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蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

ボロロ族、夫婦別姓に泣く4 最終(日本人ボロロ化)

2025年08月27日 | 小説
(2025年8月27日)ボロロ族男たちは文化村から逃げ出す用意を整えた。身支度といっても弓矢に楽器マラカス、頭飾りだけで身軽この上ない。その晩イッポラキッテに手筈を説明するマンナコロ「まず男どもが脱出する、元の村の修復を手掛ける。3~4日もあれば夜露はしのげるほどの小屋が立ち上がる。したら使いを出すから、女たちがガキを連れて逃げてくる」
「合点した、私たち女もこの文化村には辟易だよ。自然の広さがないから」採取は女の天職だが、文化村の閉鎖環境では満足いくバナナ、パパイヤが集まらない。「でもあいつは毎日、見回りに来る。男の姿が見えない事態をなんて説明するのかね」「狩り祭りに行ったとしとけ」
女子供の避難も完了し、ボロロ大脱走劇は無事成功した。「男はお祭り、女はバナナ合戦で文化村はしばらく無人」宣教師エンリケはすっかり担がれた。


文化村から大脱走して、急ごしらえで立ち上げた男屋。簡素。

こちらは本来の男屋(熱帯雨林研究会サイトから)

今の日本に喧しい「選択的夫婦別姓」。導入となれば法改正が必須なわけだが、さて実現するだろうか。部族民は個別住宅を拒否したボロロ族の境遇を横目に見ながら予測したい。

夫婦別姓の運動には一つの特異が見受けられる。主張するのは女のみ。運動を進めている女性は「姓を替えての社会生活の不便」を声高にする。社会運動であるなら利便のみを語らず、理念、すなわち家族形成における「別姓の価値」も聞きたいところだか、今のところ聞こえていない。ともかく女が不便を言い続ける。しかし隠された思想は垣間見える「女権拡張、フェミニズム」と言い切れるのではないか。
別姓運動家の女史でネットに露出しているから、それら女個人は特定されていると思われる。しかし事情を一切知らない部族民だから、「フェミニズム」は憶測に過ぎないけれど、そう巡らすと「自身の姓にこだわる女性が、子の姓を決める時点で夫に譲る筈がない」(あるSNSインフルエンサー)の指摘も理解できる。
家庭で分裂が深まる。鈴木一夫さんと佐藤花子さんは別姓夫婦です。愛の結晶の長男が授かり、姓を決めるときに花子さんは、結婚を決めたときと同様、自己の佐藤姓を譲らない。一夫は「じゃあ次の子は鈴木」と譲った。2子3子と設けたが、花子さんは譲らない「子同士で姓が替わったら学校でいじめられる」。
鈴木一人に佐藤4人のハイブリッド家族が出来上がった。夫鈴木は少数派の居心地の悪さを気にし始めた。子が成長するにつれ、別姓の父を疎んじるのである。特に長男の治がひどい。「あなたの部屋は大きいから治に譲って」花子の命令口調だった。「オレはどこに行くのか」「玄関わきの部屋」「物置じゃねえか」「氏違いのよそ者は譲歩するんだ」が治の極めつけ、最後通告だった。

この状況はまさにボロロ族である。レヴィストロース神話学第一巻「生と調理」の第一神話(M1)はボロロ少年と父親の相克を淡々と謳っている。父親に断崖に遺棄された少年、死にかけてトカゲを食って生き返り村に戻った。今度は少年が父親を川に押し出しておぼれ死にさせる。ボロロ族は強固な別姓信奉である。しかし男は女居宅に住まない。鈴木佐藤の別姓夫婦が子供を巻き添えに、いがみ合うのは日本式の文化住宅(個別住宅)に住んでいるから。夫婦別姓はいずれ家族解体になると部族民は「預言」する。

ボロロ族、夫婦別姓に泣く 了  (8月27日)


追記:他民族、他国家の制度を探ると;アメリカ:同姓、複合姓、別姓が可能。事実上、夫婦同姓を名乗ることが多い。イギリス:法的には規定がなく、夫の氏を称するのが通例。スエーデン:同姓・複合姓・別姓が選択できることが明文化された婚姻法が施行された。ドイツ:夫婦の姓を定めない場合は別姓になる、選択的夫婦別姓となった。フランス:婚姻によって姓が強制的に変わることはない(別姓)。慣習的には妻は夫の姓を名乗る。(Google AIによる)

選択的別姓が世界の大半を占める。一方で「名乗る」「通例」として対外的には夫姓を使う国も多数。ここで留意する必要は、これら国々には「戸籍」がない点です。国民の記録とは「個人単位」での出生、結婚(離婚)、死亡のみである。出生届には医師(病院)の証明を添付し、結婚届けは両性(ときには両人)の合意書、死亡届けは医師の証明。これら受理証が個人記録であり自身で管理する。個人表(アイデンティティカード)、パスポート申請の拠り所として働く。

家単位の記録(戸籍)を持つのは日本以外では中国、韓国。両の民族は別姓です。家族を同姓の単位として固定する制度は世界で日本のみです。日本人の多数が同姓家族にこだわる背景には、確固とした戸籍制度が維持され、それが個人の特定につながる安心感が底流に潜むからと部族民は感じております。
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悲しき熱帯 生者と死者3 Youtube 投稿

2025年08月26日 | 小説
(2025年8月26日)本章の主題、死2様態(1意識がない客体 2意識を持つ主体)に戻る。


弔いの儀礼を終えると死者(の亡骸は全身葉っぱの死靈に導かれ死者の国に移動する)


ボロロ族信仰ではヒトが死んでその精神、ヒトが前世の魚から受け継いだ精神、がオウムに移る。死んでも精神はオウムに生き残るので、主体として生きながらえる。
亡骸は「魂の道の主人」に導かれ、死者の社会に引導される。その社会で亡骸は死者集団の中に埋没し自意識が消える。死んだ後は抜け殻で、亡骸だけの客体となる。
2様態の死を、精神葛藤を抱かず、受け入れるボロロ族儀礼は、1は死の損失を自然に支払わせる「ジャガー狩り=後述」 2亡者をあの世(死者の社会)に送る儀礼に邁進する。
動画には新仏を迎えに来て引導を渡す木の葉に全身をくるんだ死靈など写真を収めた。

Youtubeリンク https://youtu.be/GJrr_SdjYgI

動画で用いられるパワーポイントなど資料は部族民通信のHPで接近できる。
www.tribesman.net

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ボロロ族、夫婦別姓に泣く3

2025年08月23日 | 小説

(2025年8月23日)ここでボロロ族の婚姻を説明;部族は2の半族に分かれ、それぞれは4の支族で構成される。各支族には対抗する半族から特定の支族と婚姻関係を結ぶ。例えばCera半族のアベイテ支族はTsugare半族のボンドボ支族と嫁婿のやり取りを繰り返す。マンナコロはアベイテ支族なのでボンドボ支族のイッポラキッテに婿入りした。イッポラキッテの兄弟はアベイテの娘に婿入りする。


レヴィストロースの原図をパリ人類学博物館が再製した。2の半族は4の支族Clanに別れ、それぞれが3の居宅を有する。3は階層カーストを表す。かつては支族は3カーストで構成されていたが、レヴィストロースの訪問時点(1935年)で、人口減少により消滅していた。

(図は博物館QuaiBranlyサイトから借用)

下はレヴィストロースが作成した実態図


半族は複数の家族系統が含まれる。悲しき熱帯でレヴィストロースはそうした数値を報告していないが、6系統が含まれるとして各系統に2の適齢娘がいるとする。若者は12の候補娘から嫁を選べることになる。家族系統をより重視して、支族の特定系統同士の婚姻、こうなると交叉いとこ婚の実践だが、そこまでも記載はない。
婿入りは西欧人が想定する核家族、夫婦同居とは異なる。婚家先に婿が入りびたる訳ではない。昼の頃ひょっこり顔を出して、女房の顔色伺いが目的だが、狩りでしとめた獲物の土産は喜ばれる。時にはというか常なるか「バナナでも採りに森に入るからイッポラを借りるぜ」と姑に声をかけると「ゆっくりしてきな」の返事、二人して森に分け入る。なぜなら女家だって数家族の共同体なので、昼日中に夫婦睦事などは営めない(このあたりは神話学「生と調理麗しのアサワコの誘い」の段を参考にした)。夜には男どもは男屋に籠る。

子は母親の姓を必ず継ぐが、西欧・日本式の家単位に姓を名乗る風習ではない。支族名を姓としている。一支族に系統に分かれ夫を持つ複数の女がいるとして、それら皆、子も合わせて支族を名乗り、出自のよりどころとしている。これを「姓」とした
母も子も祖母も支族の姓をかぶるが、父だけは別支族、婿入り前の支族名を護持する。すると夫婦別姓で夫(父)は家族の中で浮いている。しかしボロロ式家族生活を守れば、夫が浮くことはない。夫が妻の家に長居することなどない。なぜなら別姓はよそ者、その女家に生活空間を築けない。ボロロ式、強制別姓の夫婦風景です。
木陰を見つけ座り込むマンナコロ、隣のアルヤバタと話し込む。
「お前んとこはどうだい」
「オレがここで時間つぶしているわけだから、居心地がよい筈がない」
マンナコロは今朝の出来事、女房が頭被りを触れた話の後「この場所じゃ祭りの下準備だってできない」
「女どもがウロウロして、目を光らせているな」
「あれが計算違い、元凶だった」コロマンナの悔やみにルヤバタはゆっくりと頷く。二人の眼の前にはひときわ高い建造物が不気味にそびえる。耶蘇教会である。男たちは耶蘇教会が男屋の代替になると勘違いしてしまった。
サレジオ会の提案、文化村への移住と一人100エスクードの費用補助を受け入れたボロロ族。明日はその引っ越し、エンリケにマンナコロが念を押した「あの建物は俺達が使ってもいいのか」「モチローンです、皆でおつかーい、くだしゃい~」

しかしエンリケは重要な条件を語らなかった。耶蘇教会には耶蘇信者のみが立ち入りできる。そこは神への祈りと懺悔の場なのである。引っ越しを終えた翌日、マンナコロをはじめ幾人かが立ち入りを試みると、エンリケが立ちはだかって「センレ~イを受けないと入れましぇん」「なんだいそのセンレ~イとは」「この前、川でおんなヒットリ~に授けようとしたやつです~」
「ハッハー、女に手を回すのがセンレ~イか」と警戒を強める。

教義を知り、それを信じてから改宗を願う者に施すのが本来の洗礼。しかしボロロ族にその手順では時間が永く掛かってしまう。まず洗礼に入って、洗礼を受けたらキリスト者になるための努力を求められるから、その後に学習、こちらが手っ取り早い。マンナコロは教義とはなにか、バイトゴゴに尋ねた。彼はサンパウロのサレジオ学校でポルトガル語を学んだ。キリスト教に改宗している。「信者とは4の奇跡を信じるものだ」を前置きして、その4の説明に入った。
「三人で一人、死んで蘇った、1000年続く天国。やってないけど子を孕んだ娘」

彼らは前の3奇跡は何となく理解できる。ボロロ式理解とは「森の悪霊、バリ呪術者、道の大将=引導渡しの3人をまとめている。蘇りは毎年の死者行進祭りか」しかし最後が難解「やらない限り子はできない」ボロロ族の教養と絶対に合わない。
洗礼を受けたら毎夕、教会で学習させられる。「これは嫌だね、理屈に合わない教条は学んでも修得できない」

ボロロ族、夫婦別姓に泣く3 了(8月23日)
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ボロロ族、夫婦別姓に泣く2

2025年08月21日 | 小説

(2025年8月21日)エンリケは村落破壊の根拠を巡らせた。「生活を向上させるに、思想改造が最重要なのだ」「世界は人間と魚、オウムのこの世があって、死霊の世界と対峙する。死んだら抜け殻はその霊世界に引導される。その霊世界にしても双極対立が持ち込まれている。男屋の内部を初めて聞いたが、両者を隔てる敷居があって半族で分かれている、出入り口も別と聞いた。男屋こそが双極宇宙を表象しているのだ、奴らが男屋に住まう限り、魂の救済は得られない」
日々の言動と鼻につく異教風の活動風景。これらを目にするに「絶対神が全てを、一の原理で統治するキリスト宇宙を、このままでは信じない。洗脳から始めるのだ」
「男屋を破壊すれば奴らは根本思想を失う」計画は男屋に絞られた。

翌日、クアイバに赴きブラジル教団第3区長のマルケス・ガルシアを訪ねた。予告もなく訪れたエンリケに驚くも、熱く語るエンリケの計画を聞いて相槌を打った。エンリケの手を固く握って「ボロロ族ほど頑迷抵抗を示す先住民はいない。儂も苦労したのだ。彼らの精神土台が男屋だったとは。汝の計画を予は賛同するぞ。ブラジル宣教団最高顧問のヴェリーリオ猊下の裁可を得られるのは間違いなしだ。キミはガリンペイロなんか、手下にコキ使えるヤサグレを集めなさい」
「ハッハァ~教団区長閣下のありがたきお言葉、明日といわず今から」クアイバ町中をガリンペイロ集めに走り回った。ガリンペイロとは金を採掘する鉱夫です。自身で鉱区の権利を買い切り、狙うは一攫千金。しかし金塊など滅多に採掘できず、多くが借金まみれで呻吟している。エンリコの呼びかけに「借金を返済できて新たな鉱区を買える」と誰もが跳びついた。

数ヶ月の後、無事族民全員がボロロ文化村に移住の運びとなった。

村の外貌は;
平面に均された土地が文化村、文化住宅が東西南北に碁盤の目のごとく整然と並ぶ。住宅間の距離は3メートル、前庭はかろうじて豆、トウキビが栽培できる程度の広さ、家族を養うには足りない。村中に入ると息も詰まる。中央のひときわ高い構造物が不気味に目立つ。
宣教団が「家族」に提供した「文化住宅」とは一つの家族がともに住む個別居宅です。家族とは夫婦と子ども、時に祖父母。ともに食事をとり仕事を終えた夕べには、その日の出来事を話し合う。就寝に部屋に分かれる。これら西欧風の家族行動を一切、風習に採り入れない多くの先住民、その最先端を突走しるボロロ族、住み始めから「文化」には馴染めなかった。
前提となる社会仕組みが異なる。西欧では朝に夫は仕事に出る。仕事は農作業か漁労、近世には工場会社勤めが加わった。働く夫が家族を養う、この形態を文化住宅が具象化している。一方ボロロ族、男は働かない。男たちは男屋で祈る。祭儀を執り行う、大祭を迎えると下準備に余念がない。楽器の調整と演奏、舞の新手の振り付け。森の茂みの騒がしさで、新しい群れが入ってきたと気づけば狩りに出る。しかし文化住宅では祈れない、祭儀作業だって準備できない。そうした仕草、祈り文句が女の目に耳に触れたら、祭儀は不能となってしまう。

社会を越えて、「文化住宅」の前提となる「家族」のあり方も異なる。文化住宅が創起する家族などボロロは持たない。
朝を軽く済ましてマンナコロは頭飾りを手入れした。28本の羽を羽元から羽先まで指で確かめるようになぞった。一片たりとも羽抜けは許されない。額に帯を巻き被りを締めた。外で見る限り大した大きさでないと判断してしまうが、家の中、まして(後の日本で言う団地サイズの)文化住宅、羽の広がりが邪魔くさい。


南米先住民に見られる男屋、二重勾配、地面にまで垂れる茅葺き屋根。壮大である。


「あんたねえ、そんなもん広げて通れないじゃないか」
「通るも通らないも、女身が羽に触ったらご利益がなくなるのだ、避けてくれ」
「フン、どうしても触っちゃうよ」女房イッポラキッケに邪魔なのは頭飾りではない、夫が居間に居座っている、朝から晩まで毎日、マンナコロの存在が気に入らない。
「どっかに出ないのかい、狩りとかさ」
「今の時期、茂みに入ってもサル子の一匹獲れない」

刺々しい会話が毎朝繰り返された。家族に夫が鬱陶しいのだ。頭飾りを付けたままマンナコロは家を出た。疎まれて外にたむろする男が、やはり目についた。皆、文化住宅に座る席が無いのだ。失態の原点は居宅の狭さであるし男屋の喪失でもある。しかし原点の極点は家で孤立している夫の存在自体にある。夫だけ姓が異なるのである。ボロロ族の婚姻形態は夫婦別姓、別氏の男女が同居、子を設けると必ず嵌まる陥穽、男が孤立する。別姓原理にもがいているのだ。

ボロロ族、夫婦別姓に泣く2 了 (8月21日)

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ボロロ族、夫婦別姓に泣く1

2025年08月19日 | 小説

(2025年8月19日、投稿は20世紀初頭のある事件を綴る。著者の聴きまとめによるので一次資料はネットなどに見あたらないが、部族民の創作は「殆んど」交じらない。場所はブラジルマトグロッソ)

キリスト宣教団「サレヂオ会」は永くブラジル奥地に住む先住民に布教を続けていた。マトグロッソ(中央高地)の雄と目されるボロロ族には「この族民が改宗になったら、高地全域のキリスト教化が臨める」として特に力を入れた。しかし成果は上がらなかった。キリスト教の奇蹟マリアの懐胎、イエスの復活、更には三位一体などを教えても、族民はありがたみなど一向に示さない。

こんなエピソードが教団内に伝わる;族民は午後遅くに沐浴をとる、これを日課としている。宣教師エンリケ・ロドリーゴは知恵者として知られる。その習慣を聞いて「イイコト思いついた」。彼の計画は沐浴の場で「洗礼を実施する」。翌日の午後、洗礼道具の桶、柄杓、改宗者に与えるロザリオ100環を担いでケサラ川に向かった。
川の流れでは人々が腰まで浸かり、時には深みに入って首だけ出して沐浴を楽しんでいた。川原では素っ裸の子どもたちが水掛け走っこで遊んでいた。これがいつもの光景。「しめしめ、満員じゃ、全員に洗礼を施し、キリスト者とするぞ」川の流れに突撃した。ヒャー、キャー、フギャーは甲高い女悲鳴。エンリケが改めて見渡すと、周囲、川の中は女だらけ。「まずった、女はメじゃない。男、それも成人の働き盛りを改宗させるつもりだった」「それでも良いか」思い直して「汝、女よ洗礼を授けるぞ、ほれ」と腕を取り引き寄せた。洗礼の手順は被技者の背を抱いて、川に浸ける。腕を引き寄せるはその第一歩。しかしこの行動がとてつもない拒否反応を誘った。「キィィグ~」女は失神してしまった。ボロロ女には夫以外の男に触れられるなどもってのほかなのだ。

時ならぬ悲鳴を聞きつけた男どもが男屋から跳び出した。流れに女に迫るエンリケ見つけ、指差し罵りにも聞こえる怒り声。拳を振り上げている。通訳のバイトゴゴが河岸の男たちに混じっている。ポルトガル語で「手を離し川からすぐに出たほうが良い」と一言。川原に戻ったエンリケ、礼拝服も頭も水濡れ。それでも男たちは罵り小突き続けた。

木陰でエンリケとバイトゴゴは話し合った。「なぜ、男たちはあれほどに怒ったのか」「あの時間は女の水浴び。男は入ってはならない」女風呂に男が入ってくるのと同じだとエンリケは納得する。彼は日本を任地とする同僚から「男湯女湯が厳格に守られている。うっかり女湯に入って悲鳴をあげられた」との顛末を思い出した。「ボロロと日本人は似通うのかね」
「あのでかい家から男たちが跳び出したんだが、あれは一体何だ」
「男の家、baitemannageです」
「昼間にあれほどの人数の男が内部にいた、何をしているのか」

バイトゴゴは眉を幾分潜ませた。話したくないとの気分が見て取れた。エンリケは「すべてを話すとの約束だったよね」うまく進んだら契約金100エスクードに上乗せする話はとどめたが。バイトゴゴにしても、そのあたりは気にしている。そこでゆっくりと重重しく、しかし熱意が感じとれる口調、淀みなく話し始めた。
「男屋とは工房、クラブ、寝室そして休み場、結局、寺院である。祭儀の踊り手は訓練に余念がない。女性は入ってこられないから、一定の祭りはこの場で執り行われる。そして「rhombe」の作成と(ぶん回しての)演奏」(このあたりはレヴィストロースの解説に酷似している)
「我らボロロ男の男屋での仕事は、本来そこに求められる仕事の様との相互性が、認められない俗性の混入がどうしても紛れ込んでしまう。結果、その雑多ぶりは、西欧人には醜穢と思えてしまうかもしれない。でもボロロ族ほど敬虔な民族は探せず、我らほど信仰体系の形而上性をここまで念入りに仕組んだ民族はブラジル中探しても他にいない...」(同上)


マトグロッソの玄関口クイアバ、レヴィストロースが調査団を整えるために訪問した1935年は馬喰、馬子、仲買だけの寒村だった

90年後、近代都市に変貌した(写真はマトグロッソ観光協会から)


バイトゴゴの説明はさらに熱を帯びる。族民の信仰に占める男屋の位置。半族と支族に分断される社会に男屋が君臨する価値。もし男屋をボロロ族が失えばボロロとしての独自性アイデンティティを失うとまで言い切った。
エンリケ、始めはフムと聞いていたが、「ボロロの独自性」で目を輝かせた。口には出さず考えついた「男屋を破壊すれば全てが解決するのだ」
ボロロ族、夫婦別姓に泣く1 了 (8月19日)
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悲しき熱帯 生者と死者2 Youtube 

2025年08月17日 | 小説
(2025年8月17日)以下はYoutube 動画の概要文:

ボロロ族の生活と信仰の中心の「男屋maison des hommes」を語ります。村は広場を居宅(女子どもが住む)円形に囲みます。広場中央に巨大な男屋がそびえるかに建っている。内部の光景は「中央で仕切られる祭儀は他のいかなる行動と同じく、自制など見て取れない。儀式域に入り込む不信心者にも、尊敬の念を求めることもない。幾人かが夕刻儀礼の準備で歌を口ずさむ、横で子ども達がつかみ合い、悪口の言い合いを始めた」聖俗が、祭りと生活の様で入り混じっている。
レヴィストロースは自身の経験(第一次大戦中にヴェルサイユの祖父宅に疎開していた)祖父はユダヤ教会の指導者。シナゴグ(ユダヤ教会)の隣接地に住む。住居と教会の間の長い回廊の暗さが聖と俗を分けている。居宅の世俗Profane世界に戻ると祖父は宗教を語らない。聖俗を分ける西洋人、観察者の目に、彼らの男屋での仕事の雑多ぶりは醜穢と思えてしまうーとも語る。


ボロロ村の男屋(レヴィストロースの実写)


しかしボロロ族ほど敬虔な民族は探せず、彼らほど信仰体系の形而上性をここまで念入りに仕組んだ民族他にいない。その中心に男屋が位置する。
前回に説明した2の死者観を均等に持つボロロ族、主体性を保つ死者はコンゴウインコとなって人間界に住み続ける。正しく言えば死者が持っていた精神はインコに転生し、インコの精神に死者の主体性が移る。一方、死骸に精神は宿らず亡者に果てて、死者の国に導かれる。

Youtube動画リンク https://youtu.be/q4hEwgBcffM


本動画に用いられるパワーポイントなど資料は部族民通信のHPで接近できる
www.tribesman.net


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悲しき熱帯 生者と死者のYoutube投稿案内

2025年08月11日 | 小説
悲しき熱帯 生者と死者 1
(2025年8月15日)悲しき熱帯23章でレヴィストロースは死を語る。前提に; Il n'existe probablement aucune société qui ne traite ses morts avec égards. 死者に対して配慮を表さない社会は存在しない。死者を受け止める2の性状から配慮が異なる。主体の死者、自意識を保ち生者社会に影響を与える。もう一方には死者は抜け殻、モノ、客体。
1 le mort reconnaissant ; 自覚する死者、主体。良い意味で人間社会へ貢献する。悪い意味では呪いかけ、災害悪病をもたらす
2 le mort objet;死者は客体、意識を持たない単なるモノ。生者は打ち捨てるか利用する。生者の正統性の拠り所に用いる、社会生活の側面でことごとく祖先を持ち出すなどが利用。
« Certaines sociétés laissent reposer leurs morts …» いくつかの社会では死者に当たらず触らずで休ませ、死者と生者の「契約」の元に 定期的鎮魂の祭儀の仕組みを設ける。死者が戻ると豊作、女性の懐妊などのご利益が持たらされる。


Youtbe動画サムネイル


西欧各国に伝わる2の古噺を引用する。「何でも死者と半分コ」は愉快。一端を紹介すると、お姫様の愛を死者と半分コする羽目になった金持ち。死者が枕元にたった。
« Faudra-t-il en jouir de concert avec le mort ? …» どうやって死者と喜びを半分こにする?死者は罪深い半分(下半身のようだ)を取って満足する。金持ちには罪のない片方が残った。(使い物にならない)半分を前にしてうなだれる金持ち。
« Il semble que toutes les cultures aient eu obscurément conscience des deux formules » どの文化も2の公式があると薄々気づいていた。 « Entre ces positions extrêmes, il y a des conduites de transition » 上の2思想を両端としてそれらの融合系(あるいは入れ代わり立ち代わりの並立)社会が報告される。 そして南米先住民ボロロ族の特異例、死者への2の姿勢を明瞭に抱き、なんの戸惑いも見せず一方(意識持つ死者)から他方へ、信仰、儀礼を移動させる。

Youtube リンク https://youtu.be/YQtJE7VYglU

本動画に用いられるパワーポイントなど資料は部族民通信のHPで接近できる
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Youtube人類学講座、2024~25年学期 報告と御礼

2025年07月24日 | 小説
(2025年7月24日)部族民通信はYoutubeに「人類学講座」の動画投稿を続けている。学期の節目を設け10月開催、翌年7月に終了する。2024年学期(2025年7月に終了)の報告とご訪問いただいたネット皆様への御礼動画です。
30動画を投稿、最多はヘーゲル精神現象学(Hyppoliteによる仏訳版)の回数は21を数え 、構造人類学、悲しき熱帯(いずれも著者レヴィストロース)が続きます。また来学期(2025年10月開始)の予告も入れている。この動画は報告のみで、聞き流してください。

動画の一コマ


本動画のYoutubeリンク https://youtu.be/53JjuYespBo

部族民通信のYoutube頁 
https://www.youtube.com/channel/UCcjUDw3LSRHw-YiBeQq11rA

部族民通信のホームページ www.tribesman.net
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悲しき熱帯 夕日考 Youtube 投稿

2025年07月15日 | 小説

(2025年7月15日)船上では: 8000キロの船路、デッキには誂向きの椅子、毎夕、日の落ちる様を座りながめた。太陽と空、水平線。それらが午後の遅くから日没まで、日の弱まりとともに影と色、移り行く西空のしたため様は全文8頁、本書悲しき熱帯、旅の紙片(feuille de route) 章に、イタリック体で掲載される(本書67~74頁)。7文節に分け、あらましと訴えかけの鍵となる原文を引用し拙訳を添えた。

夕日考 本文 :
第一節:ギリシャ人は朝日と夕日を区別していなかった。地上の一点は感じられない動きで、太陽の光を受けながらそれから遠ざかる境界に運ばれる。夜の闇は朝日を迎える地点に移動する。正しく地動説を捉えていた故に、時刻とはこれだけの動きと信じていた。しかしこの理解は一の重要点を見逃している。朝日と夕日には大きく異なり、その差異は他のいかなる気象現象の差より大きいのだ。


夕日に立ち上る雲を伽藍に例えた


動画リンク https://youtu.be/H1kUIoV5DTQ
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悲しき熱帯2 構造主義 マルクス サルトル Youtubeに公開したぞ!

2025年07月08日 | 小説
Youtube の概要欄をコピペ

17歳、ある社会主義者からマルクス主義の教えを受けた。私は感銘を受けた。偉大思想をきっかけに、カントからヘーゲルまでの流れ、その世界のすべてを初めて掴むことができた。以来、熱気は決して衰えず、ルイ・ボナパルトの霧月18日や経済政治学批判の幾頁拡げ、己を鼓舞せずに社会学、民族学の課題に当たることはなかった。歴史はかくかくと進展する、それを正しくマルクスが予告したかに関心を寄せる訳では無い。ルソーに続いて、社会科学は実体として認識できる表現の上に構築されるものではない、この主張をマルクスが展開したからである。
実存主義の名のもとに花開いた思想については、主体性への幻想の自己満足に過ぎないと判断するから、正しい知的反照とは考えられない。お針子さんの形而上学に陥る危険を孕む(サラリとサルトルを批判する)。


Youtubeサムネイル



動画リンク https://youtu.be/dgrnBxpQLu8

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