた。
10人なら35万円の報酬は諦めきれず、蛇に手を出して咬まれて俗医師は死んだ。
以上が現地人から聞いた土俗医の痛恨の失敗譚。

語った現地人は「実は私も予防を受けた、最後に免疫の効果を確かめるために腕を蛇に咬ませた。その蛇は無毒の蛇だった」と打ち明けた。
この語りに出てくる人々の判断と考え方につき、レヴィストロースは「ブラジル内陸部に共通」する心情としている。さらに;
<de meme , pensait sans doute mon interlocuteur de Rosario> ロザリオ(アルゼンチン二番目の市=当時)出身の通訳もこの(ブラジル内陸の民衆)判断思考と同じであるとした。であれば南米の住民に広く伝わる思考の様態である。
いったい「この判断、考え方」とは何か。

レヴィストロースの注釈が入る。
<il llustre bien ce mélange de malice et de naivete – a propos d’incidents tragiques traites comme de menus evenements de la vie quotidienne- qui caracterise la pensée populaire de I’interieur du Brasil>
訳;主体のilは現地人の話(le recit)を指す。悲劇的な結末を日常の出来事のごとく取り扱う語り口から、思考行動には信じやすさと悪意の入り交じり模様が浮かびあがり、ブラジル内陸の民衆はかくありと伝えている。
「信じやすさと悪意の入り交じり」が南米に広く伝わる考え方であると。

maliceの意義は「悪意」であるが「悪意の籠もった口出し」。すなわち意識のみならず、具体的行動にも意が及ぶ(辞書ではaptitude a FAIRE le mal)。すると上例の逸話では薬草団長が俗医師に毒蛇を捕まえろとの指示がmaliceで、naiveteは占いまがいの免疫術をすぐさま信じた彼の判断を指す。
信じた効果を確かめんと悪意が籠もった口出しは、無批判に信じた幼稚さの反動としてか。内に渾然と両者を秘めるブラジル内陸部、そして広く南米の民衆。

物語を一通り聞いたレヴィストロースは、ラホール(パキスタン)に立ち寄りアフマディ教団長から歓待を受けた夕晩餐での会話を思い出した。時系列は異なるので、順番に正確を期すと;
エジプト、パキスタン、インド、ビルマ(当時)を巡った飛行機の旅。各エスカルの空港に降り立ち、内陸に足を伸ばしたのは1947年。故に時間の経緯はまず土俗医師の話が1938年、大戦を挟んでアフマディ教団ラホール派のスルタンに面談したのが9年の後。本書の執筆時1955年に両の話し思い返して、思考と判断が同一線上に位置すると気付いた。
アフマディ教団はネオムスリムとも称された。小筆の理解が及ぶところではないが、教義にはイスラム正統派と較べ柔軟さが際だつ(ようだ)。
土俗医師、痛恨の失敗 1 の了
(最後まで読み通した方に、ご苦労様です。下のブルグランキングボタンをクリックしてください。おかげさまで280から130位までに上がってきた)

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悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 6(最終回)

2019年04月27日 | 小説
(平成31年4月27日)
死霊を迎える儀礼の描写に続いて、
<La confrerie des hommes pretend representer les morts pour donner aux vivants l’illusion de la visite des ames ; les femmes sont exclues des rites et trompees sur leur nature veritable, sans doute pour sanctionner le partage qui leur accorde la priorite en matierre d’etat civil et de residence , reservant aux seuls hommes les mysteres de la religion.>(282頁)
訳;儀礼に列する男達真実の姿は、女達に隠し通されたままだ。間違いなくこの配慮は物質の所有と家宅を女達に委ねる制度を保証している。男には代償として信仰する主体、それと秘蹟の執行を与えている。
<Mais leur credulite reelle ou supposee possede aussi une fonction psychologique : donner , au benefice des deux sexes, un contenu affectif et intellectuel a ces fantouches dont autrement les hommes tireraient les ficelles avec moins d’application.(同)
訳:しかしながら彼らの信じやすさには、真実か見せかけかに関わらず、心理学的機能が付与されており、それが男女双方の利益となる。操り人形(死霊に扮した踊り手)に一種の効果、知的機能を授ける事となる。そうでもなければ、男達はこれほど熱心に人形の操り糸をたぐる訳がない。

写真:ボロロ族、死者の霊儀礼の準備。右端に全身を葉にくるまれた霊が見える(同氏の著作から)

引用のcreduliteはgrande facilite a croire sur une base fragile (辞書robert)。あやふやな前提ながら信じ込む偉大な能力とある。信じ込んだ「フリ」を通す場合も含むようだ。枝と大葉に身をくるむ、不気味な物体が部族聴衆の前に死霊ダンスを舞う。あの世からやってきた霊、そんな「あやふやな前提」を信じているか、信じた振りをしているのか。どちらかと詮索する必要はない、参列族民の全員が死霊の舞い戻りを信じている。この建前が前提となっているから熱中するのだ。

レヴィストロースは「信じやすさcredulite」をサンタクロース伝説に結びつける。<leur ferveur(子供達のサンタへの執心)nous rechauffe, nous aide a nous tromper nous-meme et a croire qu’un monde de generosite sans contrepartie n’est pas absolument imcompatibles avec la realite.>(238頁)
訳;子供達の熱狂は我々大人を熱く変え、異論を許さない寛容さは社会の現実と不協和をもたらさないと信じ込ませる。サンタクロースの社会機能を信じやすさに収斂させている。

(信じやすさを蛇毒消しの土俗医でも取り上げている。論理性を排しても秩序維持を図る平衡感覚は、ブラジル奥地の住民もラホールのイスラム教アマディ派においても同一であるとの指摘である。土俗医師の項として後投稿する)

<Et pourtant les hommes meurent , ils ne revient jamais ; et tout ordre social se rapproche de la mort, en ce sens qu’il preleve qulque chose contre quoi il ne donne pas d’equivalent>
訳;人は死ぬ、それでも帰ってこない。社会の全ての決まりは人を死に向かわせている。そうした何か決まりを取り除いて、なんの代償も与えない。
悲しき熱帯での圧巻と小筆は受け止めています。

解説:
引用の最後の文、「tout ordre social se rapproche de la mort....=社会の全ての決まりが死に近づく。この句の示すところを探りながら全体の解釈に迫る。ordreの意味が解釈の糸口となる。
フランス語では1の語ordreで、秩序と順番の2の意味を表す。
辞書robertに当たるとその義は1 succesion reguliere de caractere spacial, temporel. V.Enchainement 3に qualite d’une personne qui a une bonne methode. 例文として<La mere, pleine d’ordre, tenait les livres .... menait toute la maison.Zola
>とあります。
1は空間、時間の尺度で規則正しい継続。3の義で規範に則り、順番に片付けていく人の行動を表します。例文の訳は<母は規則正しい性格で(散らかった)本を仕舞い、家中すべてをとり纏めていた>秩序を保つために本などを順々に整理する様が秩序である。フランス語のordreはdiachronie=経時の行動です。
一方で、日本語で秩序は静的状態を表す。
本を所定位置に戻し置く母の行動を秩序とせず、片付けという。行為、行動を伴う事柄を秩序と日本語では言わない。片付けしてあるべき状態になった場に秩序が生じる。秩序は日本語でsynchronie(共時)です。

それでは、ボロロ族の社会では
秩序なる行動が順々に物事を追い続ける。そのつまりで「死に近づく」。行動の規範、社会の制度が人を死に追いやる。死に向かわせる制度が何かは前述されている。それは家財を管理する訳でないし、野良仕事に精出す気構えもない、男の怠惰が前提となる。祭儀のみに時間をつぶす。成人式、死霊迎え、その他いろいろあるらしい。男屋に閉じこもり、昼は寝て夜は祭り三昧。気晴らしは狩り。全ては男の死を前提にしている風習である。死のボロロ秩序とは生涯を通じてのdiachronieであるとレヴィストロースが見抜いた。

写真:葉にくるまった複数の死者の霊がダンスしている。(同氏著作から)

再び非熱帯の旅に戻る。弱気のレヴィストロースがかいま見える。

帰国に向かうレヴィストロースの語り口に異変が生じた。
<J’avais quitte la France depuis bientot cinq ans, j’avais delaisse ma carriere universitaire ; pendant ce temps , mes condisciples plus ages en gravissaient les echelons ; ceux qui, comme moi jadis , avaient penche vers la politique, etaient aujour’hui deputes, bientot ministres. Et moi,je courais les deserts en pourchassant des dechets d’humanite.Qui ou quoi m’avait donc pousse a faire exloser le cours normal de ma vie ?(450頁)
訳;フランスを離れもうすぐ5年が経過する。私は大学での職位を放り出しそのままなのに、賢く立ち回る同期の幾人かは、かつて私も志向した政治分野に入って、次官に上りいずれに閣僚となろう。砂漠をはいずり文化の痕跡を探し出していただけだった。誰が、何が、まともな生き様から破断するように、私をし向けたのか。

続いて
<Ou bien ma decision exprimait-elle une incompatibilite profonde vis-a-vis de mon grouep social dont quoiqu’il arrive, j’etais voue a vivre de plus en plus isole ? Par un singulier paradoxe, au lieu de m’ouvrir un nouvel univers, ma vie avetureuse me restituait plutot l’ancien, tandis que celui auquel j’avais pretendu se dissolait entre mes doigts.(451頁)
訳;私があの決定をしたその時すでに、属している集団と深い亀裂が生じてしまったのだろうか。何が起ころうとも、どんどん孤立して行くのだろうか?わずかな食い違いかもしれない、それが私に新しい世界を広げる代わりに、冒険にかけたこの年月の成果が私を古い世界に戻してしまうのか。手に入れられるとした世界が、指の隙間から抜け出てしまったのか。
レヴィストロースがすっかり弱気になってしまった。

ブラジル行きはBougle(高等師範学校学部長)の電話で端を発したので、生活を破断させた「誰か」はBougle。レヴィストロースが関心をもつ民族学が「何」に対する答え。
しかし、その見方は単純であろう。彼には属している集団があったが、ブラジル行きでそれと亀裂が生じた。フランスに戻ってからの約束された世界とは大学での地位かと推察するが、戻る場所を見つけられない。その背景とは、とあるいざこざが出発の時に発生していたのか。主任教授だったGerogeDumasとの確執でもあったのか。それらは書かれていません。
帰国はヨーロッパはドイツがポーランドを侵攻した1939年。

帰国直後、パリで開催した講演は不調だった。
<le petit amphitheatre sombre qui occupe un pavillon ancien au bout du Jardin des Plantes.La societe des amis du Museum y organize chaque semaine des conferences sur les sciences naturelles. L’appreille de projection envoyait sur un ecrin trop grand, avec des lampe trop faifables , des ommbres imprecises dont le conferencier parvenait mal a percevoir les contours et que le public ne distinguait guere des taches d’humidite maculant les mures. Un quart d’heure apres le temps annonce, on se demandeait encore avec angoisse s’il y aurait des auditeurs...(11頁)
訳;パリ植物園内、古い離れ屋、そこには薄暗い小さな階段教室がある。博物館友の会が毎週、幾つかの自然科学の講演会を開く。投影器に比べて大きすぎるスクリーン、暗いランプ。映し出される影はぼんやりしているから、講演者にも形状は分からない。聴講する側は壁に張り付いた滲みかと見えるだろう。開始予定時刻から15分経過した。まだ誰も座っていない。
植物見学に飽きて講堂の無料講演に引かれた親子連れ10組が入ってきた。彼らに南米先住民の生き様を講演しなければならないのだろうか。5年の歳月と国内での地位を振っての成果がこの惨状で終わった。
書き出し< Je hais les voyageurs et les explorateurs >訳;私はあらゆる旅行者と探検者が嫌いだーの背景にも見当がつく。

大学の地位ではなく、モンペリエのlysse高等学校に哲学教師の職を得るものの、徴兵、敗戦、公職剥奪(ヴィシー政権反ユダヤ法)と苦難が続いた。降って湧いたかのアメリカ亡命行は本文初頭に取り上げている。ニューヨークでの5年、帰国、その後、親族の基本構造、本書、野生のスミレ、神話4部作など発表し、構造主義の観点から先住民の文化と精神構造を論じた。

私見であるがレヴィストロースは民族誌学的にはそれほどの業績を上げていない。この分野では未開民族を訪ね歩いて、調査に時間をかけなければ成果はモノにできない。
しかし、哲学の方法を取り入れ「民族思考論」を立ち上げ、文化人類学の可能性を広げ、神話構造学を開拓した。あらゆる旅が嫌いでも、いかなる開拓者が嫌いでも社会人類学を学べると証明した。了

投稿子(蕃神)は引き続いて悲しき熱帯を紹介していきます。近々予定は悲しき熱帯と構造主義、土俗医師とアマディ派、落日考。

お願い:本投稿を読了し賛同していただける方に、下のブログランキングボタンを押してください。現在、哲学ブログで130位の低落ぶりですので。なおコメントを通してご批判、ご指摘いただければありがたし(蕃神)。
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悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 5

2019年04月25日 | 小説
(平成31年4月25日)

前回4月23日投稿では2の挿話、認識する死者と、物としての死者を紹介した。いずれもヨーロッパの古民話。ヨーロッパではキリスト教が広まる以前には、死者へ両の認識があった傍証であろう。では今はどちらかの質問に、レヴィストロースは1認識する死者であると断言する。ヨーロッパ、キリスト教の影響の下、死者は何を認識するのか。

<il n’est pas douteux que l’attitude speculatrice s’est progressivement effacee au profit de la conception contractuelle des rapports morts et vivants...par la formule de l’Evangle : laissez les morts ensevelir les morts>(270頁)
訳;投機への態度が徐々に薄れ、(葬儀礼は)死者と生者が契約する場とする思考に入れ替わった。この変遷は疑いようもない。福音書の公式の影響である。死者には葬儀を施し、後は放っておけば良いとする。(ここで使われる葬儀(ensevelir)は屍衣を着せ棺に安置し、焼かずに地に埋め墓標を建てるまでの儀式となる。これが死者との契約である。ここまで恩を帰せれば死者は満足する。この場合はreconnaissant認識するは、感謝する、本義になる)

解説:福音書の公式とは何か。ヨハネ黙示録が伝える「最後の審判」である。キリスト者はこの世の終わりに神が執り仕切る最後の審判(jugement dernier)に臨む。神が善人悪人を判定して、善人だけが天国に迎えられる。(と信じる)。故にキリスト者はとっておきの服装、髪型、顔色なども生きる姿形のまま、善行の記憶も棺桶の中でしっかり胸に留めて、神の審判を待つ。生き様を証明するには生きたままで埋葬してもらわないと。
生身で埋める(inhumer)はカソリック葬儀の基準である。

法王は火葬(insinerer)された死者でも最後の審判に臨めると宣言した(1961年)。が、今もってキリスト教徒は灰cendre(お骨)が神の前に立ち、「こんなに上等な背広を着た良き市民」と、どうやって陳述するかに想像が及ばない。火葬の比率はフランスで30%、イタリアで10%と未だ少数派である。=Le triomphe de l’incineration, パリ第一大学Philippe Boutry教授、東京恵比寿日仏会館2019年3月4日の講演、小筆の聞き取り。
(洗礼前の乳児、自殺、行き倒れ、終身刑徒=本来は死刑の罪、係累不明者、非キリスト者も含む)
さて、
世界中、全ての部族は、レヴィストロース提起の2分類の死者定義では1あるいは2、ないしはその折衷型として特定できるとレヴィストロースは教える。しかしボロロ族はいずれにも属さない。1と2を同時に信仰する希有な族とレヴィストロースは報告する。

Bororo章 les morts et les vivants(死者と生者)を読み進める。
信仰では死ぬと(取り憑いていた霊が)金剛インコに転生する。自然に戻るのでボロロ族は自然に貸しができたと信ずる。これがmori(自然への債権)である。
<la mort est a la fois naturelle et anti-culturelle=中略=Le dommage dont la nature s’est rendue coupable envers la societe entraine au detriment de la premiere une dette , terme qui traduit assez bien une notion essentielle chez les Bororo, celle de mori>(271頁)
訳;死は自然起因でありかつ反文化である。自然にその責任が帰される社会側の損害については、前者(自然)の代償になる負債が生じることとなる。この概念を端的に表す語がmoriである。
死を「自然死」と理解してはならない。死とはどのような場合でも、自然が介入しボロロの男を死に至らしめる。「ちょっかいを出す」ととらえれば良い。こう考えてanti-culturelleに理解が及ぶ。死とは自然から社会への敵対行為である。結果として死者の霊は自然に飛び去りインコに変身したから、自然の利得として数えられる。ボロロ族は自然に債権を持つことになる。(ボロロの男と特定した理由は、女が死んで何も残らないとの信心を彼らが持つからである)
<Quand un indigene meurt , le village organize une chasse collective, confiee a la moitie alterne de celle du defunt : expedition contre la nature qui a pour objet d’abbatre un gros gibier, de preference un jaguar..>
訳:人が死ぬと村人は集団での狩りを組織する。死者の属する対抗部の成人が参加する。ねらう獲物は大型の動物、誰もがジャガーを期待する。
死者がでると自然への貸しが発生するとし、男達は集団でジャガー狩りを組む。しかしジャガーは容易に射止められる獣ではない。手ぶらで帰るも多いとか。

ジャガーには利用価値がある。
族民らが我(レヴィストロース)のirara(=vertus、善行)に気づいて、葬祭狩り隊長に任命してくれていれば良かったのだが。死者がでたのは到着した翌日だったから、(私を正しく評価する)時間が足りなくて、誰もそんな提案を持ってこなかったのはやむを得ない。もしやそうなっていたら、隊長の私(レヴィストロース)がせしめられたのは;
le brassard de cheveaux humaines (髪でできた腕輪)
clarinette mystique formee d’une petitte calebasse、anche de bammbou(奇怪な音を出す竹リード付き小さなひょうたんの楽器、獲物の皮剥に際して演奏する)
collier de disques en coquillages(貝の首飾り)
これまでがレヴィストロース隊長が持てるはずだった道具。(せしめてmusee de l’hommeに寄贈するつもりだったろう)
la viande(おいしい肉、ジャガーが獲れたとして)
le cuir(毛皮、もっとも重要)  
les dents(歯)
les ongles(爪、上の3点と合わせレヴィストロースが遺族と山分けできた。272頁)
(どう考えてもボロロ族がレヴィストロースを隊長に任命する道理がない。言葉の遊びだが、ジャガー狩りの形態と目的が理解できる)

これほどの価値をジャガーが産み出すが、それも男が死んだから。族民の死をタテに取り自然側に「難癖をつけて」、ジャガーを狩る利権を獲得し毛皮などを手にする。このやり口は死体利用での究極の2ではあるまいか。
(ボロロ族は平素、言い伝え(神話)で狩っても自然に許されるとつじつまをあわせている特定の野豚(ペカリ)、鼻熊、鳥類、魚など捕る。大型動物はジャガーに加えバクがあげられるが日常の狩りの獲物としていない)

順は逆になったが1、認識するする死体(le mort reconnaissant)へのボロロ思想とは;
<ils (animaux) appartiennent pour partie au monde des hommes, surtout en ce qui concerne les poissons et les oiseaux, tandis que certains animaux terrestres relevent de l’univers physique. Ainsi les Bororo considerent-ils , que leur forme humaine est transitoire : entre celle d’un poisson st celle de l’arara ( sous l’apparence duquel ils finiront leur cycle de transmigration). Si la pensee des Bororo (pareils en cera aux etshnographes ) est dominee par une opposition fondamentale entre nature et culture...>
訳; 小動物および全ての魚と鳥は人間世界に所属する。しかし地に棲む幾種かの動物は物質(自然)界に属する。ボロロ族男の生きる今は人としての形であるが、魚と金剛インコの間の、仮の姿でしかないと考えている。ボロロ族の思考、民族誌学の先達もそのように解釈しているのだが、根底に文化と自然の対立があるとすれば....

文化と自然の対向を考えの根本にボロロ族は置く。
人間界は村落、田畑に限定されず動物、魚、鳥も含めた(西欧感覚から判断しての)自然の領域に広がる。自然界は(大型)動物、それらが棲む奥深い山川、森で構成される。そして霊が自然と文化を行き来する。それは魚霊として生まれ、転生し人に取り憑き、後にインコに変わる。
この転生する実体は何か。レヴィストロースはそれをame=霊と教える。


写真はボロロの葬式、男のみで追悼する。呪術師Bariが葉を全身にかぶって死霊を装う。腰蓑を着用する縁者。著作より。

民族、部族の多くは「霊は人の霊、取り憑いている人の分身」と捉えている。日本人では菅原道真が憤怒のあまり霊に化け人間界に悪さしても、その霊の心と姿は道真の憤怒版そのものである(と考える)。
ボロロ族の信心はそこにない。

生きている間は身体に潜み、死んだら抜け出てインコに取り憑く霊は「人の霊」でも「インコの霊」でもない。人に取り憑くけれどその人と同体となるわけでなく、別体アルターエゴでもない。人が死んだら離反して、前の借宿など忘れる。
故に、取り憑いた人が死んでモノに果てても霊は自らの意識を保ったままインコに姿を借りてあの世(自然)に生きる。転生する主体はこの霊である。
一時を生きるボロロ人は背に憑いた霊にすがり、考えて動いて死に臨む。これまでと諦め死骸となればモノに果つる。霊は取り憑き主をインコに鞍替えして自然に生きる。
雄大にして虚無、これがボロロ族の生死観です(あくまで小筆の理解です、レヴィストロースは詳細を語っていない。故に語の意味、文と行のつながりを解釈すると上記にまとまる。オーバー解釈であるとの指摘には甘受するしかない)。
この霊は1の意識を保ち人間界と契約する霊です。
一方、自然に入ったインコの霊、その他諸々のあの世の霊とBororoは語り合えない。bariが仲介に出てくる。
<Les bari forment une categorie speciale d’etres humains qui n’appartiennent completement ni a l’univers physique, ni au monde social, mais dont le role est d’etablir une mediation entre les deux regnes>(272頁)
訳;bariは人間ではあるものの特別な範疇に属し、物質宇宙に完全には帰せずといって社会世界に属している訳でもない。両の世界を結ぶ役割を担うのだ。
(物質宇宙(univers physique)を自然nature、社会世界monde socialを文化cultureと言い換えれば理解は易しい)
<Le bari est un personnage asocial. Le lien personnel qui l’unit un ou plusiers esprits lui confere des privileges ; aide surnaturelle quand il part pour une expedition de chasse solitaire, pouvoir de se transformer en bete, et la connaissance des maladies ainsi que des dons prophetiques.>(273頁)
訳;bari、その人格は反社会である。一のあるいは複数の精霊(esprit)と結びつき特権を享受している。超自然(surnaturelle)の加護を受けるので、獣に化けて狩りに出て収穫をあげるのはお手の物、病の知識、預言者としての警鐘も受け持つ。(ここでのasocial「反」社会は「反逆」ではなく「社会と対峙」ととらえたい。辞書には第3義としてpersonne qui n’est pas integree a la societe とあるGR)
自然からの恩寵がbariを通じ人に授けられる。それらを整理すると;
1 bariが狩りでると獲物がごっそり
2 疾病を診断し(おそらく)治癒
3 自然現象、報せは災厄か警鐘かの預言

<Le gibier tue a la chasse, les premieres recoltes des jardins sont impropres a la consommation tant qu’il n’en a pas recu sa part. Celle-ci constitue le mori du par les vivants aux esprits des morts ; elle joue donc, dans le syteme, un role symetrique et inverse de celui de la chasse dont j’ai parle>(273頁)
訳;狩りの獲物と初めての収穫は、その分け前(bariの分)を取るまでは食してはならない。この分け前はmori=生きる者が持つ自然に対する債権=と反対にある。
注釈;自然へ突きつけた債権がmori。一方、人が平素、狩る獲物や収穫は(自然からの収奪であるから)bariが堪能するまで消費の対象にしてはならない。(お供えだが、bariは実際に食する)

図はジャガー、著書(Le cru et le cuit)より。

<Mystifies par la logique de leur systeme, les indigenes ne le sont-ils pas aussi autrement ?>自分たちの(虚構)システムにより煙に巻かれた先住民達に別の選択は無かったのだろうか。(虚構は訳にあたり加筆)

システムとは村落の構造、社会制度、神話の体系など幅広い制度、文化と取れる。ボロロのシステムは前述している。おさらいになるが;
社会構成;村落が2分割され(部)、さらに各4分割(支族)されている分節構造。
婚姻;男は母親の部、支族に属する。婚姻の相手は対抗する部、特定の支族、同じカーストの娘と決まる。
身分;男は父親と息子が別の部に属す。
所有形態;家屋、畑地、什器家具の一切は女の所有物。
信仰;憑依していた霊はあの世(自然)に転生する。霊の踊りなる儀式を、死者が出たときに司る。しかし女は生きて死ぬのみ。死んだら何も残らない。
子は母の系統を継ぐ、母系の原理であるが、二分する社会構成と合わさると、男の系統を分断させている(父と子は対立する支族に属する)。男が屋を所有しないから「安住の場」を捜せない。真理不安と生活での軋轢を内包するシステムと言える。
「別の選択」を頭に浮かべるレヴィストロースが感じる杞憂は、この制度が誘発する緊張によるものと思われる。


こちらは写真、ネットから採取。体長120センチ重さ95キロ。虎、ライオンの次に大きい猫科。

男達による死者の儀礼の描写が続く。礼式の手順は興味深くあるが、民族学の門外漢なる小筆に理解が至らないので省略。霊の踊りの一文を引用する<Vers le soir , deux groupes comprenant chacun cinq ou six hommes partiraient , l’un vers ouest, l’autre vers l’est.Je suivis les premiers et j’assistais, a une cinquantaine de metres du village, a leurs preparatifs dissimiles au public par un rideau d’arbes. Ils couvraient de feuillage a la maniere des danseurs...中略...ils representaient les ames des morts venues de leur villages d’orient et d’occident pour accuelir le nouveau defunt.>(280頁)
訳;夕方、それぞれ5、6人で構成される2の男達集団は一方は西に、他方は東に発つ。私は西に向かう集団について行った。村から50メートルほど離れた辺り、木々の被いで隠された場で儀礼の準備を始めた。彼らは身体を枝葉で厚く覆い、すっかり死霊のダンサーに様変わりした。衣装が意味するところは西の、東のあの世から新仏を迎えに来た霊である。

悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 5の了

後記:長文を読み切った奇特な御仁に乞う。ブログ村にも掲載しています。下のボタンを押してくれれば順位が上がるらしい。哲学ブログで140位くらい(むせびの泣きにボロ袖は乾かじの順位です)
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悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 4

2019年04月23日 | 小説
(平成31年4月23日)

レヴィストロースが「構造主義」の主唱者とされる背景として、思索の進め方があげられている。それは(目に見える)物体に対する(頭の中の)思想。2者の相互性を(思索の)根幹、構造としているのだ。
具体的には、ボロロ族が持つ社会に対する思想とは 部族が2の部に分かれ、それら部がそれぞれ4の支族に分割される。支族を継承するのは女で財産(土地、家屋)は母から娘へと受け継がれる。婚姻も特定の支族間でしか結ばれない。こうした幾つかの理念が社会への思想と形成されていて、それを示すのが前回投稿した概略図である。レヴィストロースが現場で実測した図も投稿しているが、そちらは目に見える実際の物である。
この相互性を思考の根源と捉えたきっかけが、いとこ婚の研究である。本書の前作にあたる「Les stuctures elementaires de la parante親族の基本構造1947年出版」に分析が詳しい。交差いとこ婚の(思想としての)図を掲載する。(Les structures...211頁)

写真:親族の基本構造、投稿子が所有するのは第2版2回目印刷1968年

掲載図の解説:Murngin族(オーストラリア先住民)の婚姻システム。ここでの交差いとこ婚は自身を男父親(図のdue男)として、娘(waku)は姉妹(due女)の息子(gurrong)と結婚させ、息子を配偶者(marikumo)の兄弟の娘(mokul-bapa)と結婚させる。dueとして所有していた財産(家、土地)はdue女からgurrong女(私の姪)へ継承され、獲物を狩る技術と権利は私から息子(waku男)に継承される。図を見て男が継承する権利は縦につながり、女のそれは左下がりの斜め線でつながる。

図:同初211頁。男の継承の流れは垂直、女のそれは左下がりの斜め。線を引いておいた

この図は理念、理想、思想なので実際にはこの通りに行かない。Murunginの実例は知らないが、悲しき熱帯Nambikwara族の例では男30歳半ば、先住民では老境とも云える、婚姻できる相手は10歳に達してない。男は辛抱強く少女の生長を待つか、他所部族から女を略奪するしかない。
ボロロ村にもどる;
レヴィストロースは1936年に訪れた。
<Si les habitations conservaient les dimentions et le dispositions, leur architecture avait subi l’influence neo-bresilienne....>(250頁) 訳;寸法と配置は伝統と違わないが、様式にはネオブラジル式に影響されている。
伝統的とは;
中央小屋、同心円配置が基本。その中央の男小屋平面は優雅な楕円形であった。急ごしらえなので長方形。屋根はかつて先頭からなだらかで優雅な曲線でつなぎ、茅葺きが地面に落ちる。今のそれは2段勾配の切り妻屋根に縦壁。これをネオブラジル式とレヴィストロースは皮肉る。
その10年前に再興された新しい村である。1900年初頭に宣教集団のサレジオ会(本部ローマ)が旧弊一掃を目的にして、伝統的村落を打ち壊し、簡易な家屋を族民に提供した。中央に男屋、同心円状に住まい、実はこの配置が彼らの宗教祭儀と大いに関連がある。
そもそも村落の構造は村民の精神と結びついている。平等村に移住したところで制度、精神風土が急変することはないので、新しい村は信仰、習俗と相容れない。男が女共と同居して、どうやって、女には見せてはならない祭儀を実行するのか。この落差に村民が悩んだ。住民多くが心身の不調に陥った(と講義で聞いた、アテネフランセにて)。
ネオブラジル小屋を脱出しボロロ村を再興したのが1920年代である。

写真:村落中央の男屋。生と調理から。方形、切り妻、垂直壁は伝統的建築とは異なる。

村落の配置から精神面、Les vivants et les morts 生者と死者(265頁~)に移る。
レヴィストロースは儀礼、信仰、精霊を語る。

ボロロ族から離れるが、この説明は大変、興味深いので文明社会の死者生者の観念とも絡めて幾行かを費やす。世界中の民族が死者と対峙する態度は2通りに分かれる。

その1 認識する死者(le mort reconnaissant)
(reconnaissantは感謝する、しかしここで死者は意地悪に描写される。よこしまな持ちかけ、裏切りなどだけなので、動詞reconnaitre原義に戻り「自身を死者と認識する」とした)
ヨーロッパ古民話の例で;
負債を返せないまま死んでしまった男、死体を前にしても債権者は近親による埋葬を許さない(埋葬したら天国に行けるから)。豊かな商人が死体を買い取り手厚く埋葬する。その夜、死者が商人の枕元に立ち「これからは何をやっても儲かる、ただし利益は折半」と告げた。翌日の道すがら、王女に出会い男は求婚する。王女の返事は「良いわ」!王女すらモノにできた。新婚の床、被いをめくると王女の下半身は蛇だった。
<Mais la princesse est enchantee : moitie femme, moitie serpent. Le mort revendique son droit, le heros s’incline et le mort , satisfait de cette loyaute, se contente de la portion maligne qu’il preleve, livrant au heros une epouse humanisee>(268頁)
訳:魔法をかけられた王女は半分女、半分蛇となっていた。うちひしがれる男、死者は蛇を女に化かして商人に渡したが、前もって罪深い側(portion maligne、下半身の事)を取り上げていた。自分の取り分にすっかり満足したとさ。
この死者は「認識する死者」であるとしている。

その2 起業家の騎士(le chevalier entreprenant)死者はモノ、自身を認識しない死者。
貧しい男が麦一粒を持ち行商にでた。持ち前の狡猾さで麦を雄鳥に、雄鳥を豚に、牛に換えて死体に換えた。その死体を使って生きる(正真正銘)王女をモノにした。
こちらの死体は化けて出ない、単なる物体である。モノ (le mort comme objet) として死をこき使う。生きる者に主体がある。

1と2の解析(私見)を試みよう;
1認識する死者のケース。
彼はこの世に住まない。
自己を認識するとは住まいを持つ、定住地はあの世、時折この世に出現する。生者の願望を受け入るけれど、要求するところも伝える。能力(魔法)を有する。横死、事故死など不慮の事故で死んだ者は、御利益が負の方向に強力で、この世に出てきたら人々に君臨する。脳溢血、老衰なんかで普通に死んだ者は名が残らない、それでも死者集団に潜り込む。先祖代々と称して家内安全、豊作の保証などを受け持つ。取り決め(祈りお供えなど)をないがしろにする生者には復讐する。

2死者には意識がないケース
彼は死んでも行くところがない。この世にとどまるが、もはや名前なし機能なし。引用の騎士物語では「この死体を懇ろに葬れば金が湧く」のインチキ売り込みの当て馬にされ、投機(姫と結婚)に利用された。カニバリズム(人肉食い)ネクロファジ(死肉食い)では「死者が生前にもっていた勇気知恵」を己に取り込むためなので、これも死者利用となる。ミイラを担ぎ出し家系、族の出自、由来を誇示する儀礼は(ミクロネシア等で)実行されるが、死体の利用の一形態であるとレヴィストロースが教える。
死を利用して儲けよう、その道具。

以下、私感におつきあいを;
日本の死者観を上の分類に当てはめると1となる。
盆には「ご先祖様」が降り立ち、幾日か滞在してお饅頭をパクと食べて満足し、あの世に戻る。すると豊作は間違いなし。沖縄先島諸島で信仰される「ニライカナイ」は訪問する「神」ながら、それをあの世に遊ぶ「死者」とすれば本土の風習、盆と重なる(柳田、折口が指摘している)。また浄土信仰とは阿弥陀の極楽浄土に往生を願う信仰なので、死者には強烈な極楽往生、目的の意志が残る。日本では中世以降、真宗が広めたとされる。

日本人は死者とは意識を持たない2のケース、この死者観も併せ持つ。
神道の教えは「死は穢れ」だから捨ててしまえ。葬列とは死者を「捨てる」儀礼であった。青浜、青谷、青山など青を被る地名は捨て場であった(谷川健一)。古くはイザナミが洞穴に捨てられ、イザナギが見た姿は腐敗した屍だった。捨て場は化野にあり、姥捨て伝承が流布していたこの国なのだ。
お骨を「海にながす」「森にばらまく」などの風習が葬儀の一形態として受け入れられていると聞く。わたつみ葬、森林葬を実行する遺族の心境は小筆にも理解できる。死体を捨てていたかつての、神道的無常が日本人の心に復活しているかと感じる。
1と2の同時信仰は成り立たない。死の世界観を日本人がどのように組み立ているのか、回答はできない。
私感はお終い。

悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 4 了
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悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 3

2019年04月21日 | 小説

(平成31年4月21年)
始めに;2017年7月から「猿でも構造悲しき熱帯を読む」を連載投稿した。読み返し不満(総花的で紹介になっていない)が溜まり、今回書きなおししたら、全くの別作品となったので、ここに連載する。いずれ「猿でも。。。。。」は削除する(投稿子蕃神)。

レヴィストロース25歳がサンパウロ大学教授に選ばれた経緯、フランスに戻り第二次大戦に巻き込まれアメリカ亡命を果たした裏話をこれまで(1,2回で)投稿した。
いずれも非熱帯フランスでの出来事です。
非熱帯なれど人物、逸話が滑稽でなぜか悲しく感じられます。しかし本書の主題は「悲しき熱帯」なので、緯度0度近辺での悲しさを取り上げます;

民族学、社会人類学の若き研究者としてレヴィストロースは、ブラジルマトグロッソ先住民のCaduveoカデュヴェオ族Bororoボロロ族、Nambikwaraナンビクバラ族、Tubikawahibチュビカヴァヒブ族を現地調査している。
部族名の地図(写真)を載せる(本書から)。

図:マトグロッソとボロロ族の位置。本書から。

教授職赴任の際に推薦者Bougle(高等師範学校長)が保証した「街中に原住民があふれかえっている。週末の余暇をうまく采配して調査できる」は真っ赤なウソだった。西欧化していない先住民の住む地は近くても「マトグロッソ」(ブラジル中央部の高地帯)。1930年代には整備された道路など期待すべくなく、それなりの装備、補充の手だて、員数を確保したキャラバン隊を組まなければその地には接近できなかった。例えば食料は基本自給なので20頭の牛を先行させる。牛飼い、牛泥棒よけの護衛、銃器も省けない。キャラバン隊をまとめる過程、馬の選定の逸話、そして旅程も詳しく記述されるが、ボロロ族の民族学の調査の様を取り上げる。
(注:民族学は族民の習俗、慣行、信仰などが研究課題。社会人類学は族民に限らず、有文字文化にも対象を広げ、課題も社会体制、宗教などにも広がるーと小筆は区別する。文化人類学とは形質人類学(骨、DNAなど)と対比する語で、社会人類学と同一)


ボロロの記述は興味深い、理由は2点ある。
1 マトグロッソでも最深部、峻厳な崖に囲まれた孤立地に彼らが住む。民族誌的には宣教団体サレジオ会の報告が残るものの、民族学者からの報告はなかった。学術として不明の部族。
2 レヴィストロース自身も貴重な情報を採取し、祭儀の場にも立ち会った。族社会が受け継ぐ信仰、言い伝えは豊かであると同時に、独自性が残る。「生と調理」で始まる神話学4部作には700を超える新大陸神話が引用されているが、ボロロ族の「鳥の巣あらし」神話が全ての基準(=M1)と位置づけられた。

写真:ボロロ族民、中央のレヴィストロースは沐浴中、幼児少年少女を追い払うわけにもいかず照れ気味の哲学者

紹介する章の構成は;
1 村落への接近と遠望した印象、そして感激
2 村の構成、住居、什器、被服など物質面の紹介
3 死者と霊のあり方を通して精神面の解析
に分かれる。

1から始める;
本書XXII章(249頁)の副題はBon Sauvage。この原義に則れば訳は「良き野蛮人」。しかしsauvage野蛮は「未開、乱暴」を伝える侮蔑語である。野蛮sauvageに「良い」を被せたら2の語をまとめる意味が通じない。主体と形容が含意するそれぞれが噛み合わないから。これを文法でoxymore (矛盾形容法oxymoronとも)とする。異質の組み合わせが思いがけない効果を生み出すけれど、そのきわどさは文学作品であれば許せる。<le soleil noir de melancolie>=物寂しさに黒く輝く太陽=は一例(Nerval)。
本書は哲学者の綴る人類学の著作であるから、かような「大向こう受け狙い」は不適との非難を受けた(とある講義で聴いた。1954年なので検証できない)。かまびすしい論難に反論せずレヴィストロースは謙虚に受け止めた(と粧った)10年の後、神話学第3冊「食事作法の起源Origine des manierres de table」(1967年)でBon Sauvageを再び用いた。Arapaho族村を月の神が訪れた。人のざわめき、犬の吠え、芳しい風の通りの良き有り様をこれぞ「idyllique牧歌的」と神は感動して、ついでに村娘に恋心を抱いてしまう。村人村娘が「良き野蛮人BonSauvage」であるとレヴィストロースは語る(Origine des manieres de table177頁)。
sauvageだってbon、若者はかっこいいし、娘は綺麗だ。
(部族民をして論理、倫理、美学的に劣るとする風潮がかつて西欧にあった。レヴィストロースは文明人も未開人も論理能力は同じとする主張を展開するが、倫理にも美学的にも彼らの卓越さにも言及している。その一発言としてBonSauvageを理解して頂きたい)

さて;
高地を下に望む稜線にたどり着いた。レヴィストロースは遙かな視野の先にBororo村を望めた;
<apres des heures passees sur les pieds et les mains a me hisser le long des pentes, transformees en boue glissante par les pluies : epuisement physique, faim , soif et trouble mental, certes ; mais ce vertige organique est tout illumine par des perceptions de formes et de couleurs(248頁)
訳;歩きずくめの幾時間、這いつくばい両の手を坂に突いても支える身が苦しくて、その急坂をやっとの事でよじ登る。長雨、ぬかるむ表土は何ともきつい。疲れ、空腹、渇きとくじけ、果てに目眩に襲われた。それは困憊のせいかと思った、しかしそれではなかった。村、建物の形の整い、色の鮮やかさを目の前にし光の天啓、そのおかげの目眩と知った。

写真:男屋の茅葺き構造。男達、族民は死者の儀礼にかかりきりである。

解説;
<illumine照らされる>を使っている。
かの国では「光りlumiere」は恩寵、神と関連づけられる。 照らされるillumineは光線であるが、神のご加護を示す。(Lumiere, c’est le Dieu, la Verite, le Bien=光は神、真実そして財産である=辞書GR)
光も輝くボロロ村を遠望できた。祝福と感激し村に入る;

<habitations que leur taille rend majestueuses en depit de leur fragilite, mettant en oeuvre des materiaux et des techniques connues de nous par des expression naines : car ces demeures , plustot baties, sont nouees, tressees....>
訳;住まいとする建物は彼らの身長に比較し巨大で、脆弱さにかかわらず「小人の」と伝えられる技術を生かした作品である。すなわち建物は建造しているではなく結われている、織られている....
木、芦、茅、紐で織り上げられる家屋、そこにまとまる村落風景とは見慣れた西欧のそれとは大きく異なる。村の一隅に居を構える。

什器、生活道具、被服、楽器など物質的文化を語る。特に注意深く観察し報告したのは村の「構造」である。
ボロロ村落は必ず川に面する。川は東西に流れるを規格とするが、自然なので南北側に傾く場合もある。近辺土地の衰退により20~30年で村毎、部族総出で引っ越しする。
古き村、新しきも必ず川の流れ筋と垂直に交わる(仮想)線を引き、上流と下流側とに2分割する。
2分割はcera部、tugare部と称される。
中央に男の集合小屋を囲んで、同心円状に小屋が配置されそれぞれの小屋に女達、女系の親族が住む。2にわかれた部は、内部で4の支族に細分される。都合8の支族が固有の名称をち、円周状に配置される。さらにそれぞれの支族は、上中下のカーストに分割される。すなわちボロロ族の村落は2の部、8の支族、24のカーストに分割される。

図:村の実測図。本書から

この構造は彼らの精神と生活に影響を与える。本書BonSauvage章の記述をもとに以下にまとめると;

1 川。沐浴を日常の習慣とする彼らに川は欠かせないが信仰の支えとして必須である。なぜなら輪廻は魚から始まる。魚から人、オウムにと霊の個体が変身する。
<Les Bororo considerent que leur forme humaine est transitoire : entre celle d’un poisson et celle de l’arara (sous l’apparence duquel ils finiront leur cycle de transmigmation>(271頁)
訳;ボロロ族は人の姿は輪廻の一通過点と考えている。魚(特定の種類)から人、そしてarara金剛インコに変身して、その生を終える。(transmigrationを輪廻と訳したが、魚=>インコの一巡りでお終いなら、変身が正しいか)

2 部族の部と支族にはそれぞれ社会地位、祭儀での機能が特定される。部、支族の長にはそもそもの社会地位が備わり、地位に即した儀礼での着衣、冠(金剛インコの尾羽)、腕輪が規定されている。その規定が個人の「豊かさ」となる。
3 婚姻の規定。cera部の男はtugare部の特定の支族の娘と婚姻を結ぶ。族として族内婚であるが部と支族としては族外婚である。かつては支族が3のカーストに分割されていた。特定の支族の同カーストの娘と婚姻していた。人口減少のためか、1936年(調査の年)にはカーストの機能は薄れている。
4 成人した男は生家を離れ男屋に住む。婚姻の対象となつ支族に適齢の娘がいれば成人儀礼を通過しての後、婚姻関係を結ぶ。実際は該当する娘が生まれた時点で、男(少年)の未来嫁は特定される。家屋も耕作地も女(嫁の母親)が所有する、婿は女小屋に昼にのみ「下宿」する。時たまの仕事は狩りにでて、獲物を運ぶ。嫁の家での居心地は総じて良くない。不満で実家に戻るも、姉妹の婿(別の部)がそこに居続けると一息つけない。
5 男小屋は住まい兼祈りの聖堂です。来世の無事転生を祈る。

図はボロロ族の理想村落図である(282頁)。

図:ボロロ族が頭に描く村。前の実測図を参照を。

ボロロはこの形態の理想として頭に描き、実際の村落(254頁)に、この思想を実現せしむと願っている。思想と実体、この構図は<Les strucures elementaire de la parente親族の基本構造1950年>にて解説した交差いとこ婚の実体と思想の相関と同じである。この相関関係は、彼の主張する「構造主義」に立脚する。

悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 3 の了
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悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 2

2019年04月19日 | 小説
(平成30年4月18日)
非熱帯の旅の続き。
彼の語り口に非難らしきは聞こえない。淡々と述べるその場の状況が耳に残る。伝えるその意図は明瞭に読める。一市民、大戦中の苦労を一つの逸話として記録したいがためです。
出版年は1955年、戦後10年たった。1940年から5年間の戦中の記憶が重い。出来事とは休戦armistice、実は敗戦(大文字で始まるArmisticeの方は次大戦の休戦、こちらは盛大な式典が繰り広げられる)。軍は戦わず兵士は除隊、無防備都市宣言パリの無血解城。屈辱の5年でした。今も誰も多くを語らない。
この体験を歴史の一断片に残すべく、レヴィストロースは己を語った。
(野生のスミレPenseeSauvageの9章=サルトル批判=文中に彼の歴史観が述べられる。逸話anecdotesを語るが歴史の一歩であると。その通りの記述です)

さて本文に綴られるフランス脱出は、文章のその意味通りに理解して「偶然に船に乗れた」運が良いうえ機会も揃ったを伺わせています。
しかしこれは表書き、実際はこうした経緯では無かった。
ネットからの情報を書き入れる。郵便貨物船paquebotのCapitane Paul Lemerle号は、「ナチス拘束のおそれあるユダヤ人救済」を目的に1940年8月から13ヶ月、アメリカ人VarianFryにチャーターされていた。自身ユダヤ系の出自でジャーナリストとして地位を確立していた彼は、ナチスのユダヤ迫害の風聞に接し、さらに亡命者から実際を聞くにつけ同胞への迫害に心を痛めた。マルセイユに乗り込み、米国の対独最後通牒まで(1941年12月)救済活動を広げた。
ネット・米国ホロコーストミュージアムの記載で1940~41年、複数の航海を敢行し2000人のユダヤ人亡命者を救助したとある。

写真:VarianFry, 米国ホロコーストミュージアムHPから

With that in mind, in August 1940, Fry, a Protestant and 32-year-old, went to Marseilles to begin a covert rescue operation that during his 13-month stay would result in the escape of more than 2,000 people, among them many artists and intellectuals, including Marc Chagall, Hannah Arendt, Max Ernst, Heinrich Mann, Marcel Duchamp, André Breton, Jacques Lipchitz and Alma Mahler, who crossed the Pyrenees carrying Gustav Mahler’s Symphony No. 10, her former husband’s final composition.(Varian Fry’s Bravery to Save Jews,ニューヨークタイムズネット版)

原文の英語の訳文は控えます、個人名だけたどってください。
救済した名前に我らがレヴィストロースは入っていないのが残念ですが、面々がすごい。シャガール、アーレント、エルンスト、マン、マーラー(未亡人、第十交響曲の総譜を持つ)…(ブルトンは前述)。その後の活躍をうかがい知るに、もし、脱出できずナチスに彼らが拘束されたら、戦後の文化の様相が変わったかもと感慨を抱く次第です。

写真:ハンナアーレント哲学者、救済センターに選ばれてLemerle丸で脱出した一人。

こちらのリストにはレヴィストロースの名が見えます。
Varian Fry a sauvés. André Breton, Jean Malaquais, Dina Vierny, Max Ernst, Benjamin Péret, Victor Serge, Marc Chagall, Jacques Lipschitz, le frère de Modigliani, Claude Levi-Strauss, Anna Seghers, le frère de Thomas Mann et son fils Golo, Alma Werfel, veuve de Gustav Malher dont la valise contenait quelques compositions dont la Neuvième Symphonie... Des milliers de personnes, des scientifiques, des poètes, des hommes remplis d’idéal, des anonymes... (フランスキュルチュールネット版より)

幾つかの疑問;
1 レヴィストロースは休戦(1940年6月)で除隊となってモンペリエに戻った。時同じくしてロックフェラー財団救済プログラムに選ばれ招請状を受け取った。当初はブラジルビザを取得してフランス脱出を試みたが、在ヴィシー大使の裏切りに遭い頓挫した(前回)。この時点で7月は過ぎていたと思う。8月にチャーター船(LeMerle丸)が最初の出航なので乗り込んだ。(前回の投稿は「これが最後の出航」とレヴィストロースは焦ったとしたが、投稿子の誤り、実際と反している)
2 第一回目でしかも特待乗船(キャビンでのベッド寝泊まり)。しかしこの待遇の背景を語らない。さらにはVarianFryセンターについても語らない。乗船に際してはFryに査問、あるいは面会を受けているはず(なぜなら彼のチャーター船だから)ロックフェラー救済センターから推薦があった故の第一回の乗船の筈だ。それらを一切語らない。
3 前回に触れたセントルイス号事件((乗客は1000人のユダヤ人、アメリカが亡命を拒否した)の乗船客はドイツ脱出をはかる一般市民。Fryが選んだ乗船客は芸術、学術、音楽でかくも豪華な顔ぶれ。改めてユダヤ人へのスクリーニング(選り分け)が徹底していたと感じる。

レヴィストロースに限らず救済された諸氏は(投稿子の知る限りですが)VarianFryセンターの援助について語っていない。救済する側とされる側に暗黙の合意があったのかも知れない。アメリカは亡命者を選ぶ、命を選んでいるのだと。前年に全米で議論を沸騰させたセントルイス号の寄港拒否の顛末では、亡命受け入れに反対していたのはユダヤ系のオピニオンリーダー達であった(書籍・ストロベリーデイズより)。拒否がトラウマになってVarianFryが動いたのか。
さらにアインシュタインにしてもハイフェッツにしても、己が第一番目に選ばれた「選良」とは一言も述べていない。ユダヤ救済のネットワークとは、かくも迅速に冷酷に働くかと思い直した。

悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 2 了
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悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 1

2019年04月17日 | 小説
2019年4月17日
前文:2016年の本ブログサイトにて、幾回かに分けてレヴィストロース著の悲しき熱帯「猿でも構造悲しき熱帯」を紹介した。今にして読み返してみると部、章の構成の説明など、単なる紹介となっている。当ブログ立ち寄り、この作品とはなにを訴えるのか、言ってみれば本書の神髄を知りたい愛好者には物足りない筈である。よって今回、書き換えた。書き換えの方法は「旅」を二例取り上げ、解釈し理解した範囲を書きつづった。
(3回に分けて投稿する、各回、それぞれブログにしては長いようだが、皆様のご精読を期待します)

本文:
1955年に出版された悲しき熱帯(TristesTropiquesクロードレヴィストロース著)は1935年から作者の生活、旅亡命、調査など20年の出来事を、思い出すままに書き連ねた作品です。パリは洛陽、その紙価を高めたヒット作でもあり、構造主義の旗手との文壇での位置を定着させた作品です。小筆にして原文に接するは初めてながら、辞書を片手に読み進めるなかで、このあらましを語らんと決意した次第である。写真のポケット版はネット通販にて購入(2015年12月)

写真:ポケット版、ネット通販で購入した

特徴;
1 文体は言うところのレシ(recit)で語られている。
主人公「je私は」の語りを通し、筋の流れが進む。例えればジッドの狭き門、日本古典「土佐日記」で用いられている「journal」のスタイルである。「私なる」男が外界世界をどのように受け止め、解釈を深めていくかに本書のテーマが成り立つ。学術文になり得ないから人類学、哲学の素人にも分かりやすい。反面、森羅万象の取り巻き世界を神の目の三人称で分析するロマン(roman)と較べ、投げる視点の目の先が足下を越えない。筋道の仕掛けは拡がらないとされるが本書はいかに。

2 1954年、レヴィストロースはコレージュドフランス(College de France)教授職、人間博物館(Musee de l’homme)館長職の就任を学会の主流派(ノルマリアン:高等師範学校の卒業生で構成される(らしい)。レヴィストロース本人はソルボンヌ学部卒)から拒否された。失意の彼に友誼の手を出したのがマロリー(Jean Malaurie、歴史地理学、イヌイット研究者、鯨街道allee des baleines,鯨骨を列に並べたカムチャッカ先住民の祭祀跡の調査で著名、2019年4月現在97歳にて存命)。「人間の大地叢書Collection Terre Humaine」向けに書き下ろしを依頼された。この叢書はマロリー本人が創設し、自身の筆になる配本第一回の「Thule族最後の王」は世間を賑わし、熱気をよりましにの期待が掛かった。
出稿条件は人類学の資料価値を持ちかつ「一般読者が読める」。これは難儀であったろう。当初3人称で執筆を予定したが、recitに換えた(本人の述懐Youtube、Apostropheから)その意図は「一般読者」への焦点合わせにあると思う。
レヴィストロースは1954年10月から、4ヶ月で書き上げた(本書の奥付から)。これが今から65年前、昭和29年、お富さん♪(春日八郎)で海の向こうのニッポンは浮かれ元年である。
(余談;Maluarie学歴はHenriIV名門校ながら高卒、Ecoleに入学したがナチス兵役を拒否極地民族の研究に専念した)

3 497頁に及ぶ大作にはあるがフランス語初心者にも原書で読み下せる。素直に面白さにのめり込む読感は原文挑戦の報酬と言えるか。文体の魅力、曲がりくねりの修辞、思考過程の絡繰りが行間に脈絡として潜む。思考根本に構造主義が確かに居座る。表現と思索の乖離とつながり、これらが知的好奇を奮い立せる。それが読み手の身の中、頭の範囲。理解に至深さも浅さも己れ次第と思いこもう。

ある方が「リセ上級=高校生に理解できる程度」と判定した(と聞いた)。誠に正しい判定であろう。小筆にして、一行数語一頁の意味を求めるに幾度も頭をひねる。小学生程度の語彙力ならば致し方ない。
フランス語は動詞の意味は深い。別の言い方をとれば、思考する手順の差異が動詞の意味合いの隔離に現れる。変化形を知り活用と時制に気を配り、原型に見当がつくなら辞書に尋ねられる。動詞が真意が分かれば文の解釈に近づける。
皆様には原書の読みおろしを勧めます。
「悲しき熱帯」完訳(川田訳)は河出書房から出版された。ネット通販で今も購入可能かと。レヴィストロースが4ヶ月でさらり書き上げた語りの翻訳に、完全主義川田は14年を費やしハードバック2冊に仕上げている。渾身の訳は完璧です。あえて欠点を挙げると川田は南米民族の研究者ではない。訳文の調子にレヴィストロースが抱いている先住民への愛着が感じられない。洒脱が薄れ、原理姿勢の川田の厳格世界に化けている2点です。

書き出しは<Je hais les voyageurs et les explorateurs >訳;私はあらゆる旅行者とあらゆる探検者が嫌いだ。
旅そのものが嫌いなら単数leで事足りる。定冠詞複数「lesあらゆる」の意味する処とは旅にはいろいろ種類があるが、どんな旅でも嫌いだと言っている。そしてこの「嫌い」は語義の通りで否定的意味しかない、しかしなぜ著作の冒頭に持ってきたのか。民俗学、社会人類学とは現地調査(フィールドワーク)をもって研究の基盤とする。レヴィストロースはブラジル先住民調査を2度に分け実施し、ビルマ(当時)の南西に住む回教徒系村落に(大戦の後)現地調査を敢行している。
そして実地調査ではない旅をも経験した
これらの旅、調査を後悔するのか。本文の最終節に「旅」を後悔する顛末があるけれど、それと関連つけても面白くない。哲学的理由があるはずだが。

全ページの紹介は不可能なので本投稿では「非熱帯」2件と「熱帯」を一件を取り上げる。

非熱帯のパリ。
大戦前のフランス国内事情。学部生の頃、主任教授(心理学Dumas)の風貌、一風変わった心理調査法。1934年ある秋の日曜日は朝9時、高等師範学校学長のBougle(哲学、社会学)から突然の電話を受けた。薫陶を受けるも、それほど彼とは親しくはなかったと記している。幸運にもこの電話にレヴィストロースは対応できた。クリスチャンだったら教会に出かけていたはず。
CelestinBougle(1870-1940)がレヴィストロースを新設のサンパウロ大学社会学教授に選んだ(ネットから)。

写真:レヴィストロースをサンパウロ大学教授に選んだBougle

<d’abord je n’etais pas un ancient normalien>(47頁)最初の疑問、私はノルマリアン(高等師範学校卒業者)でないのに。
学部卒の彼には当然の疑問であった。彼の地ではキャリア形成に有利なポストはノルマリアンに優先分配される(らしい。小筆は知らない)。レヴィストロースへの提案は;
<Avez-vous toujours le desir de faire l’ethnographie? Posez votre candidature comme professeur de sociologie a l’Universite de Sao Paulo. Les faubourgs sont remplis d’Indians, vous leur consacrerez vos week-ends. Mais il faut que vous donniez votre reponse definitive a Geoges Dumas avant midi>(同上)
訳:君は民族誌学を続ける意欲をもっているのか。それならサンパウロ大学の社会学教授に応募したまえ。あの街には路々、至る所に先住民(indians)が溢れているから、週末にちょいと外に出て実地調査ができる。気持ちがまとまったら12時前にDumas(学部主任教授)に伝えてくれ>

サンパウロ大学教授に選任された経緯である。
フランス式ポストの割り振りの実態がこのやりとりで覗えます。
サンパウロ大学に新設教授職、フランスに依頼が寄せられた。依頼は外交筋から、ブラジル大使館からフランス政府に依頼された。これを受けたフランス文部省は高等師範学校長に人選と任命権を下した。ここまでは当然の流れ。学長としては手駒ecurieのノルマリアンから選ぶ。上の一人が必ず独断で決める、フランス式と言えます。
なお、Bougleが自信をたっぷりに請け負った、テントで路上生活している「サンパウロ街中の先住民」は赴任し、虚構と知ることになる。

学部卒のレヴィストロースはこの(公開のはずの)募集を知らなかった。そしてなぜか部外のレヴィストロースに白羽の矢が飛んできた。応募しなさいとは言い回しで、すでに彼に決まっているも同然です。推察するに、学会の主流でない民族誌学は高等師範学校のカリキュラムに無かった。(哲学の御大の)手駒からは社会学教授に適任を選べなかった。もし哲学教授であるならこの時期にはサルトルもポンティ(両者ノルマリアン)もいたから、そちらにお鉢が回ったか。確かにLevy-Bruhl Maussなど民族学者の先学の職位はソルボンヌ等の学部であった。いや、そうではない。教授資格試験(agregation)でレヴィストロースの論文dissertationが優秀だったからで、哲学人類学者の若手として注視されていたと前向きに考えよう(このとき25歳)。
ブラジルへの船旅で<le coucher du soleil落日に寄せる>をしたためている。これを別投稿で解説する。

非熱帯の旅;
サンパウロ大学、ブラジル先住民調査、帰国。まもなく第二次大戦、連絡将校として応召、そしてl’Armistice=仏独休戦協定(1940年6月22日)、2回ある休戦の第2次大戦の方。兵役の任を解かれ、住居を持つモンペリエに戻ってからフランス脱出までの経緯。
レヴィストロースはユダヤ系で知識階層、ナチスドイツの占領下では拘束される怖れが多大に残る。実際、大戦前のユダヤ系指導層、たとえばLeon Blum(左派政治家、前首相)は拘束され強制収容所に送られ、すんでのところでガス室行きだった。
頭上を覆う暗い雲、それは個人では振り払えない。悩むレヴィストロースにアメリカの社会人類学者(Robert H Lowie)から「社会研究の新しい学校」への参加招聘状が届いた。ロックフェラー財団が進めている「ナチスドイツ占領による迫害から著名人を救済するプログラム」に選ばれたのである。
しかし、どうやってフランス(ヴィッシー政府)を脱出するか。

かつてのよしみ、在ヴィッシーブラジル大使館にビザ発給を申請した。大使に面会の運びとなって旧知を温め(サンパウロ大学赴任に当たり面会している)ビザ発給に進み、公印を押そうと腕を振り上げた大使に、脇に控えていた書記官が耳打ちした。大使の腕が宙に止まる。パスポート余白に落ちるはずの印が脇に流れ、ブラジル行きは泡と消えた。
<Pendant quelques secondes le bras resta en air. D’un regard anxieux, presque suppliant, l’ambassadeur tenta d’obtenir de son collabollateur qu’il detournat la tete tandis que le tampon s’abaisserait, me permettant ainsi quitter la France …>(18頁)
部分訳;その公印が私をフランスから出させてくれる筈だったのに.....場面は大使の実名で語られます。

マルセイユからマルチニク(カリブ海アンティーユ島、フランス海外県)に出航する便があると聞きつけた。(偶然にうわさ話を聞いた風で語られるが、これにはしっかりした裏があった)
ナチスの締め付けが海外県への定期便の乗客規制にまで及んでいなかったのだろう。本土から海外県に渡る、東京から大島に旅すると変わりない、査証は必要なし。さらにマルチニクはナチス統治が及んでいないし、カリブ海はアメリカの勢力圏なのでこれからもナチスが乗り込む可能性はない。この船に乗りさえすればナチスから逃れられる。一方、ユダヤ系でヨーロッパ脱出希望者は多い。出港は一隻、この便が最後となるだろう。船会社の計らいで収容限度を大きく越しての乗船が許可された(語り口を読む限りでは、こうした筋書きになる)。
レヴィストロースは最後の望み(Capitane Paul-Lemerle)に乗り込めた。乗客の多くがユダヤ人。

写真:Capitane Paul-Lemerleの船容、偶然に乗り込めた書き方だが、裏があった。ネットVarianFryのHPから。

船は本土と海外県との定期運行を担うパクボpaquebotである。郵便貨物を運ぶために設計されている。乗客用にはキャビネットが2室、男女に分けての相部屋。合わせての定員は7。そこに350人が乗りこんだ。急ごしらえ、雑魚寝窓なしの船底には、幸運な7人を除く340人余が押し込められた。(paquebot現在の意味はクルーザー大型の客船だが、かつては郵便船)
レヴィストロースは7人の一人に選ばれ、キャビネットになぜか潜り込めた。この特例待遇の背景とは船会社に「ブラジル行き帰りで幾度か乗船していた得意だったから」と慎み深く語るが信じ難い。イニシャルのみMBと記述される人に世話になったとさらり流した。そのMBが誰かは特定できない。
同室4人の男の描写に幾行か費やす。オーストリア人金属商(フランス人を押しのけて乗船なら相当な資金をつぎ込んだ筈の注釈)、ユダヤ人らしからぬ謎の北アフリカ人は「鞄valiseにDegasの一幅が納まっている、これをもってニューヨークに行って一日滞在してフランスに戻る」と主張している。戦争の最中に名画の密輸、一幅に何やらのいわくがあり得る。船の上での衛生状況、朝夕のトイレットの仕組み、人々の精神状態にも詳しい。

Victor George(スターリンと対立したトロッキィ派の共産党員、彼も追放された)Andre Breton(作家シュールレアリスト)との邂逅の様子も語られる。船上のGeorgeについて<son passe de compagnon de Lenine m’intimidait en meme temps que j’eprouvait la plus grande difficulte a l’integrer son personage, qui evoquait plutot une vieille demoiselle>(20頁)レーニンと同胞だった過去を知るから、彼に声を掛けるを戸惑う。同時に、その武勇譚と人となりを重ねるには苦労がいった。未婚老女かと見違えるほどか細い風貌と立ち振る舞いを見せていた。
ナチスから逃亡に成功はしたものの、反共産主義に固まった米国を追われ1947年にメキシコで死ぬ(Wikiによる)

Bretonの様子<La racaille, comme disaient les gendarmes, Andre Breton, fort mal a l’aise sur cette galere, deambulait de long en large sur rares espaces vides du pont, il semble a un ours bleu>(20頁) 訳;(乗船時に乗り込み客を一般から隔離していた)憲兵警察の誰からも屑やろうとののしられたBretonは、この徒刑船の境遇になじめず、船橋のわずかばかりの隙間を、縦に横に歩き回る姿は青い熊に見えた。(目的なく行ったり来たりする行動はours en cage檻の熊に喩えられる)

レヴィストロースがやっと乗り込めた海外県定期船、Capitaine Paul Lemerle号(ネットVarianFryセンターから)

さて、ユダヤ人の生き残り作戦とはヨーロッパを離れるのみ。
受け入れる側アメリカ、カナダは亡命受け入れ基準を、それぞれの思惑で作成していた(と思われる)。普通市民、取り立てて技能は無い業績もない、ユダヤ人には拒否を貫いた。セントルイス号事件が例にあげられる。乗客900人のアメリカカナダ上陸拒否(1939年、ユダヤ人がビザを持たずにドイツから同号で出国した。正しくはキューバ上陸の許可は得ていたが、上陸する直前に入国を拒否されて上2国に回航したけれど)が挙げられる。
一方で「この人ならと」歓迎する「選良」も設定されていた。学術芸術に分野を絞り、なにがしかの業績を上げている若手を受け入れる。レヴィストロースはこの選に入った。世界的権威や卓越した芸術家には「レッドカーペットとファンファーレ」的歓待で迎える。アインシュタインとハイフェッツはその範疇に当たる。亡命許可を受けてから半年あまり、ヨーロッパ各都市で「バイオリン巨匠、最後の演奏会」なるコンサートを渡り開いたハイフェッツは、亡命騒ぎで大儲けした。

なぜレヴィストロースは逃避の旅をかくも詳細に語ったのか。
次回投稿を乞うご期待。

悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 1 の了
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