蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

黄金時代、バベル以前を夢見る 3

2024年01月29日 | 小説
(2024年1月29日)前回引用した文節 « La question n'est donc pas de savoir s'il existe… » の解説 : 

近親婚の禁止は婚姻制度であり、社会の規則でもある。この規則はあまねく部族民族に共有される。どの社会にも「近親婚禁止」は存在する。故にInceste tabou、近親姦、婚を忌避するは人類に「普遍」。しかしどこまでを「近親」と規定するのか、どの「親族」から婚姻できるのかは基準が異なる。これをその社会の「固有」とする。
固有とはその社会独自の「近親」範囲の定め方。この内側にあればその娘とは婚姻できない。この範囲が国民、族民によって異なる。日本では従姉妹とは婚姻を持てるが、韓国では「近親婚」として忌避される。範囲の差異とは文化の差なので、後発、自主性でもある。古代エジプト、ポリネシア王族の母、姉妹とも婚姻できる特異例は、特異として自主性をお通しする例である。
普遍と個別、この二面をして « attributs contradictoires » 前引用、と挙げている。


青銅期(ロダン)

精神と婚姻制度に関わる2面性を論じた。一方は初限的、基礎的かつ全人類に普遍的性格を帯び、片方は自発、個別的といえる。文化興隆に伴い後発として発生したとも考えられる。
部族民(蕃神)は先にLGBT風潮を批判するブログを投稿した(24年1月4,6日)。その説明にパワーポイント資料を作成したので、1月4日に訪問してください。
個人を「考える葦」と規定するとは、パスカル、良く言ったものだ。葦とはヒトのアイデンティティ(identité)でそれは生まれながらの性状であるから変化しない。一方、「考える」は自発であり個別となる。あなたの意見(opinion)は友人のそれとは異なる。それぞれが自発性を持って判断しているから。(ちなみにopinionを初めて、今様に用いられる意味、個人の状況判断、で最初に語ったのはパスカル。 « Opinion est celle qui use la force (=pensée 部族民). C’est la force qui fait l’opinion » パンセ1670年刊から)

レヴィストロースは婚姻と言語を対比させる。いずれにも原初基礎部を持ち、文化とともに個別性を具有してきた。これはフロイトの精神分析と同一で、更には部族民の個人の二面性ともつながる。パワーポイントで表を作成したのでご覧あれ。



次回は表の対話、意味部分を説明する。

黄金時代、バベル以前を夢見る 3 了 (1月29日)
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黄金時代、バベル以前を夢見る 2

2024年01月26日 | 小説
(2024年1月26日)精神における原初の幸福 « bonheur primitif » を探るにフロイトを引用する ;
« Feud a parfois suggéré que certains phénomènes de base trouvaient leur explication dans la structure permanente de l'esprit humain, plus plutôt que dans son histoire : ainsi, l'état d'angoisse résulterait d'une contradiction entre les exigences de la situation, et les moyens à la disposition de l'individu pour y faire face ; en l'occurrence par l'impuissance du nouveau-né devant l’afflux des excitations extérieures » (page 563).
基礎的な幾つかの心理作用は個人の経験によらず、人精神の固有構造に説明が求められるとフロイトは語る。挙げるならば場がもたらす抑圧とその個人が対処しうる方策の対立で不安は亢進する。外部刺激の重なりを前にして自身の無力を表出する、新生児(が発する泣き声)に喩えると、かく言えるのでは。


« L’anxiété apparaîtrait avant la naissance du super-ego » (ditto)
親族の基本構造第2版1967年発行 表紙

自覚を持つ個(super-ego)の誕生の前から人は不安を心の奥底に持つ。

« La chose s'expliquerait si, comme l’a supposé Freud, les inhibitions entendues au sens le plus large (dégoût, honte, exigences morales et esthétiques) pouvait être « organiquement déterminées et occasionnellement produites, sans le secours de l'éducation » (page564).
精神抑圧、拡大解釈すると嫌悪、悪意、精神あるいは外形の強制が挙げられ、それらは組織体として決定しており、誘引を受けて発現する。教育(経験)の助けを借りずに。

フロイトが説く生まれながらの抑圧感覚。本書の主張である「近親姦の忌避は文化が確立する以前に発生している」とこれが照合する。


結語章の表紙

これまでは本書の巻尾(結語)からの引用であるが、巻頭の « Introduction » 序章にはこれ「原初幸福」を暗示する文節が置かれていた。巻頭をから親族構造の「原初幸福」近親婚容認と禁忌の有様を探る ;

« La prohibition de l'inceste présente, sans la moindre équivoque, indissolublement réunis, les deux caractères où nous avons reconnu les attributs contradictoires de deux ordres exclusifs : elle constitue une règle, mais une règle qui, seule entre toutes les règles sociales, possède en même temps un caractère d'universalité » (本書10頁序章自然と文化から)
近親婚の禁止はいかなる曖昧さも議論する余地も残さず、2の性格、それら自体も相反する2の属性を孕むのだが、に特徴づけられる。禁止はある一つの(部族ごとに固有の)規則を持つ、そしてその規則は、同時にあらゆる社会規則の中でも抜きん出て、(全民族に共通の)普遍性を具有している。

« La question n'est donc pas de savoir s'il existe des groupes permettant des mariages que d'autres excluent, mais plutôt s'il y a des groupes chez lesquels aucun type de mariage n'est prohibé. La réponse doit être absolument négative, et à double titre : d'abord parce que le mariage n'est jamais autorisé entre tous les proches parents, mais seulement entre certaines catégories (demi-sœur, à l'exception de sœurs, sœurs à l'exclusion de mère) ; ensuite, parce que ces unions consanguines ont, soit un caractère temporaire et rituel, soit un caractère officiel et permanent, mais restent, dans ce dernier cas. le privilège d'une certaine catégorie sociale très restreinte » (同11頁) 
他部族では禁止される近親婚を別の部族は容認する、こんなことが発生する理由はなぜか、これは意味ある質問ではない。どのような近親関係であろうと、すべてを認める部族は存在するのか、が有効な質問です。その答えは絶対的に「無い」。ここで二の要素が絡む。第一にあらゆる近親者との婚姻を禁止する制度はない。かならず幾つかの関係例のみを禁止する。異母(異父)姉妹は許されるが、実の姉妹との婚姻は許されない。姉妹とは許されるが母とは許されないなどの規定が設けられる。第二には血の繋がりの濃い婚姻とは一時的、祭儀的要素が強く恒常的にせよ、名目だけの繋がりにせよ、社会の特定階層の特権であると報告されている。

前引用2文の解説は次回(1月29日)

黄金時代、バベル以前を夢見る 2 の了
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黄金時代、バベル以前を夢見る 1

2024年01月24日 | 小説
(2024年1月24日)親族の基本構造 Les structures élémentaires de la parenté最終章Conclusionの最終節の主題はバベル以前には世は « Bonheur primitif » 幸福に満たされた黄金時代であった。今も人々は、掴もうとしてもするりと逃げてしまうその原初幸福を夢見ている。レヴィストロースが説く黄金時代とは何かを探る。

親族の基本構造の最終章、結語 « Conclusion »の最終文節を引用する :
« Jusqu'à nos jours, l'humanité a rêvé de saisir et de fixer cet instant fugitif où il fut permis de croire qu'on pouvait ruser avec la loi d'échange, gagner sans perdre, jouir sans partager. Aux bouts du monde, aux deux extrémités du temps, le mythe sumérien de l'âge d'or et le mythe andaman de la vie future se répandent : l'un plaçant la fin du bonheur primitif au moment où la confusion des langues a fait des mots la chose du tous ; l'autre décrivant la béatitude de l’au-delà comme un ciel où les femmes ne seront plus échangées ; c'est-à-dire rejetant dans un futur ou dans un passé également hors d'atteinte, la douceur, éternellement déniée à l'homme social, d'un monde où l'on pouvait vivre entre soi » (同書569頁)
今の我々の世にまでも人類は幻の刹那を追いかけてきた。その世界では交換の法則に細工を加え、失わず得る共有せずとも享楽を得る仕組みを、人は夢を見ていた。両に分かれる世界の果て時の隔たり、黄金伝説のシュメール神話とアンダマン島原住民の世の終わり神話は、合い重なり合う。一方は言語の混乱が言葉をして物事すべてを形成したために、原初の幸福の終焉を悟る。もう一方は久遠の空の果にある至福を語る、そこではもはや女達は交換の対象ではない。その意味は、人が己のみで暮らす甘さを、過去でも未来にでも、待ち望むことなどありえない来世に託したのだ。今生きる者共にはその幻想など永遠に否定されているのだから。


日野市(南平近辺)の散歩カメラ。高圧鉄塔が夕日に映えていた


拙訳を読んでもレヴィストロースが伝えむとする主張は理解できないかと思う。意訳を試みる前に文章を解析すると:

1 黄金の世界の伝承、一方はシュール神話、片方はアンダマン島先住民の言い伝え。「失わず得る」「分け合わずに享受する」。 « Loi d’échange » 交換の原則、貰うには与えるの意味だが、それを真っ向から否定する。そんな身勝手がまかり通った時期で、それを黄金 « l’âge d’or » としている。
2 原初の幸福 « le bonheur primitif » (引用文中)時代であったとも指摘してる。その幸福が、「言語の混乱」によってもたらされた不幸な事態、言葉 « des mots » をしてあらゆる事象が物に置き換えられた瞬間を迎え、終わりを告げた。
3 言語の混乱の実態は、本章でその語が前出しているから、バベルの塔伝説に他ならない。空にも届く塔を建設し、神の世界に入り込むとした人の傲岸さに怒った神は人々の関係に差金を入れ会話が成立しなくなった。後ろ向きの教訓を伝える説話として語られる。
4 レヴィストロースは当初の混乱を乗り越えて、より精緻な言葉遣いを物にした、それが「言葉 をしてあらゆる事象を物に置き換えた」の意味合い。人類の歴史を評価している。
5 この解釈を起点として本章の伝えかけを解明したい。鍵となる組み合わせの概念は黄金期対鉄期、会話の絶対成立対不成立、女と婚姻制度、財と交換―が挙げられる。なおアンダマン島先住民の黄金期「婚姻制度は無い、男は一人で暗黒の宙に浮いている」については本文の最後に言及する。

意訳:太古の世界では交換の原則など知られていなかった、故に「失わず得る共有せず享楽を得る」時代であった。この黄金時代はバベルの塔の失敗で霧消した。言語混乱の帰結として、「物事すべてが言葉で言い換えられる」時代になった。言語が分散化して、一層機能が強固になった。実はアンダマン島原住民の世の終わり神話は、バベル伝説と合い重なり合う。久遠の空の果にある至福を彼らは語る。もう女を交換しない、己達だけで生きる。バベル以前の世界が(女の)交換など無視している、この意味で重なり合うとしている。
本書の結語Conclusionの結論である。どのようにしてレヴィストロースはこの論を誘導したのか。その道筋をたどる。

バベル以前が黄金時代 1 了(1月24日)

後記 : 日野市床屋バベル狂乱(2024年1月13日Blog投稿)で言語のÉquivoque(多意義性)が日野市で亢進した挙げ句、床屋バベルを再現してしまったと述べた。バベル以前は « bonheur primitif » 原初の幸福を孕む黄金時代とレヴィストロースは教えた。ならば原初は « Univoque » の言語社会であったのか、« Univoque » ならば「意味の交換」は無いのか?この観点からBlog投稿を試みる。
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バベル異説、Equivoqueなのだ 1

2024年01月18日 | 小説
(2024年1月18日)Equivoqueとはなにか。一ながら複数の意義を有する語を指す。(Univoque=Equivoqueの反対語、GooBlog22年12月19日、Youtubeは2023年1月17日の投稿にてEquivoqueにも言及)

デジカメ写真では腕、足などの例をあげている。「腕がよい」の腕は技能を表す、腕前も同列。腕が長いとなれば実際の腕。「足が早い」とは魚の味の劣化速度。魚に足が生えて逃げる状況を云うのではない。目についても同じく « Équivocité » 指摘できる。

理髪師見習いのヨシオ君が間違えたのは「頭」、この語は幅広く多岐にわたる意義を持つ。1~4はその代表として採り上げるが、広辞苑では25の異例が数えられた。
上から目に「見えている頭」、人数、先頭、そして髪。

« Equivocité » がもたらす混乱はバベルから始まった。塔の建設現場で
石工親方が見習いに指示を出す。この石を頭に据える。見習いは「こうですかい」と頭に石を据えた。結果は親方の怒り。
「この石は使えない、目を利かせろ」見習いは目をキョロキョロさせた。

「頭数アタマカズ」と聞いた見習いが「ガン首」を揃えた。親方は呆れ果て、見習いは逃げ出した。この状況下では塔はもはや完成しない。民族が別の言葉を遣い始めて会話が成立しなくなったーが通説ながら、Equivocité の蔓延で建設作業が放り出されたーと部族民は考えている。
最後のデジカメは

エデンの園を放逐された人類の祖からバベルまでの年数(数字は部族民の推測、というか当てずっぽう、なので気休め参考にしてください)

バベル異説、Equivoqueなのだ 1 了

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日野市床屋はバベルの狂乱 下

2024年01月15日 | 小説
(2024年1月15日) 日野市を縦貫する北野街道、その道筋の理髪店、屋号はオーボエ。見習い理髪師のヨシオと客の会話は意味をなさない。「頭」を遣うのだが意味が食い違っている。同じ語なれどその意味するところの不整合が対話不成立の原因に辿れる。4千年前、今のイラク、バベルで発生した狂乱が令和の世、多摩の日野市で再現してしまった。
諍いの最中、ゲーセン遊びを切り上げたサトシが紛れ込んだ。
「吹いている。血しぶきや。角刈りが血染め、頭の怒りがイェーィの血だるま」
「小僧、お前まで俺をバカにしている。てことは床屋の味方をしてるな。お前も血だるまにしてやるぞ」
男はヨシオが手にしているカミソリをもぎ取ろうとしたが、秘蔵村辻を他人の手にさせるものか、ヨシオの渡さじ決意も固く、二人がカミソリを巡ってのもみ合いが始まった。
「ヨシオ頑張れ、その角刈りがカミソリを握るとオイラが血だるまだから」
「そしたら頭の見本は直ぐにクビ」


日野市北野街道沿いの床屋でバベル狂乱が再発した。

偶然見つけた街道沿いの床屋(本文の内容とは関係がありません)

親方が出てきた。
「旦那さん、落ち着いて」白い粉を傷口にふりかけた。
「傷は治まりました」
白い粉はひげそり泡をたてる粉シャンプー、業界でレッシブと呼ばれる。床屋用には血止め効果も加味される。こんな事態が起こるかとのメーカー気配りかもしれぬ。蒸しタオルを頭に被せ拭き上げると、角刈りの血染めももとに地黒に戻った。
「これでオーケー、1日2日すれば傷口が固まりますよ。それにしても...」
思わせぶりに口を止めた親方、次の言葉はなにかを皆が持ち受けた。しかし思惑は異なる。客は「床屋が客を傷つけた。失点はこいつにある、慰謝料だ」。ヨシオは「頭を切れと言われたからその通りに切った。失点はこの男の曖昧用語」「この事件を言いふらすはもってのほか。口止め料はこれだ」大きな額の一枚はいけるとサトシは勘定した。

親方の続く文句は誰も想定していないほど意外だった。
「立派な傷痕だ。惚れ惚れする切り様だな。傷口がスッパとしている。痛みはでない」
「そんなことはないぜ、痛かったぞ」
「切られた途端にわずかの一瞬だけ痛い、これはどんな傷でも言える。ワシが言ってるのは痛みが後を引きずらないってことだ」
親方の説明が続く。
「鈍い刃物で下手な傷をつけると、傷口の左右壁がしわる。肉壁の部分破壊、時には全面破壊をもたらす。傷口を合わせても、左右の壁ひだが噛み合わない。ひだ同士が押し合いへし合いするんだ。これが後に引く痛さの原因ですわ」
ナマクラの赤イワシで傷を受けた日には、いつまで経ってもグズグズ痛さに悩まされるーと創痛の起源を皆に教えている
「そうなったらお終いですぜ。ところで旦那さん、頭の周りをエクストラクラニアルと云うとはご存知ですかい。そこは神経叢がゴゾっと揃ってる。すべてが中身イントラクラニアル、脳みそを守るためなんです」
「シンケイソウて何だい、エキストラ暮らしにくいとは」
「そいつらは業界の専門用です。頭の周りは神経だらけと受け取ってください。その分、痛みもすごい。髪の毛を引っ張ると痛いよね、ホレホレ」
「イテテ、引っ張るな痛い」
「傷の痛さはもうないよね」
「そう言われたら痛くなくなった」

鋭利な刃物で戸惑いなくスッパと切る。切り壁の神経、毛細血管もスッパと切られる。左右を合わせると、神経、血管が繋がる。それらはそもそも同根、さっきまでは相棒だからいかなる違和感、排他根性などは湧き立たず、分離は一時でも今は一緒に戻った、良かったねと癒着する―痛さの起源の親方の論説。

ヨシオに振り向いて「お前のカミソリも中々のモンだ。それにな、デコ部に切りを入れている。ボコには刃が入ってない」
「手加減したんです。本気入れたら骸骨が二分に割れます」
「危なかった」と頭を擦る客。
「デコのみスーッと入れるのは、ワシが櫛の歯先を凸凹頭にどう当てるかの教えを体得したからだ。デコを凹ませボコを立たせる。床屋の極意だな」
「そう云えば親父も云ってた、デコを抑えボコに盛り込む、一気に均すのだ、これが左官の極意だと」
「お前の親父さんは左官だったのか、そこまでの口を叩くからにはさぞかし腕の立つ職人だっただろうよ。名号を聞きたい」
「へえ、いろいろ名乗っていたようですが最後には左…で幾分は世間様には知られておりました」
客は「ウゥー」の唸りでのけぞり椅子から転げ落ちてしまった。うつ伏せでも口がくぐもってもこれだけは、この今の瞬間に、その一言が客から、
「名人の息子とは」
客とヨシオ父の好は本題からずれる。結末、角刈り客はカミソリ疵も閉じて上機嫌で帰った。
語り終えて川本老人、「下手な言葉遣いすると痛い目に遭う。住みにくい世になったものだ」と溜め息を付いた。
さて、客とヨシオの食い違いはなぜ起こったのか。言語意味論Univoque/Équivoqueを出さねばならない。

日野市床屋はバベルの狂乱 了 (黄金時代とバベル異聞に続く、18日投稿開始予定)

注:本投稿内容はノンフィクションではありません。
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日野市床屋はバベルの狂乱 上 

2024年01月13日 | 小説
(2024年1月13日)昨年末、東京は多摩地区日野市内、人にも知れず確認する者誰も残らず、ポツリ発生しジーンと終結し、しかし見事にまでの悲惨な爪痕を残した、その出来事を語ろう。報告するは部族民(蕃神ハカミ)、暮れもすっかり押し詰まった静かなその夕べは、南平駅(京王線)近くヤッチャン、これは焼鳥店の屋号、にて久方ぶり、サワー割とレバ焼きを前にして彼がくつろいでいた。久方とは昨年は愛知県のみよしなる辺鄙な街区、そこに本拠を置くしがない輸送機工場で期間工として、汗水垂らし食い扶持を稼いだ一年間、この間では焼き鳥ヤッチャンの空隙に嘆いていたからである。
隣の老人は当店の常連、以前は毎夕、顔を合わせていた。前にも記したが蕃神はその焼鳥店で皿洗い、串打ちなどの小手間作業のアルバイトで糊口を凌いでいた。コロナ騒動の前である。
割り込んだ途端に「久しぶりじゃねえか」は気安い、
「前はカウンターの内側だったよな、外側とは豪勢じゃないか」軽口の老人に共通する嫌味の一口。部族民は気に留めず、
「今年は目一杯働いたからな、今夜はサンザイしてるんだ」
「サンザイっても串が二本でチュウが一杯か」これで嫌味が二口め。
「正月は本物の豪勢に行くぜ、フクダでウナ重と決めてるから」
「床屋騒動知っているか」と切り出した。
知るも知らぬも昨晩戻ったばかり、近辺の噂話なんてすっかり疎くなっている。その旨を手短に蕃神が返すと、
「昨日、大変なコトが起こってな、オレもおったまげた~」
おっためげ~の割に表情は一向に変化しない。この無表情も老人にありがちの硬直顔面症候である。

市を縦貫する北野街道沿い、その街道筋、とある理髪店で発生した。。老人が告げる屋号に部族民は心覚えがあった。場所感を掴むと興味もます、老人の語り聞きを以下に述べるが、床屋惨劇に立ち入る前に、直前の理髪店の状況から始める。

「こうですかい親方」
「そこが違ってる、何度も言ってるじゃないか。こうだ」
親方とはオーボエ理髪店の店主。尋ねるたびにダメ押しで訂正されるのは見習いのヨシオ君。椅子に座り何度も頭を弄くられているのは近所の高校2年生サトシ。「タダにするから座っててくれ」で実験台、というか頭の見本役を引き受けた。
頭に櫛を当て櫛歯から抜け出た余分な髪流れを梳きバサミで刈り取る作業の伝授である。親方はその櫛を頭皮に当たるか当たらないか、まさに軽く置く。ヨシオの置き方は強すぎると諭すのだ。
そこでヨシオは櫛歯の先をほんの僅か中に浮かした。すると、
「それでも駄目」櫛を取り上げ、自らサトシ頭に当てる。
「早い話、お前はこんな風に櫛を入れている、ホレ」
「痛てて」
「客が痛いって悲鳴上げてる」
「大げさすぎるんだよ、サトシはいつもこれだ」
ヨシオは櫛を親方から取り戻し、櫛歯の先を「えいやっ、これが本当の痛さだ」とサトシ頭に強く押し当てた。
「キャーキヤ、散髪代タダじゃ安すぎる」


バベルの再現、舞台は日野市北野街道、南平4丁目地先から上り方向を撮影


「御免よ」
入ってきたのは30歳代半ばの風情、見慣れぬ顔。店主はとっさに「いらっつシャイ」が出た。「お前も客あしらいをしな」とヨシオに横肘を当てた。
「お客さん、なんの御用で」
床屋に入ってきたんだから髪を切ってもらう、当然だ。
「お前んとこ、床屋だろ」
「理髪店です、街道で一番の」
「ピンでもキリでもどうでもいいや。床屋に来る客はアタマを切ってもらいに来るんだ」
「エーッ、アタマですかい」
「当たり前よ。正月も近けえ、すっぱりやってくんな」

その男、年齢に割に背は五尺を三寸抜けたほど、幾分低い。肩幅広く胸板は厚い。袖口を二に折ってむき出した二の腕には筋骨の隆々様を見せつけている。競技者で語るとタパレスに近い。切ってくれとのアタマに角に切られた髪が伸び過ぎ。ボウボウ感が浮き上がる理由は、この年末の繁忙で床屋に行く時間もなかったのだろう。待ちベンチに移したサトシに親方は「ゲーセンで遊んでこい、しばらくして戻ってこい」と1000円札を握らせた。しかし表情は怪しい、訝しがるのか。「ああいうのが年に数回は」来るんだ。しかし「ここは口出さずヨシオの采配を」とっくり見定めるぞと独り言で決心し奥に引っ込んだ。

ヨシオは「頭ですね、切れですねよござんす。こっちも道具の揃えがあるから」
道具棚を引き出し一丁のカミソリを取った。
鞘を開くと背から腹にかけての青い刃身がスエーデン、鈍い光を放った。見習いだからこそ道具に凝らねば腕は上がらない、上塗り仕上げの見事さで名を残した左官父親の言い分をすっかり受け止め、なけなしの幾万円を叩いた逸品は村辻、その中古である。
右の手、刃元を指に挟み鞘は掌に納め、敬意を払うのか男の頭に合掌した。男は鏡を通し始終を見ていたが、流石に頭合掌には驚いた。床屋で手を合わされるとは、閉じた眼に浮かぶヨシオ眼差しの真剣さも重なって、不気味さの不審混じりを一瞬、感じた。
ヨシオ左手は当て櫛を持たない。カミソリのみで髪を切るのか、こんな芸当をモノにするには10年早い。それなら見習い、何事が起こすのか。

「旦那さん、よござんすね」
「ああ、用意はできてる、しっかり切ってくれ」
「覚悟が決まったと聞きました。一気にですぜ、手元を緩めると上手くは行かないんで」
男は「若造は一体何を企んでいるのか」先程の不審が不安に勝り身構えようにももう遅い、
「エイ―」
とばかりヨシオは村辻を空に一閃、そして男の頭にピシリと当てた。
「イテテテ」は男の悲鳴。頭を当てる、いやそれ凌ぐ一閃だ、頭皮を抉った。
「何するんだ、頭を切ったな」
「頭を切ってくれといったでしょうが」
「俺が言ったのは頭を切れってことだ」
「だからそうしたんで」

日野市床屋はバベルの狂乱 上 の了
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LGBTの闇をYoutube投稿

2024年01月09日 | 小説
今年のGooBlog初投稿は「LGBTの闇」1月4,6日でした。この動画を作成しYoutube に投稿した。その注釈文は : 昨年、日本の世論人心を二分したLGBT法(性的志向及びジェンダー…に関する法、23年6月16日成立)の闇を部族民(渡来部)として説明したい。骨子は ;人を説明する2の属性、属性の鞍替えは不可、LGBT法の狙い「自認の性」は属性転換を目的とする。しかしこの法は天に唾する、あるいは涜神、涜人類に陥らないだろうか。また


動画の画面静止像(スクリーンショット)。部族民通信の考えをまとめている。


Youtubeリンク https://youtu.be/zoTr9W8CwWE

ホームサイト(WWW.tribesman.net)には
1 長さはフルで画像素子縮少動画 
2 シャクタン(尺短)動画2分(XTwitter用)が閲覧できる
3 GooGlogで手書きだった説明資料をパワーポイントPDF化している

XTwitterは 部族民通信@9pccwVtW6e3J3AF
1 Youtubeリンク、しかし画素子「超」縮小動画
2 シュクタン2分が見られる。
(ホームサイト、XTwitterへの反映は本日11時以降)
よろしくご接近のほど(2024年1月9日)。
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LGBT法の闇 下

2024年01月06日 | 小説
(2024年1月6日)人性を規定する2の属性群、1は与えられ本人は変化できない資質。顔表情、性、生年月日、身長など。これらがその人の個体性、アイデンティティ(identité)をなす。旅券もマイナカードもこの趣旨で所持者を特定している(写真)。もう一方は本人が獲得した、内部から発する資質で思考、信条など。部族民はこちらを個別性、particularité とした。


このパスポートは1968年にK氏に発行された。


K氏を特定する個体情報は(円と下線)性別、身長、戸籍(県名のみ、原簿には詳細が登録される)、生年月日、社会地位そして顔写真。所持者とこれら事項を照合して本人を特定する。生年月日の右横のNONEとは身体特徴(Physical peculiarities)K氏は持ち合わせない。この言い方は欠損畸形を連想するので後に省かれている。50年前旅券なので個別の特定は不可であろうとK氏から提供を受けた。



ここにもある通り性は両親から、あるいは神から与えられた資質です。アイデンティティの重要な項目で、変化できない個体性に属するとは人類の歴史、幾百万年を通じて真理である。
LGBT法を推進する一派は性を「本人が獲得した可変資質」と変える意図を持つ。そのようなお畏れた変化が可能であろうか。またそれが国民全体に利益をもたらすのだろうか。答えは自ずと出てくる。NO。性は代えられない。

一方で与えられた性と個別の自覚の乖離に悩む方もいる(報道で聞くのみ、部族民自身はそうした実例を知らない)。その悩みが「個別particularité」なので、これは自発的に解決する項目です。喩えると「私にはサルトル実存主義が理解できない、どうしたら良いか」と部族民が識者に打ち明ける。答えは「勝手にしろ」と決まっている。これと同列の取り扱いが求められる。

自身で解決する。人を特定する個別性を書き換えて、性を乗り替えるなどは「天に唾する」涜神、涜人類の野蛮行為です。

LGBT法の闇 の了 (24年1月6日)
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LGBT法の闇 上

2024年01月04日 | 小説
(2024年1月4日、能登半島震災、羽田空港事故の被災者被害者への追悼と新年の挨拶は文末)
昨年、日本の世論人心を二分したLGBT法(性的志向及びジェンダー…に関する法、23年6月16日成立)の闇を部族民(渡来部)として説明したい。骨子は
1 人を説明する2の属性
2 属性の鞍替えは不可能
3 LGBT法の狙い「自認の性」は属性離脱を目的とする(フランス語混じりはいつもの癖なので許せ)。
人(homme)を説明するとは人(personne)と個体(individu)に分けられる。個体は集団(foule)に対峙しているので、「全体の傾向対個体の偏差」として主に採り上げられる、ここでは人personneの個人性(personnalité)を語る。個人性は二重の属性群で規定される。1は外側から認められる識表、外側とは目に見えるのだからそれは顔表情、性別、年齢、身長体重など。これらが総じて人を外見的に区別する。区別され得る外貌を « identité ,identique » とする。
もう一方は内部から発進する属性で思考、信条、慣習など。その最たるものは自我であろう。



区別の二重性は部族民が勝手に唱えている妄説ではない。古来、哲学者が指摘していた。それを如実に説明している文を見つけたので写真を参照してください。Ch. Baudouin (1893~1963フランス, l’âme et l’action から引用) はフロイト説を取り入れた心理学者(Wikipedia)。


« Chacun de nous a tout d’abord une nature, c’est-à-dire un tempérament… » の抄訳は次の通り : 我々はまず自然(に備わった)性質を具有する。それは気質、本性、自発的傾向である。さらに我々は「個moi」を抱える。それが個人性personnalité である。その働き様は人によりけりだが、役目は事にさいして前述の自然を制御、形成する処にある。
心理学者であるからして心理の2重性をBaudouinは語っている。舞台を少し広げて「人性」とすれば古くはPascalの名言「人は考える葦」が挙がる。葦はそこに存在し目に見えるモノであるが、その葦は(眼には見えないが)考えるのである。外貌と内実の差、二重性で人を語るPascalの意志がここに伝わる。


Sartreは「人は存在を知り自由=知恵=を得る」と述べた。自由を得るヒトとは体験する、考える「意志、思考」である。姓名性別、身長などは自由とは無縁の属性であって、存在を知ることもできない。
1のこれら属性を « Identité » 個体性とした。そこに盛られる属性は写真(年齢性別顔…など)通りで、個体を識別したい機関はこの属性を持って人を見る。これが個人認識票(carte d’identité)の嚆矢であり、今でも旅券、マイナカードの記載事項と一致している。マイナには身長は記載されない、10年の期間なので子供は変わるからと思われるが、旅券でしっかり要項に入っている。海外では目の色、髪の種類なども記載される(かつての規則)。替えることのできない属性、普遍である。


自我を筆頭とした内から発する属性、思考信条などは自発であり、変遷はあり得る。故に個別性(particularité)とした。旅券、マイナカードなどには非普遍なので書き込めない。
性は普遍に属する。性を普遍から自発に切り替える、この目論見がLGBT法制定の底に潜れる(1月4日)。上の了、続く。
(昨年10月にもLGBTを個別性、普遍性で解説したブログを投稿した。探して参照してください)

部族民通信新年の挨拶 : 能登半島地震の被害者へ哀悼を捧げます、ご遺族のご心痛に心からの慰めを伝えたい。避難生活を余儀なくされている方々、まずは身体を休めて、立ち直りに励むことができるよう祈ります。春は遠くありません。羽田航空機事故で殉職した5名の保安庁隊員に哀悼を捧げるとともに、重傷の機長様にも励ましを伝えます(東京都日野市から)
令和6年、2024年、新年明けましておめでとう。昨年中は皆様の当SNS活動(Youtube、XTwitter、ホームサイトそしてブログ)へのご訪問ありがとうございます。活動の指針をYoutube投稿回数とすると27本の動画作成し、投稿しました。一番のヒットは神話学の紹介第一回総論(10月18日)で68ヒット。Youtube以外にもホームサイト、XTwitterからも閲覧可能で総計120ほどです。本年もText、画像、動画でレヴィストロース紹介を続けます。よろしくご指導ご鞭撻を。
 部族民通信 渡来部須万男

Youtubeで部族民通信を訪問する利点1、少しは雑学が蓄積する。2形而上的思考がフランス語で如何に形成されるかが分かる。しかし次が最大メリット3広告の中断が一切ない(ヒットが少ない、劣位を撥ね返し前向きになろう)


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