不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

ナナオのコタロウ 1

2011年06月30日 | 小説
佐々木先生は東京日野市に動物医院を経営するやり手です。研究熱心さは同業多い中でも群を抜く。
1昨年の話。足もとあぶなく歩行ままならない重篤な雑種犬(名前はチャビ助)が連れてこられた。経験豊かな先生はすぐに「前庭機能障害による眼震」と見立て特効薬を処方した。
眼震とは人にもある病気で、目玉が小刻みに振動するやっかいな病気です。視線が定まらないので足がふらつくし、食欲不振、情緒障害などを引き起こす。
さてチャビ助は先生の見立て、処方のよさと飼い主の必死の看病の甲斐あって2週間で完治した。
そして1ヶ月後、飼い主が再びチャビ助を伴い来院した。浮かぬ顔の飼い主いわく、
「見た目は正常ですが、どうも以前の状態ではない。歩く食べる吠えるは回復したけれど、運動能力というか、動く物を見る能力が激減している」
と訴えた。チャビ助は近所でも評判の運動犬で、山に入ってはタヌキを追い、川で泳げば浅川の急流をすいすいと犬かき横断する。ご主人が投げて与えるおやつの掴み方も見事で、10メートル先から投げる粒餌を飛び上がって、ひねってパクリと咥えるのだそうだ。
それは眼震の発症以前。「直ったと言ってもそこまでの状態にほど遠い」が飼い主の不満だ。
佐々木先生は再度目玉検査を試みた。眼震もなく目玉はしっかり、正常に見えた。しかし念のためにと目玉レンズを最高倍率7.5倍にまであげたら、微細な振動が見つかった。
その目玉の振動たるや本当にわずかで、並の獣医であったら見逃すほどだ。あらためてより強力な創薬を処方した。これがずいぶんと高価なので飼い主には何度も確認を取った上だ。そして2週間後、飼い主がチャビ助とともに来院し「粒餌10メートル投げ取り能力」の回復を嬉しそうに告げた。ウエストの詰め合わせまでお礼に下げてきたのはよほど嬉しかったからだ。

これでおわるのがフツーの獣医。佐々木先生はさらに考えた;
眼震は病気だが微細な眼震は病気ではない、では微細眼震とはいったい何だ!
1年ほどの研究でつい最近ようやく微細眼震なる実態を解明した。それは
人は(動物も)常に微細眼震を持つ。その原因は体熱、心拍、呼吸、それに瞼の開け閉じである。
微細眼震は運動能力、特に動体視力に関わる
もし微細眼振を限りなくゼロに近づければ、動体視力の超能力者(動物)が出来上がる。
チャビ助はお隣近所の犬愛玩者達を唸らせる餌取り能力を再び見せた。それでも今だにわずかであるが微細眼震が認められている。佐々木先生のご自慢の7.5倍の目玉レンズから逃がれるなどは不可能なのだ。
では体熱を持たず(熱エントロピーから解放)、心拍呼吸(運動の雑振動を排除)なども持たなければ、微細振動をゼロに出来るか。答えはイエスだ。
その時にはダルビッシュだろうとマークンだって、投げたタマをボコスカ打ちまくれる。イチロウ並の、いやそれ以上の超絶バッターが出現するのだ。
この話を先生から直接聞いた私(アジア部族民、トライブスマン)はハタと手で膝を叩いた。
「あの伝説の少年、ナナオのコタロウことバッティングセンター荒し、彼こそ超絶バッターだったのだ」
(写真は得意のいがみ顔のチャビ助です。ナナオのコタロウ2に続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島倉千代子駒ひき考

2011年06月28日 | 小説
島倉千代子が800年前に宮崎県で馬(駒)をひいた悲恋話です。

駒とは馬だが人を乗せる馬を意味する。これを知ったのは最近のことで、とある古老から聞いた。広辞苑を引くと駒とは「小さい馬」が一の意味として出ている。小さい馬なら仔馬(コウマ)だろう、駒を当てるのは無理だ。二の意味に乗馬用の馬と出ていた。この意が本来の意なのだ。物知りの古老の説明とこの解釈で合う。
同じ時期、YouTubeをたぐっていたら島倉千代子の「稗つき節」があった。今(11年6月28日現在)は著作権に触れるのか削除されています。千代子若い頃の美声をたっぷり聞かせる見事な歌いぷりなので、何度も聞いた。SPで探しようがないけれど、千代子の最高絶唱だと思う。
有名な稗つき節の歌詞なのでご存じかと思うが、あらためて書く。
相聞歌の形でまず男が、
>庭のさんしゅの木に鳴る鈴かけて、鈴が鳴るときにゃ出ておじゃれ<
女が応えて>鈴の鳴るときやなんというておじゃろか。コマに水やろと出やろか<
ここでコマ=駒=の乗用馬の意味が分かれば理解が深まる。

この庭に乗り付ける馬は駄馬(荷物運び馬)でも代馬(シロウマ、田んぼ掻きの馬)でもない、人が乗る馬なのだ。鈴が鳴るとは人がやって来たのだ。人とは「恋人」なのだ。するとこの民謡の解釈は
>今は別れるがさんしゅの木にこの鈴をかける。駒を駆って急いでお前に会いもどるぞ。鈴を鳴らすから出てきておくれ< >鈴が鳴ったらすぐに出ます。でもなんて言い訳しようか、駒に水をやるからと出ようか<なのだ。

駒に乗る恋人はだれだ。百姓でも馬に乗れるが、それは空荷の駄馬にのるだけである。百姓馬子め等は「馬」に乗るのだ。
駒とは人の乗馬用に選別され調教され、おそらく良質の飼料で育成されたのだろう。駒に乗れるのは武人でしかない。
古代中世では貴人の乗り物は牛車か輿。また武人の統領たる守護、守護代は輿に乗っていた。その周囲を守る若侍が駒に乗るのだ。若い侍恋人の相聞が第一、二番なのだ。続く三番を聞いて若侍と恋人とは誰かが分かる。

>那須の大八、鶴富捨てて~♪椎葉去るときや目に涙よう~♪<

トライブスマン(渡来部)は二週間まえまでは、恥ずかしながらこの意味合いを少しも理解していなかった。一、二番の歌詞を田舎の風景、庭先で「タノモー」の代わりに鈴をジャランジャランさせる、呑気なお隣百姓さんの馬連れ訪問だと勘違いしていた。
だから三番で突然「大八と鶴富」が出てくるが、まえとの関連を見つけられない。椎葉の「鶴富伝説」は本当かどうか、あやしいなとも疑ってしまっていた。その邪推を全て氷解させたのが駒の意でした。

筆者トライブスマンは部族民なので部族思考で想像をさらに巡らせた。

大八は涙で椎葉を立った。御殿の庭先で駒を牽き大八に渡したのは誰だ?それは鶴富にきまっているのだ。
浄瑠璃で椎葉の別れでは鶴富姫は絹すりの12単衣を着ている。平家公達のお姫様ですね。でもお姫様は駒に水やりに出ないから、鶴富は御殿付きの子女である。かも知れない、に決まってる。なぜって駒が来て、水をやりにでる口実が使えるのは低い地位の子女だ。

那須大八の出立の朝、鶴富が駒を牽き、手綱を大八に渡す。大八は無言で受けはるか坂東那須に出立する。彼は振り向かない、しかし目に涙を溜めていた。坂東荒くれ、烏帽子に甲冑の威丈夫がとの別れに泣いた。これが歌の意味です。

ここまで来て私も涙が出た。800年前九州は宮崎山村で鈴にかけた恋が目の前に現れたからです。800年前の恋をここまで歌い上げた島倉千代子の力量には恐れ入った。

鶴富は千代子似の、若武者大八はきっと中井貴一あたりに似ているのだろうね。トライブスマンに似てると言いたいのはヤマヤマだけれど、この顔(左の髭男)が若武者にはならないのが悔しい。40年前に駒の意味を知っていたら、20歳の私は那須大八になっていたのだ。

蛇足:民俗学の先達石田英一郎男爵は駒と馬を区別していなかった。残念。(河童駒ひき考)
馬と駒の差は世界でも一般的で、アラブ、サラブレッドを造ったのは乗用馬を人口淘汰したから。アラブ世界ではキャメル(荷運びのラクダ)とメハリ(人が乗るラクダ)では骨格、走行力で差がある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア部族民 氷の接吻(駅ホームの場)下

2011年06月24日 | 小説
前回=>地下鉄南千本駅、予告した時間に妻明子が降臨した。イクオはサキ(愛人)の指示とおり近寄り、楽園行きを思いとどまらせようとした。しかし足が出ない=

以下は本文

「なんて俺は鈍いのだ、スタートを切ってもなぜか足が動かない。これがいつもの癖なのだ、しかし二歩目はもっと速くなるし、三歩以降ではびっくり俊足に改善していくのだ。あっという間の大進化、それが俺の持ち前なのさ。
だからよう、一歩目よ出て行け。しかしでない。とてつもなく一歩目が重い。なぜ動かないのだ、そんな馬鹿な足のせいで、せっかく降臨してくれた明子に近付けない、明子の左手をとれない。霊になってもキミは僕の妻だと言えないじゃないか。
ああ明子が消えてしまう、もうほとんど見えなくなった」
一歩の出だしが遅れたのは、物理的理由があったからだ。
イクオの足は、地から突然わき出たとしか考えられない邪魔の手に掴まれたのだ。踏み出そうとする踝が大きな手でしっかりと掴まえられたのだ。
「動かない足、その原因がこれだ、ホームから手が伸びて掴んでいるのだ」
 その声は泣きの涙すら混じった悲痛な叫びだ。

手が地からわき出たのではない。その持ち主は山本刑事である。
山本はサキとイクオの視線が、ホームを越して地下鉄路に向かっているのを見てとった。彼らは、急行に乗るのを突然止め、所在ないままにホームに立ちつくしている。
そのうつろな視線の先は地下の闇トンネルだ。なにやらホーム先端を指さして騒ぎ始めた。

「危ない、きっと飛び込むのだ。イクオほどの悪人だって、罪を悔い反省することだってある。あれほどの罪だから、悔い改め、自己嫌悪に陥っているのだ」
這いつくばい、下から近寄れば飛び込みを防ぐ事が出来るとにじり寄り、彼の真下に位置を取り、飛び込み阻止の機会を伺っていた。
イクオがホームの端を差しながら「死んでいる明子があそこに見える」など虚言を弄しているのを聞いた。山本も当たりを見回したが、誰も立っていない。
照明が途切れているので暗い。「トイレはホーム中央階段へ」の煤けた案内板が見えるだけだ。
イクオがホーム端に走り寄ろうとした。同行の白川サキとされる女が「さあ走るのよ」などとけしかけている。「危険」な兆候になってきた。
「危険」山本にとってとは、有力容疑者が捕縛前に自殺してしまう事態だ。思わずイクオの足を掴んだ。

そして、
「お前が指さすあそこには誰もいない。お前が言う影なぞ見えるものか。しかもお前はその影とやらを明子と言っただろう。明子がお前の連れ合いだとはとっくに承知だ。
しかし明子は死んでいる。お前が和久井峠の谷底に車ごと落としたのだ。亡者の明子の姿が見えるわけがない。
お前が罪を悔やむのは分かるが、線路に飛び込むなんて馬鹿な真似はやめるのだ」
イクオの足が出なかったのは、山本が両足をタックルしたからである。

「なぜこんな人が出てきたの、一体この人は誰なの、なぜイクチャンを止めるの」
サキは突然出現した山本に驚いた。続けて、
「あそこに行って明子さんを止めなければ、二人は永久に別れてしまうのよ」とサキが山本をイクオから引きはがそうとした。しかし女の力には限界がある、山本はびくとも動かない。イクオは下を向いて、足にしがみつく男に気づいた、
「馬鹿ヤロー、お前一体誰だ、なぜこの場で邪魔するのだ。分かったぞ、お前は本山派の拉致野郎じゃないか、水かけられたうらみがあるのか」と罵る。
前を向き、ホームの端を高く指さしながら、
「ああ消えていく、明子が消えていく。これで二度と会えない」と泣きだした。

その時である、ホーム端の二人の影がポーンとホームを飛び降りた。主体が影ではあるので、重さなど無いのだが、身投げと同時に「ポーン」と音が聞こえたのだ。少なくともイクオとサキには影が身投げするのを見て、そして聞いた。
二人の身投げが描く軌道は、その身の軽さを反映していた。上向きに飛び上がり下に向かって緩やかな放物弧を描いた。重力に引きずられる生身の人は、垂直に落下するしかないので、我らにはとても真似の出来ない優雅な身投げだった。ふんわりと線路に着地したのである。
サキにも宙をとぶ身投げは目視できた。
「ああ線路に飛び降りた、そしてコタロウが、明子さんが線路を走っていく、すごい勢いで疾走している、下りの線路をドンドン走っている。
地下鉄路の闇の奥に、つないだ白い手が消えていった。コタロウが闇に消えていく」
サキは涙声になっていた。

(氷の接吻は現在加筆中です、全700枚を越す長編になります。アジア部族民のHP=部族民通信=での掲載を企画しています。またダイジェスト版として来週にもバッティングセンターのコタロウ、氷の楽園をGooブログに掲載します)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア部族民 氷の接吻(駅ホームの場)上

2011年06月22日 | 小説
本日6月22日、夏至、快晴です。(筆者は関東地方在住)。晴れの夏至を経験するのは珍しい、昨年の夏至6月23日は雨でした。
最新作「氷の接吻」を紹介しています。
前回前々回では妻明子とコタロウ少年を車ごと谷底に落とした「和久井峠の逆さ落とし」を紹介しました。その続きの「南千本駅ホーム」です。

>二人は明子のメール予告とおりに駅ホームに現れる。以下は原文で<

人影の途絶えたただだだっ広いだけの空疎な地下鉄ホーム。
煩いアナウンスはもう聞こえない。発進した下り電車は地下鉄路を静かに遠ざかる。その走行音も徐々に減衰し、レール音はいつの間にか聞こえなくなった。ホームは無音になったのだ
無音のホームの照明が暗くなった。陰気な空間が地下鉄ホームに出現した。
「ねえ何かおかしいわね、急に静かになってしまって。そのうえ暗いわ、気味が悪い」
「俺にもへんな感じがしている。無人の状態は前兆かもしれない。サキ、時刻を教えてくれ」
「ホームの時計がいまゼロ分に移動したわ、きっちり午後の一時」
明子が知らせた約束の時間だ。その時間にあわせて不気味な様に変様した駅ホーム。イクオとサキは周囲をうかがう。もう一人がホームに居残った。尾行中の山本刑事である。
尾行者の本能として。とっさにベンチ下に潜り込みその姿を隠した。イクオ達は山本に気づかなかった。

イクオは語る。
「いまが指定の時間だ。何かが起こるぞ、それは明子コタロウの降臨に違いない」
「コタロウは義理がたい、約束通りにきっと現れるのよ」とサキ。
「二人の姿を見守るのは我々だけ。誰もいなくなったホームだから発見もたやすい。彼らはここから楽園に向かうはずだから、追跡にも好都合だ」
「サキ、お前にはこの沈黙が聞こえているか。空間がさらに無口になった、いまこそ死者が登場するぞ」
「私たち以外一人の姿も見えない。乗客全てを電車が吸い取って、下りた客は全員がはき出された。小うるさいあの案内員すら消えた。なんだか怖い」
サキは弱気になった。
「この薄気味い無人ホームが永く続くわけがない。すぐに人が戻ってくるさ。押し込むなのアナウンスが煩い、雑音の空間にもどるさ。
しかしそれまでの数秒が約束の時間なのだ。この無人空間に明子と少年が現れるのだ。
 ホームをぐるりと見渡し、彼らを発見しなければならない。私がホームを右から、そしてサキ、お前は左から見回してくれ。
何かを見つけたら、静かに声を上げてくれ。大声を上げるのでないぞ、静かに合図を入れるのだ」
「分かったわよ、私って地声は静かだから安心して」
用心深く少しずつ、決して見逃してはならない。だからゆっくりとしかし機敏に見渡すのだ。
サキとイクオはホームを見回し始めた。するとある角度でイクオの目が止まった。怪しい影を見たのである。左手斜め前方、距離にして二十メートルほど離れている地点、そこは下りホーム先端となる箇所なのだが、その先端の角にうっすらと、今にも消え入る人影が二人、目に入ったのだ。
イクオがひそひそと、とても小さな声で注意を入れた。
「サキ、私が聞こえるか」
「聞こえるわ。ホームには他に音がないから、もっと小さな声でも聞こえるわ」
「見えたぞ」イクオは一段と声を落とした。
「うっすらと影が、女の影、そして男の影だ。ホームの先端だ」
イクオが見つけた空間に浮かぶ陰、それは灰色の浮遊する女の姿であり、影の形状としてはたたずむ和服姿である。
真水から泡が湧き出るように、その二人の影も空間からにじみ出たに違いない。
ホームはすっかり薄暗くなっているので、影が灰色の暗い背景と入り交じり、輪郭は溶け入るようだ。背景は灰色の霞みにうっすらと女の、そして男の立ち姿が認められるのだ。

「ホームの先端で見えたのね。私は目線をゆっくりと回していく」
サキは目線をぶらさず、慎重に首を回していく。そして弱い声で
「見つけた」
小さな歓声だった。小さくも心が弾む明るい響き、サキらしい声が聞こえた。
イクオは和服の女を明子とみとめた。サキはその横の男にコタロウの外観を見た。二人影はたがいに支えあい、寄り添っていた。
その姿はぼんやりとした様は中空に浮かぶまぼろしとも見えた。

明子が前方に視線を落としているのは、考え悩みにふけるのか、灰色の影でこそあるが、そのうなじの白さは匂うほどの色気が覗える。
イクオは叫んだ。
「私がなんであのうなじの細さ白さを忘れられようか、あれは絶対に明子だ。明子が約束の時間に違わず、ホームに現れたのだ」
「私にも明子さんの影姿が見える。生きていた時よりもすらりとしている。今にも歩き出しそう。あのすらり姿がうらやましいわ」
「何言ってるのだ、あれは人ではないのだぞ。霊なのだ。大体霊になればほっそりはするさ。己の肉付きを霊と比べてもどうにもならないぞ」
「もう一人の姿はもっとぼんやりしているけれど、ほっそりとした姿、そして白い、真っ白な詰め襟服を着ている。コタロウだわ」
 
しかし影はあまりにも薄くかすみ、今にも地下鉄路の暗がりに消え入りそうだ。もう数秒も経過すれば、二人の影は消滅するだろう。
「二人はまだ見えている、消えていくまでの今がチャンスよ。走って、明子さんのすぐそばにいくのよ」
 サキがイクオに指示した。
「走りながらも呼びかけるのよ。「アキコー」って。そして彼女のあの手、下向きに下ろしているあの左手を取り、「この世にいてくれ」と乞い願うのよ。そうしてこそあの世行きを引き留められる。
 今しかない、さあ走って」
しかしイクオはサキに答えず、走らず、ただ黙って影を見ていた。鼓動が早くなったのか、息も荒らぶっていた。
イクオ、走るのだ。妻の楽園行きを止めるのだ。イクオは生唾をごくりと呑んだ。第一歩を踏み出した。しかしなぜか足が動かない。
(下に続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア部族民 氷の接吻(下)

2011年06月19日 | 小説
トライブスマンことアジア部族民の渡来部須万男です。

6月17日に半年ぶりにブログ投稿しました。その日のヒット数が平素の1桁(タラーリと汗)に較べ2桁上昇しました。多数からご高覧いただき感謝しています。通りすがりの一見通行の方もアジア部族民にウオッチングお願いします。
さて前回17日は
=妻明子の宙ぶらりん状態の最終解決のため和久井峠に向かったイクオ一行。峠越えの下りは一本道。ブレーキを踏みしめ下りねばならない急坂を、イクオはなぜか加速する。助手席のサキ(イクオの愛人)に「あと3秒、50メートルだ」と注意を促して後座席の明子、コタロウ(楽園の使者)に振り向いた=

少年が一言だけ「オウッ」と答え、明子の手を握り返した。後部席に座っていたのは、眩しいばかりの二人だった。生を見限りその先の楽園に生きる希望を見すえているのだ。
イクオは最後の言葉に入る。もはや二秒しか残っていない。
息をぐいと呑み込んでから、
「明子、このやり方を恨まないでくれ、お前はあの雨の晩、雷に撃たれて死んだのだ。私に代わって楽園に行かないとならないから、こんな舞台を仕掛けた。
楽園と標榜するからには、そこはきっと幸せになれる場所だ。性欲本能丸出しの、無様で滑稽な私の本性を見てしまったから、よもやこの世に未練は残さないはずだ」
 明子は頬の赤さを残し、コタロウに視線を流して軽くうなずいた。
「コタロウ君が道案内をしてくれる。これから辛い試練が待っているはずだ。コタロウ君のなすままにがんばりで耐えてくれ。
それだって一秒しか続かない。目を閉じていればいいのだ。
それと楽園への行き道が分かったら、携帯を使ってメール連絡してくれ。私も、生きる身としてお前を追う。私の身がその地、楽園で野垂れても、一人骸の恥をさらそうと、それで良いと決心したのだ」
明子はイクオを見つめ、深く頷いた。夫が見捨てずに最後まで、それこそ楽園の入口に付きそうのであれば心強い。
「あなた、きっと楽園への渡り道、メールで知らせるわ。コタロウ君だって、この世の芥モズクから逃してくれるあなたが恩人だから、許してくれるはずよ、ねえコタロウ」
「オウッ」

イクオの計算よりも相当速く車が進んでいる。残る秒数はさらに少なくなっている。
サキが
「ねえ一秒しか残っていないのよ、時間が来るのはもうすぐじゃないの。
私からは距離計が見えない。後ろばっかり見ないで前の距離計にも目配りしてよ」と注意する。促されてイクオ運転先を見た、
「いっけね、思ったよりスピードが出ている。だけどまだ五メートル残っている。
アララ違う、読み違えだ。残りは五十センチ、それも違う三十、二十どんどん減ってく十五センチ。それに二分の一秒しかない。
今だ、サキ、飛び出せ」
 イクオは両足を上げてサキを強く蹴飛ばした。シートベルト外しでドアは丸明けなので、力一杯蹴飛ばされたサキは、見事に車外に転げ落ちた。「ひぇー」の叫びをあげて転げ落ちては地をくるくる回った。その身体は崖の手前に停止してなんとかサキは無事に脱出できた。
見届けたイクオに時間は残っていない。今飛び出さなければ亡者の道連れだ。

イクオ、いまお前には崖の端に五センチの地面が残っている。上手く飛び降りたとて、その地がお前を支えるかは分からぬ。下りた地が崩れれば、そして地に降りたつもりが、崖を横目に空中に舞うのだったら、お前は谷底におちるのだ。

飛び降りる寸前にイクオは振り返った。最後の別れが残っていた、これだけは伝えないといけないと明子に語りかけた。
「明子、共に生きた五年の月日はとても楽しかった、お前のことは忘れないぞ。これからは楽園で幸福に生きてくれ。
もうはや三センチしか残らない、返事がありそうだが手短にしてくれ」
イクオの言葉が終わらないうちに、明子は別れの悲しみを告げる。
「私もあなたとの五年の日々を楽しく思い出しているのよ。
一人で楽園に行くのは辛いけれど、私を忘れないと聞いて幸せよ。きっとメールするわ、待っていてね。
私の恋人で夫、私の愛人で虐待者、そして私を叱り打ち、しかし愛してくれたたった一人の男。そして私を殺した人、生きかけた私を再び殺す企みをいま実行している。その極悪人の名はイクオ。
この人生をアリガトー」

 一秒すら残らない車中でのやり取りはあわただしかったが、二人とも残された時間と距離の圧迫を感じず、とっても冷静に言葉を選べた。言い淀みも発音のつっかえも一片もなかった。言い残しも皮肉反語、揶揄追従など一切含まない本音の対話だった。
恋人で夫婦、愛し合いいがみ合った男と女の最後の対話、素晴らしいやり取りのまま、幾分の物足りなさだけ残して終えた。物足りなさは言葉ではなかった、それはこの場では実行できなかった行為なのだ。握りしめる掌の温もりであり、重ねる唇と舌先の甘さがたりなかったのだ。しかし二分一秒の短さなので、冷静にもイクオは明子の掌をとることもまして接吻も諦めた。その時明子を永遠に失ったのだ。
「さあ今だ、わずかな遅れが取り戻しできない不可逆事態に巻きこまれる。コタロウ少年、この後はキミに頼む」
「オウッ」
「今こそ別れ、明子、さよなら」
 を言い残してイクオは車外に飛び出した。

後ろ髪引かれた。さらに十分の一秒だって車に止まれば、放物円落下の道連れとなるだけだ。一歩の手前、親指の一幅だけ手前、崖端の一センチ半が残っていた。頭から飛び出しもんどり打ったのは崖の切り端、滑って転げて止まったのが、崖の端の最限界で右半身は崖の外だった。目の下には夜明けにまだ暗い、底の見えない奈落が口を開けていた。
イクオは崖の端に一人へたり込んだ。放物線を描きながら落ちていく車の軌跡を見る事ができた。車中から明子の悲鳴と叫びを聞いた。それは、
「ヒェー」と聞こえた。その悲鳴と重なる
「オウッオウッ、グワッグワッ」とコタロウ特徴的な声だった。それは勝ち誇りを歓ぶ叫びだ、獲物を仕入れた雄ゴリラのたけびも思わせた。もはや悲鳴は聞こえない。谷底からドスンの打撃音が上がった。
腕時計で経過の秒数を確認すると、
「コタロウに与えると約束した不可視の密室は一秒間だった。崖の縁を踏み越えてドスンの落下音までが一秒にコンマ十五だけ長かった。奴は使命を遂行できる時空を持ったことだろう」
その時空とは。
誰にも見られない車内空間だ。車の不自然な落下を「神」が気に止めその内部を覗こうとしても、落下体の狭い空間で発生した凶行を見届られる訳がない。神からも隔絶された密室をイクオが創造したのだ。

「しっかりと明子のトドメを刺す事が出来たろう。車を飛び出る瞬間に、俺はコタロウの掌を見た。その時はもう膝で組んでいなかった。組手をほどき胸の前まで上げていた。俺が飛び出るのを密かに待っていたのだ。
俺が飛びでた途端、誰も車中にいないし、誰からも覗けないと安心した。胸に上げたあの掌を明子の首に回して、やんわりとしっかりと括った。精神を締め殺した筈だ。肉体が滅び精神が窒息した明子を祝福する、やっと楽園に行ける」

 谷底から炎が立ち上がり、斜面を赤く照らした。炎は立ち消え黒い静かな谷が二人の前に広がっていた。サキはイクオの横に座っていた。
「車が飛んだ、飛んで谷に墜ちた。車にはコタロウが乗っていた、明子さんも乗っていた。二人が車ごと消えた」

(氷の接吻は現在加筆中です、全700枚になるので当ブログに全編掲載はできませんが、HP(部族民通信)には近々掲載を予定しています。また来週には別のシーン「バッティングセンター」と「夜の散歩道」を載せます)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア部族民の最新作「氷の接吻」

2011年06月17日 | 小説
アジア部族民、渡来部須万男(トライブスマン)です。

直近のブログ投稿日が昨年(2010年)11月15日、その内容は執筆の最中だった「イザベラは空を飛んだ」の完了の予告でした。無事12月に稿了をみてHP掲載の予定はあり、半分は掲載し、継続を断念した。まぜなら次の作品「氷の接吻」に取りったためでした。
この綱渡り的スケジュールの結果、ブログ投稿やHPのメンテなど余力ができなかった。
その上、これは渡来部の私的環境なので恥ずかしくさらに恐縮ですが、「宿痾の病」の金欠症候群が再発してしまった。3年を越しての無収入は、「正業に就け」「バイトで収入を確保せよ」の治療勧告を無視した懲罰であり、ただならぬ容体悪化を迎えたのが今年の正月4日だった。
縁者を頼って中京地区に治療(出稼ぎ)に落ち延びました。
そして6月。陋屋に戻りました。糊をはみ砂を漱いで辛い日々をしのげば、病魔再発1年は心配ない。なにがしかを懐にと言ってもそれだけしか持たない悲壮帰宅でした。皆様には1月2月の小遣いでしょう。

ガラ悪い名古屋で夜勤警備しながら縁者に寄宿し、灯す電気の明るさと負担かけている経費の脅迫に当惑しながらもPCを叩いていた。陋屋に戻れば糊を舐め、籠もりきりで「氷の…」にとりかかり、昨日(2011年6月16日)第一稿を完了しました。全700枚の作品です。
第一項の意味合いは通読すると「ここを入れ替えたい、変更したい」などが数カ所でている。これらをとりまとめ、書き直してHPに掲載する予定はあります。
今日はその報告とある1節、著者が特に力を入れた場面を紹介します。

「氷の接吻」それまでのあらすじは;
=イクオは妻明子の中途半端な状態を解決するために、車に皆を乗せて和久井峠に向かう。明子の中途半端とは「死んでいる、しかし死を自覚していない」で、皆とはイクオ夫妻とイクオの愛人サキ、それに「楽園の使者」コタロウである。企むのは明子の最終的解決だが、それには「不可視な空間、神がいるとしても覗けない密室」を創造し、その場に明子とコタロウを放り込むことである。和久井峠を目指すのもその空間のためだ=

本文に移る、
「サキ、なぜお前はシートベルトしているのだ」
 奇妙な質問なのでサキは答えが分からず、返すまでに間があった。イクオが続ける。坂道を安全に下るのはシートベルトを外すのだと主張した。
「私を見てご覧、このとおりシートベルトを外している」
 言われるままサキも外した。またも奇妙な質問が出た、
「サキ、お前はなぜ扉を閉めたままなのだ」
 脇の扉もシートベルトと同様で、下り坂ではドアの開け放しが必要なのだとイクオは力説する。サキは腑に落ちないが、この坂道を「目をとじても運転できる」峠道の番長みたいな手練れ運転者が勧めるので、それも一理あるのだろう。扉を少しだけ開けた。
「駄目だ、その開け方じゃ、全て開放するのだ。こちら側のドアを見てご覧」
 運転席の扉はなるほど全開放されている。サキはまたも見習った。

 用意は整った、さあ下りるぞと発進した。するすると車が坂を下りた。初めは緩やかに、路面は乾いているのでスピード上げてもタイヤは滑らない。その感触を掴んだイクオはギアを上げ、アクセルを吹かしさらに足を踏みおろした。坂はより急になっきたので、スピードがドンドン出てきた。
ヘアピンカーブにつながるまでは坂は一直線の下り。そのどん詰まりが見えた。
下る流れがそのままのヘアピンカーブとなっているので、下りを上手く続ければ自然とヘアピンの曲がり口に入る。曲がった先では、緩やかな平坦道となる。
ハンドルを道の曲がりにあわせて切り、ヘアピンのくねりに車を委ねれば安全だ。
それは車が十分に減速していればとの絶対条件がつく。限界スピードを越してしまったらどうなるか。ヘアピンに仕掛けた崖の罠に落ちるだけだ。
速度は上がる、減速するどころかイクオはアクセルを一杯に踏んだ。その間にもサキの袖を引き最後の注意を促す。以下は楽園送りが成就するまでの車内五秒間の会話である。

「サキ、いいかお前は楽園には行かないぞ。行くのはコタロウと明子だからな。五秒と百メートル残る。成功を今祈るんだ」
「百メートルとは何のこと、私は楽園に行くのよ。コタロウと一緒に」
「また話をこみいらせるな、わたしの人生で今が一番の取り込み中なのに、お前の質問に返事しなくちゃならない。そんな事言っているうちに、五秒が四秒になってしまった。
五秒、四秒とはこの車が谷底落下に嵌められる土壇場までに残された時間なのだ。
サキ、何度も言うがお前は楽園に行かない、正しく言えばお前は行けない。楽園に行くには案内の葉書をもらったり、プロモーションコールを受けたりの手順を経過しないと駄目だ。楽天地温泉に行くのとは違う。
どうやって資格を取るのなんて質問はこの際、勘弁してくれ。話すと長くなってしまう。楽園行きとはプラザホテルで年一回の大バーゲンと似ている。招待する方が選ぶのだ。
 時間がドンドン経過している。葉書で入場のバーゲンなんて馬鹿な例まで出してしまった。俺がバカだったからだ、もう三秒しか残ってないじゃないか」
 アクセルの踏みしめを緩めることなく、イクオは後座席を振り返った。
「明子、残りは三秒、お前とコタロウ少年を無事に見送るために、この世に残された時間だよ」
残る時間はとても短い。イクオは必死の早口で説明しているのだが、時は待たず正確に非情に秒を刻む。スピードだってアクセル踏み続けなので、いや増しで上昇する。五メートル七メートル、十メートルと車は進んでいく。
明子はコタロウの手を求め、強く握った。
「約束の地、それは楽園、この峠道の終点に楽園があるのよ。やっと向かえるわ」とささやきかけた。頬が薔薇色に染まった。大雨の夜いらい、始めて明るい表情を見せた。
明子の顔の変化は、後部座席の暗がりでもあからさまに見えた。きっと最後になる表情の変化、紅の頬を見てしまったイクオは嫉妬まで感じた。
(続きは6月19日午後を予定)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする