蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロースを読む 神話と音楽第二楽章 良き作法のソナタ 1

2017年10月30日 | 小説
(10月30日)
レヴィストロース神話学の代表著作Le cru et le cuit(生と調理)を素人なりの理解で解説しています。素人とは哲学、文化人類学、言語学、フランス語において理解の浅さを自認しているに尽きます。さて、
第一楽章「テーマと変奏」に続いて第二楽章は表題「良き作法のソナタ」の通りです。
さっそく「悪しき作法」例が述べられます。基準神話M1において、ヒーローが母親を姦した。父から母を奪い取る行為で「悪い」作法。しかし父親にして妻に無関心(indifference)であって、これこそが「悪しき」作法で、結果、妻をして息子をそそのかし、その行動に追い立てたと、神話は仄めかしています。同様に、ジャガーの人間妻への無関心(=妻を殺すために弓矢を養子に与えるsequenceシーン。ジェ語族Kayopa族、M7,8の神話)。「ジェ語族の変奏曲」に述べられている。

「作法のソナタ」では侮蔑、拒否の行動を顕著に見せる神話を取り上げています。
神話16 Mundurucu族:origine des cochons sauvages(野生豚の起源)
(Mundurucu族はTupi語族に属すが居住地はジェ語族のKayopoに近接している)

挿画の解説:野生豚ペカリ。群れで行動し荒々しい気性から狩りは集団で。一人住まいの俗神がなぜペカリを手に出来るのか、この疑いから豚閉じこめの秘密がばれた。(本書の挿絵からコピー)

M18はKayapo族(ジェ語族の有力部族):野生豚の起源
=M16と同様のarmature骨格を持つ。ヒーローオインベは子を侮蔑した人々を豚に変えて閉じこめた。この過程はM16同様に進む。ある一人(妻の兄弟)が秘密を探り当て、毎晩、一頭ずつ盗んだ。ヒーローは怒って全頭を放った。

さて、M18でヒーロー(オインベ)は妻の出身部族、姻族に、子にとって母系に、その子をとおして食を無心した。一方、先に引用したM16ではヒーロー(カルサカイベ)は血族である己の姉妹、その子には叔母と連れ合い、子には夫系の集団に食物交換を乞うた。
不当価の交換(小鳥対豚一匹M16)、あるいは無心(M18)は非礼か?一方、姉妹は「夫が」狩った豚を小鳥と交換するを拒み、甥を侮蔑した。M18では妻の係累は無心を拒否した。非礼は無心か拒否か、どちらにあるのか。

レヴィストロースはさらに神話を引用する。
M20 ボロロ族:origine des biens culturels装身具の起源
<jadis les hommes du clan bokodori (moitie Cera) etaient des esprits surnaturels qui vivaient joyeusement dans de huttes, appelees<nid d’aras>. Quand ils desiraient quelque chose, ils envoyaient un des jeunes frères aupres de leur soers, pour qu’elle l’obtienne de son mari>(100頁)
拙訳:かつてcera部のbokodori支族の男達は超自然の精霊だった。金剛インコの巣と呼ばれた小屋に住み、毎日を楽しく過ごしていた。必要な物が出る度に、幼い兄弟を村に送り、妹(姉)に「夫が収穫したものから出してくれ」と無心していた。ここまでが引用分です。
続きは<(食客兄弟の)妹が渡した蜂蜜は泡がたち酸っぱかった。なぜなら採集の前に夫(義理の弟)が妻に姦淫したから。舐めてしまった兄弟は禁忌に穢れ、水底に隠れる石を探すと決めた。狙いの石を手にできた兄弟は、貝や硬木を加工して首飾りを作った。この成功で兄弟の笑いが変化した。それまでは笑いとは猛りの笑い征服の笑い、それが「犠牲となる側の笑い」すなわち精神の笑い(rire des ames)に変わった。そんな笑い方など聞いたことのない妹と義理の弟は、妹を遣わし小屋を覗かせた。女は男屋を除いてはならない、これが第二の禁忌破り。食客兄弟は出来上がった装身具を姻族の皆に配り、火に飛び込んだ。かろうじて残った兄弟達は飛び上がって金剛インコに変身した>
妹を妻に出した側の兄弟が、その妹を通して義理の兄弟の収穫を「当然の取り分」として要求している、食客です。M16のクラサカイベが不等価交換を強要した背景に、妹(姉、娘でも)を出した側の権利を要求しているのか。であるなら非礼ではない。
良き作法のソナタ1の了(2107年10月30日)

レヴィストロースを読む「神話と音楽」は10月10日から連載しています。過去投稿にも御高覧を。
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レヴィストロースを読む 番外 序曲とテーマ変奏曲のまとめ 

2017年10月27日 | 小説
(2017年10月26日)
レヴィストロースの著書「Le cru et le cuit」(生と調理)の解説を10月10日から掲載しております。昨日(26日)が6回目の投稿で初回(表題は「神話と音楽」)と合わせ7回の投稿となりました。そのまとめとしての本投稿です。
神話解析、レヴィストロースの手法は序曲に記述されています。
1 外界(存在)をどの様に認識するか(構造主義の理念)
2 神話の内部構造(ここまでが序曲)
本文(第一楽曲)に入り第一楽章の表題は「テーマと変奏」
3 神話1~12を取り上げ、構造神話学の手法で(序曲で開陳した通りに分かり易く)解析している。

1~3を詳しく説明します。
外界の認識(1)について。
存在の中には混沌と記号(秩序)が共存している。記号を覚知(perception)すれば秩序ある(神が創造した)本質を知る事ができる。敬けんなクリスチャン、メルロポンティが唱えた現象論です。レヴィストロースはこの現象論を一歩、無神論として、進めて「秩序と混乱は共存ではない、対立している」「本質とはその対立構造にある」とパラダイム変換させた。
<des filaments epars se soudent, des lacunes se comblent, des connexeions s’etablissent, qulequechose qui ressemble a un ordre transparait derriere le chaos>(11頁)
訳;(星雲がぼんやりした周辺から中央の輪郭に至る外観を混乱と秩序に比喩して)分散している光芒が寄り集まり、間隙が埋まり、なにやら秩序だった物がカオスから抜け出る。

秩序とは思想である。故に存在と思想との対峙が構造主義である。前作のTristes tropiques悲しき熱帯で論じています。

神話の構造について(2)
レヴィストロースはカントのentendementを導入します。その意は=Fonction de l’esprit qui consiste a relier les sensations en systeme coherent=感性を一貫性ある体制に結びつける精神機能 (辞書robertから) 、分かり易く「理解力」とも訳される。神話構造に音楽、言語などとの関連を論ずるにあたり、知性と認識の人での共通性(universalite)を担保するためにカントの先験性を引用した。さらに続けて神話の表現は音楽、言語と同じく3分節に分かれるとした。1は要素(element)で人物動物行為など。2に状景(sequence、シークエンス)。3が骨格(armature)。
それぞれが対峙する「思想」を持つ。それは属性(propriete)、符号(code)、scheme(スキーム、これもカントの用語で先験的図式と訳される)。この手法、3分節とそれらの思想、これこそ構造神話学の神髄である。
神話をあらすじとして10~30行程度で紹介するが、分析はかならず「思想」側から肉薄している。例えばproprieteに関しては、ヒーローの「息子」とはどの様な立場か、父となぜ相克するのか、なぜ母と近親姦をしでかすのかを社会の構造、風習から説明を加える。まさに文化人類学者として、南米先住民のフィールドワークを通した経験が光る。

写真説明:観察されていたのは先住民族だけではなかった。構造主義者も観察されていた。「文化人類学のヒトって真っ白ね、毛むくじゃら」との正しい観察が(ボロロ語で)聞こえていた。毎朝、ボロロ式のシャワーを浴びる著者(同氏の著作から)

神話1~12について(3)
基準の神話1を紹介したあと、ボロロ族の邑落の構造を図で紹介します。東西に引かれた(仮想の線で)2の部に分離され、それぞれに4の支族を有します。支族は対向する部の一支族とのみ婚姻を結べる。部は族外婚、支族は族内婚。男は成人の精通を迎える頃に通過儀礼(initiation)を受け、共同の男屋に居住する。婚姻相手の女(小)屋(女系家族が持つ)には夜にのみ問う。さりげない紹介ですが、婚姻規定、居住空間の規定、それと服飾、行動、音楽演奏などにも厳格な取り決めがあります。
この民族誌の紹介のあと神話分析が始まります。神話を2群にわけて(ボロロ族のみ)とジェ語族の分析です。ここではsequenceの符号による解析を披露しています。
際だつのはボロロ族の「分断」を希求する意志です。分断とは夫婦、親子、義理の息子、ヒーロー(子、あるいは義理の息子)と村との分離です。母と子は(近親姦で)同盟する、子は祖母と同盟する、しかしこれがその後の分断を引き起こします。
分断とは分散。これがculture文化につながるとの思想です。そしてこれに対峙する思想は同盟、連続、nature自然です。自然から文化に移るという図式ではなく、放任放縦の(自然)から介入の(文化)に移る。ボロロ族神話とは世界の創造を謳っているとレヴィストロースが読み取りました。
(神話と音楽テーマと変奏を10月13、16、18、20、26日に投稿しています。次回から第二楽章、一部のソナタ、二部の小交響曲を紹介します、28日予定)
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レヴィストロースを読む 神話と音楽 変奏曲ジェ語族6

2017年10月26日 | 小説
(2107年10月26日)

レヴィストロース神話学の第一作「Le Crue et le Cuit」(生と調理、出版Plon社1963年)は音楽作品の形式で各部を「楽章」に分けています。第一楽章「テーマと変奏」その1「ボロロ族の歌」。その解説を前回(5回)までに終えました。
その2に入ります、表題は「変奏曲ジェ語族」です。
火の起源を主旋律にとる6の神話を紹介しています。本書の主旋律の出もとは基準の神話M1「ボロロ族、鳥の巣あらし」です。そのあらすじに戻ると
<鳥(金剛インコ)の巣に雛を求める親子、子(ヒーロー)の不手際に父親はハシゴを外して戻ります。子はトカゲの生食で飢えをしのぎますがハゲワシについばまれて死ぬ。トカゲに化けて村に戻ります。村を洪水が襲い、全ての火が消えた。ヒーローが守った火だけが残った>この筋=旋律=がどの様に変奏されているを探る、これが2部の目的です。
神話7( M7, Kayopa: origine du feu)カヨポ族火の起源、あらすじは;
<.Ayant repere un couple d’aras niches au sommet d’un rocher abrupt, un Indien emmene son jeune beau-frere, pour l’aider capturer les petits…>(P74)
訳:絶壁の頂上に金剛インコの巣をみつけた一人のインディアン(南米原住民)、義理の息子(ヒーローのボトック)を従え雛を捕らえるとした。後続は(引用無しで);
息子は卵が二個しかないと言い張る、義父に卵を投げつけるが石に変わって義父を傷つけた。義父は怒りハシゴを外して村に帰った。取り残され空腹のボトックを助けたのはジャガー、家に連れ帰って焼いた肉を振る舞った。しかしジャガーの妻はボトックに冷たくあたる。それを嘆くボトックにジャガーは弓矢を与え、己の妻を殺す手段を教えた。ジャガー妻を殺したボトックは焼き肉を土産に村に戻る。男達に焼き=調理の秘密を話すと「火を盗もう」とジャガーの巣に遠征する。その場の肉を焼いてたらふく食べて、熾火を盗み揚々として村に帰った。今、ジャガーが人に対敵する訳は、人に火と弓矢の秘密を盗まれたためである。<Il chasse avec ses crocs et mange la viande crue, il a solennellement renoces a la viende grille>以来、ジャガーは牙で獲物を殺し、生肉を食べる。厳粛に、焼く工程を拒絶したのだ。

写真:お昼寝の夢はおなかいっぱい豚のこんがり焼き(作者の著書からコピー)


第一変奏には5の変奏曲が続きます。これらはそれぞれに小差、あるいは顕著な違いが認められます。従来の「神話学」では違いとは伝播する過程での不手際、これをvariente=変異として、差異の多寡から歴史、民族的な距離を語っていました。レヴィストロースの手法は神話表現の背後に隠れる「思想」を解明して、思想の転換振りを比べる処にあります。

Le cru et le cuit 85頁の表、解説は下記に

手書きの表は本書85頁の表を翻訳して手書きしました。M7~M12が変奏曲です。M7,8は同一民族(Kayapa),M9~M11は2民族(apinayeとtimbina)ながら近接している。)M12 (sherente) は風習制度で異なる民族。(民族の分布地図は10月13日に投稿)
1~7の縦列はsequence=場面です。場面ごとに符号codeを設定し、符号化codageを+-で発展させている。0は記述が欠けている。
1のヒーローの行動とは積極な意思表示があったか、すなわち「巣に雛は見つからない」などとの偽りは+、親インコの反撃で雛を盗めなかったなど消極は-です。M7では「雛はいない卵だけだ」と子は伝えます。しかし義父は間接証拠から雛に育ったと分かる訳で「じゃあその卵を投げろ」と命じた。子が投げた卵が飛礫になって義父を傷つけた。「雛でなく卵」子の偽りは明白ですが、当神話の採取者(サレジオ会神父)の脚注を尊重して(=何らかの事情でそうなった、子の反逆はない)括弧付きの+にしています。2ヒーローの汚れとは取り残され鳥に糞をかけられる、虫が湧く(死ぬ)を意味します。Jaguarの注意とはジャガーが取り残されたヒーローを自ら見つけるか、ヒーローの合図で見つけるかの+―です。(M9ではヒーローがつばを吐いて知らせる)。5の無関心とはジャガー妻のヒーローへの仕打ちへの無関心(+)、あるいは忠告するなどの態度(-)です。

これらのcodeとは前回までのテーマ「連続と断絶、nature/culture」との繋がりが認められます。+は断絶(その願望)と断定できます。そもそも基準のM1、ボロロ神話は断絶への希求が旺盛です。M7にも断絶の志向が影響されている。M1の変奏ならばメロディに断絶の影を見つけるのも宜なるか。
レヴィストロースの指摘は
1 kayapa族のボロロとの共通性、断絶(+)が多い、一方apinaye/timbinaは断絶の否定(―)が多い。ここでメロディは短調に変調したか。
2 M12sherenteには内容に一貫性がない(採取の品質か)、しかしながらヒーローの行動と妻の仕打ち(爪を立てて殺す仕草をヒーロー見せるなど)際だつ+がある。これは社会制度との関係か(sherenteのみが父系社会)
を上げています。

M13は付け足し。
M12で鼻グマ狩りの一場に関して「南米神話では鼻グマ狩りのエピソードは散見する。その一つとして(パラグアイのガラニ族神話)」を挿入している;
「チャリアは女鬼、狩りに出て鼻クマをしとめた後、木に登った太陽神をめざとく発見、矢を放った。見事命中、太陽神は落木して糞を垂れた(毒矢で仕留められた症状)。糞と太陽神を葉っぱにくるみ籠に詰めた(偉い人、動物の糞はおまじない)。帰り際に漁を試み、籠を岸に置いた。木から落ちたのも、糞のひねりも、実は、太陽神の演技。仕留められていないから石ころ一つを置いて逃げ出した。ついでに鼻グマも蘇生させて逃した。帰宅して子らにチャリアは
「今日は獲物が多いぞ、鼻グマにニアカンラチチャン(太陽神の本名)だ」子らはワーイで籠を取り巻き中身を出した。「カーちゃん、糞と石ころしかない」「アレーッ、騙された」女鬼チャリアはがっかり。
堅苦しい文面にさらり、お笑い譚を挟むはレヴィストロースの「茶目っ気」でしょうか。上記M13にはcode分析は試みられてません。

神話と音楽 変奏曲ジェ語族6 の了(2107年10月26日)
(次回投稿は10月30日予定、過去投稿は10月13、16、18、20、26日)


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レヴィストロースを読む 神話と音楽 ボロロ族の歌 5

2017年10月23日 | 小説
(2107年10月23日)

ブラジル・マトグロッソ(中央高地帯)。かの地にて有力なボロロ族の一群の神話を、構造主義の手法を駆使して解析するLe cru et le cuit(生と調理、レヴィストロース著)を解説しています。
神話構造とは要素(element人物、動物など)、状景(sequence筋道、シーン)、骨格(armature)の3の階層で組み立てられ、それぞれが思想ideologieと対比している。要素の思想はpropriete(属性)、例えば「金剛インコの巣あらし」ではインコの尾羽に関わる身分上の重要さがproprieteとなります(過去投稿を御参照)。下の写真は葬送儀礼に参加した高位者の正装です。尾羽の飾りの質、量がその者の社会地位と財産を表します。

写真説明:弔いの儀礼での正装。頭を飾る金剛インコの尾羽、弓と矢、身体のデコレーション。服飾と道具は地位と財産を表します。この男性は幼い頃サレジオ会(布教団体)のサンパウロ学校でポルトガル語を習い、優秀なので覚えめでたく「ローマに送られて教皇に面会した」と主張している。レビストロースは?をつけているが。ボロロのケジャラ邑に滞在中は助手兼通訳(同氏の著作から)

状景の思想はcode(符号)です。神話1,2でのcodeは同盟と離反(レヴィストロース的には同盟+と―)出統一されます。彼自身がM2をcodeで説明しています(この作業をcodageと言う)。再説明ですが引用します。
<un abus d’allience (meurtre de l’epouse incestueuse, privant un enfan de sa mere), un sacrilege qui est une autre forme de demeusure="後略>(67頁)
訳:子と近親姦(同盟の+、括弧内は投稿子)を犯した妻を殺害し、子を母から離した(同盟―)。妻の再生を封じるために遺骸を密かに埋葬した。この不作法は同盟―。以下、同盟の+―でsequencesを分解しています。M1も同一のcode同盟を取り入れ、その+-のcodage手法で組み立てています。しかしM3ではcodeが連続不連続(=連続の+-)に変遷します。
前回(4回投稿)で=M1,2,3はそれらを通して一つの神話とすべきで、これら3の流れ(sequences)と符号化(codages)を読み取ることで、全体の骨格(armature)が浮かぶ=と述べた。ならば同盟(allience+-)と連続(continu+-)は同一でなければならない。
この課題を解く鍵がnature/cultureにありました。
<par consequent, le poison de peche peut etre define comme un CONTINU (大文字化は投稿子)maximum qui engendre un DISCONTINU maximum, ou , si l’on prefere, comme une union de la nature et de la culture qui determine leur disjonction, puisque l’un releve de la quantite continue, autre de la quantite discrete">(同書285頁)
引用にあるpoison de peche はマトグロッソ、アマゾニアでの毒流し漁で使われる植物由来の毒。discreteは一義で「つつましやか、控えめ」に使われますが、ここでは2義の「分散」すなわち不連続をとります。
訳:毒流し漁は最大の連続と規定され、それは最大の不連続を生み出す(訳注:せき止めた流れに連続して、一網ならぬ「一流し打尽」の効果を生む。一匹の魚すら残らない、最大の不連続)。それ故、natureとcultureとは分断されざるを得ない同盟であると運命づけられている。なぜなら一方(nature)は連続の量(大量)から、片方(culture)は不連続(慎ましやかな)量から出でるから。
注:265頁は表題「Astronomie bien temperee宇宙の平均率」の章にあり、レヴィストロースはここで「毒流し漁」を詳細に語ります。その主点は植物由来の毒はそもそもnatureである。natureでnature(魚)を漁すると最大連続、そして分断を生む(という神話の思考)を紹介する中で、nature/cultureと対比させ、さらにunion/disjonctionにも比定している。すなわちnature/cultureを介して、同盟union(alliance)の+-、連続conituの+-は同一であるとの(神話の)思想を取り上げた。
natureを「美しき汚れなき天然」的に肯定として捉えたら先が進まない。放任放縦、やりたい放題とすれば理解が深まる。するとcultureはnatureを制御するから、文化と理解せず介入とする。これは前回前々回に説明しました。

union=continuの整合関係は構造主義が規定する同一性の<congruence>です。この語を辞書で引くと2整数の合同(数学)とありますが、これでは理解不能。そこで尊師がどのようなコンテクストで使っているかで推察して「機能の合致」とします。一見すると別だが、根っこ部分の思想で同方向に機能する関係と考えます。格好つければsyntagmatique(連辞)では不整合、paradigmatique(パラダイム、範列)として整合するとなります。かくしてnature/alliance/continuの関係はculture/disjonction/discretと(構成する要素の関連で同似、尊師の発明の語です)を形成します。
それではM1,2,3を、この構造主義的分析で紐解いてみます。

<昔々、人々は自然の中に平和に暮らしていた。社会制度、階層、取り決めなどは出現していない。子は母と同居しているから、母子婚(おやこたわけ)は珍しくなかった(=放縦、やりたい放題の世界)。ヒーロー(M2のバイトゴゴ)は子との姦淫を見せつける妻を殺害し(M2)、子に冒険を命じる(M1)。精霊の国に置かれる楽器を盗めと命じた(楽器はマラカス、儀礼に使われる。所有し演奏するとは、その地位を有する社特権的な意味がある)。子は3度とも成功した。次に父は金剛インコの巣あらしに子を追い立て、ハシゴを外し絶壁に捨てる。子はトカゲを生食して食べ過ぎて(生食は放縦、食べ過ぎを招く)ハゲワシにむしばまれる。トカゲになって村に戻す。(制度を強要する父と、放縦に生き、その結果、死ぬ子との対照が読める)。
村に戻ってトカゲから抜け出て蘇生し、精霊となって父を殺し彼の妻全員、実の母をも殺す(これは新しい社会を創造する過程です)。
その後、洪水と食事の火の話が挿入される。洪水の後になって、この世は放任放縦を満喫する人々が増えすぎた。ヒーローは族民を間引きして(弱小支族を殺戮して)不連続境界を創造し、各支族に婚姻制度、階層、服飾規定などを強いた(介入の由来)>(=以上は「ボロロ族のテーマと変奏曲」の要約です)

まさに創造神話です。
同様のシーンが旧約聖書に読めます。ソドム(背徳=放縦の街)社会の「連続」が最大の破壊=disjonction=絶滅を招いた。ノアの洪水=人では動物を一番いだけに間引いた、不連続を強いる介入です。しかし、もっともボロロ神話に近いのは「エデンの園」かと思われます。そこに放任、放縦、近親姦(アダムとイブ)破局(神との同盟の断絶)がうたわれています。codageで分解すれば、両者の似かよりは親密です。
無神論者のレヴィストロースは聖書との比較など一切、記載せず、淡々と次のテーマに取り組みます。次回から「ジェ語族のテーマと変奏曲 病気、水、火の起源」に入ります。

(次回投稿は10月26日予定、過去投稿は10月13、16、18、20日)
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レヴィストロースを読む 神話と音楽 ボロロ族の歌 4

2017年10月20日 | 小説
(2107年10月20日、首題の過去投稿は10月13、16、18日)

レヴィストロースの構造神話学、その嚆矢となる<Le Cru et le Cuit="生と調理">を解説しています。神話(M)の1,2は近親姦にまつわる主人公の冒険譚、分かりやすい流れですがM3(ボロロ族、洪水の後)になって民族の間引き、殺戮の場面と「贈り物が少ないから殺した」の族長ボカドリの不吉な言い訳が出てきました。それが「連続」対「不連続」なのだと尊師は教えます。
この意味合いを考えます;
本書に頻繁に出るnature とcultureの対峙がヒントです。
natureを投稿子は「自然、天然」と反射的に捉えました。自然とは本来、調和、美しいなど前向き含意を思い浮かべます。するとcultureは文化と解釈します。これでは前後文章の解釈が至らない、この意味づけが間違いと思い直した。さらに冷静なるレヴィストロースにおいては用語に感覚的好悪を意味づけするなどの俗っぽい手段など、あくまであり得ません。
少しも分からないなあ、でも気を取り戻しnatureを辞書で開くと一義は大自然の自然、二義にcaracteres innes生まれついた性状、さらにce qui est inne, oppose a ce qui est aquit 生まれつきのもの、獲得したものとの対比(=petit robert)とあります。用法に彼(彼女)の本来の性向だよ(悪い性格を批判する用法)。白水社の大辞典では「奔放」の意をも加えています。そこで本書でのnatureとは「手つかず、ほったらかし」が正しいとする。ではcultureとは;robertを開いても農耕、知識、教養などしか出てこない。頼みの白水大辞典も同様。そこで投稿子は勝手解釈で奔放の正反の「人手の加わった状態、介入」と理解するとします。農耕とは人手を加える、耕すが原義なので的はずれでもない。

nature とcultureの対峙とは、放りぱなし(連続)に対するお節介、介入(不連続)が真意となります。

それでもM3のみでは族民の殺戮、間引き神話は理解できない。そこで他民族の神話を介し、パラダイム手法(paradigmatique)を通して解釈を進めます。このparadigmatiqueは構造言語学者ロマン・ヤコブソンの用語です、範列的との訳語が当てられます。「似たような神話を引っ張り出して比較する」手法と投稿子は理解します。彼もその事情を下記に打ち明けています。
<Limitee aux Bororo, l’interpretation est fragile. Elle acquiert cependant plus de force quand on la rapproche de l’interpretation analogue de mythes provenat d’autres populations>(61頁)
抄訳;ボロロだけで解釈しても弱いから、似たような神話を拾って比較する。

比較したのはボロロ族の親戚筋、ジェ語族のOjibwa族とTikopia族。本文の引用は省略されて解説のみ。Ojibwaでは洪水の前に6の支族が「接続」して居住していた。各支族は盲目(に扮する)先祖神を奉るが、一の神がバンドを外し盲目でないと表明してしまった。五の神は彼を支族の民とともに追い出し、五の支族の構成に縮小して、不連続域を創成した。
Tikopia族の手法は「これまでは食べ物はその種類が数えられない状態だった。これを脱出するには食べ物の数に制約を入れて、支族をその数に合わせよう」
選んだ数は四、無数の支族を消滅させて(殺戮して)四支族の構成に「正した」。
ボロロ族のやり方は上記2部族とも異なる。
「連続している理由とは人口の多さなのだけれど、突き詰めれば小さな支族が数多くあるから。故に弱小を殲滅して、8の上位支族だけにすれば不連続世界となる」とボコドリ(ヒーロー)がわざと乗船に遅れるなど策略を巡らせた。贈り物が少ないとは弱小なのでボコドリが期待する質と数をまとめきれなかった為である。優勢、有力を生き残りの基準点にしたボロロの知性が光ります。

写真は本著書から。3部族の間引き方法、左が洪水前の連続居住。右に間引き後の形態。ボロロ族は最下、無数の支族が8に集約されています。

ボロロ、それに近隣の部族にしてもなぜ連続性を嫌うのか。前回に引用した上念司氏の米国加州での山火事解説に戻ります。「先住民は小さな山火事を発生させて、大災害を防いでいた」焼き畑農耕かと推測します。放置すれば発火しやすい灌木林を、焼き畑によって一部を灰野に化して、自然に不連続を生じさせ、全山の火災を防いでいた。もし人口が過密となれば、この一部の灰野が造れません、全森林を焼き畑にするしかない。翌年は飢餓に見舞われる。こうした、連続の不具合を先住民は知っていた。ボロロ族と同じ知性です。

不具合は焼き畑に限りません。
M1では成人の通過儀礼を控える子がヒーローです。
彼は、儀礼に使う装身具(ペニスケース)を採取するために母が森に入るのを見て、母を追い犯します。母との断絶を拒否し「連続=姦淫=親子婚ははこたわけ」を選びました。父に放逐され、山上でハゲワシについばまれて死にます。M2では本来は生まれの女屋から出て男屋に居住しなければならない兄弟が、姉妹(ヒーローの妻)を森で姦淫した(水平婚いもせたわけ)、原因は男が生家との連続を希求したためでした。
連続の不都合は食物摂取にもあらわれます。トカゲ、魚の生食、食べ過ぎ、病気の発生がM1,2に語られています。
M1,2,3はそれらを通して一つの神話とすべきで、これら3の流れ(sequences)と符号化(codages)を読み取ることで、全体の骨格(armature)が浮かび上がります。
骨格の思想がscheme(スキーム)であるとは前々回にも語りました。M1,2,3のそれはnature対cultureに他なりません。次回はschemeを取り上げます。
(ボロロ族の歌4の了、次回投稿は10月23日を予定)
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レヴィストロースを読む 神話と音楽 ボロロ族の歌 3

2017年10月18日 | 小説
前回投降、2で取り上げた神話2(M2)が67頁に要約されています。
<Un abus d’alliance (meutre de l’epouse incestueuse, privant un enfant de sa mere) complique d’un sacrilege-qui une autre forme de demesure=中略=provoque la disjonction des poles ciel (enfant) et terre (prere)=中略=Baitogogo retablit le contact entre morts et vivants , en reveklant les ornements et le parures corporelles, qui servent l’embleme a la societe des hommes , et de chair spirituelle a la communaute des ames>(67頁)
訳(ヒーローバイトゴゴの行為について):同盟の破壊(近親姦を犯した配偶者を殺害して、その結果、息子から母を取り上げた)、居屋の地下に妻を埋めその痕跡を隠したやり方はさらなる冒涜、すなわち死者の再生(村の中央に埋めて掘り起こして川に流すが決まり)を否定した。母が殺されたとも知らずさまよう子が鳥に果て、森に化けた父とは天地に分離した。
それ以降を要訳すると;
一方森になったバイトゴゴは水を創造して空と地の交流を創造し、かつ生者と死者の交流も道筋を立てた=森に化けたとは精霊、村に戻ったのは精霊です(=投稿子注)。かつての共同酋長のイツボレに乗りうつって、別の部(セラ)に訪問します。贈り物をふんだんに用意し、(イツレボに憑依した)己も服飾を華麗に仕立てます。この身の飾り作法が死者と生者との交流儀礼での取り決めとなります。

写真:ボロロ族の死者をいたわる儀礼列。中央に金剛インコの尾羽で飾った男。レビストロース自身の撮影、同氏の著作から

この要約はレヴィストロースが「神話構造」で伝える第二分節(articulation)その物です。(第一がelements対proprietes、第二はsequence対code。Sequenceは状景のシーン)森の奥で兄と相姦する妻、隠れて目撃した子。それを聞いて義理の兄を殺害するバイトゴゴ…と劇場仕立ての圧巻の筋ですが、それを追わずに(ideologie側の)codeを追っています。彼なり、得意の構造主義の進め方を楽しむと;
取り上げたcodeが「allience同盟」と「disjonction離反」です。
同盟にはバイトゴゴの婚姻と親子関係があって冒頭、姦淫で破断される。バイトゴゴは地と精霊、人と死者の同盟を築いた。数えると四例の同盟。一方、破断は投稿子が数えるにやはり四例(夫婦、親子、型破りの埋葬、ヒーローと村人の別離)。破断が先に出てくる。同盟とは、かつての楽園状況で、それがM1M2では近親姦で破断されて、ヒーローが再び同盟を創造する。新たな同盟には決まりがあって、服飾、飾り贈り物が規定されている。セラ部の酋長は「贈り物が少なければ殺す」と不吉な予言、贈り物の多寡も同盟の条件である。

神話3「ボロロ族、洪水の後」に入ります。
<Apres un deluge, la terre se repeupla a noiuveau, Meri, le soleil, eut peur et chercha comment il pourait reduire le nombre=中略=il les tua a coup de fleches, Ce qui lui valut le surnom de Mamuiauguexeba,cuase la mort>(59頁)
訳:洪水の後、人は世に満ちた。Meri(太陽)は恐れ、どうしたら減らせるか考えた。
太陽は全ての族民に大河を、壊れやすい小舟で渡るようし向けた。案の定、小舟の浸水に族民は難儀した。びっこの(=contre-fait=原文のママ)アカルイオボカドリ(ヒーロー)は遅れて着したので免れた。激流に流された者達は縮れ毛、静水に溺れた者達は直毛。アカルイオボカドリは彼らを引き揚げ、太鼓を叩いて蘇生させた。まずBuremoddodogue族の者を蘇生させて、そのあと7のgueの接尾語を持つ者達を選んだ。7の者達にはお礼の贈り物に手厚さを求め、約束出来ない者達を殺した。この殺戮行為によりアカルイオボカドリは殺戮者(マムイオゲセバ)の名が冠せられることになった。

洪水神話にはsequenceに分離した要約は表さず、レヴィストロースは「連続」と「不連続」の原理を持ち出して、神話の核心(shemes、スキーム、62頁)に迫ります。それはボロロ族の社会の起源であると。川渡りの試練=アカルイオボカドリの奸計で民族的に間引きされ、8の支族に分離されたのがボロロの始まりとM3が語る。分離とは不連続、そして分散=discretの語も使われる。投稿子はこの語感がなじめず、連続・不連続と殺戮の関連が、感覚としてつかめなかった。一昨日(16日)、あるネットコメントでこれがすっかり氷解した。
10月16日は月曜、経済評論でネットで人気の上念司氏がこんなコメントを披露していた。前日15日に帰米し、同地の話題を紹介した。カリフォルニア山火事がマスコミで大きく取り上げられていたと。「火事は消えませんね、燃えるところ全てが燃えてから消沈します。先住民族(イロクオイ族か)はこうならないように小さな山火事を毎年起こして、惨事を未然に防いでいたのですから」と述べた。(Youtube、上念氏を参照あれ)
この言葉が天啓でした。尊師がM2で開陳したcodeがはconjonctio/disjonction。M3には殺戮と民族の分散。そして近親姦もトカゲの生喰い、魚のおお喰らい(M1,M2)、贈り物をしなければ殺される(M3)、これら一連の流れが、加州の山火事、その上念氏のコメントで、全て理解に至った。

(ボロロ族の歌 3の了 10月18日 首題過去投稿(1、2)は10月13、16日)
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レヴィストロースを読む 神話と音楽 ボロロ族の歌 2

2017年10月16日 | 小説
(ボロロ族の歌1は10月13日投稿)
レヴィストロースが神話と音楽を結びつけたきっかけが「悲しき熱帯」TristesTropiques に生々しく記載されています。ジャングル、河の氾濫、悪路の立ち往生での数週間をへて、ボロロ族のケジャラ邑落にたどり着いた。程なく日が暮れてレヴィストロース一行は男屋に間借りします。夢うつつで聞こえてくるのは女の泣き、夫5人に次々を先立たれ近隣に食を乞う辛さを「あの頃はマニオック、肉も魚も不足していなかった」落ちぶれた今の様を幾時間も語りに嘆いている。寡婦の夜泣きが終わって、夜も更けて、すると歌が聞こえ始めた。
<Des chants se modulaient au-dehors dans une langue base, sonore et gutturale aux articulations frappes. Les melodies simples et cent fois repetees, oposition entre des solos et des emsenble, le style male et tragique, evoquent les choeurs guerriers de quelque Mannerbund germanique>
訳:外から歌が聞こえた、しわがれの男声は低く調子でよく響く、抑揚をつけ跳ねる言い切り。単純な旋律は幾度も繰り返される。ソロの歌声を合唱が追いかける。男の悲劇を語っているのか、古代ゲルマンの男組Mannerbund戦士の心理が彷彿とする。
伴奏は木管とマラカスのみ、歌が止まる間にはマラカスの切りの良い拍子、音声の沈黙の合間に悪魔の声が聞こえてくるほどとサレジオ会神父の報告もある。毎晩、歌は夜明けまで続く。男達が眠るのは明け方だけだ。歌の内容とは祈りと物語、かく神話は語られ伝播してゆくとレヴィストロースは知った。(悲しき熱帯252頁)

生と調理に戻ります。
神話1(M1)の紹介に続くレシタティーボは11頁、民族誌的にボロロ族を説明している。村落、社会構造、ペニスケースに続いて金剛インコの地位に入ります。尾羽が美しく儀礼では特定の男の頭飾りに供されます。尾羽飾りの大きさと模様が男の地位を表している。金剛インコを狩るとは自身の社会地位を確保するためです。巣あらし(幼鳥を盗む)がM1では失敗するし続く神話でも必ず失敗します。ハシゴを掛けて子(=M1)あるいは義理の弟を巣に上らせます。子(弟)は「幼鳥は見えない」と偽ったり幼鳥かわりに石を投げつける展開になります。インコを渡さないとは親(義理の兄)の社会地位を否定する、貶める行動です。偽りの報告と幼鳥を掠めるとは自身の地位への挑戦、怒った親はハシゴを外す。ヒーローの苦難の始まりです。これら解説は人物や動物、それらの行動=これが神話素(elements)の属性(proprietes)を特定するに役に立ちます。投稿子はM1で20のelementsを数えました。母(女)、子、近親姦、夫、羽、通過儀礼、鳥の巣あらし…等となります。当然ながらレヴィストロースはelementsとproprietesの対立を念頭にした解説を拡げています。その意味では読みやすい。
レシタティーボに続く第一変奏曲(premiere variation)では神話2(M2)ボロロ族の「水、服装、葬式の起源」が取り上げられます。

金剛インコを狙う猟師。帰巣するインコ、休むインコ、大木の陰で弓を引き絞るボロロの男。(レビストロースの著書から)

神話2要約:昔々、ボロロは二人の酋長(ツガレ部)に統治されていた。その一人バイトゴゴの話。妻が森に入って同じ部(妻の部はセラ)の男(兄弟に遇される)に犯された。母を追っていた子に目撃され、子は父バイトゴゴに伝えた。復讐に弓をとり男に肩、腕、胴…と矢を放し殺害した。その晩、妻を扼殺して死骸を小屋の床下に埋めて出奔した。子は殺されたと知らず母を求め、さまようなか鳥になる。バイトゴゴは放浪するが、森に変身して川と湖を創り(水の起源)村に戻ると決めた。村の統治はもう一人の酋長、彼の兄弟格に託されていた。バイトゴゴの帰還にともない、同じ部から二人の酋長体制に戻った。二人が別の部(セラ部)に向かう時は必ず飾りや楽器などの贈り物を持ち運んだ。最初の訪問では、彼らの父親(=ボロロの婚姻規定では父と子は別の部に属する)は着飾り(飾りの起源)、歌で祝して迎え、飾り物を送った。神話は謎めいた言葉「たくさんの贈り物を持ち込む物は殺されない、少ない贈り物を持ち込む物は殺される」で終わる。

M1と同じく妻、森、子が隠れながら追う、近親姦、夫の復讐殺人で始まります。M1では明確でなかった二の部(ツガレとセラ)の並立が出てきます。贈り物が豪華でなければ殺されるとは不吉な終わり方です。

(ボロロ族の歌2の了10月16日 ボロロ族の歌3は10月20日投稿予定)
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レヴィストロースを読む 神話と音楽 ボロロ族の歌 1

2017年10月13日 | 小説
生と調理(Le cru et le cuit) 本文に入ります。第一楽章の題名は2部形式で1ボロロ族の歌 2ジェ(語族)の変奏曲。最初に神話学で基準となる神話(mythe1)題:金剛オウム(Aras)の巣あらし
冒頭のみを引用します
<Dans des temps tres anciens, il advint que les femmes allerent en foret. Un jeune garcon suivit sa mere en cachette, la surprit et la viola. Qand celle-ci fut de retour, son mari remarqua les plumes arrachees, encore prises a sa ceiture d’ecorce>
要約:昔々、森に入った母を少年(ヒーロー)が追って犯した。成人の通過儀礼を控えていた。夫は、妻の腰ベルトに若い男が付ける羽飾りが付着しているのに気付き、妻が誰かと内通したと疑る。成人の通過儀礼で少年達を集めダンスをさせた。その羽と同じ柄を付けるのは己の子と目撃し、2度目のダンスでも同じ結果に歎き、妻と子の近親相姦を恨む。
復讐に「精霊の巣」から楽器(hocchet=マラカス)を盗み、持ち帰るよう子に命じます。この苦境に子は祖母に相談する。ハチドリ(oiseau-mouche)の助けを借りよと答えが返った。ハチドリは楽器を吊す紐を切った。<jo>と音を立て川に落ちる、精霊が飛び出すも鳥が回収して子に渡す。父はさらに中マラカス、小マラカスを盗むよう命じ鳩、バッタの助けを借りて盗みに成功し、父に渡した。
父はさらに金剛インコArasの巣あらしを命じた、登ったはしごを父に外され、絶壁に取り残された。トカゲを補食し(生で食べて)飢えをしのぐ。余ったトカゲを紐で身体にくくると腐敗し、悪臭で気を失った。ハゲワシについばまれて尻がなくなった(少年は死にヒーローに)。

金剛インコ、華麗な長い尾羽を頭飾りにします(ラルース辞典から)

トカゲに変身して村に戻った。祖母の小屋に住み着き、頃合いを見て人間の姿に戻る。洪水が発生し常夜火の全てが消えた、ただ一灯残った祖母の火を村人が貰いに来る。すると母が死んだ筈の息子を認め、大急ぎで夫に注進する。ヒーローは父を誘い出して沼に落とす。父はピラニアに食べられた。返す足で実の母も含め、父の妻達を殺した。
このあと(レシタティーボ)でボロロ族の民族誌に移る。ブラジルの中央台地マトグロッソの南方に居住地を持つ有力部族、母系(matriarchal)集団、盛時の人口は3000人を超えていた。その邑落は中央に成人男が居住する「男小屋」を配し、周囲を女小屋が円周に囲む。東西に引かれる(架空の)線で南北に等分され、北がセラ部南はツガレ部。各部は4等分されそれぞれが支族(clan)として特定されている。さらに支族は上中下の階層ヒエラルキを持つ。すなわち邑は32の支族と階層に分けられている。

19世紀のブラジルマトグロッソ、ァマゾニアの民族分布図、筆先がボロロ族の居住域をを指している。レビストロースが調査した時期(1935年)には西洋文明の浸潤が進んでいた。

この分類は身分、行動、婚姻を規定します。例えば同じ部間の結婚はない。セラの男はツガレの女としか結婚できない。それもセラの部(例えばキ支族)の男はツガレ部のアラレ支族の同階層の女としか結婚できない。文化人類学的に説明すると部は外婚(exogamie)、支族の階層レベルで内婚(endogamie)の婚姻制度。着用する飾り物にも支族と階層の規定が厳密である。長く優美な金剛インコの尾羽は儀礼に必須だが、それを着用できる男は支族と階層で決まっている。かつての日本で裃袴に帯刀は武士の特権だったがそれと似ている。
均等に人口が配分されているとすれば32の各単位は10人ほどの構成となる。男女が5人見当。この員数で婚姻の相手を決めるのは難しい。投稿子がセラ部キ支族の下層民の生まれとすると、婚姻の相手はツガレ部アラレ支族の下層の女と自動的に決まる。その女小屋には5人の女が住む。祖母と結婚している母を除くと娘3人となるか。これらが適齢であれば選べるが、幼少なら性徴を待たねばならない。対象階層には女子がいない場合、規定をはみ出す婚姻は近親婚と忌避されているから、私は誰とも婚姻を結べない。他部族から女を略奪するしか手段はない。
レシタティーボは成人の通過儀礼(initiation)の過酷さ、羽根飾りの意味合い、金剛オウムの巣の位置、ペニスケースの説明と続く。この部分は重要なので注釈を入れます。基準の神話(m1)に戻ると;
女が森に入った理由とは息子の成人儀礼の締めくくりとなるペニスケースの材料を切り出すため。ペニスケースを装着して男となり、男小屋に寝泊まりする。実家(母親の女小屋)に出入りするのは禁止ではないが、昼でもはばかれる。夜には父親が妻問いに通うから、これは禁止。通過儀礼を迎える年頃ならば成人、そして母との別れは間近、母は森に入った。母別れを認めたくない、居続け息子の外れ行動を印象づけている。さらに腰ひもに取り付いた羽飾りを、ためらい見せず夫に見せつける妻の態度。儀礼、風習と結びつけて相姦を説明しているうえ、
<Elles pleuraient en poussant des cris comme pour la mort d’un etre cheri,parceque le garcon se detachait de la societe des femmes>
訳:母親は(儀礼の荒行に虐げられて)子に悲鳴を上げ、あたかも親愛の者の死であるかにいたわり歎く。その日から息子は女の世界から離れのだから(52頁)。
成人手前の子との別れと悲しみ、母の心の微細な言い回しの内に、母子婚(たわけ)が「昔々には」頻繁だったとレヴィストロースは示唆している、そう投稿子は読みたい。
ボロロ族の歌 1の了 2の投稿は17日を予定。

投稿子から:本書の前奏曲解説を「神話学 生と調理」として2017年9月13日~28日に連続投稿しています。内容は神話の独立性、解析の方法論、神話の構造、音楽との類似などです。関心をお持ちの方はバック投稿分もご参照を。
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レビストロースを読む、神話と音楽

2017年10月10日 | 小説
レヴィストロース神話学の第一作は「Le Crue et le Cuit」(生と調理)、出版は1963年、400頁に渡る力作です。体裁として全体を音楽作品の形式で楽章に分けています。書き出しを序章とせず序曲(Ouvertureオーバーチャー)とした事は前投稿(レビストロース神話学を読む 生と調理シリーズ9月13日~27日)触れました。続く本文は「主題と変奏、ボロロ族の歌、ジェ語族の変奏」「良き振る舞いのソナタ」「五声のフーガ」「天空の平均律」「田園交響曲」などと続きます。
文字で表す論文を楽曲に配列する訳を尊師はかく述べています;
<La coupe en chapitres ne faisait pas seulement violence au movement de la pensee; elle l’appauvrissait et la mutilait…>
訳:その流れを章ごとに分ける従来のやり方は、思考に対する暴虐でしかない。思考を貧弱にして分断するだけ(同作品22頁)。
なるほど、生と調理は「Du miel aux cendres=蜜から灰へ」に引き継がれ、投稿子(ハガミ)は拾い読みを始めていますが、突然、検索番号12の神話では…などと引用先が出現します。その番号は400頁前、前作の生と調理に掲載されているのですが、投稿子は何も思い出せません。論文ながらこのように連綿として、突然かなりの前と繋がる。これを「音楽的」と伝えているのかも知れません。

さらには、表現の方法論で2者の似通う様を以下に分析しています。

写真の解説:レビストロースはワグナーを構造神話学の祖として敬意を表していた(本文30頁)。それならワシもと全集をアマゾンで購入、2枚3枚と聞き入った。実はワシはガキの昔からワグナーなんて聞かなかった。コレガ構造主義ダゾーと自己暗示をかけても好きになれない。付和雷同、己のミーハー振りに悲しむけれど、CD一枚が100円程度なので涙の垂れるは抑えられた(カラヤン、セルも入って40枚の全集)。

その1 神話では感性的言い回しを通して観念的理解に結びつけている。例えば「生と調理」において生とは臭み、腐敗など感覚と結び、非文明、未開の象徴として扱っている。生を、思いがけない豊饒と過食、そして飢餓、道徳の瀰漫(近親相姦、親殺し)など、悪しき風潮と=観念化=している。実は音楽もそれと同じ表現の形式であるとしている。
この辺りを解説すると(本書の別頁で彼は)音楽の表現は「metaphore=暗喩」を基盤としている。この比喩の形式は「metonymie=換喩」と対立している。換喩は実体で概念(あるいは思考)を言い表す。例えば黄色という思考を説明するに「ミカン」を上げる。置き換え法と言っても良いだろう。
一方、暗喩法は概念が実体を表す。いわば仄めかしか。
<on pourrait dire que la musique reconnait aux sons des proprieties physiques>
訳:音楽は音を通して実体proprietes=特性=を表現している(30頁)

例としてレヴィストロースは<Les sanglot longs des violins de l’automne…>(ベルレーヌの詩、上田敏訳の「秋の日のビオロンの溜息の...」で有名)を挙げる。音は暗喩であるを踏まえてその連なりの「概念」が哀しみを仄めかす作用を詩にししたためたと引用している。
(投稿子の注:上田訳は「ひたぶるにうら悲し」で締める。直接表現の「悲しい」であるから仄めかしはないーとの反論が聞こえる。原文のlangueurを「悲しみ」としたのだろうが、文面ではlangueurはバイオリンの音を形容している。辞書robertで調べるとmanque d’activite衰弱とある。バイオリンの音が減衰しながら心に響くとの意味で、心が悲しいとの直接形容は原文にない。秋、日、心などと重なる換喩=換喩は多く繰り返される=に続いて、バイオリン擦れ「音」を効果的な隠喩にはめた技巧の詩であると尊師は取り上げた)
神話も概念を使い実体を暗喩しているとレヴィストロースは主張する。
しかしながらこの論は、前述した「感性的言い回しを通して観念的理解」と矛盾していると感じるのは投稿子だけではないだろう。しかし、このひねくり回し加減が彼一流の修辞法であり、深く(無理矢理に)考えて行くと、やはり神話では「概念が実体」を仄めかしているのだと気付く。神話での隠喩の例は後に回す。

その2 時間の進行とばらつき。

訳;表現は直線的に進行するわけでないし、文節が互いに前後の関係でつながる事でもない(22頁)。

これが神話と音楽に共通の時間の取り方だという。
音楽では主題メロディが思わぬ展開で再出現することに驚く。そのメロディも分断され一部のみが顔をだし、それでも主題の一部かなと聞き分けられる。続く筈の旋律を待つうちに、リズムが変わり、時には調を変化して、待ち望む残りが出てくる。このように音楽の、自在な時間の取り方を語っていると理解する。神話、特に口承の語り話しでは、登場する人物、動物、天変などが自由に変化して、しかしそれらにまとわる属性は(proprietes)変わらずに出現する。文章の如く、文節が前から後ろへ意味を送り渡す、経時として引きつながることはない。

3 言い切り方(articulation)3段階の相似
神話の構造とは
1神話要素(人物動物など)登場する個性
2シーケンス(sequence)、舞台の一幕
3骨格(armature)と3段の構成 (前回の構造神話学シリーズで述べた)
音楽の表現とは 1音素 2旋律、ハーモニー 3曲 で構成され、神話と同じく3段階がコードで分解できる(1は調と拍、2では音素の軌跡と時間の流れ 3は全体の主張)

神話と音楽の了(次回は本文のボロロ族の歌に入ります、10月13日予定)
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