蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む11 最終回

2018年11月16日 | 小説
(11月16日)
bororo族のフィールド調査時期(1936年)のレヴィストロース

神話学第3巻は当然、第2巻(du miel aux cendre蜜から灰へ)の続きであるが、投稿子は第1巻(le cru et le cuit生と料理)の直接の後継と考えている。第一巻の第一神話M1「火の創造(ボロロ族)」では洪水で祖母とヒーローだけが助かったとしている。モンマネキの境遇とは洪水で彼と老母のみが助かった。そのうえ彼は世界で唯一の狩人である。この前提からしてM1の後日譚そのものである。
他にも理由は挙げられる。各巻の主題と比較すると1巻は文化(culture)の獲得=火の創造、3巻は周期性の獲得による文化の定着(月の創造、日夜の交代、魚の回帰、天文の周期と女のそれを同期させて規律を確立するなど)と1から(2をとばし)3が継続している。3巻個々の神話を読み比べても1巻につながる生活レベルの原初性が記述され、1でやり遂げられなかった「文化の仕上げ」をモンマネキおよびその周辺神話が受け持ったと理解したい。
モンマネキ神話とは全神話の基準となる「M1」であると読めば、本書第3巻の理解は易しい。

<<En verité depuit le debut de ce livre, nous n’avons discute qu’un seul mythe.
Tous ceux que nous avons successivement introduits l’ont ete dans l’intention avouee de mieux comprendre celui dont nous etions parti : le mythe tukuna M354, qui raconte les mesavantures conjugales du chasseur Monmaneki>>(本書163頁)
訳;実際のところ、本書でははじめからある一つの神話のみを語っていた。次々と続いて開示された神話とは、それを初めとして出発した神話をより正しく理解するためで、その意図の元に引用された。M354、tukana族の神話がそれで、物語るのはあの(最初の)狩人モンマネキと嫁問い失敗譚を伝えている。

投稿子がこれまで10回のブログで解説したのは「月と太陽のカヌー航行」まで、本書全体の半分に満たない。それに続く「お手本となる娘達」以降は取り上げていない。引用文はお手本…から始まる後半の冒頭に置かれている。そしてこの後半では北アメリカ先住民の神話を取り上げている。その冒頭にモンマネキを引用する意味は「北アメリカ神話もモンマネキ神話の、そしてM1火の創造神話の後継である」との意が込められている。
本投稿で第3巻「食事作法の起源」を終了とします。
3巻の第二部(文化創造をテーマとする北アメリカ神話の解析)投稿は来年を予定します。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む11 最終回の了


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レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む10

2018年11月13日 | 小説
(11月13日)
パラダイムparadigmeについて少々語る。
スタンダード辞書では【語】語形変化の表とある。レヴィストロースが社会学に応用を試みた時の原義であろうが、よく分からない。そこでLeRobertでの意義(前回12日の投稿で末尾に載せた)を用い、さらにterme(用語)をcode(符丁)、chaineをcodage(符丁の展開)とする投稿子の解釈を述べた(原文は前回)。これに基づくと「ある特定の目的を有し、かつ、話し語りの流れの中で(codage)、一の交差点を持つ、いくつかの符丁(code)の相関係を明らかにする研究」=認識体系、あるいは思想の相関を調べる事=となる。
paradigmeに対応する用語syntagmeなるの意味を尋ねむと再びLeRobertのお世話になると<<Le syntagme se compose de plusieurs unites consecutives (par exemple; s’il fait beau, nous sortons). Place dans un syntagme, un terme n’aquiert sa valeur que parce ce qu’ile oppose a ce qui precede ou ce qui suit, ou a tous les deux>>(出典F・de Suassure le cours de linguistique)訳:天気が良ければ外に出る。この語の連なりをsyntagme=統合節=とする。文節とは一つの語はその意味を先に立つ、あるいは続く語との関連でしか意味を持たない。例文では「外出する」は前の「天気が良ければ」との関連でのみ意味を成す。なおここに使われる<consecutive>には、時間の経緯をもたない「空間」でのつながりの意味ととりたい。

社会人類学において「構造」の概念を展開するにあたり、レヴィストロースはソシュール言語学から影響を受けたと学者諸氏に膾炙されている。その一つがparadigme/syntagme
の概念であるが、上記引用を読めば、その影響度合いの重さを理解できよう。まさにcodage=paradigme、code=syntagmeである。言語学での文脈の流れを哲学社会学において「思想の流れ」に置き換えたと言えるのではないか。
(なお投稿子は上記概念に基づいて「農協パラダイムの終焉」なるブログを2017年12月22日から8回本年3月3日に投稿している。ご参照あれ)

写真:ホオズキ、東京多摩地区とある市で撮影。

さて、小筆作成の「モンマネキパラダイム」に移る(前回投稿の写真をご参照)
syntagmeには天文地理身体...が横に並ぶ。原典レヴィストロース作成の表(本書の137頁、11月10日掲載)ではこれらは縦並びであった。天文の月はモンマネキが人間社会を創造する原初にはなかった。故に5番目の妻(初めての人間妻)は月経の周期性を持たず、経血の垂れ流し。これを漁の寄せ餌に使うという不謹慎さを発揮してしまった。
周期性を無視して女が魚をとっては、川に魚がいなくなってしまう。姑(仲介者であるが預言者の役割)に追い出された。
兄妹の近親姦が発生し、兄は首をはねられた(敵戦士の甘言にうっかり釣られての言い伝えもある)。地上に居所を失ったがん首が空に昇って月になると決めた。なぜ月かの問いに「人には何にも役に立たないから」と首が答えた。月が誕生して月齢が発生し、月の周期性が夜空に展開する。しかし月は魚をもたらしはせず、日中の生産と消費活動に影響を及ぼす訳でもない。28日の周期は女の月の障りを呼ぶだけ。がん首の選択理由は全く持って正しい。
syntagme社会に目を向けると。社会の符丁codeとは、畢竟どの部族と同盟を結ぶか、婚姻相手をどのように選ぶかに尽きる。洪水から一人残されたモンマネキがやっと探した人間女は距離と類縁が近すぎた。近親姦ゆえに失敗した。モンマネキはカヌーで妻問いに出立する(神話の筋にはないがほのめかしがあるとレヴィストロースは伝える)。婚姻のたどり着くは規則である。それをいとこ婚とするか、近隣の特定部族の子女を配偶に選ぶのかは民族誌の研究テーマとなるが、近親婚を禁忌としも遠方婚姻も禁じる一定規則を設け同盟の周期性を確立する。
上記の展開とはparadigmeであり、筋でcodageとしてモンマネキと周辺神話の骨組みとなっている。Saussureの定義に戻ると「一の交差点を持つ」がparadigmeの十分条件であるが、モンマネキの交差点とは「周期性」である。
天文から民族倫理までのcodeが周期性の追求で統一されている。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む10の了
(次回投稿は11月15日予定)
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レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む9

2018年11月12日 | 小説
(11月12日)
前回(投稿7、11月10日)の引用の表(本書137頁)に戻ります。
モンマネキの世界です。
自然界の森羅万象を天文(astronoique)、地理(geographique)などと抽出してそれら項目(符丁code)を縦列にとり、列それぞれの横方向はcodeの変遷となります。レヴィストロースはこの変遷をcodageと伝えています。音楽で用いるcode進行のイメージでしょうか。
変遷の様とは経時的にも形態的にも不規則です。あるいは人がその規則性を見いだせないのかもしれない。しかしレヴィストロースは自然の不規則を混乱、混沌とは表現していません。その語を用いれば哲学としては「思考放棄」となる西洋の伝統を受け継いでいます。「自然は連続性を有する」(これが神話学第一巻のLe cru et le cuitのテーマ)と彼は伝えます。


第一列を取るとlune absente……soleil fixeが横に並びます。原初には月はなかった。太陽は気ままで一日中天頂に住むか、すっかり隠れる。この連続性の中で月の満ち欠けが発生し、月と日の規則ある交代が担保された。天文が周期性を獲得し、人が文化(culture)を創造する基盤となった。
婚姻、交流などでも周期性が発生したーモンマネキ(および周辺の)神話がかく語ります。
自然とは盤石、その連綿の中に立ち位置をやっと見つけた文化。しかしもし月が、太陽が消えたら、あるいは消えずに一日中昼(夜)となったらお終いとなる。周期性の分断というくさびを自然に打ったにしても、連続に立ち戻ってしまう。危ういバランスにすくむ脆弱さが内包されている文化。モンマネキ神話の伝える文化観といえます。

モンマネキ世界観も含め、神話上の文化とは「思想」です。目に見え触れる文化とは「それを表象する」物体、火、焼き肉、村落などでできています。レヴィストロースが言語学の意味論から借りた「意味する・意味される」ー2元論でこの関係、思想のそれと物の文化を説明できます。
目の前の四つ足を「イヌ」と断定するときに人はイヌなる思想を頭に持つ。これと同じ原理で文化にも双極性が構造として存在する。神話が伝える周期性、モンマネキ世界は「文化の思考ideologie」です。狩り、カヌー、アサワコとのやりとりなどは物としての文化です。思想と存在の双極性、構造主義による文化の定義は当投稿でこれまで幾度か語たりましたが。よろしくバックナンバーをご検索ください。

レヴィストロースへの批判の多くはもの「双極性=構造主義=」は歴史を語らないにつきると思う。(調べている訳でないが)。
サルトルによる構造主義批判(メルロポンティの現象論批判であるものの、現象論の地平に構造主義があるとレヴィストロースは受け止めた)の一節、サルトルの言葉<<la vraie dialectique qui serait celle des societies historiques, et UNE dialectique repetitive et a court terme, qu’il (Sartre) concede aux societies dites primitives>>(野生の思考la pensée sauvage 296 頁)
訳:真の弁証法は歴史を持つ社会(西洋文明)にのみ属し、いわゆる未開社会のそれは「一種の弁証法」にしかすぎず、短い周期で繰り返すとサルトルは決めつけている。(UNEを大文字にしたのは投稿子)
対してレヴィストロースは<<on laisse echapper la prodigeuse richesse et la diversite de moeurs….; on oublie qu’a ses propres yeux chacune des dizaines ou des centaines de milliers de societies qui ont coexiste sur la terre, ou qui se sont succede depuis que l’homme y a fait son apparition, s’est prevalue d’une certitude morale…後略>>(同)訳;人は(サルトルのこと)豊かで多様な精神性があったことに気づいていない。それは人がこの世に現れて以来の過去、幾千もあった社会のうち幾十、あるいは幾百もの社会が共存し継承していた。その一つ一つで確固とした倫理が主流であったからだ。このことを人(サルトル)は忘れている。

共存と継承を結びつけるcertitude morale倫理、これによって人が現れて以来(西洋社会の遙か以前から)歴史は継続していた。無文字社会の原初はprimitiveであったろうが、長い人類の歴史につながっているし、今のprimitive社会にしても倫理で歴史につながる。
サルトルの「短く繰り返す弁証法」への反論です。

一方で137頁の表は弁証法、歴史のダイナミズム、さらには悲しき熱帯で語った「継承している精神」を示していない(と投稿子は感じる)。
そこでパラダイム変換を試みた。写真をご覧ください。
元の表では縦に並んでいたcode、天文(astronomi)地理(geographie)などを横にとりsyntagmeとした。これらはcodeそのものです。code変遷=codageを縦列にとってparadigmeとした。codageはdialectique(弁証法)でもあります。このパラダイムの場における主題は「自然から文化」、別の用語で「周期性獲得」までの人の試行錯誤。モンマネキの世界です。解説は次回に。

*仏語辞典Le Robertでのparadigmatiqueの意味:etude des rapports entre les termes qui figure en un meme point de la chaine parlee et qui font l’objet d’un choix exclusif>>からtermesをcodesにchaineをcodageに変換して、paradigmeなる定義としている。 

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む9の了
(次回投稿は11月14日予定)
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レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む8

2018年11月10日 | 小説
(11月10日)
ブラジル北部および今のベネズエラに居住していたArawak、Warrau族などと、アマゾン上流のTukuna族は共通の符丁(code)に基づく神話群を伝承していた。南北アメリカを結ぶ軸を縦として、対する横軸はアマゾンの東西、この地域の広がりでの頻繁な神話交流をレヴィストロースは想定している。モンマネキ神話(M354、Tukuna族)を本書(食事作法の起源l’origines des manieres de table)の冒頭に引用した理由は、これが東西軸の神話群の基準と見なされるからである。
(南北大陸の縦軸のつながりは本書の後半でとり上げられる)

レヴィストロースは原点となる神話を特定し、伝播なり変容を探る進め方が神話学の方法論であるとし、M1火の起源(ボロロ族、居住はマトグロッソ)を四部作全神話の基準(le mythe de reference)とした。同じやり口を3巻の内部でも継続している。その論理構造を頭に置きさえすれば本巻読み取りに困難は生じない。さらにモンマネキ神話にしてM1との関連とは、M1ヒーロー(洪水後最初の男)がモンマネキに「垂迹」したごとく密着している。M1で天地開闢(破壊と火)を説いた続きにモンマネキ神話では洪水後の世界を描いている。獣婚や虫喰らいの食事などの試行錯誤は原初から文化に移行するための道程で、それが周期性priodicite成立への模索であると。

本書137頁のまとめ表を写真1とした。
写真1
モンマネキ神話と周辺神話から集めた数多いシーケンス(状況)をcode(符丁)として抽出し、その進展が各項目の横列となる。縦軸は先住民の世界観を羅列し、横軸は周期性を獲得するまでの進展(codage)となる。試行錯誤ぶりとも解釈できる。
第一項目はCode Astronomique天文の符丁と訳す。月、太陽、夜、昼が先住民思考の対象として選出されている。列の左lune absente, eclipse……と読める。月の不在、月蝕。原初世界には月は「創造」されていなかった。eclipsesとは創造されて後でも不気味な月蝕を起こす(近親姦のほのめかし)。月の創造神話は前回取り上げている(M392,393)。近親姦、その結果転がるがん首に果てた者が、生ける人への復讐から月への変身を選んだ。
月に対して太陽は初めから存在している。soleil fixe(右)とは太陽が動かない、年がら年中、天頂に座しまして、毎日が昼間だった。
2列目左にlongue nuit長すぎる夜。右にlong jour長すぎる昼とあって、それぞれが一列目の月不在と太陽固定に対応している。一列の中央にはpahses(月の相、満ち欠け)、2列中央は(夜と昼の規則ある交代alternance reguriere de la nuit et du jour)とある。ともに天文符丁における周期性を表す。
第6回投稿で社会符丁(code sociologique)での周期性を三角形で示したが(117頁の図を翻訳して)、こちらも中央が周期性、右も左も周期性からはずれた世界、自然である。

第2項はcode geographique地理的符丁である。一行目右がproche(近い)、左にlointain(遠い)。モンマネキ神話 では4例の獣婚譚が述べられる。地に住むカエルおよび地虫は近い(狩り行きの途中、近すぎる)。さらにカエルの「食い物(ムカデミミズなど)が悪い」、「草刈りのやり方が人と合わない」(地虫)。姑こと預言者に「この様では社会の周期性が形成できない」追い出されてしまう。別の2例は鳥、これらは形態的不完全で追い出される。遠すぎて同盟を結べないとの示唆も4例目(金剛インコ)に叙述される。アサワコ神話は頼もしい若者と麗しい娘の恋愛物語であるが、二人の居場所が遠すぎた。
この項の列中央にはカヌー、その行き交いが遠近地との仲介として文化の範疇となる。2列目中央にfleuve a double sens(上流も下流もない2方向で流れる川)とある。これが下流(aval)と上流(amont)を結ぶ文化の仕組みなとなるはずだが地霊は制作できなかった(Warrau族の言い伝え)。
以下code anatomique身体符丁, code sociologique社会符丁、code ethique倫理符丁とつづく。

6回目の社会の三角形ともあわせ見比べると自然とは両極の対立、その連続性の中間点に周期性を求めるモンマネキら人の活動。右に左に一歩を踏み外せば、自然に逆戻りの危うい文化、これらが読める。

一方でレヴィストロースは(野生の思考penses sauvagesの最終章で)サルトル批判を展開しているが、その中で無文字文化の人々にもdialectiques(弁証法思考)はあると言い切っている。そこで投稿子は137頁の表に弁証法思考を取り入れた「パラダイム展開」を試みた。小さい写真を貼っておきます。解説は次回に。
写真2

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む8の了
(次回投稿は11月13日予定)

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レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む7

2018年11月08日 | 小説
(11月8日)
前回(11月6日)、次兄が兄嫁に迫られて末弟を殺す神話(M362)を紹介し、殺害理由として次兄と兄嫁の姦通(近親姦)にあるとした。その翌日(7日)に「なぜ長兄の姿が無いのか」でふと考え直し、別の理由を巡ると。polygamie多重婚(一妻多夫なのでpolyandrieが正しい)が背景にあるかと思いついた。長兄の嫁を2の弟も妻として共有する。しかし長兄嫁は「醜い」末弟を嫌ったのだ。
この風習をレヴィストロースは悲しき熱帯Nambikwara族で報告している。そう考えれば、筋立ての中で長兄の不在の理由に辻褄があう。Nambi…族も妻が訳を告げずに森に入る真意を夫は知るが、見て見ぬふりを保つ、こんな状景があった(出典頁はそのうちに)。この神話の語り手Mucushi族はかなり以前に消滅しているので、検証はできない。
太陽神がカヌーで天空を渡る神話(M405)は太陽と月のカヌー相乗りの伝承につながる。相乗り理由は舳先と艫に位置すれば互いに近すぎず遠すぎず、近親姦は起こさずかつ昼(あるいは夜)が長すぎず短すぎもない。天空の周期性を保つ寓意であるとされる。


写真はMaya文明Tikalで発見された墓に埋葬されていた人骨の線刻画である。舳先と艫の人物は装身具で神性と判断され、若い女神と中年神と思える。月太陽相乗り神話の中米への伝播であろうとレヴィストロースは引用した(本書118頁)
先住民神話の特徴として太陽はすでに存在している、しかし月は天地開闢の後の創生と語られる。すなわち太陽起源のそれはないが、月の起源神話は多いという非対称性にある。
2の神話を紹介する。

M392 転がるがん首と月の起源 Kuniba族 (75頁)
娘が毎晩、誰とは名乗らない男の訪問を受けた。娘はアカネ染料(genipa)で青の目印を男の顔に塗った。翌朝、名乗らぬ男とは兄と知った。村人は罪人(兄のみ、娘に咎はない)追いだした。対敵する族の縄張りに迷いこんで男は首を刈られた。もう一人の兄が男のがん首を見つけ抱えたが、首はその弟に食い物飲み物をしきりに求めたので、放り出して逃げてしまった。
<<La tete parvint en roulant jusqu’au village et voulu penetrer dans la hutte. Comme on lui refusait l’entrée, elle envisage l’une apres l’autre plusieurs metamorphoses : en eau, en pierre, etc. Finalement, elle choisit la lune=中略=Pour se venger de sa soeur qui l’avait denouncer, l’homme change en lune l’affiligea de la menstruation>>
拙訳:転がりながらも弟を追いかけ村までたどり着いたがん首、くだんの小屋に入らむと試みた。しかし内からは拒否の声。居場所もないがん首は物に変身せむとした。水、石などなど。最後に月を選び天に昇った。秘事をばらした妹には月経が起こる身体にして復讐した。

Incesteが月の起源とする神話は新大陸で多く伝承されている(とレヴィストロースは言う)。転がるがん首が月の起源とする地域はブラジル北部を東西にまたがるとも。M392はinsesteとがん首の両要素を起源に取り上げている。Kuniba族の居住地は不明ながらブラジル北部、首をinsesteの交差する地域であろう。変身候補を幾種選び、最後に首が月を選択するモチーフは別神話でも語られる。

M393 月の起源 origine de la lune Cashinawa族 (76頁)
隣接する部族が戦闘状態に陥った。ある男が敵戦士に出会って逃げようとした。相手の甘言に言いくるめられて、敵男宅の「よその男が好きな」妻を訪問するはめになった。男は結局、首を刈られ、同族の戦士に回収される。しがみつき迷惑かけて放り出され、人として居場所を失い、変身しようとするがその物を探りあぐねる(M392と同じ経緯)。同族者との対話ではまず果物、大地、樹木、水、魚、毒、蛇など。これら全てが利益を与える、あるいは殺されるなど人と関わるので、首は決断できない。そして太陽?の自問に、それはお前達に暖かさを与えてしまう、雨?川の水かさが増え魚が繁殖し、お前達がタラ腹になるから嫌だ…忌避したあげくに思い着いた先は
<<J’ai une idee. De mon sang, je ferai l’arc-en-ciel, chemin des ennemis ; de mes yeux , les etoiles; et de ma tete, la lune. Et alors vos femms et vos filles saigneront. Pourquoi donc? La tete repondit <pour rien>
訳;思いついたぞ、まず私の血が虹になるのだ。それは敵どもの通り道になる。目は星に変わる。この首は月となる。そしてお前らの妻、娘が血を垂らす。なぜそれを選ぶのかの問いに首は(月は人に)「何の役にも立たないから=pour rien=」と答えた。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む7の了
(次回投稿は11月11日予定)
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レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む6

2018年11月06日 | 小説
(11月6日)
本書冒頭に紹介されるモンマネキ神話(通し番号354)のモチーフ(レヴィストロース流に云えばcodage符号化となる)それぞれが新大陸に広範に分布している。アマゾン下流域に居住するWarrau族が伝えるアサワコ神話(histoire de la belle Assawako)は嫁探し、カヌー川下りなどモンマネキの伝播の直系と目されよう。ほかにカヌーを主題にした神話のLa pirogue du soleil太陽神とカヌー M405 Tukuna族を紹介する;
若者がひとり魚釣りに励んでいた。前をカヌーが通りかかる。一人、太陽が乗っている。「何か獲れたか」と若者に声を掛けると返事は「全くだめだ」。太陽は「乗って釣ればよい、もう少し待てば良い釣りになる」と誘う。若者は舳先に座り、太陽はそのまま艫に。太陽が舳先に声を掛ける、
<<Il demanda a son passager ou etait <le chemin du soleil> et celui-ci comprit alors, bien que l’astre eut prit soin de le rendre insensible a sa chaleur, en quelle compagnie il se trouvait. Ils poursuivirent le voyage en pagayant. Le garcon croyait etre toujours en terre, mais en fait, le voyage se faisait deja dans le ciel. Ils virent un poisson pirarucu long d’un metre . Le soleil l’attrapa, le jeta dans la pirogue et le cuisit a la chaleur qui rayonnait de son corps>>(l’origine des manieres de table 110頁)
拙訳;太陽神は舳先の若者に声をかけた<太陽の通り道>を知っているかと。自身が発する熱気を隠れ蓑にして、誰かと悟らせまいと太陽神は細工していたが、この問いかけで若者は誰のカヌーに同乗しているかを悟った。しばらくは二人して漕ぎカヌーは進む。未だ地上、川の上と若者は信じていたがカヌーはすでに天空に浮かぶ。舷側を1メートルほどのピラルクが遊泳する。太陽神はすかさず捕らえカヌーに取り込んだ。己が発生する熱で大魚も瞬く間に調理された>>

その後、
さし出された魚料理を食するも、すぐに満腹となってしまった若者。太陽神は食べる量が少ないぞ、頭を下げてくれと求める。若者のうなじを叩くと<des cafards en quantite>幾匹もの「ふさぎ虫」がはき出された。Voila la cause de ton manque d’appetitこの虫けらめがお前の食欲を無くしていたのだと太陽神。若者は皿の魚に再挑戦し、ピラルクを平らげた。
調理で外された鱗とヒレを注意深く太陽神がかき集め、放り投げるとそれらは再生し魚に変わった。

レヴィストロースの解説を紹介する;神話405はモンマネキ神話を彷彿とさせる。魚の創造と再生(太陽とモンマネキ)、有能者に対する機転の効かない者(太陽対若者はモンマネキ対インコ嫁の弟と対比される)カヌー航行での位置(舳先に劣者、艫には上位者)。モンマネキは魚の捕り方を知らないが調理する火を所有する。太陽は魚を巧みに捕るが火を持たず自身の発する火で焼く(二重の反転、神話伝播でよく発生する)。「招待客は出された皿を平らげる」義務はモンマネキ神話では展開しない。これらをしてモンマネキ神話の伝播と変容と位置づける。

写真:近くで見つけたジョロウグモ。春先に指先ほどの大きさながら一丁前に巣をかけて、夏が猛暑だった。クモのエサも昆虫の繁茂よろしく豊饒であったのか、大きくなったな。

M362 origine du baudrier d’Orion,オリオン座三つ星(肩ひも)の起源Mucushi族を紹介する。
Mucushi族はベネズエラにあたる地に居住していた。モンマネキを伝えるTukuna族からは数百キロ離れる。
あらすじは3人兄弟が住む。長兄は結婚しており、次男は未婚ながらも人物として良くできている。末子は醜い。それ故、次兄は末子を殺すと決めた。口実を設け木に登らせ果実を取らせた。末子が枝にまたがり無防備となった機会をとらえて刺し殺した。死骸は地に落ち、とどめに両脚を胴から切り取って捨てた。
しばらくの後、殺害の現場に戻ってそこに義理の姉と出会った(rencontrer)。
<<A quoi peuvent donc server ces jambes, dit-il, elles ne sont bonnes qu’a nourir les poisson> Il les jetta a l’eau ou elles se changerent en poisons. Le reste du cadaver fut abbandonne, mais l’ame monta au ciel et devint trois etoiles d’Orion.>>(35頁)
拙訳;義姉に「こいつの脚をどうしよう。魚の餌にするしかない」語りながら池に捨て、脚は魚に変わった。胴体は放置され、魂は天に昇ってオリオン座三つ星になった。オリオン三つ星と漁との関連を深い。それが地平に現れると漁の季節を告げる。

醜い(si laid)だけでなぜ弟を殺害したのか、さらに義姉が一人で殺害現場に現れ、次兄は曝した死骸を確認させ脚を捨てた。脚にしては(死体といえど)歩き回るを防ぐための処置である。しかし次兄には、義姉に対してこの見せつけに念が入っている。二人は殺害現場でrencontrer=出会った=のだが、この動詞には「偶然」と「示し合わせて」出会いの2義に分かれる(辞書robert)。投稿子は意を後者にとった。
二人の関係に神話は何も語らない。しかし前段には伏線が張ってある。嫁を持つのは長兄のみ。二人弟は義姉に言い寄っていたのだ。次兄は「いい男」なので兄嫁はいい仲になったが、末子は「醜い」から毛嫌いされていた。それで「あいつ何とかしてよ」と義姉は次兄をたきつけた。ここに窺える兄弟と嫁の関係は近親姦である。

モンマネキ神話では最後に娶った妻は人間でありendogamiで近親姦である(レヴィストロースの解釈)。さらに上下着脱型である。姑の意地悪で下半身に戻れなくなってその上半身がモンマネキにしがみつく。結局、離されて鳥と化けて森に消えた。

2の神話は魚と漁の起源を語っている。脚無し人間がオリオンの3つ星に重なり、そこに至るまでに近親姦が基調として漂う。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む6の了
(次回投稿は11月9日予定)
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レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む5

2018年11月04日 | 小説
(11月4日)
前回投稿(11月2日)の図1を説明します。
前回は本書(l’origine des manieres de table)の掲載図を写真に撮った原文です。項目を訳し投稿子の解釈も付加し、掲載しました。原図を参照されたい方は前回投稿を開けてください。

図1 モンマネキの世界、大中小の3角が意味する自然と文化の相克。人間界はその中央のわずかな空間(赤丸)にやっと生き延びられた。

読み難いのですが小写真で原図を添付します、図2。

図2は前回投稿と同じ。参考にしてください

図の表題はstructure des mythes a la pirogue celeste(天をかけるカヌー神話の構造)となります。これまで天かけるカヌーを紹介していないが、太陽神(魚の創造者)は天を周回するが同伴者(舳先に座ってオールを漕ぎバランスを取る者)を求め、とある男が拾われ「神が魚を造る作業を目撃した」神話からこの表題をとった。(なお太陽神のこの漁を図でpeche angelique天の漁としている)
図1は3重の三角形で構成される。外側三角の左には近すぎる結婚、右端に遠すぎる結婚の特異点がある。モンマネキが人としてはじめて娶った嫁(上下分離、経血を常時垂れ流す型)は近すぎる結婚の典型である。この嫁は規則遵守の公徳心で人として至らない、魚を毎日大量にとるのは特技だけれど、毒(経血はそのanalogie類似)流しの漁労とは乾期のある時期、年に一回だけとの決まり事がある。その上「女だてらに」漁労にいそしむ(南米千住民では漁は男の仕事)。それを無視してか知らずにか、毎日大漁を続け(これが内三角の悪の漁peche diabolique)、モンマネキ母に禁忌違反に気付かれて、追いだされた。

この嫁取りのまえに彼は4例の異種婚(カエル、地虫、鳥の2種類)を経験している。地に這う2種は近すぎた婚姻、空を飛ぶ鳥は遠すぎる。故にモンマネキは失敗したと神話は語っている(なお、レヴィストロースの解釈は4種とも「異種」で遠すぎるとしている)「麗しのアサワコ神話」で遠すぎて結婚できなかった例をあげている。
遠すぎもなく、近すぎる間でもない婚姻とはなにか。これがmariage bien mesure(三角形の頂点)で、直訳すると上手く(距離が)計測された結婚。本書は神話を通して計測された結婚は何かと語っていない。そうした神話を採取できなかったからであろう。ゆえに頂点につながる辺は波線となる。頂点を投稿子は「規則のある婚姻」と訳した。では結婚の規則事とはなにか。

本神話学シリーズ一巻の「生と料理le cru et le cuit」48頁を参照すると(図3);
Bororo族の村落概念図である。南北にcera部、tugare部と2分割され、真ん中が男小屋でこれも2の部を反映して分割されている。4の支族が円周上に居住する。婚姻規則とはcera部bokodori支族の男は円心を挟んだ対心に位置するarore族の女としか結婚できない。男女を逆にしても婚姻の規制は「対心」、他の支族にしても対心の支族としか通婚しない。
ここでの婚姻は一支族としては族外婚exogameであり(同じ支族の婚姻は規則破り、交合は近親姦で禁忌)対心の部族とあわせては族内婚endogameとなる。2の部を集体とした族としてBororoは族内婚である。

図3 ボロロ族の村落。8の支族が円周で配置される。婚姻制度と関連を持つ。生と料理の48ページ。

また世界、多くの民族で実行される交差イトコ婚についてレヴィストロースは「親族の基本構造」の中でこれは「女を仲介にした富のやりとり」との説を述べている。これも風習ではあるが、制度(富の交換)に絡めれば社会規則と言える。
Bororo族の婚姻にしても交差イトコ婚にしても、婚姻に周期性periodiciteを取り込む機能は明瞭である。Bororoでは同一の村落内での嫁選び、距離としては近いけれど社会の制度(村落の構成)を婚姻と重ねた規則とすれば、周期性を確保できる。

ここで周期性periodiciteを考えてみよう。
再生産性である。期待する事態が再発生しなければ周期は消える。結婚の再生産とは子息子女が必ず婚姻の相手を相手側に見つけられ、女(男)の交換で得られることで、これによって同盟を維持できる。
それは分断である。先住民の神話は太陽と月の周期が欠ける日夜を描くが、それは昼の連続で人は熱さに苦しむか、夜だけの世界で寒冷と怠惰、己が垂れた糞を踏みつける暗黒のつながりと描写されている。日夜の交代で熱気(あるいは寒冷)が周期的に分断される。天文が周期を確保する世界が文化を安堵した。

図1に戻る。規制の無い自然な世界では近すぎる(近親姦)あるいは遠すぎる(行きずり)の両特異点と、それらを連綿としてつなぐ連続した(これが自然界)婚姻なので、周期性すなわち再生産性を確保しない婚姻である。自然婚姻の連続性に割り込んで(預言者であるモンマネキの母)婚姻、生活、漁労に周期を確保して人間社会(humanite)を創造する努力、その叙事をモンマネキ神話と、派生する太陽神話などが描き、レヴィストロースが図1に集約している。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む5の了
(次回投稿は11月6日予定)
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レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む4

2018年11月02日 | 小説
(11月2日)
Waiamari(神話番号M406「麗しのアサワコ」主人公)は通過儀礼(成人儀礼)遂行のためにカヌーでオリノコの河下り冒険に出てアサワコと出会った。相思相愛の仲に陥ったが別れざるを得なかった。モンマネキ(同番号354)は妻との縒りを戻すためSolimeos河をインコ村へとカヌーで下ったが、目的は適わなかった。2者ともに河をくだって願い適わず、己の村に戻るのだが、その神話背景をレヴィストロースは「同盟(姻戚関係)を築くには遠すぎるから」と教える。
同盟=婚姻とは単に適齢異性間の合意で結ばれる関係ではない。Humanite人間社会=先住民の村落共同体=を形成し維持する源泉が近隣部族との同盟である。飢饉、外敵の侵入などの困難にはあい立ち向かう相互保障の機能を有し、男女の感情などよりさらにこちらが重要である(悲しき熱帯TristesTropiqesのNambikwara族の記述で、危険にさらされる移動生活を前にして近隣の同族と交信し、移動ルートを相談するなど連携の有様が記述されている)。

2の神話では主人公が河を下ったとの前提なので、到着までの時間として短いであろうが距離が遠い。遡る帰りには苦労が伴う。一方、同盟であるには周期性(periodicite)を持たなければならない。それを維持する担保が男女の交換、すなわち婚姻にあるのだが、次世代においても男女をやりとりしなければ同盟が崩れる。しかし若者と娘が遠方に離れたら、アサワコWaiamariの出会いのような相思相愛などが頻繁に起こるはずがないし、そんな予測できない恋いが起こっても、それは偶発、道ならぬから添い遂げられない。アサワコとWaiamariは涙ながらに別れ、上流下流の同は成立しなかった。
同盟での周期性とは再生産性(reproductivite)に他ならない。遠方部族との婚姻の再現性は不確である。

挿入の図は同書117ページにある「天かけるカヌー神話の構造」文化の位置は中央の縦軸にある、periodiciteなる語が読めると思う。図の解説は次回。

モンマネキ神話ではカエルに始まり鳥(種別不詳)、地虫、金剛インコと嫁の変遷を語る。いずれも(狩り行きの道のり)近場での遭遇であるけれど、異種と混淆は「遠すぎる」=同盟を結べない=として、預言者役の老母に破棄された。嫁取りエピソードの最後にendogami(族内婚)を実行したが、この嫁がとてつもない謬りを犯した。モンマネキが発見した「魚」をperiodiciteにお構いなしに獲りまくるのである。

南米先住民の漁労で「毒流し」法が知られている。レヴィストロースはこの技法に関して「乾期、水位が下がって魚が流域の特定箇所に集中する。その上流に毒を流し、水面に浮く魚を捕らえる」(第一巻の生と調理の何処か(ママ)に記載されている)男が毒木(バルバコス種らしいWiki情報)を叩いて毒汁を絞り出す。これが毒流し。叩きは魚を「毒の流れる」下流にとどまらせる脅しの効果もある。下流には女が水面を見張り、浮き上がる魚を手づかみで背負い篭に入れる。一網ならぬ一流し打尽の効果がある。反面、年に乾期に一度のみ。男が毒を流し、女は掴み拾いの役割分担は厳しく規定されている。
(この分担は信仰からくる。自然に侵襲をもたらす直接行為は男が必ず担う。なお、世界のどの民族でも狩人と猟師は男と決まっている。その行為が自然を犯す、神の摂理に反するからとの信仰から)

人の嫁がこの規則を破ったのである。
己の下半身が経血を垂れ流して毒流し代わりとした(毒にはならずも、おびき寄せて弱らせた)。それを上半身が掬い取った。モンマネキが社会を創造せんと試行錯誤している当時、女性に月経が無かった。月の起源神話は後の世代となる。女とは無月経か毎日が月経のいずれかに分かれる。モンマネキ同族女は毎日型だったのだ。故に、この漁法は「年に一回」という周期性に違反するうえ、男が流しで女が受けという男女の分業にも反した。
モンマネキは毎日たらふく魚が食えるので満足していたが、老母は怪しんだ。跡を追って川岸を見ると、そこには上下分離体の異形の下半身だけ。魚獲り三昧を目撃して驚いた。預言者でもある老母は「このような禁忌犯し女とhumaniteを形成してはならない」ご託宣をたれた。離れた上半身が元に戻らない細工を仕掛け、またも嫁を追い出した。

Tukuna族(モンマネキ神話)に底流として一貫して流れ、遠く(1000キロ以上)離れたWarrau族(アサワコ神話)に影響を与えている思想が「文化とは周期性periodicite」である。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む4の了
(次回投稿は11月4日予定)

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