蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介(Youtube動画4_1)

2024年10月30日 | 小説
Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学のYoutube投稿を案内します。
精神現象と弁証法、モノに潜む思想 
本投稿のまとめ。弁証法の段階をmoment(節目と訳す)とします。そこでの精神活動をまとめています。それは概念(知が理解する対象の姿)、と基準(精神が持つ思想)の突き合わせで、整合不整合を(悟性が)判断します。これらを「一連の基準」活動とする。その一連を経験expérienceとして、訳者Hyppoliteは「弁証法そのもの」の脚注を入れています。この活動での理性、認識、知、悟性の役割を説明するのですが、最終文節(次回4_2)で「精神がモノ概念を形成、しかしこの反対もあり得る」それを「モノが概念を所有し、精神は対象モノを現象と見つめるだけ」と語ります。概念を思想と言い換え「モノが思想を持ち精神はそれを経験する」と理解すると、実存主義の魁となります。


現象の野での精神活動


Youtube 動画リンク https://youtu.be/zTDRmZRls1M
本投稿のホームページリンクは https://tribesman.net/Hegel4.html
ホームページは https://tribesman.net/index.html
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ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介3 Youtube投稿案内

2024年10月23日 | 小説
Youtubeの概要欄を貼っておきます。
(2024年10月23日)考える仕組みを精神現象として解析するヘーゲルそれが精神現象学、この題名には感じ入ってしまうけれど、これと同じように重要な2の思想が表に出ていない。それは、人は経験を経ずに、生まれながらの思考を持つ、2番目は人の考える方法は弁証法です。初原の作品ながら、ヘーゲル哲学は満載です。
さて本投稿、ヘーゲルは知を語る。「その目的は固定している、自身を越える必要性を持たない」。知はモノ世界の対象を理解するし、現象の野に持ち込む。その対象を概念化して、現象の影として現象域に投影する作業です。知の仕事とその範囲はこれだけで、それを「固定、自己を越えない」とヘーゲルが教える。しかし対象がモノ世界で具有していた実質、真理は失われる。その後、悟性に言及する。 « la conscience est pour soi-même son propre concept, elle est donc immédiatement l'acte d'outrepasser le limité » (本文中から) 悟性は自分自身にして覚自であり、自身の限界を知り、すぐさま越える。ヘーゲルはかく知と悟性の性状の差、そして正反対の行動を露わにする。現象世界での弁証法とは真理を表現しない概念conceptと、人がもともと所有する基準mesureのすり合わせとなります。節目事に基準は訂正を入れる、この流れが実際ではないけど実効的 « effectivement réel » 実効的実際の正体です。


弁証法の工程で変遷するのは悟性


ヘーゲル現象学youtubeこれまでの動画の住所

この動画リンク https://youtu.be/L1p0Sewi6yM
ヘーゲル精神現象学の初回(全体の紹介) https://youtu.be/5JzC6p1e9B4
同本文の第1回動画リンク ヒトは現象の影で考える、現象である限り絶対にたどり着かない https://youtu.be/r1XfTUO7ohA
第2回リンク ヘーゲルはオソレを語る。無力の個が絶対を前にする心構え https://youtu.be/dfvH5yAa0Zg
第3回 動画リンク 現象の野に弁証法が展開 https://youtu.be/6sJEZTUqBbg
第4回動画リンク 限定否定が弁証法の進展を保証 https://youtu.be/3kxLZLB2rOM

部族民通信のSNS活動 ; 
Youtube動画リンク https://youtu.be/6sJEZTUqBbg

ブログアドレスは https://blog.goo.ne.jp/tribesman

ホームページアドレスはwww.tribesman.net 
HPではYoutube動画をサイト内に貼り付けています。PDF(Youtube でのプレゼンパワーポイントをPDF化)もリンクされている。

XTwitterに参加 部族民通信@9pccwVtW6e3J3AF
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ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介3 Youtube投稿案内

2024年10月23日 | 小説
Youtubeの概要欄を貼っておきます。
(2024年10月23日)考える仕組みを精神現象として解析するヘーゲルそれが精神現象学、この題名には感じ入ってしまうけれど、これと同じように重要な2の思想が表に出ていない。それは、人は経験を経ずに、生まれながらの思考を持つ、2番目は人の考える方法は弁証法です。初原の作品ながら、ヘーゲル哲学は満載です。
さて本投稿、ヘーゲルは知を語る。「その目的は固定している、自身を越える必要性を持たない」。知はモノ世界の対象を理解するし、現象の野に持ち込む。その対象を概念化して、現象の影として現象域に投影する作業です。知の仕事とその範囲はこれだけで、それを「固定、自己を越えない」とヘーゲルが教える。しかし対象がモノ世界で具有していた実質、真理は失われる。その後、悟性に言及する。 « la conscience est pour soi-même son propre concept, elle est donc immédiatement l'acte d'outrepasser le limité » (本文中から) 悟性は自分自身にして覚自であり、自身の限界を知り、すぐさま越える。ヘーゲルはかく知と悟性の性状の差、そして正反対の行動を露わにする。現象世界での弁証法とは真理を表現しない概念conceptと、人がもともと所有する基準mesureのすり合わせとなります。節目事に基準は訂正を入れる、この流れが実際ではないけど実効的 « effectivement réel » 実効的実際の正体です。


弁証法の工程で変遷するのは悟性


ヘーゲル現象学youtubeこれまでの動画の住所

この動画リンク https://youtu.be/L1p0Sewi6yM
ヘーゲル精神現象学の初回(全体の紹介) https://youtu.be/5JzC6p1e9B4
同本文の第1回動画リンク ヒトは現象の影で考える、現象である限り絶対にたどり着かない https://youtu.be/r1XfTUO7ohA
第2回リンク ヘーゲルはオソレを語る。無力の個が絶対を前にする心構え https://youtu.be/dfvH5yAa0Zg
第3回 動画リンク 現象の野に弁証法が展開 https://youtu.be/6sJEZTUqBbg
第4回動画リンク 限定否定が弁証法の進展を保証 https://youtu.be/3kxLZLB2rOM

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ヘーゲル精神現象学紹介 導入章の2_2Youtube投稿案内

2024年10月13日 | 小説

(2024年10月13日) 
Youtubeのアドレスは  https://youtu.be/3kxLZLB2rOM (第4回否定は限定否定)

ヘーゲル弁証法は作用反作用、統合の仕掛けで、これを繰り返し進展する。1801年、ヘーゲル最初期(おそらく)の本書では弁証法の言葉は出現しない。しかしその概念が弁証法に酷似するexpérience経験なる語が重要な役割を占める。訳者のHyppoliteは経験を弁証法と捉えて良しとしている。では源初ヘーゲル弁証法、経験弁証法(Dialectique d’expérience)とは。 反作用に当たる言葉はnégation否定。この否定の様が限定的 « négation déterminée » であるとHyppoliteが指摘する。限定とはどのような否定か。ここで懐疑主義の否定をやり玉に挙げる。それは全面否定で、否定の後には己身の置き場すらない否定だと。Hyppoliteはデカルトも同じ穴のムジナじゃ(ムジナは出してないがそれに近い言質でひっくるめている)。 一方、ヘーゲル弁証法では部分否定をもっぱらとする。否定しても主体(悟性)は客体(否定された概念)とのつながりを残す。だから弁証法の次段階(moment節目)を形成できる。それ故に経験弁証法は「方向性完結性を具有するのだ」すなわち絶対知を捉えるに至るのじゃ。ヘーゲルの(今様の言葉)ドヤ顔が目に浮かぶ。 経験弁証法が方向性完結性を持つとは、そこ弁証過程には理性が支配していると言える。悟性も知も現象の野で影になってしまっているはずなのに、理性はどこから来るのか。ここでチョー天才のヘーゲル先生が持ち出したのは « conscience naturelle » 自然悟性。理性も悟性も知だって、現象の野に入ったら実在(en-soi , pour-soi)を失い現象、phénoménal、に果てる。しかし悟性に限って « conscience naturelle » 自然の悟性、現象の野に入る前の悟性に立ち戻り、否定を限定に、方向性を絶対知に向かわせるのであると。この理性に制御された弁証法の道のりは « effectivement réel » 実効的な実際だともヘーゲル先生は教えてくれます。


限定否定が弁証法を保証する


過去ヘーゲル現象学youtube動画の住所
ヘーゲル精神現象学の0回(全体の紹介) https://youtu.be/5JzC6p1e9B4
同第1回動画リンク ヒトは現象の影で考える、現象である限り絶対にたどり着かない https://youtu.be/r1XfTUO7ohA
第2回リンク ヘーゲルはオソレを語る。無力の個が絶対を前にする心構え https://youtu.be/dfvH5yAa0Zg
第3回 動画リンクは 動画リンク https://youtu.be/6sJEZTUqBbg https://youtu.be/dfvH5yAa0Zg 部族民通信のSNS活動 ブログアドレス 


gooブログ https://blog.goo.ne.jp/tribesman
ホームページアドレスはwww.tribesman.net  PDF(Youtube でのプレゼンパワーポイントをPDF化している)
Youtube動画をサイト内に貼り付けている
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ヘーゲル精神現象学紹介Youtube投稿の報せ

2024年10月08日 | 小説
Hyppolite仏語訳のヘーゲル精神現象学紹介 導入章の2_1

Youtube動画リンク https://youtu.be/6sJEZTUqBbg

前回(1_2)でHegelは怖れオソレcrainteを語った。「疑い」についてもヘーゲル特有の意義が認められる。懐疑主義の疑いは« Le scepticisme, qui finit avec l 'abstraction du néant ou avec le vide, ne peut pas aller plus loin » 懐疑主義は無あるいは空虚の抽象化で終わりそれ以上進めない。Hyppoliteはさらにデカルトの疑いと比べ、それはただの疑問にしか過ぎないとも語る。ではヘーゲルの疑いとは。実質的実際(effectivement réel)であると本人が教える。この意味は疑う行為に一種の方向性=これが実際=が帯びるとの意味。疑いの方向性とは弁証法の流れそのものであり、特定の一点、すなわち絶対知の獲得に向かう疑いである。その特異点に向かうにあたっての「不調」の疑いと言えよう。


精神の内、現象と弁証法の働きの図


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Hyppolite仏語訳のヘーゲル精神現象学紹介 導入章の1_2 Youtube投稿案内

2024年10月02日 | 小説
(2024年10月2日) 
表題にある通り、精神現象学のYoutube 投稿です。

本動画のYoutubeリンク https://youtu.be/dfvH5yAa0Zg
あるいはYoutubeに入って部族民通信で検索

本動画では精神現象の作業は決して真理に到達しないーを明言する。誤りに陥る理由、陥穽というか、は10挙げられる。


精神現象が真理に到達しない10の陥穽を表にした


またHegelは怖れcrainteを語る。動詞craindreの第一義が(envisager) 立ち向かう(Robertなど)となる。よって憂慮などとの感情の表現ではない。困難事態に対処するときの心構えを表している。日本語にも同じ使い分けが見つかる。靖子嬢に振られる怖れは感情だが、大雨後の洪水の「怖れ」は対処するにも無力な心構えを表す。「この怖れは明確に、認識が時に道具(動き)として時に場として(影)の現象表現を採るのを前提にしている。我々自身(理性)と認識との隔たりを予測している」(Hyppoliteの脚注)。 困難な状況とはヘーゲルでは絶対を勝ち取る困難さ、彼を受け継いだキルケゴールでは「神」への怖れとなる。


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