はじめに;(過去のBlogを別サイトに移動させる作業に時間をかけている。当初Gooの指示通りにDLした記事を、そのままにコピペするつもりだった。しかし2の不満が噴出した。1記事添付の写真が画像表示ではない、アドレスが貼ってあるだけ。記事を読む側としたらTextを読んでいて関連写真はこちら(http….)に目を止めても誰も開かない。逆に「怪しいサイトに誘導する手口」と警戒される。2昔の記事に目を通すと文の構成、伝えかけの至らなさが気になるー。そこで読み返し、改訂すると決めた。その過程で本稿をしたためるに至った)
(2025年4月24日)レヴィストロース構造人類学 Anthropologie Structurale IX章は神話を主題とする。エディプス神話と北米プエブロ族神話を比較している(別投稿で解説を予)。それら頁から主題「ヒトの生まれの由来」を構造主義から展開する幾節を採り上げた。
1 神話はヒトの頭の中の表象から生まれる。
上には異論はないかと思う。翻るとこれは起源神話の追求は意味をなさない、となる。レヴィストロースは « le mythe reste mythe aussi longtemps qu’il est perçu comme tel » 永く語られるままに神話は神話としてあったーと語る。
Œdipe神話が今も語られるとしたら、古代ギリシャのソフォクレスの心中に、今21世紀の解釈を重ね合わせてもたわみなど生じない。実際にフロイトが新たな概念「コンプレックス」を持ち出して、エディプスの心の内を解析した。« On n’hésitera pas donc à ranger Freud, après Sophocle, au nombre de nos source du mythe d’Œdipe » エディプス神話の資料としてソフォクレスに続いてフロイトを採り上げる、ここに躊躇はないと思うが。(240頁)
レヴィストロースの論点は: « Ce principe est bien illustré par notre interprétation du mythe d’Œdipe qui peut s’appuyer sur la formation freudienne, et lui est certainement applicable. Le problème posé par Freud en termes « œdipiens » n’est sans doute plus celui d’alternative entre autochtonie et reproduction bi-sexuée » (240頁)これを基本とすると我々のエディプス神話解釈(人の生まれは砂の芥か女の股か=部族民注)はフロイトの説明と重なり合うし、きっとそれを基本としての展開は可能であろう。さらにはフロイトが「エディプスコンプレックス」として提唱した課題は、もはや砂の生まれ(autochtonie)か女の生まれ(bi-sexuée)かを超えている。
部族民:エディプス神話がヒトの生まれの由来、この解き明かしの手段を提供してくれる。問題点は(人は「大地からか女か」ではない)一人で生まれるのか二人からか。これを起点として浮かび上がる次の提題は「個は己から生まれるのか、他者から生まれるのか」。これが問題(一人か二人か)を結ぶ架け橋(pont)となり、問題を解決できる策を与える。この進め方を採ることで、とある連関性が浮かび上がる。緊密すぎる血縁関係と疎遠な血縁関係を向かい合わせると、男は大地生まれから抜け出ようとする呻吟努力を重ねるが、達成できない行きがかりに対峙する。
« Mais il s’agit toujours comprendre comment un peut naître de deux : comment se fait-il que nous n’ayons pas un seul géniteur, mais une mère, et un père en plus ? » (同)一人の男がなぜ二人から生まれるのか、それを如何にして理解するか、一人女の胚ではなく母と父の種で生まれるかーなぜそんなことが起こるのかが課題なのだ。
部族民: Œdipe神話のフロイト解釈では男は一人で生まれる。Pueblo神話では「族民」は地底に住む惨めな「己」が地上に上った。自己に成るべく(ヒトらしき姿に生まれ変わるために)試練を経る。この過程はヒトは己から生まれるを教える。ここでレヴィストロースは「ヒトの生まれは己からか」他者からの葛藤に向かう。
レヴィストロースをさらに聞こう ;
« Que signifierait donc mythe d’Œdipe ainsi interprété à l’américaine. Il exprimerait l’impossibilité où se trouve une société qui professe de croire à l’autochtonie de l’homme de passer, de cette théorie, à la reconnaissance du fait que chacun de nous est réellement né de l’union d’un homme et d’une femme. La difficulté est insurmontable » (239頁)

出生コホートの投稿で用いた図。

生まれの様を1生物学的実際 2神話に影響を与える宇宙論の大綱に分けて、それぞれが二人(男と女)、一人(フロイト世界) 己(レヴィストロース世界)発展段階を経緯する図式
アメリカ風に翻訳されたエディプス神話(プエブロ族神話)は何を伝えかけるのか。男の生まれは大地からと信じる社会には、この論理を乗り越え我々の誰もが一人の女と男の結合から生まれ出るとの(現実に合致する)認識にはたどり着かないであろう。乗り越えられない困難がここに横たわる。
部族民:時空隔たる二の部族が男の砂生まれを伝える。これが「乗り越えられない困難」の傍証とレヴィストロースが諭している。
« Mais le mythe d’Œdipe offre une sorte d’instrument logique qui permet de jeter un pont entre le problème initial ―naît-on d’un seul, ou bien de deux ? ― et le problème dérivé qu’on peut approximativement formuler : le même naît-il du même, ou de l’autre ? Par ce moyen, une corrélation se dégage : la surévaluation de la parenté de sang est, à la sous-évaluation de celle-ci, comme l’effort pour échapper à l’autochtonie est à l’impossibilité d’y réussir »
しかし視点を替えればエディプス神話が、解き明かしの論理手段を提供してくれる。そもそもの問題点は(人は「大地からか女か」ではない)一人で生まれるのか二人からか。これを起点として浮かび上がる次の提題は「個は己から生まれるのか、他者から生まれるのか」。これが2問題を結ぶ架け橋(pont)となり、現実に立ち向かう困難を解決できる策を与えてくれる。この進め方を採ることでとある連関性が浮かび上がる。緊密すぎる血縁関係と疎遠な血縁関係を向き合わせ見ると、男の大地生まれ(の信心)から抜け出ようとする努力が、それなど達成できるはずのない不可能さに対峙する(諦観)と同じである。
ヒトの由来 番外 上 の了